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第78話 「穂乃香」

 藤堂君はその日の夜、なぜか家の中でむすっとしていた。夕飯時も、ずっとだんまりで、ずっと無表情だった。

「あ~~あ、兄ちゃん、やっぱり温泉来てよ。俺、絶対にあいつらのお守りさせられるよ」

 守君がご飯を食べながらそう言うと、藤堂君はただ一言、

「無理。部活」

とそう答えた。


「部活って言ったって、部長でもなんでもないんでしょ?だったら、兄ちゃんいてもいなくっても、いいじゃん」

 守君がそう言うと、藤堂君は思い切り睨みつけ、

「お前みたいに、ちゃらんぽらんに部活やってるわけじゃないんだぞ」

と声を低くしてそう言った。


 その声と目の迫力に負けたのか、守君は黙り込んだ。私も、隣でちょっと怖くなり、固まってしまった。

「ほら、司。あんまりおっかない顔しないで。隣りで穂乃香ちゃんが、固まってるわよ」

 お母さんにそう言われ、藤堂君は私を見て、

「あ…、ごめん」

と瞬間、顔をやわらげた。

 

 でも、次の瞬間、またむすっと怖い顔に戻ってしまった。

 なんで?

 なんか、今日、機嫌が悪くなるようなことがあったっけ?

 確か、さっき、私のことを抱きしめてて、そのあと、思い切り照れた藤堂君は顔を赤くして、部屋に戻って行ったくらいで。

 私、怒らせてないよね?


 だって、さっきはすごく優しくって…。

 私は抱きしめてもらった時のことを思い出し、いきなり顔が熱くなってしまった。

「穂乃香ちゃん、もしかして、この部屋暑い?」

「え?」

 お母さんが聞いてきた。


「顔、赤いから。熱もなかったし、部屋が暑いのかしらって思って」

「いいえ」

 私は必死で、藤堂君のぬくもりとか、優しかったこととかを忘れようとした。思い出したらまた、顔が熱くなっちゃう。


 あ、そうか。もしかして藤堂君がむすっとしているのって、照れ隠しなのか。

 あんなことがあったから、わざとむすっとして、みんなに悟られないようにしているのかもしれない。


「ごちそうさま」

 みんな、食べ終わると、守君はさっさとまたリビングに行った。リビングに行くと決まって、メープルと一緒にソファに寝そべって、テレビを観る。

 藤堂君は、ちゃんと食器をキッチンまで持って行く。私は守君と私の分を持って、キッチンに行った。


「洗いましょうか?」

 ダイニングテーブルの上を、台拭きで拭いているお母さんに聞くと、

「いいわよ。具合が悪くなると大変だし、穂乃香ちゃんは部屋でゆっくりしてて」

と言われてしまった。


「はい、すみません」

 藤堂君は私を待っていてくれた。そして一緒に、2階に上がった。

「結城さん、ちょっといい?」

 藤堂君にそう言われ、私は藤堂君の部屋に入った。


 ドキドキドキドキ、部屋に入っただけで、心臓はまた暴れ出した。

「ごめんね?俺、怒ってたわけじゃないんだ」

「え?」

「ああやって、むすっとしていないと、にやけちゃいそうだったから」

 やっぱり。


「母さん、結構顔見てるから、俺と結城さんの間に何があったかとか、一発でばれちゃいそうで」

「う、うん。そうだよね。私なんてすぐに顔に出ちゃうから、気を付けないと」

「…うん。ばれてもいいんだけどね?でもなあ」

 藤堂君と私は、部屋に入ったすぐの場所で、立ち話をしていた。だが、

「中に入って」

と藤堂君に言われ、私はまたクッションの上に座った。


「入り口付近だと、誰かに聞かれちゃうかもしれないから」

「え?」

「まあ、さすがに立ち聞きはしないと思うけど」

「う、うん」

 藤堂君は自分の椅子に座った。


 ドキドキ。私は藤堂君の顔も見れず、ずっとうつむいていた。

「俺、しばらく家でも学校でも、むすっとしてるかもしれない」

「え?」

「でも、結城さん、気にしないでね」


「うん、わかった」

「…あ~あ」

「?」

「本当は俺、結城さんのことも、名前で呼びたいんだ」


「え?」

 名前?

