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第79話 切れた…。

「じゃあ、もう寝るね。おやすみなさい」

 いつの間にか11時になろうとしていて、私は部屋に戻った。藤堂君は、私が部屋に戻る時、

「おやすみ、穂乃香」

と言ってくれた。


 うわわ。それだけで、胸が高鳴る。

「お、おやすみなさい」

 そのあとに、司君とは言えなかった。


 部屋に戻り、布団を敷き、その上にゴロンと横になった。

 ああ。司君って呼ぶの、恥ずかしい。照れる。穂乃香って呼ばれるのも、まだまだ恥ずかしい。

 

 壁をじっと見た。それから、つぶやくようにそっと、

「おやすみなさい、司君」

と言ってみた。藤堂君には、聞えていないだろう。でも、自分で言って照れてしまい、私の顔は熱くなっている。


「はあ」

 ため息が出た。週末、2人っきりになるんだなあ。ああ、今からドキドキだ。

 

 朝、目ざましの音で目が覚めた。そしてすぐに、トントンと藤堂君の壁をノックする音が聞こえた。

「起きた?穂乃香」

 わ!また、穂乃香って言ってくれた!

「う、うん。おはよう」

「おはよう」


 ああ。でも、私はまだ、司君って言えないでいる。

 私は一回、深呼吸をしてから部屋を出た。一階に下りるとすでに、藤堂君はダイニングについていた。

「おはよう、穂乃香ちゃん。よく眠れた?」

「はい、おはようございます」


 私は藤堂君のお母さんと、新聞をダイニングで読んでいるお父さんに挨拶をして、それから、藤堂君の隣に座った。

「おはよう、結城さん」

 藤堂君はあまり、表情を変えずにそう言った。

「あ、おはよう、藤堂君」

 私もそう答えた。


 ああ、結城さんだって。さっきは「穂乃香」って呼んだのに。それも顔、すんごいポーカーフェイスだ。

 藤堂君は静かに朝ごはんを食べ、それからまた、メープルと遊びだした。私も、黙って朝ごはんを食べていた。


「ねえ、穂乃香ちゃん」

「はい?」 

 食べ終わった頃、お母さんが私に話しかけた。

「今度の土曜日なんだけど」

 ドキン。


「翌日の日曜、帰りの夕飯まで食べてくると思うの。9時か10時になっちゃうと思うから、日曜の夜も司と、何か取るか、買って来るか、食べに行くかしてもらってもいいかしら」

「はい」

 なんだ。そんなことか。何を言いだすのかと思って、緊張しちゃった。


 私と藤堂君はまた揃って、玄関を出た。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 お母さんは相変わらず、元気に見送ってくれた。


