第89話 夕焼けの浜辺
私はどんどん、欲張りになっているのかなあ。ただ、藤堂君と黙って歩くだけでよかった。
それから、手を繋ぐようになって、ドキドキしながら手をつないでいた。
キスなんてされたら、硬直して大変だった。抱きしめられたら、心臓が破裂しそうになっていた。
なのに…。
ちょっと前を歩く藤堂君の後姿を見ながら、妙に寂しさを感じる。さっきまで、藤堂君に抱きしめられていたぬくもりが恋しい。
藤堂君の匂いとか、ぬくもりとか、そういうのが全部、恋しい。
「夕飯、なんにしようか」
藤堂君が私のほうを向いて聞いてきた。
「え?えっと…。私、カレーくらいしか作れなくって」
「いいよ。じゃ、カレーにしよう」
「うん」
ごめんね。もっと、料理できるように、藤堂君のお母さんから教えてもらわなくっちゃ。
なんて思いながら、とぼとぼと後ろを歩いていた。
「買い物はあとにして、どっかで遊ぶ?」
「え?」
「夕方、海に行くんだよね?そのあと買い出しに行こうか」
「うん」
藤堂君は、さっきから手もつないでくれない。もしかして、知り合いに会うかもしれないからかなあ。
あ~~あ。
って、ほらね。私、絶対に欲張りになってるよ。
「ゲーセン、あまり行かないって言ってたけど、行ってみない?」
「司君はゲーセン、行くことあるの?」
「うん。たまにね、部の連中と行ったりしてる」
そうなんだ。そういうところも、行ったりするんだ。
藤堂君とゲームセンターに入った。藤堂君はいつもよりもハイテンションだし、笑ったりがっかりしたり、表情豊かだった。
部の友達にも、こんな藤堂君を見せているのかなあ。
「あ~~、疲れた。どっかで休む?」
「うん」
私たちはすぐそばのファミレスに入って、のんびりとお茶をした。そこからもキラキラと光る海が見えた。
「いいね、江の島。いろんなところから海が見える」
「海水浴ができる頃になると、この辺は人だらけになるよ」
「そうなんだ」
「…海、泳ぎに来たりしないの?穂乃香」
「海にはあまり行かないなあ。たいていが、プールだから」
「誰と?友達と?家族と?」
「麻衣や芳美と」
「プールでナンパされたりしない?」
え?そんなこと気になるのかな。
「しないよ~~。一回もないかも…」
「穂乃香、今までにナンパされたことある?」
「ないってば」
そんなにナンパのこと、気になるの?
「麻衣と芳美だけの時は、たまに声を掛けられるらしいけど」
「え?」
「私がいると、男子が寄ってこなくなるの」
「なんでかな~」
藤堂君は首をひねった。
「さあ?魅力ないからかな」
「まさか。それはないよ。やっぱり、穂乃香がしっかりして見えるんじゃない?」
「…そうかな」
でもそれ、あんまり嬉しくないかな。いや、ナンパされたいわけじゃないけど、しっかりしてるって思われても、可愛げのない女みたいで、嫌だな、なんだか。
「穂乃香は、見た目とちょっと違うよね」
「え?私?」
「しっかりしてそうで、そうでもなかったり」
「う、やっぱり?もう、そういうのばれてる?」
「あはは」
あれ?なんで笑われたのかな。
「穂乃香は、しっかりしてるっていうより、もっと可愛いって、俺、思うよ」
可愛い?!
うわ。うわわ。顔が…。
「ね?そうやってすぐに、赤くなるし」
あ~~。また、からかわれた。
「くす」
「つ、司君、絶対に私をからかっているでしょう?」
「ううん。からかってないよ」
そうかな~~。
「ただ、可愛いなって思っているけど」
「…」
だから、そういうことを言うのがすでに、からかってない?
「俺さ、周りにあまり女の子っていないし、知ってるのってキャロルくらいだし」
う。また、キャロルさんかあ。
「キャロルが照れたり、赤くなったところ見たことないから、穂乃香を見ていると、すごく新鮮」
「え?」
新鮮?
「母さんも言ってたよ。穂乃香ちゃんは、本当に女の子らしい、可愛い女の子ねって」
「私が?!」
「母さんもどっちかって言うと、テンションいつも高くって、キャロルと通じるところあるしさ」
「え?え?どのへんが?」
「母さん、父さんのことも口説き落としたみたいだし。積極的なんだよね」
え~~~~!
