第73話 周りの変化
翌日、金曜日。起きたらお尻が痛かった。昨日お風呂で見たら、青あざができていて、尾骶骨あたりも、思い切りぶつけたようだ。
いた~~い。お尻をさすりながら、一階に下りた。
「おはようございます」
「おはよう!」
朝から藤堂君のお母さんは、ハイテンションだ。
「ねえ、穂乃香ちゃん、ちょっとちょっと」
「はい?」
藤堂君のお母さんが、キッチンに私を呼んだ。そして小声で話しだした。
「実はね、来週の土曜日なんだけど、何か予定ある?」
「えっと。多分、部活…」
「そうよね。司もなのよ」
「はあ」
なんだろう。
「どこかに行く予定でもあるんですか?」
「うん、主人のお母さんがね、温泉に誘ってくれたの」
「へえ」
いいなあ、温泉。
「司は部活もあるし、行かないって」
「…ですよね。部活を優先にしそうですもんね」
「せっかく、家族で行けると思ったのに。穂乃香ちゃんから、司にもう一回誘ってもらえない?」
「え?私も行くってことですか?」
「まさか、穂乃香ちゃんだけ置いて行くわけにもいかないでしょ?」
それもそうか。
「お願いね」
小声でそう頼まれ、私はダイニングに着いた。
藤堂君は、すでに朝食を食べていた。私が席に着くと、
「なんか、母さんに頼まれた?」
とぼそっとつぶやくように、私に聞いてきた。
「え?う、うん」
「温泉なら、行かないよ」
あ、聞く前に断られた。
「私も誘われたんだけどな」
「…行くの?」
「う~~ん。でも、部活もあるし。でも、部活は出なくてもいいんだけど…、どうしようかな」
「うちの家族だけじゃないよ」
「え?」
「父さんの妹の家族も来る。あそこは、まだ小学生で、うるさいんだ」
「小学何年生なの?」
「6年の男と、4年と2年の女の子」
「3人もいるの?」
「ああ、女の子が特に、大変なんだ」
「どんなふうに?」
「…遊んでくれって、大変なの。行ってもお守りをしに行かされるようなもんだから、行かない」
「ふうん」
そうか~。私もまったく初対面の人がいるのに、温泉旅行楽しめそうもないなあ。
「守は行くけどね」
「え?でもテニス部」
「ああ、休むって言ってた。その6年の男の子が、守ると仲いいんだよ。あいつは妹たちのことなんかそっちのけで、そいつといっつも遊んでるんだ」
「ふうん。だからよけい、藤堂君がお守りをするはめになるんだね」
「母さんも俺が行ったほうが、好都合なんだろうけど、行かない」
藤堂君はそう言って、お味噌汁を飲み干すと、
「ごちそうさま」
と言って、箸を置いた。
今日は和食の朝ごはんだ。和、洋と、本当にものの見事に、日替わりで朝ごはんが出てくるから、藤堂君のお母さんはすごいなあって思ってしまう。
「メープル!」
藤堂君はリビングに行き、メープルと遊びだした。どうやら、学校に行く前の日課のようだ。
私はそんな藤堂君をちょこっと見て、それから朝ごはんを食べだした。
ワフ。ワフ。メープルの嬉しそうな声が聞こえてくる。
「ね、どう?聞いてみた?」
その時、藤堂君がいないことに気が付いたのか、ダイニングにお母さんがやってきて、私の耳元でささやくように聞いてきた。
「行かないって言ってました」
「穂乃香ちゃんの頼みでも駄目だったか~。じゃ、穂乃香ちゃんだけでも」
「え?私も部活があるし。それに、ごめんなさい。初対面の人って、どうも…」
「ああ、気にしなくていいわよ。気を使うような人たちじゃないし」
「でも…」
「そうなると、司と穂乃香ちゃんだけが、残ることになるのよねえ」
え…。
ちょ、ちょっと待って。それって、一泊で行くんだよね?じゃあ、一夜を2人っきりで?
