第90話 物足りなさ
藤堂君と買い物を済ませ、家に帰った。それから藤堂君は、お風呂の用意をしてからキッチンに来た。
「俺も手伝う」
「うん」
2人で、カレーを作り始めた。
藤堂君も料理は不得意のようで、ジャガイモの皮むきから、玉ねぎを切るのから、2人して悪戦苦闘した。
そして、水を足し過ぎたカレーは、サラサラのカレースープになった。
「ごめん…、私のせいだ」
「いいよ。俺だってさっき、水いれちゃったし」
情けない~~~。満足にカレーも作れないなんて。もっとちゃんと、母の手伝いをしていたらよかった。
「ごめんね、司君」
私は席に着いてから、藤堂君が食べ始める前にもう一回謝った。
「いいって」
藤堂君はにこりと笑った。そしていただきますと言って、食べだした。
「あ、意外といける」
ほんとう?
私も食べてみた。
「…司君、これはどう考えても、カレーライスでは…」
「うん。カレースープって思えば、意外といける」
「…」
慰めてくれているのかなあ。
「司君のお母さんは料理上手だよね。私も頑張って、お母さんからお料理教わって、もっと作れるようになるね」
「え?」
「頑張る」
「……」
藤堂君はしばらく私をじっと見て、目を伏せて笑った。
あ、あれ?呆れた?
「可愛い。穂乃香」
「え?」
藤堂君は顔を赤くして、まだくすくすと笑っている。
「変なこと、私言った?」
「ううん。可愛いし、嬉しいよ」
「……」
か~~~~。こっちまで顔が熱くなってきたよ。
「母さんも、料理はしなかったって」
「え?」
「ひいばあちゃんと住むようになって、手伝っていたら覚えていったって、そう言ってたよ」
「ひいばあちゃん?」
「そう。父さんのばあちゃんやじいちゃん、俺が小学生低学年の時、死んじゃったけど、一緒に住んでたんだ」
「じゃ、お父さんのご両親は?」
「じいちゃんは、俺がまだお腹にいるころ死んじゃった。ばあちゃんだけ残されて、この家だとじいちゃんの思い出がありすぎて辛いからって、父さんの妹の光子おばさんのところに行っちゃったんだよね」
「じゃあそれまでは、この家に3代で住んでいたってこと?」
「うん。あれ?奥の部屋って行ったことない?」
「一階の?」
「ダイニングの向こう」
「ない…かも」
「あっちに寝室が2個あった」
「え?そんなに?」
「今はその一部屋を父さんと母さんが使っていて、その奥のひと部屋は、誰もいないけどね」
「そうなんだ」
「一部屋は和室に替えた。そこに時々お客さんが来ると泊まっているよ」
「…ふうん」
「2階に父さんと母さんがいた。今、俺が使っている部屋と守がいる部屋は、昔は一つの部屋だったらしい」
「ふうん」
大きな家なんだなあ。やっぱり。
「母さん曰く、俺が結婚しても、この家で同居できるってさ」
「へ?」
「たとえば、俺と守の部屋、壁を取り壊せば、すぐに一部屋につながるようになっているってさ」
「ふ、ふうん」
「だから、穂乃香をこのまま、俺のお嫁さんにして、同居しようっていうのが、母さんの魂胆」
「え?!」
「って、知ってた?」
ブルブル。私は思い切り首を横に振った。
「………」
藤堂君はしばらく私をじいっと見ると、
「穂乃香、えらく母さんや父さんに、気に入られてるんだよね」
と真面目な顔をしてそう言った。
「……」
嬉しいけど、わあいって、藤堂君の前で喜んでいいものかどうか。それに藤堂君のお嫁さんって、それも、わあいって喜んでいいかどうか考えちゃう。
いや、私は嬉しい。今、舞い踊りたいくらい嬉しいけど、藤堂君は?藤堂君はどうなんだろう。
「気が早いよね、母さんは」
「うん」
「……結婚なんて、俺にはまだまだ先だろうし」
「うん」
「高校卒業してからだって、まだどこの大学に行くかも決まっていないし」
「うん」
「だけど…。穂乃香も俺も、ここから通える範囲のところに進学したら、ずっと一緒に住んでるんだろうね」
「うん」
「だとしたら、ずっと一緒にいるってことだね」
「………うん」
「今、間がなかった?」
「え?ううん」
ドキン。
私はちょっとだけ、その間に藤堂君と別れちゃったらどうしようって、思っちゃった。
「そっか。穂乃香は、ご両親のところに行くかもしれないもんね」
「長野?」
「うん」
「…どうかな。進学も就職もできたら、こっちでしたいな。長野なんて知り合いもいないし、心細いもん」
「そっか…」
「うん…」
だいたい、藤堂君と離れたくなんかないよ。
カレーを食べ終わり、私と藤堂君は一緒に洗い物をして、それから私からお風呂に入った。
藤堂君は、ちょっとパソコンで見たいものがあるからと言って、2階に上がって行った。
もうすぐ、みんなが帰ってくる。2人きりの時間も、終わりなんだね。
「は~~~あ」
幸せな二日間だったなあ。
お風呂に入って、ため息をついた。ドキドキの2日間だった。嬉しかった。でも、心のどこかで、ちょっとだけ後悔している私がいた。
思い切って、藤堂君の胸に飛び込んでいたら、今頃どうなっていたかなあ。
なんて、想像もしてみたり。
だけど、その想像はどんなにいくら頑張っても、できなかった。未知の世界はやっぱり、未知のままだ。
9時過ぎ、みんなが帰ってきた。一気に藤堂家はにぎやかになり、みんなで食卓で温泉まんじゅうを食べた。
「それじゃ、おやすみなさい」
藤堂君のご両親にそう言って、藤堂君と2階に上がろうとすると、お母さんは藤堂君だけを引き留めた。
私は2階にいったんはあがったものの、また階段の踊り場まで足音も立てず戻って、お母さんの話をそっと聞いた
盗み聞きなんて申し訳ないと思ったが、いったいどんなことを藤堂君に話すのか、どうしても気になってしまった。
「司、ちゃんと使った?」
え?!まさか、あれのこと?
