第63話 藤堂家へ
信頼。その言葉に含まれている意味は、きっと、「君を信じているよ。節度のある交際をしなさい。けして、うちの娘に手を出したりしないように」だよね。
帰りの車の中、父は一言も発しなかった。母も私も、父の顔色をうかがいながら、なるべく当たり障りのないことを話していた。
そして夜、藤堂君からメールが来た。藤堂君も父の「信頼」という言葉に、相当プレッシャーを感じてしまったらしい。
>反対されるのも嫌だけど、信頼してるよって言った時のお父さんの目、怖かったよ。
やっぱり。
>誓いはやぶれそうもないね。お父さんに俺、はいって言っちゃったしね。
もしや、やぶる気でいた?とも聞けず、なんて答えていいかわからなくって、話題をかえることにした。
>今日は部活休ませてごめんね。部長、休んだりして何か言ってなかった?
>大丈夫だよ。父親の用事で部活休むって川野辺に言ったら、それはしょうがないって言ってたし。あいつ、中学の時剣道していただろ?大会とかで父さんの世話になっていたことがあるんだ。だから、父さんには頭あがらないんだよ。
なるほど。っていうか、もしや、それだけ藤堂君のお父さんも怖い人だったりして?
>藤堂君もお父さんには、頭あがらないの?
>父さんはけっこう怖いところもあるけど、理不尽に子供を怒ったりはしない。俺の言いたいこと、やりたいことは尊重してくれるよ。だから、ちゃんと俺の意見は言ってる。
ああ、そういえば、うちで話していた時にも、海外には興味ないとはっきり言っていたっけ。
>いいね。うちの父親、そんなに怒らないんだけど、怒ると怖いんだ。
>結城さんのことがそれだけ、可愛いんじゃないの?女の子だとまた違うんだろうね。
>女の子だからじゃないよ。私、そんなに女の子らしくないし。
>結城さん、それ良く自分で言ってるけど、女の子らしいよ?俺からしたら十分に。
うわ。うわわ。そういうの照れちゃう。なんて答えよう。
>もう、11時半だから、そろそろ寝るね。
…って、こんな返信送っちゃった。違う!もっと本当はメールをしていたいのに。
>うん、おやすみ。明日は部活来るの?
>うん。行くと思う。
>じゃあ、また明日。
ほら。メール終わっちゃった!なんで、私か終わらせたかな。もっと素直に自分の言いたいこと、書いたらいいのに。
は~~~~~~。ため息。
待てよ。一緒に住んだら、メールのやり取りなんて、しなくなるんだよね。だって、同じ家にいてすぐ隣にいるんだもん、話したい時に話ができるんだよ?
だから、素直になれず、変なことを言って後悔しても、すぐに隣のドアをノックして、
「本当はこう思っているの。素直になれなくってごめんなさい」
なんて、謝りに行くこともできるんだ。
うわ~~。会いたい時に会える。話したい時に話せる。っていうか、っていうか、いつでも藤堂君と一緒!!!!
またもや、私の頭の中はめくるめく妄想の世界。
ま、待って。2人じゃない。守君もいる。ご両親もいる。だから、そんな二人っきりになる時間なんて、思った以上にないんじゃないのかな。
そうだよね。お互いの部屋に行き来なんて、そうそうできないかもしれない。リビングにはきっと、他の家族がいるだろうし、そんな二人の時間を満喫できるのなんて、そうそうないのかもしれない。
「そうだよ、あんまり期待してたら、がっかりしちゃうことになるよ。妄想はもうやめにしようよ、私」と独り言を知らぬ間に言っていた。そしてベッドにごろんと横になった。
机もチェストもない部屋は、やけにガランとしている。
「この部屋とも、この家ともお別れなんだな~~」
父や母とも、そんなにめったに会えなくなるんだ。あ、なんかちょっと、悲しくなってきたかも。
両親が長野に行っちゃうとき、私泣くかな。兄がこの家を出て行った日、しばらくメソメソと泣いていたしな。
じ~~~~ん。ベッドの中でしばらくじ~~んとしていると、また携帯が振動した。
>結城さん。もう寝た?母さんが勝手に結城さんの服、クローゼットにしまってるけど、いいのかな。
え?それって、段ボールあけちゃったってこと?
>それに、母さんがわけのわかんないもん、買ってきてる。ごめんね。ほんと、あの人何を考えてるのか俺もよくわかんないけど、とりあえず、逆らうと父さんよりもうるさいから、俺も着るから、結城さんも一回くらい袖通してくれるかな。
俺も着る?わけのわからないもの?
>何を買ってきたの?
