第69話 嬉しさと不安
その日も部活が終わってから、2人で一緒に帰った。藤堂君はいつもより、おしゃべりだった。
私は話を聞きながら、藤堂君の笑い声とか笑った横顔を見て、心の中で喜んでいた。
藤堂君はやっぱり、笑うと可愛い!
夕飯を終えると藤堂君は、
「レポート書いちゃう?」
と聞いてきた。すると、
「なあに、司。宿題なの?」
と、藤堂君のお母さんが食卓でお茶をすすりながら、藤堂君に聞いた。
「今日の理科の実験、レポート提出が明後日までなんだ」
「あら、じゃあ、穂乃香ちゃん、司に教えてもらったら?」
「だから、そのつもりなんだけど」
藤堂君はそう言うとまた私に、
「2階でレポート書いちゃおうよ」
と言ってきた。
「でも、夕飯の片づけ…」
「いいわよ。穂乃香ちゃん、宿題してきちゃって。片づけなら、ぱぱっとできちゃうから」
お母さんは明るくそう言って、
「じゃ、始めちゃおうかな」
と元気に席を立った。
なんにも手伝わないなんて、申し訳ないような気もする。でも、藤堂君が私の手をすでに引っ張っているので、私は一緒に2階に行くことにした。
守君は食事が終わると観たいテレビ番組があったらしく、リビングのソファに、メープルと一緒に寝転がった。
藤堂君のお父さんは、今日は残業らしい。残業がたまにあるらしく、遅い時は11時を過ぎるそうだ。大変だなあ…。
藤堂君は、
「理科のノートだけ持って来てね」
と言って、部屋に入って行った。私は言われた通り、理科のノートだけを手にして、隣の部屋をノックした。
「どうぞ」
藤堂君の声がした。私はそっとドアを開けた。藤堂君はまたテーブルとクッションを用意してくれて、私はそのクッションに座った。
「はい。レポート用紙と筆記用具」
テーブルの上に藤堂君はそれらを置くと、にこっと笑った。
可愛い!
なんだか今日の藤堂君は、やたらと愛想がいいと言うか、良く笑うと言うか。
「今日の結城さんの班の実験結果、どうだった?」
「え?うん」
私はノートを広げて見せた。藤堂君は顔を近づけて、ノートを見た。あ、男物のシャンプーの香り…。
ちょっとドキってしてしまった。それを悟られないよう、必死にノートを見ているふりをした。
それから藤堂君と一緒に、レポートを書き始めた。
が、あっという間に終わってしまった。
残念。もっとここにいたかったな。でも、いる理由もないし、それにまた、藤堂君がいきなり、オオカミになっても困るし。
でも、まだ藤堂君と一緒にいたい。
藤堂君はレポート用紙を片づけたり、筆記用具を引き出しに閉まったりしている。
それって、あれだよねえ。もう、勉強終わったよっていう、合図だよねえ。私、さっさと部屋に戻らないとダメなんだよねえ…。
「結城さんさあ」
ドキン。な、なに?