「穂乃香って…」

 きゃ~~~。下の名前を呼び捨て?


「でも、いきなりそんなふうに呼んだら、うちの家族、変に勘ぐるから」

「勘ぐる?」

「だからさ、そういう関係にでもなったんじゃないかってさ」

 そう言う関係って、ああ!そういう関係!!


 うわ。また顔が一気に熱くなった。

「だから、呼べないよなあ」

「そ、そうだね」

 呼んでほしいけど。

 じゃあ、2人っきりでいる時だけでも。と、喉まで出かかったけど、恥ずかしくて言えなかった。


 藤堂君はしばらく黙り込んだ。私も何を話していいかわからず、黙り込んだ。

「結城さんって」

「え?」

「なんだか、いい香りがするよね」

「シャンプーかな?!」


 あんまりドキッとすることを言うから、逆に私は大きな声をあげて、ドキドキしてくる心臓の音を打ち消した。

 なんだか、このままだと変な気分になりそうだ。もっと違う話題をふろう。たとえば、たとえば?


「うちって、俺と守の男兄弟だから、女の子がいるって初めてだし」

「でも、お母さんがいるよ?」

「あはは、母さんは女の子じゃないでしょ?」

「う、うん」


「ああ、そういえば、キャロルが数日、泊まっていたことはあったけど」

 ドキン。キャロルさん。ああ、また私、反応している。

「どこに?」

「え?」

「隣?」


「うん、そう」

 やっぱり、隣の部屋。

「だけど、キャロルの場合、女の子って言うより、男の子に近いし」

「どこが?あんなに色っぽいのに」

「キャロルが?!」


 藤堂君が目を丸くした。

「あいつは、まったく色っぽくなんかないよ?結城さん、知らないから」

「そうかな。胸も大きかったし、私よりずっとセクシーだった」

「…」

 藤堂君は眉をひそめて私を見た。それから、ふうってため息をついた。


「キャロルはアメリカで、よくカエルや虫を捕まえて、俺や守に見せに来ていたんだ」

「カエル?」

「そう。一緒に捕まえに行ったりもしてた。はっきり言って、出会った当初は、男だと思ってた。髪も短かったし、顔はそばかすだらけだし、胸だってぺったんこだった」


「…そ、そうなの?」

「まあ、体つきは年々変わったけど、性格は変わってないよ。いまだに」

「え~~。だって、年上の彼氏もいるんでしょ?」

「ああ、そいつの前では、もしかすると女かもしれないけど、俺の前じゃ、ガキの頃と同じだよ」


「……」

 信じられない。

「平気で朝も、俺の部屋に入ってきて、馬乗りになって起こしてきた」

「う、馬乗り?」

「それだけならいいけど、蹴飛ばしたり、ぶったたいてきたり」


 ハグしたり、キスしたり…じゃないの?

「守もよく、泣かされてたし。あいつ、あんな態度取ってるけど、結城さんのこと、かなり気に入ってるよ」

「え?守君が?」


「キャロルと俺が付き合わなくて良かったって、前に言ってた。結城さんに会った日の夜なんか、にこにこ顔で、あの子なら俺、一緒に住んでもいいって言ってたし」

 うそ。

「それに、俺好みだって言ってた。女の子らしいし、おとなしいし」


「……」

 守君が私を?なんだか、憎らしい奴って思っていたけど。

「ああ、ごめんね?そういえば、あいつ、結城さんが着替えてるのに、勝手に洗面所、開けたんだって?」

「え?うん」

「まあ、人のことは俺も言えないけど…。あいつには、きっちり怒っておいたから。ただ…」


 ただ?

「キャロルは平気で、着替えも守の前でしていたから、あいつ、その辺が疎くなったっていうか」

「え?じゃあ、藤堂君の前でも?」

「うん」


 え~~~~。あんな、ナイスボディを目の前で見ちゃったの?