「メープルは連れていけないから、まあ、誰かが残ってくれるのはありがたいんだけど」
ドキドキ、バクバク。メープルがいても、藤堂君と2人きりなのには変わりないよね?!
「…ま、いいか」
いきなりお母さんは、明るくそう言うと、
「それも、いいかもね」
と含み笑いをして、キッチンに戻って行った。
今の、含み笑い、怖いぞ。
高校生の男子と女子、それも今、お付き合いもしていて、そんな二人を一つ屋根の下に、置いて行ってもいいんですか~~?!
そうだよ、藤堂君のお父さんが許すわけないよ。うん。きっと誰かが残ってくれるはず。お父さんとか?
そう思い直し、私は学校に行く支度を整え、玄関に藤堂君と一緒に行った。
「司、あんた、いいわ」
「え?」
突然、お母さんがそう言ったので、藤堂君は目を丸くしてお母さんを見た。
「温泉よ。部活があるなら仕方ないわね。おばあちゃんには司も穂乃香ちゃんも行けないって、言っておくわ」
「ああ…、そのことか」
藤堂君はそれだけ言うと、黙って靴を履いた。
「じゃ、いってらっしゃい!」
「行ってきます」
私は藤堂君のお母さんの、元気な声につられ、元気にそう言ったが、藤堂君はどこか上の空で、何も言わずに玄関を出ていた。
今日は曇っているが、雨は降っていない。でも、今にも振り出しそうな曇空だ。
「そっか~~」
藤堂君は門を出ると、ようやく言葉を口にした。
「え?」
なんだろう。ちょっと眉をしかめて、藤堂君はまた考え込んでいる。
「俺と、結城さんだけが来週の週末、家にいることになるんだね」
「…そ、それなんだけど!」
私は慌てて、藤堂君の腕を掴み、
「まさか、そんなこと、お父さんが許すわけないよね?」
と聞いてみた。
「え?結城さんのお父さんに報告するの?」
「違うよ。藤堂君のお父さんが許すわけないって」
「俺の父さん?」
藤堂君はきょとんとした顔をしてから、また真顔になり歩き出した。
「結城さん、俺の家族を思い違いしている」
「え?」
「結城さんの家とは違うんだ。もしかすると、他の家ともかなり、違っているかもね」
「ど、どういうこと?」
バクバク。いったい、どう違っているの?
「父さん、そんなこと反対しないよ」
「え?!」
「俺と結城さんが、2人っきりになろうが、そんなこと知ったこっちゃないって感じになるよ」
「で、でも、藤堂君のお父さんって、武道家」
「それ、なんか関係あんの?」
藤堂君はまた、きょとんとした顔をして私を見た。
「うん。考え方が古いとか」
「あはは、ないない。あの両親、留学経験もあるし、アメリカにも住んでいたし、っていうかさ、留学していた頃は同棲もしていたみたいだし、古いどころか、変に話がわかるっていうか、とんでるっていうか」
「と、とんでる?」
「それも、ぶっ飛んでる」
ええ?何それ!
