第67話 隣の部屋
いつものように学校を出ると、駅に向かって歩き出した。生徒はほとんどいなくって、藤堂君は手をつないできた。
ドキドキ。手をつなぐだけで胸が高鳴り、2人の間にはほとんど会話がなかった。
駅に着くと数人の生徒がいて、藤堂君がぱっと手を離した。そして二人で改札を抜け、ホームに立った。
「今日は、一緒の方向に帰るんだね」
藤堂君はそう言うと、私を熱い視線で見た。
「うん」
ドキドキ。なんだか、鼓動がずっと早くなってる。
「…変な感じだね。いつもここで、じゃあって言って別れるのに」
「そうだよね。また明日って言って別れるのにね」
「…また明日って、そんなふうに別れることもないんだよね、これからは」
藤堂君はそう言うと、今来た電車に乗り込んだ。私もそのあとを追って、2人で空いている席に座った。
電車が揺れると、すぐ隣に座った藤堂君の肩に、時々私の肩が当たる。ドキン。そのたびに私の肩が熱を帯びる。
藤堂君はまっすぐ前を見ていた。そして時々、ぽつりぽつりと話をした。
私はちらっと藤堂君を見た。ああ、藤堂君の横顔、かっこいいなあ。
それから座っている藤堂君の、すらりと伸びた足。藤堂君って、足、長いよね。
「次は終点、片瀬江ノ島~~」
車内にアナウンスが流れた。ああ、不思議だ。これから私はいつも、この駅に帰ってくるんだよね。
片瀬江ノ島駅は、竜宮城のようだ。そこを通り抜け、藤堂君の家まで2人でゆっくりと歩き出す。
江ノ島駅は、人もまばらだ。海をちょっと眺めながら橋を渡り、細い商店街を歩く。商店街はお客さんもほとんどいなくて静かだった。
そして路地を入って行き、どんどん住宅街に向かう。
どこかここは、異世界のような雰囲気がある。すぐそこには、江ノ電の線路。ガタンガタン。江ノ電が走る音が聞こえてくる。
藤堂君の家に着くと、門には綺麗な紫陽花が咲いていて、門から玄関までは緑のアーチがつながっている。
その光景もなんだか、異世界のようだ。
「ただいま~~」
藤堂君は鍵を開けて、玄関の中に入って行った。私もその後ろを、
「ただいま」
と小声で言って、玄関の中に入った。
「おかえりなさい」
お母さんが元気に出迎えに来た。
「疲れたでしょ。お風呂、すぐに入っちゃう?」
お母さんは私を見てそう言った。今の、私に言ったんだよね?
「私はあとでいいです。藤堂君、先に入って」
「駄目よ。司や守の後だと、お風呂汚れてるわよ。先に入ったほうがいいわよ」
「はあ」
「あ、もう鍵ついてるから、安心してね」
そう言ってお母さんは、パタパタとスリッパの音を立てて、キッチンに向かっていった。
「いいのかな、私、先に入って」
「いいよ。ゆっくりあったまって」
藤堂君はそう言うと、そのまま2階に上がって行った。私も着替えを取りに、2階に上がった。
「あ、藤堂君」
部屋に入ろうとしている藤堂君を呼び止めた。
「何?」
「あの…。数学、宿題出たでしょ?」
「うん」
「プリントの中でわからないところがあって」
「いいよ。あとで一緒にやろう」
「うん」
わあい。嬉しい!
私はウキウキしながら着替えを持って、お風呂場に向かった。そして中から鍵をかけ、お風呂に入った。
嬉しい。宿題を見てって言ったら、すぐに見てもらえるんだ。
その時間は、藤堂君と一緒にいられるんだね。
早くに一緒に勉強がしたくって、いてもたってもいられなくなり、さっさとお風呂から出た。そして、洗面所で体を拭いていると、ガチャガチャガチャ!といきなりドアが。
え?鍵かかってるから、開かないよね。っていうか誰?