 駅までの道を藤堂君とゆっくりと歩き出した。すると、

「日曜の夜、遅くなるって言われた?」

と藤堂君が聞いてきた。

「うん、言ってた」

「そう」


 ?なんか、考え込んじゃったぞ。藤堂君。

「日曜、部活ないんだよね」

「え?」

「突然昨日言われたんだ。だから、一気に暇になっちゃって。結城さん、部活だよね?」

「うん」

 あれ?今、結城さんって言ったな。外だからかな。


「でも、休む」

「いいの?」

「うん。藤堂君が学校に行かないなら、行く意味もないし」

「え?」

「あ、今のは独り言…」

 慌ててそう言った。土日の部活は、藤堂君会いたさに行ってるなんて、藤堂君が知ったら呆れちゃうもんね。


「じゃあ、2人でどこかに行く?」

「え?」

「家でのんびりしてるのもいいけど」

「メープルの散歩をしに、海辺に行きたい」

「うん、いいよ」


 やった~~~。デートだ。嬉しい。

「あ、今、喜んでる?」

 藤堂君が私の顔を覗き込んでそう聞いた。

「え?うん。でも、なんでいつもわかるの?」

「そりゃ、嬉しそうに笑うから」


 そ、そうなんだ。私、顔にしっかりと出ちゃうのね。

 かあ。顔が熱くなって、私は手で顔を隠した。

「くす」

 藤堂君がそれを見て笑った。ああ、またその笑顔!朝から、可愛い。


 学校に着くまで、また藤堂君はいろんな女生徒から声をかけられた。3年生は、藤堂君の背中をぽんってたたきながら、

「司君、おはよう」

と言っていくし。


 もう、司君なんて、勝手に呼ばないでよ。と、私は心の中で怒っていた。藤堂君はと言うと、何も言い返さず、目を点にしている。

「また、照れてるの?司君って、意外とシャイだよね」 

 3年の女子はそう言うと、きゃははって笑いながら、学校に行ってしまった。


「照れてるわけじゃないんだけどなあ、なんで、そう受け取られるんだか」

「…」

 藤堂君の顔を、チラッと見た。

「なに?」

「ううん」

 いつもと同じ、穏やかな表情だよなあ。


「3年生、司君って呼んでたね」

「…」

 藤堂君は黙り込んだ。あれ?私、変なこと言った?

「結城さんにだけ、そう呼ばれたらそれでいいのに」

 え?


「ああ、独り言」 

 藤堂君はそう言って私をちらっと見ると、前を向いて歩き出した。

 それ、もしかして、司君って私に呼んでほしいって催促してる?私が今日、一回も呼んでいないから?

 だけど、まだ、恥ずかしくって呼べないよ~。


「おはよう、司っち」

 麻衣が教室に入ると、元気にそう言ってきた。

「穂乃香もおはよう~~。今日も仲睦まじく、2人で来たの?」

 麻衣、やたらと元気だなあ。


 それにしても。麻衣は司っちって平気で呼んでるよね。いいなあ。私も最初から、司っちって呼んじゃえばよかった。

 司っち。…う~~ん。やっぱり、抵抗がある。呼べそうにないなあ。


 藤堂君は麻衣に軽く、おはようと言うと、さっさと自分の席に行った。するとすでに席に着いていた岩倉さんが、

「と、藤堂君、おはよう」

と小さな声で挨拶をした。

「え?」


 藤堂君はそのまま、しばらく驚いたように佇んでから、

「あ、おはよう」

と挨拶をして、自分の席に座った。

 あれ。相当藤堂君、驚いたみたい。それにしても、岩倉さん、頑張って挨拶したんだなあ。


「お、おはよう、結城さん」

 あ、私にも挨拶してくれた。

「おはよう、岩倉さん」

 私もそう答えてから、自分の席に着いた。


「あ、あ、あの」

 岩倉さんが、また私に声をかけてきた。

「え?なあに?」


「今日、筆箱忘れちゃって。もし、シャープペンとか、余分に持っていたら、貸してもらってもいいかな」

「あ。うん、いいよ」

 私は筆箱から、シャープペンを出したけど、

「あ、しまった。芯がないんだった」

と筆箱の中に、芯も入っていないことに気が付いた。


「ごめん。麻衣にあるかどうか、聞いてみようか」

「ううん。悪いからいい。あとで、購買に行って買ってくる」

 そう岩倉さんが言った時、

「はい。俺のでよければ」

と藤堂君が、シャープペンを岩倉さんの真ん前に差し出した。


「え?!」

 岩倉さんは目をまん丸くさせ、そのまま、フリーズしている。

「…俺のじゃ、駄目か…」

 藤堂君が手を、引っ込めようとした。

「岩倉さん、借りちゃったら?」

 私が慌ててそう言うと、岩倉さんはようやくシャープペンを受け取った。


「あ、あ、あ」

 岩倉さんは一回、つばを飲み込み、

「ありがとう」

とどうにか、藤堂君に言った。


「ああ、うん。芯がなくなったら、言って。芯も持っているから」

 岩倉さんが黙ってうなづき、前を向いた。

「結城さんは?芯あるの?」

「うん。まだこっちのシャープペンには、芯が入っているはず」


 あれれ?何回押しても出てこないぞ。

「ないみたいだね」

 藤堂君は私のシャープペンを取って、芯を入れてくれると、

「はい」

と手渡してくれた。


「ありがとう」

 受け取る時に手が触れた。ドキン。思わず、その瞬間、藤堂君の顔を見てしまった。

「ん?」

 藤堂君は、どうしたの?って言う顔で私を見た。


 あれ?藤堂君は手が触れたのに、気が付いてないのかな。それとも、このくらいどうってことないのかなあ。

 私だけかな。もしかして、手がちょっと触れただけでも、ドキンってしちゃうの。


 コロン…。その時、藤堂君の消しゴムが、床に落っこちた。

「あ、拾うよ」

 私が拾おうとしたのに、

「いい、自分で拾える」

と言って、藤堂君は私の足元にある消しゴムを拾った。


 そして、顔をあげると藤堂君はなぜか、真っ赤になっていて、私と目が合うと、思い切り視線を外した。

 あれ?なんで、赤くなったの?手が触れたわけでも何もないのに。なんで?


