第86話 二人の変化
藤堂君はまだ、私を見ている。私も藤堂君を見てみた。
「つ、司君」
「ん?」
藤堂君の目はなんだか、熱い。繋いだ手も、脈打つように熱い。
「もう、切なくなったりしないでね」
「え?」
「私、本当に司君のこと、好きだから…」
「……」
ギュ。藤堂君は繋いだ手に、力を入れた。
ドキン。
「うん」
藤堂君は、静かにうなづいた。
藤堂君は私から視線を外した。そして、天井を見ながら話をし始めた。
「俺、本当に中学の時も、女子って苦手なだけで、誰に対してもなんとも思わなかったのにな」
「え?」
「不思議だよね。美術室の前を通った時、なんで穂乃香のことを見て、あんなに心が動いたのか」
「…」
心が動く?
「絵を描く真剣な目。でも、なぜか穂乃香の周りは穏やかで、緩やかな時間が流れているような。ああ、そうだ。あの一瞬、すべての時が止まって見えた」
「私のことを見た時に?」
「そう。俺、その瞬間に予感したんだ」
「なんの?」
「ああ、俺、この子のことをすごく好きになるって」
ええ?
「それからは、美術室の前を通るのが、ドキドキだった。今日もいるかなってさ」
「…」
知らなかった。全然。
「どんな絵を描いているのかも、すごく興味があったよ」
「…それで、先生に言われて、私の絵を見たの?」
「ああ。うん。本当はね、勝手に見たら悪いんじゃないかって思ってたんだ。だけど、すごく見たかったから。ごめん、勝手に見て」
「ううん…」
「見て、穂乃香にぴったりの絵だなって思った。桜の色も優しかったし…」
「……」
「やばいよね?そんだけ、惚れてるのって」
「え?」
「想いを告げる気は、ほんと、なかったんだ」
「え?そうだったの?」
「でもさあ。俺が美術室の前を通る時、いっつも穂乃香を見てたこと、周りの部員が気がついて、ちゃんと気持ちを伝えろだのなんだのって、言い始めちゃって」
「それで、文化祭の日に?」
「うん。あ、本当はその前に、告白してOKもらって、一緒に文化祭見ようと思ってた」
「…」
そういうことを、あの日、言ってたっけ。
「なのにさ、なっかなか、声かけられなくって。実は、前の日にも美術室に行ったんだ。文化祭の準備をしてたでしょ?」
「うん」
「部屋の前で俺、10分くらいうろついてたの、知らなかった?」
「全然」
「そっか。先生に見つかって、手伝いに来たのかって聞かれて、俺、慌てて通りかかっただけですって言って、その場を逃げた。情けないよね」
そうだったの?
「あれ?なんか、今、俺、情けない自分を披露しているだけだね」
「ううん、情けなくない。なんだか、嬉しい」
「え?」
「司君のこと、いっぱい知れて嬉しいよ」
「……」
藤堂君はまた、私のことを見た。
「俺も、穂乃香のことをもっと知りたいって思ってるよ?」
「え?」
「たとえば、初恋はいつとか…」
「初恋が、聖先輩だもん」
「え?中学は?」
「いない。あんまり恋とか、興味なかったから」
「…そうなんだ」
「男子と話さなかったし。なんだかクラスの男子はみんな、乱暴な言葉使いばかりするから、苦手だったの」
「ああ、そうか…」
「司君は言葉使い優しいから、怖くないけど」
「俺?そうかな。よく傷つけるような言葉で話すって、女子に言われてたけどな」
「え?」
「ストレートすぎるとか、優しさが足りないとか。だから、みんなに怖がられるんだって、言われたことあるよ」
「誰に?」
「1年の時、同じクラスだった女子に」
「そんなことを司君に直に言った子がいるの?」
「いや、間接的に聞いたんだけどさ」
「でも、司君は傷つけること言わないもん。ほら、岩倉さんのことをみんなが酷いこと言ってるのも、司君、怒ってたし」
「…あれは、やっぱりさ。その…」
「司君の優しさだよね?」
「…そうかなあ。ただ、変に正義感があるだけだって気もするけど」
「ううん…。ちゃんと言えるのってすごいよ」
「……それは穂乃香もでしょ?」
「え?」
「かっこよかったよ。男子に向かって啖呵切ったの…」
「あれはもう、忘れて」
「あはは。忘れられないな。穂乃香に俺、惚れ直したから」
「…変なの。怖い女ってみんな言ってたんでしょ?」
「怖くないよ。怖くないってことも俺、ちゃんと知ってるし」
「でも、さっき、たたいちゃったし」
「…俺がたたいてって、言っておいたからでしょ?」
「…」
どうだろう。そんなこと言われなくても、バチンってやっていたかもしれない。
「でもいいや。怖くても」
「え?」
「それでも、やっぱり俺は穂乃香が好きでいると思う」
「私が怖くっても?」
「うん」
藤堂君はじっと、私を優しい目で見つめている。
ドキドキドキ。ああ、また心臓が…。
「もう寝ようか?」
「うん」
よ、よかった。話が途切れるたびに、ドキドキしてた。
藤堂君を見ると、目をつむっている。あ、本当に寝る体制でいるんだ。
ほ…。と安心している自分と、どこかで、残念がっている自分がいる。
怖いのは、変わること。自分が?それとも、藤堂君が?二人の関係が?
きっと全部だ。
未知の世界で、そんな関係になってしまったら、一気に私は大人の世界に入り込んでしまうんじゃないかって、そんな不安がある。
でも、大人の世界ってなんだろう。それすら、わかんない。
すべてが、未知の世界で、その世界に踏み込むのが怖い。
だけど、藤堂君のことはすごく好きだ。いつかそうなるんだったら、絶対に藤堂君とじゃないと嫌だって、そんなことも思ってる。
そのいつかが、いつになるのか、それはまだまだわかんないけど。
スウ…。寝息が聞こえてきた。藤堂君、本当に寝ちゃったんだ!