「だから、俺らのことも平気で残して、温泉くらい行っちゃうよ」
「…」
ええ、なにそれ……。
頭が真っ白になりながら、私は呆然と駅まで歩いた。駅に着くと、
「結城さん」
と藤堂君に声をかけられた。
「そんなに深刻にならなくっても…」
「え?」
「そんなに悩みまくらないでも」
「あ…」
悩んでいるように見えたのかな。私はただ、頭が真っ白に…。
「俺がもし、結城さんに手を出しそうになったら、ぶったたいていいから」
「へ?」
「誓い、やぶりそうになったら、ぶったたいていいって言ったでしょ?前に」
「う、うん」
そうだった。
「いいよ。バッチーンって、ぶったたいて」
「……」
それ、私に手を出すって前提で話を進めてない?手は出さないから、って言わないところが、逆に怖いんですけど…。
電車を降りて、学校までの道を歩いていると、
「藤堂君、おはよう」
とクラスの女子が後ろからわざわざ走って来て、声をかけた。
「いつも結城さんと一緒に来るんだね。羨ましい」
その子がそう言うと、藤堂君は困った顔を見せた。
その子は、友達がやってきて、私たちより先に歩いて行ってしまった。
「あんな時、どう返事をしたらいいか困るよね」
藤堂君はぽつりと言った。あ、やっぱり困ってたんだ。
「あの子、いつもこっちを見てひそひそ言うだけで、声もかけてこなかったのにね」
「そうなの?」
藤堂君は気が付いていなかったんだ。毎朝、横にいたのになあ。
「昨日の球技大会の活躍を見て、変わっちゃったんだね」
私がそう言うと、藤堂君は苦笑いをした。
「だから、それも一時のことだから」
そう藤堂君が言った時に、前方を歩く、1年生の女子の集団がこっちを見て、
「藤堂先輩、おはようございます~~」
といっせいに挨拶をした。
「え?」
藤堂君は思い切り、たじろいた。
「あ、お、おはよう」
それだけ言うと、その集団は、
「きゃ~~、挨拶できちゃった」
と喜びながら走って行った。
「な、何?今の」
「さあ」
さすがに藤堂君も、目を点にしている。
「おはよう!司君。昨日はかっこよかったよ」
今度そう言ってきたのは、3年の女子だ。
「え?」
藤堂君はさらに硬直して、その場に立ち尽くした。
「司君、おはよう」
他の3年の女子からも挨拶をされた。
「…ああ、はい」
藤堂君はそう返事をするのが、やっとっていう感じで答えた。
「照れてる?可愛い」
3年の女子はそう言って、学校に向かって歩いて行ってしまった。
「て、照れてないけど。司君って言ってなかった?今…」
藤堂君はまだ目を点にしたまま、そうぽつりと言った。
「言ってたね」
「…なんだ?あれ」
藤堂君はしばらく、ぼけっとしていたが、
「よ、藤堂、結城さん」
と弓道部の部員に背中を叩かれ、ようやく我に返っていた。
「いっつも熱いね!ヒューヒュー」
そう言って私たちをひやかし、その人はとっとと歩いて行ってしまった。
「…」
藤堂君は眉をひそめたが、何も言わずに歩き出した。
「なんだか、一気に藤堂君の周りがにぎやかになっちゃったね」
「ああ。静かに学校生活を送りたいのにな」
「え?そうなの?」
「うるさいの、苦手なんだ」
そうか。そういえば、うるさい女の子も苦手なんだっけ。
だけど、私も聖先輩を見て、かっこいい!って騒いでいたほうだしな。もし、藤堂君のことをあまり知らず、いきなり昨日のバスケをしている姿を見たら、やっぱり、きゃ~~って騒ぐようになっているかもしれない。
そう思うと、藤堂君をだましているような気になって、罪悪感が出てきた。
「と、藤堂君」
「ん?」
「私も、去年は聖先輩が活躍するところを見て、きゃ~~きゃ~~言っているうるさい女子の方だったんだ」
私はだましているのを黙っていられなくなり、藤堂君に打ち明けた。
「ふうん」
ふうん?それだけ?
「…今年も、聖先輩のこと見に行きたかった?」
藤堂君は視線を下にさげ、聞きにくそうにそう聞いてきた。
「え?」
違う、違う。そうじゃなくって。
「と、藤堂君、そういううるさい子苦手でしょ?でも、私もそんな女の子だから。その…」
私がそう言うと、藤堂君は私を見て、
「ああ、なんだ。そんなこと気にしないよ」
と少しだけ口元をゆるませ、そう言った。
「え?」
「結城さんなら、なんだってOKだから」
「へ?」
「そんだけ、俺、惚れちゃってるから」
どひゃ!
それを聞いて、思わずあたりをきょろきょろと見た。あ、周りの人には、聞かれていないようだった。よかった。そして、藤堂君の方も見てみた。すると、藤堂君の耳が真っ赤だった。
なんだ。自分で言って、自分で照れてる。可愛い。
っていう私はきっと、顔が真っ赤だったと思うけど…。