「まあ、父さんのほうが、奥手すぎたみたいだけどさ」
そうなんだ。
「俺は父さん似かな」
え?
私はつい、首をかしげた。
「あれ?そう思わない?」
「う、うん。そうだね。きっと、お父さん似だよね?」
「でしょ?」
内心は、どうかな~~って思ってた。藤堂君、奥手じゃないし、もしかしてもしかすると、お母さんの血をしっかり受け継いでいるかもしれない。なんて…。
だって、ずっと私をからかって、私が赤くなるのを見てくすって笑うばかりで、藤堂君はちっとも照れたり、赤くなったりしないんだもん。
私ばっかりが、赤くなったり、ドキドキしているように感じちゃう。
それからお店に入って洋服を見たり、浜辺のあたりをブラブラ歩いていると、だんだんと日が落ちて辺りはオレンジ色に染まってきた。
藤堂君は私の手を引いて歩き出した。浜辺には子供を連れた親子、それからカップルもいた。一人で石段に座っている人も数人いる。
「綺麗だね」
海が夕日に照らされて、キラキラと光っている。
「もうちょっと日が沈むと、もっと綺麗だよ」
藤堂君は私を見ながらそう言った。
それからまた、ゆっくりと浜辺を2人で歩き出した。
ぼ~~~。夕焼けの海を、彼氏と手を繋いで見ているなんて。なんてロマンチックなんだろう。藤堂君の横顔を見た。さっきからずっと、藤堂君は海を見ている。
「……」
私は藤堂君のすぐ横に行き、腕と腕をくっつくくらいにひっついてみた。
「ん?」
藤堂君がようやく私を見た。
「……」
私はなんとなく、藤堂君を黙って見つめていた。すると藤堂君は、ちょっと辺りを見回してから私に軽くキスをした。
え?
わ~~~。なんだか、私がキスを催促しちゃったみたいになったかな。私は恥ずかしくって、思わず顔を伏せた。
「…穂乃香?」
藤堂君が顔を覗き込んでくる。
「顔、今赤いの?それ、夕日で?」
「うん、夕日で」
なんて、本当は恥ずかしいからなんだけど。
「ほんと?」
ギク。
「…な、なんだか私からキスを催促したみたいで、ちょっと恥ずかしい」
ああ、最後の方、声にならなかった。
「今?」
コクン。私はうなづいた。
「え?…違ったの?」
え~~~!ってことは、藤堂君、私がキスしてって催促してるって思ったの?だからしたの?
「違うよ」
「そ、そうなんだ」
藤堂君は困ったような顔になった。あれ?なんで?
「そ、そうか。俺の思い違いか」
藤堂君はしばらく難しい顔をして黙ってしまった。
「つ、司君?どうかした?」
「いや、俺、けっこういろいろと勘違いしていたのかなって思って」
「え?」
「…違ったんだ。てっきり、キスしてほしいのかと思ったのに。今までももしかして、俺勝手に勘違いしてキスしたりしてたかも」
え?!
「ま、待って。っていうことは、今までにも私がキスしてほしいって、そんなふうに感じてたことがあったってこと?」
「………ああ、まあ…うん」
藤堂君はちょっと言いにくそうにそう言った。
ががが~~ん。私がそんな態度を見せたってこと?い、いったいいつ?
「…なんだ。違ってたんだ」
私のショックを藤堂君は気付かず、まだぶつぶつと言っている。
「ちょっと、俺の方が恥ずかしいかも…だよね?」
「え?どうして?」
「…キスを催促されてるのかと思って、喜んだりしてて、かなりのマヌケだな」
「え?」
「……」
藤堂君は、コホンと咳払いをしてうつむいた。
え?え?私がキスを催促すると、嬉しいの?!
え?
なんで?
あれ?でもこれが逆だったら?藤堂君が私とキスをしたいって、そう言って来たら?
う。嬉しいかも。
そうか。そう思うことって、別に恥ずかしいことじゃないのか。
私は藤堂君と繋いでいない手で、藤堂君の袖を引っ張った。藤堂君がそれに気が付き、顔をあげて私を見た。
「ほ、本当はちょっとだけ、思ってたかも」
「え?」
「キス、してほしいなって」
ああ、また声がフェイドアウトしちゃった。
「…ちょっとだけ?」
藤堂君が眉をしかめた。
「え?あ、えっと。ううん。ちょっとだけじゃなくって、その…」
か~~~~。これ以上は言えないよ。恥ずかしいよ。
「…うそ。ごめん。さっきも俺がキスしたかったからした」
え?