ドカ!ドアを思い切り開けて、守君が顔を出した。
「あ!なんだよ、穂乃香、入ってたのかよ」
「…!うきゃ~~!」
私はバスタオルで体を隠し、その場にしゃがみ込んだ。
「守!何してるの?!」
お母さんがやってきて、守君の腕を掴み、そのまま守君を引っ張って行ってくれた。
「いて、いててて。ちょっと離せよ!」
守君は痛がっていたが、お母さんは腕を離すことなく、2人はダイニングに消えたようだ。
私は慌てて立ち上がり、ドアを閉めた。
「鍵、かかっていたのに」
鍵を見てみると、しっかりと壊れていた。さっき、守君が無理やり力づくで開けたからだ。
「あ~~。鍵の意味ないじゃん」
がっくり。それにしても、無理やり開けるかな。誰か入っているってわかるでしょ、普通。
お風呂から出て、すぐにまた2階に上がった。自分の部屋までドライヤーを持って行き、とっとと乾かした。こんなことだったら、ドライヤーをうちから持ってきちゃえばよかった。
ドライヤーをまた、1階に行き洗面所に返そうとして、中に誰かいる気配を感じ、ドアをノックした。
「あの、ドライヤー返しに来たんだけど」
「ああ」
中から守君の声がして、ドアをちょっと開けて、守君が手だけをにゅっと出した。その手にドライヤーを渡して、また私は2階に上がった。
なんだよ。ちゃんと中に誰かいる気配ってするじゃないの。なんでそれがここの男どもにはわからないかな。
それからしばらくすると、お母さんが2階までやってきて、
「穂乃香ちゃん、ご飯にしましょう」
と声をかけてきた。
「はい!」
いけない。すっかり夕飯の支度のお手伝いをするのを忘れていた。こんなことが母にばれたら、怒られちゃう。
「すみません。なんにも手伝わなくって」
ダイニングテーブルにはもうすでに、全部がそろっている状態だった。
「いいのよ。そんな気を使わないで、穂乃香ちゃん」
お母さんはそう言うと、にこにこしながらご飯をよそった。
「運びます」
私はせめてそのくらいは…と思い、慌てて手伝った。
「腹減った~~」
守君が席に座った。それから、藤堂君もお風呂からあがったばかりの顔で、ダイニングにやってきた。
髪はまだ濡れている。頬はほんのり赤くって、肌はなんだかつるつるだ。髪からは男物のシャンプーの匂いと、体からは石鹸の匂いがする。
なんでもない白のTシャツ。それにグレーのスエット。本当に何でもないルームウエア―なんだろうけど、それがかっこよく見えてしまうのは、私がそれだけ惚れちゃってるからかなあ。
ああ、いけない。つい見惚れてしまう。それを守君に見つかったら、また何かひやかされたりしてやっかいだ。
「さ、穂乃香ちゃんも席に着いて。お父さん~~~!ご飯よ~~~」
お母さんは大声で、お父さんを呼んだ。お父さんはリビングからメープルと一緒にやってきた。
「さ、いただきましょう」
「いただきます」
みんなで手を合わせ、いただきますをしていっせいに食べだした。
さすが男が3人もいると、食事も豪快だ。我が家と量も違うし、品数も一品多い。それに守君なんて、背も低く細いくせにどんぶり飯だ。
藤堂君は、物静かにご飯を食べる。あまり話もしない。どうやら、じっくり味わっているようだ。
守君は時々、学校であった事を話す。お父さんがそれに答え、何かを言うと、お母さんもその話に加わるが、少しするとお母さんはがらりと話を変えてしまう。
「そういえば、この前見たテレビでね、面白いことを言ってたのよ」
お母さんが楽しそうに話し出すと、お父さんが笑ってそれに答える。藤堂君はきちんと耳を傾け、時々静かに笑う。そして、守君はお母さんの話に適当に突っ込みを入れたり、茶化したりしている。
やっぱり、藤堂君は家でも物静かなんだなあ。
私はそんな藤堂君の、静かに笑う笑顔を見ながら、目をハートにさせ、ご飯を食べていた。
夕飯が終わり、私は後片付けを手伝ってから自分の部屋に戻った。すると、壁からココン!と藤堂君の合図があった。私は壁に近づき、コンコン!と壁をノックした。すると、
「結城さん、今、時間ある?宿題する?」
という藤堂君の声が聞こえてきた。
「うん!」
私は壁にぴったりとくっつき、返事をした。
「じゃあ、俺の部屋にプリント持ってきて」
「わかった」
ドキドキ。藤堂君の部屋に、お邪魔するときがやってきちゃった。