「使ってないよ」
「え?じゃあ、あ、あんた、まさか…避妊もしないで」
「だから、なんでそういう発想になるわけ?なんにもなかったってことだよ」
「…うそ」
「本当」
「司って、どっか悪いの?」
「なんでそうなるかな」
「…じゃ、単なるバカ?」
「なんで、バカなんだよ」
藤堂君がかなりキレ気味だ。
「は~~~。父さんよりも奥手なのね、あんたは!」
「なんで、怒るんだよ?わけわかんないな」
藤堂君はそう言って、階段をドスンドスンと上ってきた。
い、いけない。ここにいるのばれちゃう。あわあわ…。
「……あ」
駄目だ。遅かった。逃げられなかった。
藤堂君は私を見つけたのにもかかわらず、黙って2階までドスンドスンとあがり、それから無言で私を手招きした。
私はそうっと階段を上り、藤堂君の部屋に入った。
「盗み聞き?」
「ごめんなさい」
私はおでこが膝にくっつくくらい、体をおり曲げて思い切り謝った。
「いいけど。気になった?」
「うん」
「…は~~~あ、母さんって、ほんとわけわかんないよね」
「うん」
「まったく。なんで何もしないと、俺、怒られるわけ?」
「そ、そうだよね。普通、逆だよね。何かしたら怒るよね」
「……まさか、わざと2人っきりになるように仕組んだのかな」
「え?」
「まさかなあ。そんなことして、何になるっていうんだか」
「だよね?」
「………。ああ、やっぱりわかんねえ」
藤堂君は頭を抱えた。
「よっぽど、俺と穂乃香をくっつけたいんだなあ」
「でも、もう付き合ってるよ?」
「…だけど、きっと母さんの中じゃ、プラトニックの関係なんて、付き合ってるうちに入らないんだろうなあ」
「へ?」
「友達って感じ?」
「…」
うそ。
「アメリカ、かなりすごかったらしいしなあ」
「え?!」
「キスなんて、友達でもしてるじゃん」
「う、うん」
「付き合ってるっていったらみんな、一線を越えてる関係のことをいってたみたいだし」
「大学の頃の話でしょ?」
「…キャロルに言わせると、高校でもそうだって」
「へ?」
「そういうことを、あれこれ母さんにもこの前来た時に、吹き込んでいたからなあ」
「うそ」
「司はシャイボーイだから、きっとなかなか彼女に手なんて出せない。だから、ママさん。手を貸してあげないと駄目だよって、言ってるのを俺、立ち聞きしちゃって」
え~~~?!
何それ!
「母さん、真剣にうんうんってうなづいてた。そういえば」
「……」
信じられない。何それ。
「俺別に、奥手なわけじゃないんだけどな」
え?
え?
やっぱり?
「でも、この前は父さんに似て、奥手だって」
「え?言ってた?俺」
「うん」
「やべ。そう、奥手なんだ」
「え?」
「いや、その…」
藤堂君は困ったように、頭をぼりって掻くと、コホンと咳払いをして、
「穂乃香は、怖がらないでね?俺、まじで穂乃香は大事だから、そんなに簡単に手を出したりしないよ」
と、そう言ってくれた。
「…ほ、ほんと?」
「えっと。だから、万が一暴走したら、一発なぐって」
「……」
「昨日みたいに」
「うん」
「…は~~~あ。それにしても、変わった親を持つと、子供も苦労するんだよって、わかってんのかなあ。あの親」
「……」
なんて答えていいかわからず、私は黙り込んだ。
だけど、やたらと古臭い頑固な親でも、困るかな。
……でも、やっぱり、藤堂家は変かもしれないな。
そして、そんな親の言うことにも屈せず、私を大事にしてくれようとしている藤堂君が、なんだかやけに愛しくなった。
「ん?」
じいっと見ていたからか、藤堂君はそんな私の視線に気が付き、私のほうを見た。
「ううん」
「あ、もしかして、おやすみのキスの催促?」
「え?!」
チュ!藤堂君がキスをしてきた。
ち、違うのに。
真っ赤になると藤堂君はまた、
「可愛い」
とぽつりと言った。
「穂乃香、ほんのちょっと、抱きしめてもいい?」
「だ、駄目。もう寝るから、おやすみなさい」
私は慌てて、自分の部屋に戻った。
バタン。
ああ、ドキドキがおさまんない。もう、藤堂君はやっぱり、奥手じゃないよ。
ペタン。畳に座り込み、私は一気に後悔した。
ちょっとだけなら、抱きしめてもらえばよかった~~~。
わけのわかんない、物足りなさを感じながら、私は悶々としてその夜も、なかなか眠ることができなかった。