「音楽、どんなの聞く?」
藤堂君が自分の机の椅子に座り、聞いてきた。
「ポップスとか…。邦楽が多いかな」
「ふうん。何枚かCDあるけど、どれか聞く?」
「藤堂君がお勧めのを聞きたいな」
「俺の?」
藤堂君はCDを数枚机の上に並べ、首をかしげて悩んだ後、1枚のCDをかけてくれた。それは私の知らないバンドのCDで、きっと沼田君あたりなら知っているだろう。
私はクッションの上にちょこんと座ったまま、聞いていた。
この前、あんまり見ないでと言われたから、部屋を物色するのはやめていたが、どうにも暇で、ついつい本棚とかに目が行ってしまう。
何冊か小説も置いてある。どれも、読んだことのない本ばかりだ。そういえば、夜は小説読んでいるよって前にメ―ルで言ってたっけ。
視線を感じ、藤堂君のほうを見た。藤堂君は私のことを、じっと見ている。
「な、なに?私、なんか変?」
「いや…」
藤堂君は耳を赤くして下を向いた。
「結城さんが俺の部屋にいるのって、なんだか不思議だなって思って。って、昨日もいたんだよね」
「うん」
「…なんか、いいよね。こういうの」
「うん」
か~~~。顔が一気に熱くなった。藤堂君も照れている。
「壁で、合図するのもいいよね」
私がそう言うと、藤堂君は、
「昨日も、俺の部屋のほうに布団敷いて寝たの?」
と聞いてきた。
「うん。そうだよ」
「壁一枚隔てて、隣にいるのか」
藤堂君はそう言ってから、何かをボソッと言った。
「え?何?今、聞えなかった」
「ああ、いい。なんでもないから」
「気になるよ。なに?」
藤堂君は思い切り顔を赤くしている。ますます気になる。
「ちょっと、その…。壁がないのを想像しただけで」
「え?」
「壁がなくって、結城さんがすぐ隣に寝る日、来るのかなって」
「え?!」
藤堂君は顔を伏せたが、耳が真っ赤なのが丸見えだ。
そんな日って来るの?っていうか、それどういう意味?わあ。頭の中がぐるぐるしてきて、なんだか、目が回ってきた。
「と、藤堂君」
「ん?」
「ちょっと目が回る。もう自分の部屋に戻るね」
「え?」
「ごめんね?」
「俺の話、刺激強すぎた?」
「…そうかも」
「ごめん」
藤堂君は頭をぼりって掻いて謝った。
「お、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
私はふらふらと立ち上がり、藤堂君の部屋を出て自分の部屋に戻った。そして、へなへなと畳の上に座り込んだ。
藤堂君の隣で寝る?
まさか、一緒の布団で、とか?
ないない!そんなことあるわけがない。ここにはご両親も、守君だって一緒に住んでいるんだよ?藤堂君と2人で同棲するとか、結婚するとか、いつかそんな日が来たらわからないけど。
いつか、そんな日が…。来るとしても、2人とも大学生になってからだよね。
ううん。結婚となったら、もっともっと先の話だよね。
私は首をグルグルっとふり立ち上がって、布団をまた壁ギリギリのところに敷いて、壁をコンコンとノックしてみた。するとすぐに、コンコンと藤堂君が返してくれた。
「おやすみなさい、藤堂君」
「うん。おやすみ」
は~~~~~~。幸せのため息を吐き、私は布団に寝っころがった。
藤堂君は、どんな寝顔なんだろう。寝相は悪いのかな。いいのかな。
「…」
寝顔。気になる。
見てみたい。でも、まさか見るわけにもいかない。だいたい、忍び込むわけにもいかないし。
でも見たい。
あ~~~~!私って、けっこうスケベだったりして?
いや、寝顔を見たいって言うだけなんだから、別にスケベじゃないよね。
そんなこんなで、その日は悶々としながら、夜は更けて行った。
おかげで、寝不足だ。
翌朝。やっぱり寝坊した。
「結城さん…。起きてる?朝だよ」
という藤堂君の声が、遠くから聞こえた。でもまだ私は、夢の中にいた。夢の中では起きるとすぐ横に藤堂君がいて、一緒の布団の中にいる。
「結城さん、おはよう」
藤堂君の優しい声。それに優しい瞳。それに、真っ白のYシャツ。
え?Yシャツ?
「あれ?」
「起きた?もう、7時15分。そろそろ起きて朝ご飯食べたほうがいいよ」
「藤堂君?!」
わあ。なんで目の前に藤堂君がいるの?
「起きてね?」
「わ、わ、わかった。起きる」
私はそう言うと、布団の中に潜って顔を隠そうか、それとも後ろを向こうか、あたふたしてしまった。
「寝ぼけてる?」
「う、ううん」
藤堂君はしゃがみこんで、まだ私の顔を見ている。それから、優しい目をしてクスって笑うと、
「もう寝ちゃだめだよ」
と言って、部屋を出て行った。
「…と、藤堂君はなんで私の部屋にいたの?」
っていうか、もしや、寝顔見られた?