「っていうか、いっつもそうかも」
……あれ?じゃ、私が催促しているように見えたから、じゃないの?
え?もしかして、またからかって反応を見た?
「……だけど、穂乃香も俺と同じ気持ちでいるのかなって、そんな期待はあったけど」
「え?」
「キスとか、俺としたいって思ってくれてるのかなって」
………。
「そ、そういうの、私が思っていたら司君、嬉しいの?」
ドキドキ。勇気を持って聞いてみちゃった。
「…そりゃ、嬉しいよ」
「ほんと?」
「嬉しくないわけないじゃん。すごく嬉しいよ」
藤堂君は、思い切り照れくさそうな顔をしてそう答えた。それからふいっと、視線を外し、海のほうを藤堂君は見た。
そっか。やっぱりそうなんだ。
「じゃ、じゃあ、私からその…」
キスして、なんて言ってもいいの?
「いいよ」
「え?ほんと?」
いいんだ。そんなことを言っちゃっても。
「してきていいよ。昨日の夜、俺が寝てた時にしてきたいみたいに」
…え?
それ、私からキスしてきていいってこと?
「む、無理」
「え?」
「無理無理無理」
「…なんで?」
藤堂君は私を不思議そうに見た。
「無理だよ。そんなのできないよ」
「え?だって現に昨日、俺が寝てた時に」
「あれは司君が寝てたから」
「…俺が寝ていたらキスできるの?」
「だだ、だって…」
私が思い切り恥ずかしがっていると、藤堂君は私の顔を覗き込んで、
「あ、今、思い切り照れてる?」
と聞いてきた。
「照れてるよ。恥ずかしいもん、私からなんてそんなの…」
「あはは」
う。また笑われた。
「そうか。そうなんだ」
藤堂君は目を細めて可愛い顔して笑うと、
「そういうところが、やっぱり好きだなあ」
と小声でつぶやくように言った。
ドキン!
うわわ。もっと顔がほてっていく。
藤堂君はまた、私の手を引いて歩き出した。
ドキドキドキ。なんだか、鼓動が高鳴ってきちゃった。
夕日はどんどん海に沈んでいく。辺り一面をオレンジ色にして。
そして、空はオレンジ色と紫色の、まるでカクテルか何かのような色に変わっていった。
藤堂君が、私のすぐ横に来た。ドキン。まさか、またキス?
「もう帰ろうか。買い物して夕飯作らないとね」
「あ、うん」
なんだ。もう帰るんだ。
そうだよね、けっこうな時間、ここにいたもんね。もう帰らないとね。
でも…。まだまだ、ロマンチックなんだけどなあ。
藤堂君は私が、ギュって藤堂君の手を握りしめて動かないからか、私の顔をじいっと見て、藤堂君もその場を動かなかった。
「…」
藤堂君をちらっと見た。
「もしかして、えっと、催促してたり?」
ドキン。それ、キスのことだよね。
私は小さくコクンとうなづいた。
ああ、うなづいちゃったよ。私…。
藤堂君はそっと顔を近づけ、さっきのキスよりも長くキスをしてきた。きゃわ~~~~。誰かが見てたらどうしよう。
藤堂君が顔を離したあと、何気に目だけで辺りを見回してみた。
ああ、よかった。周りには誰もいない。
「そろそろ、行こうか?」
「…うん」
私たちはとぼとぼと、浜辺を手を繋いで歩き出した。
「あ、一番星?」
藤堂君が空を見上げてそう言った。私も顔をあげて空を見た。あ、本当だ。
「なんか、いいね」
「え?」
「穂乃香と、こうやって浜辺を歩いているの…」
「うん」
藤堂君は黙って歩き出した。
私も黙っていた。でもしっかりと手は繋いでいた。その手のぬくもりが嬉しくて、黙っていても全然寂しくなかった。
やっぱり、私は藤堂君と手を繋いで歩くのが好きだなあ。
きっと、藤堂君のぬくもりを感じていたいんだ。
それから、キスをするのも嬉しい。前はただただ、ドキドキしていたけど、今はちょっと違う。
何がどう違うのかはわからないけど、どこかがちょっと違う。
胸は相変わらずドキドキとときめいているのに、前とは何かが変化していることに、なんとなく私は気が付いていた。
きっと藤堂君だけじゃない。私も変化しているんだなあ。