>俺と色違いでおそろいのパジャマ。
どひぇ~~~~~~?!
>他にも俺と色違いのマグカップとか、スリッパとか、タオルとか。何考えてるんだろうね?よくわかんない。きっと、サプライズのつもりだと思うけどばらしておくよ。あ、でも本気で嫌だったら、嫌だって母さんに言っていいから。
ペアのものがいっぱいってこと?なんで~~~?
>藤堂君、嫌だよね?
>俺は別にかまわないけど、外でも着ろって言われたら、絶対に嫌がるけど。
>家だったらいいの?
>うん、別に。
本当に?!
>パジャマの色、何色と何色?
>紺と赤。
>柄は?
まさか、ハートとか可愛いドットとか?
>細めのストライプ。
そ、そうなんだ。うきゃ。藤堂君とおそろい!
>新婚みたいだね。
とウキウキになってメールをしたら、しばらく藤堂君から返信がなかった。
なんか変なこと書いた?うん。書いたね。新婚だなんて迷惑だよね!?
>母さんと同じこと言ってる。
5分してからメールが来た。え?お母さんと同じこと?
>まるで司のお嫁さんが来るみたいって、ウキウキしてた。
お嫁さん?!!!
>本当に?
>うん。父さんも喜んでいるし。ごめん。結城さん、きっと困惑するよね。
え?え?え?
>困惑って?
>いろいろと。とにかく迷惑だったり困ったら、バンバン言ってくれてかまわないから。でないとあの親、気が付かないと思うからさ。
え~~~と。私が、困惑?
>海外での暮らしも長かったし、特に母親のほうは能天気だし、変わり者だし。まじで、困ったら俺に相談してくれていいからね?
>うん。わかった。
>じゃあ、本当にこれでおやすみ。
>おやすみなさい。
携帯を枕の横に置いた。
わかったって言ったけど、実はわかっていない。えっと、私が困惑することってなんだろう。それに海外生活長いのは何の関係があるんだろう。変わり者?だからって、なんで私が困惑するんだろうか。
その時はわからなかった。いや、ちょっとよく考えたらわかったのかもしれない。
たとえば、アメリカに住んでいたこととか、あのキャロルみたいな子が、周りにいたってこととか。ご両親が留学経験があって、そこで知り合った二人だったってこととか。
うちの親が硬すぎるのか、向こうの親がフランクすぎるのか。それはわからないけど、ただただ、なんであの親に、クールで思い切り和男子の司君が育ったんだろうかって、あとあと私の疑問になっていくことになったのだ。
だけど、その時の私にはまだわかっていなかった。ただ、親との別れを惜しんでいたのに、そんなことを藤堂君からメールで伝えられ、またも藤堂家に行くドキドキでいっぱいになりながら、私はなかなか眠れない夜を過ごしていた。
そして、いよいよ藤堂君の家に行く日がやってきた。
その日は、藤堂君には部活に出てもらった。毎回休ませては申し訳ない。
「穂乃香。早く乗りなさい」
母に言われて、私は家を出た。玄関を出てからもう一度振り返った。この家には何年住んだんだっけ?引っ越してきたのは私がまだ、幼稚園の頃だ。覚えていることといったら、兄と遊んだことばかり。
しんみり。
「穂乃香!」
母のどなる声がした。あ~~、もう。今浸っていたというのに!しょうがないなあ。
荷物はもう積み込んであった。大きめの旅行鞄が二つと、学生鞄。それに小物を入れたバッグが一つ。
「さ、あんたの荷物はこれで全部よね?」
母は私が車に乗りこむと聞いた。
「うん」
「じゃ、お父さん、車出して。昼前に着くって言ったのに、もうお昼になっちゃうわ」
「わかった。出発するぞ。いいか?穂乃香」
「うん…」
私は窓から家を見た。次にここに帰ってくることはもうないんだ。
あれ?っていうことは私はもう、帰る家がないってこと?