「もっと、女の子らしくしてほしいよね。彼氏もできたって言うのにさ。まあ、俺や守のことは、あっちも男だって思ってないんじゃないの?弟くらいに思ってるんだよ」

「藤堂君のことも?」

「そう」


「……そうなんだ」

「だから、キャロルのことは、気にしなくていいよ」

「うん」

 でもまだ、なんとなく釈然としないのはなんでかなあ。


「じゃあ、藤堂君は、キャロルさんのこと、どう思っているの?」

「友達。それも男友達にくらいしか思っていない」

「…でも、あんなナイスなボディ」

「それ、結城さん、気にしすぎ」


「…そうかな?」

「…結城さんのほうが、ずうっと何倍も、女の子らしいよ?」

「こんな、貧相なのに」

「……」

 藤堂君がうなだれて、しばらく黙り込んだ。あれ、答えに困るようなことを言ったかな。


「綺麗なのにな、結城さん」

「え?」

「肌も、ラインも、全部」

 どひゃ~。やっぱり、しっかりと見ていたんじゃないか!

「結城さん、俺といて、ドキドキしてる?」


「う、うん」

 藤堂君は、頭をあげて私を見た。

「俺も、してる」

「え?」

「結城さんにだけ、ドキドキする。結城さんは?他の奴にもドキドキする?」

「しないよ」


「でしょ?それとおんなじ」

 そ、そうか~~。なんとなく、やっと納得。

「今も」

「え?」

「結城さんがそこにいるだけで、俺、かなりドキドキしちゃってる」


 え?

「意識しまくり…」

 うわ、うわわわ。顔が熱い。

「キャロルじゃ、そんなこと全くなかったから、俺も、戸惑ってる」

「え?」


「はあ…、俺もあれだよね?かなり、重症だよね?」

 ドキン。

 わあ、どういう反応をしたらいいの?

 私は真っ赤になって、うつむいた。


「穂乃香…」

 ドキン。

「え?」

「って、時々呼んでもいい?」

「う、うん」

 わ~~~~。下の名前、呼び捨て!ドキドキするけど、嬉しい。じゃあ、私も司君って呼ぶ。って言いたい。なのに、出てこない。


「俺も、司でいいよ?」

「え?呼び捨て?」

「うん」

「それは、ちょっと無理かも」

「なんで?」


「なんでって、そういうのをイメージしてなかった」

 まさか、私まで呼び捨てにするなんて、考えてもみなかったよ。

「じゃあ、なんて呼ぶのをイメージしてたの?」

 ドキン。


 こうなったら、思い切って、言ってみる?

「つ、司君…」

 きゃ~~~、司君って呼んじゃった!

「…」

 藤堂君は真っ赤になった。


「う、うん。それでもいいけど…」

 顔、熱い。もっと顔が熱くなった気がする。

 司君。穂乃香。とうとう、そう呼び合うのも叶っちゃうんだ。


「結城さん」

 あれ?穂乃香じゃないの?

「一応、学校や家族の前ではまだ、そう呼ぶね?」

「う、うん…」

 じゃあ、2人きりの時には「穂乃香」なんだ。


 それもそれで、なんだか、秘め事みたいでドキドキしちゃうかも。

 秘め事?

 ああ、自分で思ったことで、また顔が熱くなってきた。


 私は思わず、

「熱い」

と言って、手で顔をあおいだ。すると、藤堂君はクスって笑った。ああ、その笑顔もまた、可愛いくって、胸がキュンってしてしまう。


「本当に、真っ赤だね?穂乃香」

 ひょ、ひょえ~~~。駄目だ!まだ、穂乃香って呼ばれるのに慣れない!それも、藤堂君の優しい声で言われたら、ボンって、心臓が破裂しそうだ。


 か~~~~~。ますます顔が熱くなる。すると、藤堂君はそんな私を見て、またくすくすと笑っていた。


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