プリントと筆箱を持って、私は藤堂君の部屋をノックした。
「どうぞ」
という藤堂君の声がした。
「お、お邪魔します」
私はそっと藤堂君の部屋のドアを開け、中に入った。
藤堂君の部屋は、落ち着いたモノトーンの部屋だった。カーテンとベッドカバーがダークグレイで、机とベッド、そして家具はブラックだった。
だけど、どこか優しい雰囲気が漂っているのは、部屋においてある観葉植物やサボテンのおかげかもしれない。
そして壁には弓道着がかけられ、その横には制服がかかっていた。
本棚には弓道の本や武道の本が数冊。それから参考書が並び、下の方には漫画や雑誌が何冊が重なって入っていた。
「結城さん、あんまりじろじろ見ないで。ボロがわかるよ」
藤堂君にそう言われ、
「あ、ごめんなさい」
と私は謝った。
「ここに座って」
ベッドの横のカーペットの上には、小さめのテーブルがあり、そこに藤堂君はクッションを置いた。そして自分は床にあぐらをかいて座った。
私はクッションの上に座らせてもらった。
「プリントのどの問題がわからなかった?」
藤堂君はいきなり、勉強の話をしだした。
「あ、3問目」
私は慌ててプリントをテーブルに広げた。
「ああ、これね」
藤堂君は顔を近づけ、わかりやすく説明をしてくれた。が、いつものごとく、私の胸は高鳴ってばかりで、ほとんど説明が頭に入ってこない。
藤堂君の部屋は、藤堂君の匂いがする。当たり前か。
だけど、これだけ藤堂君の匂いと、藤堂君のものが溢れた中にいると、ドキドキでどうにかなってしまいそうになる。
チラ。ベッドを見た。私の部屋って、藤堂君のベッドがある側なんだ。じゃ、私は藤堂君が寝ているすぐ横で、壁を1枚隔てて寝ているんだ。
昨日、私は藤堂君のすぐ横で寝ていたってことなの?
そう思ったら、顔が一気に赤くなった。
「聞いてた?結城さん」
「え?な、何?」
「次の問題。3問目の応用編だよ。これは解けたの?」
「ううん。まだやってもいない」
「じゃ、やってみる?」
「うん」
ああ。今私は、数学どころじゃないのにな。
それでもどうにか頭を切り替え、さっきの説明をどうにか思い出しながら、私は解いた。
「そう、正解」
藤堂君はそう言うとにこりと笑った。
「良かった。藤堂君の教え方がうまいんだね」
私はほっと胸をなでおろしながらそう言った。何しろ、藤堂君の説明の半分も頭に入っていなかったから、解けるか心配だったんだ。
「じゃ、プリントはもうOK?」
「うん」
って言ってから、しまったって思った。これじゃ、もう自分の部屋に戻らなくっちゃならない。
「あ、でも、あの…」
どうしよう。そうだ。英語の訳でも教えてもらう?
「結城さん」
「え?」
藤堂君が私の顔の目の前まで顔を持ってきて、話しかけてきた。
ドキン。顏、近い!
「キス…だけなら、誓いをやぶったことにならないよね?」
「え?!」
キス?
私が何も答えないうちから、藤堂君はそっと私の唇に唇を重ねた。
わ~~~。バクバクバクバク!
私は目をぎゅって閉じていた。藤堂君はしばらく唇を重ねて、それからそっと離れた。
「…これ以上、一緒の部屋にいたら俺、やばいかな」
「え?」
やばい?
「結城さん、髪、いい匂いするし…」
「え?」
「このまま、抱きしめて、押し倒しそうだ」
ひょえ!?
「あの!」
私はすかさず、立ち上がった。
「宿題、見てくれてありがとう。部屋にもう戻るね」
「うん。また明日ね、お休み」
「…おやすみなさい」
私はそのままくるりと後ろを向き、ドアのほうに向かった。
「あの…」
「え?何?」
私は後ろを向いたまま、藤堂君に話しかけた。
「藤堂君と私って、壁一枚隔てて、隣で寝ているんだね」
「え?」
「お、おやすみなさい!」
私は藤堂君の部屋を出て、すぐに自分の部屋に入った。
そして深呼吸をして、藤堂君の部屋のすぐ横に布団を敷き始めた。
ペタン。布団に座り込み、じっと壁を見た。
この向こうで藤堂君が今日も、寝るんだね。
「はあ」
思わずため息をつき、私はゴロンと横になった。そして自分の唇を指で触れてみた。
藤堂君と久しぶりにキス、しちゃった。
ドキドキした。藤堂君からはまだ、石鹸の匂いがした。
これから先、本当に藤堂君も、そして私も誓いを守って行けるんだろうか。
そんな思いが湧いてきて、もっと私はドキドキしてしまった。