うわ~~~~~!私、よだれ垂らしてない?それに髪、ぼさぼさじゃない?
慌ててクローゼットについている鏡を覗いた。
「寝癖だらけ~~~。それに、目、腫れてブス顔~~~」
確か昨日、藤堂君の寝顔を見たいと思い切り思ったはず。なのになんで、私の寝顔を見られているのよ。
髪を整え、制服に着替えて、私は一階に下りた。そして顔を洗ってから、ダイニングに行った。
「お、おはようございます」
食卓にはすでに、ご飯を食べ始めている藤堂君がいた。それから、コーヒーをカップについでいるお母さんも。
「穂乃香ちゃん、おはよう。ちゃんと司、起こしてきたのね」
「だから、言ったじゃん。結城さんなら起きたよって」
「…」
はい。起こされました。でも、ここの人って言うのは、全く気にせず、人の部屋に入ってきて、人を起こすのかなあ。
この前はお母さんに起こされたっけ。まあ、私が寝坊をしたんだから、仕方ないけど。
「穂乃香ちゃん、朝、弱いの?低血圧?」
「ちょっと、弱いです」
これは本当のこと。血圧も低めなんだよね。
「じゃ、朝穂乃香ちゃんを起こすのは、司にいつもお願いしたら?司はぴったり7時に起きるから」
「藤堂君、朝強いの?」
「うん。アラームなる前には起きるよ」
「そう」
ガク~~~。
じゃあ、私が妄想していた、
「穂乃香ちゃん、司のこと起こしに行ってくれる?」
「は~~い」
「司君、起きて、朝よ」
「おはよう、穂乃香」
っていうのは、叶わない夢なのね。藤堂君の寝顔も見れないのね~!
がっくり。
それどころか、私が起こされ、私の寝顔を見られちゃったし。もう、穴があったら入りたい心境かも。
藤堂君には全裸を見られちゃうし、寝顔も見られちゃったし…。
ああ、そっか。寝顔を見られたのは、今日に始まったことじゃないか。熱が出て2階に寝ていた時、それに保健室でも見られたんだった。
藤堂君は先に食べ終わると、リビングでメープルとじゃれ合い始めた。
「あはは。メープル、そんなに舐めるなよ」
後ろを振り返り見てみると、メープルはベロベロ、藤堂君の唇を舐めていた。
ず、ずるいぞ、メープル。そういや、メープルってメスだったっけ。
そして、学校に行く時間になり、私たちは家を出た。お母さんはまた、
「いってらっしゃ~~い」
と元気に見送ってくれた。
「今朝、守君いなかったね。部活?」
「うん。雨降っていないからね」
「そっか」
どうも、守君には、まだ慣れないなあ。だから、朝いなくって、ちょっとほっとしちゃった。
守君って、藤堂君とは全く違ったオーラ、かもしだしているんだもん。
「藤堂君」
「ん?なに?」
藤堂君は優しい声で、優しい目をして返事をした。
ね?やっぱり。藤堂君はすごく優しいんだよね。この優しさで私はいっつも、癒されちゃってるの。
「なんでもない」
「え?何それ?」
藤堂君はきょとんとした顔をした。
「呼んでみただけ」
「あはは。何それ?なんかのジョーク?」
「ううん。藤堂君の、『ん?』っていうのが聞きたかったの」
「俺の?」
「うん。すごく優しい声で返事をしてくれるんだよね」
「俺?そう?!」
藤堂君は驚いて私を見た。なんでそんなに驚いたのかな。
「俺、いっつも怖いし、愛想ないって言われるのにな。なんか驚きだな」
「私にはいっつも優しいよ?」
「…うん。そうかも。結城さんと一緒だと優しい気持ちになれるんだ。それに、嬉しいし」
「嬉しい?」
「うん。だから、しかめっ面もできなくなるし、声や雰囲気も変わるのかもしれないよね」
そうなんだ。なんだか、そう言ってくれるの嬉しいかも。
それから私たちは、なんでもない話をして笑いながら駅に行った。
改札口を抜けると、数人の女子高生がざわついていた。
「なんだろう?」
私がそう藤堂君に聞くと、
「ああ、聖先輩だろ?」
と軽く答えた。
ああ、そうか!江の島なんだもん。聖先輩もここから高校に通ってるんじゃない!