 まだ、顔をそむけたままだ。でも、耳がまだ赤い。

 私はメモに、なんで赤くなってるの?と書いて、藤堂君の机に置いた。すると、私のほうを一瞬見て、また下を向き、藤堂君は頭を抱えた。


 あれ?なんか、悩ませたかな。質問が変だった?

 しばらく藤堂君は下を向いて黙っていた。でも、ようやくメモに何かを書きだした。

「はい」

 藤堂君は、私にメモ帳を渡した。


『ごめん。消しゴムを拾った時、結城さんの太ももが見えた』

 え?!

 ええ?!?!

 うわ!


 そうか。私は膝上の短いスカートを履くのに抵抗があって、膝ぎりぎりのスカートを履いているんだけど、座ると太ももが見えちゃうのか。

 でも、こんな貧相な太もも…。


『貧相な太ももだから、そんなに赤くならなくっても』

 そんなことを書いて、藤堂君にメモを渡すと、藤堂君は私のほうを見て、

「だから…。ああ、もういいや」

となんにも返事を書かず、メモを返された。


 貧相じゃないよと言いたいんだろうけど、でもなあ。他の女子なんてもっと短いパンツ見えるか見えないかくらいのスカートだって履いてるんだし、それに、ムチムチの太ももも平気で見せて歩いているのになあ。


 そんな子たちに比べたら、どう見たって顔を赤くするような、そんな足をしてないよ。私は。

 と、思うんだけどなあ。


 昼休み、美枝ぽん、私、麻衣で中庭に行った。そして、私の足なんて貧相だよねって言う話をした。

「え?そうかな。綺麗な足をしてると思うけどな」

 美枝ぽんがそう言った。

「ええ?どこが」


「でも、藤堂君が赤くなるのはわかるよ。そりゃ、好きな子の太ももを見ちゃったんだったら、赤くもなるでしょ」

「え?」

「そうだよね。ふだんはスカートで見えないのに、見えちゃったんだから」

「……」

 麻衣と美枝ぽんにそう言われてしまった。え?そういうものなの?


「もう、刺激しちゃだめだよ、穂乃ぴょん」

「してないよ!私が消しゴム、拾おうとしたのに、いいって言って自分で拾っちゃったんだもん」

「あ、もしかして、わざと転がしたとか?」

「きゃ、司っちったら、エッチ」


「まさか、そんなことがあるわけ…」

 ないよね?う…。どうなんだろう。ないって、ここで思い切り言えない。

「え?わざとかもしれないの?」

「なんか、心当たりでもあるの?」

 2人にそう言われ、慌てて、あるわけないって!と否定した。


 ああ、この二人には、これ以上は話さないほうがいいかもしれない。洗面所で着替えてるところを、ドアを開けられて見られちゃったとか、お母さんから藤堂君は、避妊のことまで注意を受けてるとか…。