そうか。藤堂君は私が隣で寝ていてドキドキしたり、あれこれ考えちゃって、眠れなくなることなんかないんだね。
もうそんな気もすっかり失せちゃって、ドキドキすることもなくなっちゃったんだろうか。
ああ、ほら。残念がっている私がいる。
ハッ!待てよ。これって、チャンス?
そうだ。藤堂君の寝顔が見れる~~~~!!!
モソ…。私は顔をあげた。そして、藤堂君の顔のすぐ近くに、顔を持って行った。
暗いから、すぐ近くにまで行かないと、顔がよく見えない。
「スー…」
可愛い。なんて可愛い顔で寝ているんだろう。まったくの無防備な顔。
じ~~~~。私はじっくりと、藤堂君の寝顔を見ていた。
おでこも可愛い。眉毛も、まつ毛も。
たたた、大変。なんだか、チュッてキスしたくなってきた。どうしよう。
ほっぺならいい?おでこ?まさか、口にはさすがに…。
でも、唇もなんだか、可愛くて…。
駄目!寝ている隙にキスなんて!でも…。寝ているからばれないよね。
そ~~~っと近づいた。そして、そっと、藤堂君の唇に、私の唇を重ねた。
パチ。
え?
「わ!」
「きゃ!」
なんで、藤堂君、目を開けるの?!
「穂、穂乃香?」
「ごめんなさい」
「…え?今、俺にキスしてた?」
「ごめんなさい!」
私は恥ずかしくなり、布団に潜り込んで顔を隠した。
「え?なんで?」
藤堂君がまだ、驚いた声で聞いてくる。
「司君、寝てるからわからないと思った」
「寝込み襲われたの?俺」
「違うよ、ただ寝顔が可愛いから、つい」
「へ?俺の?」
「…」
バカじゃないの、私。なんで、そういうことを正直に言っちゃうかな。ああ、きっと引いた。呆れてるよね?
「そ、そうなんだ。そういう気持ちって、女の子でもなるんだ」
か~~~。ああ、恥ずかしい!顔、見せられない!
「…ああ、びっくりした」
うわ~~~ん。なんで、起きちゃうの?寝てたよね?寝息立ててたもんね?!
「俺があのまま寝てたら、ずっと俺にキスしてた?」
「…」
「なんだ。起きても、寝てるふりすればよかった」
え?
「……ああ、でも、びびった」
そんなにびっくりしたの?
「でも、嬉しいけど」
え?
「穂乃香の方からキスしてくるなんて、思ってもみなかったし」
うわ~~~~。恥ずかしい!
「布団、さっきから頭までかぶってるの、照れてるから?」
私は布団の中でうなづいた。
「あはは…」
う。笑われた…。ああ、私ってバカかも。こんなに恥ずかしくなるなら、しなかったらよかった。
「穂乃香って、やっぱり可愛い」
ドキン。
「…あのさ。もし、穂乃香に襲われても、俺はバチンってたたかないから、安心して?」
へ?
「俺のこと、襲いたくなったらいつでも、OKだから」
え~~~?!
「あ、でも、一気に襲ってこないで。一応、準備しないといけないものがあるし。それ、俺の部屋まで取りに行かないとならないし」
「襲わないから!」
私は布団の中から、思い切り叫んだ。
「なんだ、そうなの?」
なんだ、そうなの?じゃないよ~~。もう~~~~。そんなことするわけないじゃん。キスだけだもん。それ以上なんて…。
「じゃ、用意しなくてもいい?」
「え?」
「念のため、持って来る?」
「持ってこなくてもいい!」
私はまた、そう叫んだ。
「くす」
あ、笑ってる。もしかして、からかってる?
くすくす。
やっぱり~~~~!
ガバッ。私は布団から顔をだし、
「司君のバカ」
とそう言って、また布団の中に顔を隠した。
「……」
藤堂君はしばらく黙っていた。あ、もしや、怒った?それとも、傷つけた?
「ブッ!あはははは!」
…笑われた。
「やっぱり、穂乃香、可愛い」
あ~~~。もう~~~。なんだか、藤堂君のペースに巻き込まれてる。
藤堂君は本当にシャイなの?そうじゃないの?こんなふうに、わざとからかって、私の反応を見てるの?
もう、何が何だか…。
「…穂乃香」
「……」
「寝てる隙にキス、したくなるでしょ?」
「え?」
「寝顔可愛いと、ついさ」
……え?
「よかった。俺も安心して、寝ている隙にキスできる」
「…わ、私に?」
「そう。いっつも、我慢してたんだ。ほっぺくらいはしたことあるけど」
え~~~?いつの間に?全然知らないけど?
結局、藤堂君はそれからも、私のことをからかって笑ってみたり、反応を見て、可愛いって言ってみたりして、私たちが寝たのは、3時をまわった頃だった。
もう、どっちが先に寝たかもわからない。きっと、同時くらいに寝たんだと思う。
と、思っていたのは私だけで、実は藤堂君はしばらく起きていたようだけど。それはのちに、教えてくれた。どうやら、私の寝顔をしばらく見て、おでこにもほっぺにも唇にも、キスをしていたらしい。どひゃ~~~!だ。
藤堂君はけして奥手ではないと、それはもう知っている。でも、藤堂君がシャイかどうかも、なんだか怪しい。
私が寝ている藤堂君にキスしてしまったのは、なんでだか、藤堂君に変化をもたらせてしまったらしい。
2人の関係は、一線を越えることはなかったものの、この日を境にどんどん変わっていったのである。
っていうか、藤堂君が…。