「一緒の電車なの?」
「いつもはいないけどね。今日はいつもの電車より早いんじゃない?ああ、そうじゃなくって、俺らが遅かった」
「え?」
時計を見ると、本当だ。いつもより遅くに駅に着いていたんだ。ゆっくりとしゃべりながら来たからかなあ。
電車に乗ると、隣の車両から聖先輩が友達と歩いてきた。隣りの車両には女の子がいっぱい乗っていたから、こっちに移動して来たのかもしれない。
「あれ?藤堂じゃん」
聖先輩が声をかけてきた。
「おはようございます」
藤堂君がぺこっとお辞儀をした。私も慌ててお辞儀をした。
「あ!アフガン!」
聖先輩が私を見て、いきなりそう言ってきた。アフガンって、犬のことを言ってるんだよね。
「聖、やめろって。お前はまた~~。ごめんね。あんまりこいつの言うことは気にしないで」
聖先輩の友達がそう言った。
「藤堂、お前の彼女なんだろ?」
聖先輩は今度は藤堂君に聞いた。
「ああ、はい…。ところで、アフガンって?」
「彼女、似てるじゃん。アフガンハウンド」
「それ、犬ですよね?」
藤堂君は目を点にした。
「やめろって!聖。藤堂、悪かったな。それじゃあな。ほら、あっちにいくぞ、聖。2人の邪魔はするなよ」
そう言って、お友達は聖先輩を引っ張っていった。ええと、確か葉一って前、聖先輩に呼ばれていたっけ。
「あ、アフガンハウンド?」
藤堂君はそう言いながら、私を見た。それから、
「あ~~。似てるかも」
とうなづいた。
う。藤堂君までが…。
「うん。気品があって、結城さんっぽいもんね、あの犬。うちの近所でも飼ってる人いるよ。散歩で会うとメープルは喜んじゃうんだけど、いっつも凛としてて、メープル、遊んでもらえないんだよね」
「性格悪いの?」
「あはは。違うよ。気品があるんだ。背筋もピシってしているし…。うん、似てるかも」
「私、気品なんてないよ」
「あるよ。どこか、ピシってしているもん」
「え~~。それは藤堂君でしょ?」
「…俺は違うよ。けっこう情けないし、だらしないし」
「そうかな。一緒に暮らしていても、しっかりとしていてすごいなって思っているのに。部屋だっていつも片付いているし」
「今はね。結城さんがうちに来る前に、片づけたから。でもそのうちまた、ぐちゃってなっちゃうかも」
そうなの?びっくり。
「そのうちに、がっかりしちゃうかもなあ。結城さん」
「それは私のセリフかも…」
「そう?そんなことないんじゃない?」
「ううん。気品なんて本当にないから。私、そんじょそこいらにいる一山百円の野菜みたいなもんだから」
私がそう言うと、また藤堂君は声をあげて笑い、
「面白いこと言うよね、結城さんって」
と目じりにたまった涙をふきながらそう言った。泣くほど面白かったかなあ。
それにしても。本当に気品なんてないのにな。私のこと美化しすぎてないかなあ。
なんとなく一緒に暮らしていけるのは嬉しいんだけど、藤堂君が私に呆れちゃうんじゃないかって、そんな不安も一緒に出てきてしまった。