 2人きりでいる時には、司君、穂乃香って呼び合うようになったんだとか。他にもいろいろと…。

 かあ。そんなことを思っていたら、顔がほてってきた。やばい。2人にまたなんて言われるか。


「そういえば、沼っち、また司っちとお昼食べるようになったみたいだね」

「うん。なんだかね、あの二人の仲、復活したよね。よかったよ」

 美枝ぽんがほっとした顔を見せた。

「なんで?気にしてたの?美枝ぽん」

 麻衣が聞くと、美枝ぽんはうなづいた。


 ああ、そんな話題になって、私の顔が赤いのもばれないですんだ。

「藤堂君と、沼っち、仲良かったから。なんだか、その仲を裂いたみたいで、悪いなって思っていたの」

「ふうん。でも、美枝ぽんが悪いわけじゃないよ?」

「うん、そうなんだけどね」

 麻衣の言葉に、美枝ぽんはしばらく下を向いて黙り込んだ。


「ま、いいじゃん。復活したんだし」

「うん、そうだよ」

 私と麻衣がそう言うと、美枝ぽんも笑顔になった。


 教室に戻ると、また岩倉さんが何か、男子にからかわれていた。

「これ、藤堂のシャープペンじゃん、なんで、使ってんの?」

 なんで、藤堂君のシャープペンだってわかったのかな。

「勝手に使ってんの?」


 岩倉さんは何も言わずに、黙ったまま椅子に座っている。藤堂君もまだ戻ってきていないし、また男子は言いたいことを言い始めてしまった。

「やっぱ、藤堂のこと好きなんだろ?」

「それで、勝手に藤堂のものを使ってんの?」


「こえ~~。他にもなんか、藤堂のもの、勝手に使ってんじゃないの?」

 ムカ!藤堂君が貸してあげたのに、なんでそんなふうに言うんだろう。

 ツカツカ。私は男子のところまで行って、声をかけた。


「なんで、それが藤堂君のものだってわかるの?」

 私がそう聞くと、藤堂君の前の席の手塚君が、

「だって、それ使ってるの見たことあるもん、俺。ちょっと変わっているから聞いてみたら、アメリカの土産だとかなんだとかって、言ってたからさ」

と答えた。


 アメリカの土産?まさか、キャロルさんの?って、今はそれはどうでもいい。

「それ、藤堂君が岩倉さんに貸してあげたものなの」

「ええ?なんで?」

「岩倉さんが今日、筆箱忘れたから」


「…それでなんで、藤堂に借りるの?他の女子に借りたらいいじゃん」

「私に最初は貸してって言って来たけど、私が予備のシャープペン、芯が入っていなかったから、貸せなかったの」

 そう言うと、手塚君はちょっと黙り込んだ。でも、他の男子がまだ、

「結城さん、岩倉って、藤堂のこと狙ってるかもしれないから、注意した方がいいよ」

とそう言ってきた。


「だけど、ライバルにはならないよなあ」

「岩倉じゃあな」

 はははってみんなが笑った。

 なんだか、ムカつくんですけど!


 岩倉さんは下を向き、肩をちょっと震わせた。

「ちょっと、いい加減にしなよ」

 麻衣が怒ってやってきた。

「そうだよ」

 美枝ぽんも来た。


「なんだよ。お前ら岩倉の味方なの?まさか、こんな暗いやつ、味方になってどうすんの?」

「まさか、友達じゃないんだろう?」

 ムカ。

「藤堂も、嫌がるんじゃね?藤堂も俺らによく注意するけど、岩倉に好かれてるって知ったら、そりゃ、嫌がるだろ」


 ムカムカムカムカ!

「ちょっと!」

 麻衣と美枝ぽんが、怒った表情で男子に向かって行こうとした。岩倉さんは、机にとうとう、うつっぷせてしまった。

 泣いてるのかもしれない!


「黙って聞いてたら、勝手なこと言っちゃって…」

 私は声を震わせながら、そう口走っていた。あれ?何を私ってば、言い出したんだろう。でも、なんだか黙ってられない。


「え?」

 男子が私の方を見た。私は美枝ぽんと麻衣の間に入り込んだ。

「暗くって悪かったわね!でも、誰が誰を好きになろうと勝手でしょ!それも、藤堂君が嫌がるですって?あんたたちみたいに藤堂君は、心が狭くないの!もっともっと優しいし、人を比べたり、見下したりしないんだから!」


 私が一気にそうまくしたてると、クラスのみんながし~~んと静まり返った。

「…な、なんだよ」

 手塚君がびっくりして、そう言った。

「こえ~。結城さんが切れた。そんな怖い女だったのかよ?」

 沢村君が、私を眉をしかめて見た。


 ふんだ。あんたなんかに、何言われても怖くないもん。

 と思ったら、ドアのところに目を丸くして私を見ている、藤堂君が見えた。

 うわ~~。今の、見られてた?聞かれてた?!

 私の顔から血の気がひいていき、一気に私は青ざめてしまったと思う。





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