う。ちょっとショック…。
いきなりブルーになってきた。
「ちゃんと家にお別れを言って来たか?」
父がそんな時に、もっと暗くなることを言った。
「……」
私は涙が出そうになり、黙っていた。それに気が付いた母が、私の背中を優しくなでた。父もバックミラーで、私のことを見ている。
「いつか、あの家から出る時は来るんだ。それがちょっと早くになっただけさ」
「うん」
そんな慰めの言葉、空しいだけだったけど、一応うんってうなづいた。
車内は暗く重たい空気のまま、藤堂家に着いた。
「いらっしゃい!待ってたのよ。穂乃香ちゃん!!」
藤堂君のお母さんは、車の音だけでわかったらしい。玄関の前で待っていてくれて、車から降りるとすぐに、ハイテンションで抱きついてきた。
「荷物は?穂乃香ちゃん」
お父さんもにこにこ顔で聞いてくる。
「トランクに…」
すると、すぐに藤堂君のお父さんは荷物を持って、さっさと家に行ってしまった。
「お昼を用意してあるから、みなさんどうぞ、あがって!」
藤堂君のお母さんはそう言って、私たち家族を招き入れた。
明るい。我が家族とのテンションが全く違う。正直、驚いた。抱きついてくるとは…。
「千春ちゃん、藤堂さん。本当に穂乃香のことをよろしくお願いします」
ご飯を食べる前に、母は神妙な顔をして丁寧にお辞儀をした。
「真佐江ちゃんったら、水臭い挨拶ね。なんだか、嫁に出すみたいじゃない?」
嫁…。その言葉を聞き、一瞬父が顔を引きつらせた。
「はっはっは。嫁になるにはまだ若すぎだよなあ?まあ、娘みたいな感じかな。穂乃香ちゃん、なんの遠慮もいらないからね。自分の家だと思って、自由にのびのびと暮らしていいんだよ?」
藤堂君のお父さんは笑いながらそう言った。
「さ、食べましょう。あ、ご飯よそってくるわね」
藤堂君のお母さんはそう言って、キッチンに行った。食卓にはまた、美味しそうな料理が並んでいる。
「いただきます」
みんなで手を合わせ、それからは和やかにご飯を食べた。
食事がすみ、ゆっくりとお茶を飲んでから、父と母は、
「それじゃ、今日から本当によろしくお願いしますね」
「穂乃香、迷惑はかけるんじゃないぞ」
と言って、ぺっこりと藤堂君のご両親に頭を下げ、玄関を出て行った。
それだけ?元気でねとか、あれこれあれこあれ、もっと別れを惜しむような言葉はないの?
玄関で呆然としていると、藤堂君のお母さんが私の背中に手を回し、
「部屋に行って、荷物の整理でもする?穂乃香ちゃん」
と優しく言ってくれた。
「あ、はい」
私は荷物を持って2階に上がった。お父さんとお母さんも、鞄を持って部屋まで来てくれた。
「わ~~~」
和室はこの前来た時と、まったく変わっていた。床の間には可愛い絵と、綺麗な花が飾られ、窓は障子ではなく、薄いピンクの花柄のカーテンがかかっていた。
畳の上にはこれまた薄いピンクのマットが敷いてあり、私の机の上にも可愛い花瓶とお花が飾られている。
「えっと…」
おおよそ、私には似合わない部屋なんだけど。
「気に入ってくれた?」
藤堂君のお母さんは目を輝かせ、聞いてきた。
「は、はい」
はいとしか、言えなかった。
「この前運んだ分はもう、クローゼットに閉まったの。今日のも手伝おうか?」
お母さんが聞いてきた。
「いえ、自分でできます」
今日は下着も入っているし、思わず断った。そこで気が付いた。下着。もしや私のと、藤堂君の下着と、並んで干されちゃったりするのかしら。うわ~~~~~。
そんな変な妄想をいきなりしてしまって、戸惑っていると、
「じゃ、片づけが終わったら、下に来てね。おやつでも食べましょうね」
と言い、藤堂君のお父さんとお母さんは、下におりて行った。
「はあ」
部屋の真ん中に、ペタンと座った。こんなに可愛い部屋に私はこれから住むのか。ああ、きっと藤堂君のお母さんは、私がもっと女の子らしいとか思っちゃってるんだろうな。ピンクもスカートも、キャラクターも苦手なのになあ。
「……」
隣、藤堂君の部屋だよね。ドキン。の、覗いたりしたら悪いよね。うん、駄目駄目。いつか藤堂君がいいよって言ってくれたら、お邪魔させてもらおう。
「あ~~~。来ちゃったよ~~、藤堂君の家!」
母や父との別れを悲しむより、今はドキドキでいっぱいだ。
それからクローゼットやチェストに服を詰め込んだ。勉強机に本やノートをしまい、他、もろもろは旅行鞄の中に入れたまま、クローゼットの奥にしまいこんだ。
日記はどうしようかな。引き出しに入れておいて、誰かに読まれたりはしないよね。
なにしろ、藤堂君とのことがあれこれ書いてあるし。といっても、キスのこととかは書いていないんだけど。
「…」
しばらく考え込んだ後、引き出しの奥のほうにしまいこんだ。
「さて…」
荷物が少ないから、すぐに済んじゃったな。
一階に下りるとすぐに、
「穂乃香ちゃん、ダイニングに来て!」
と藤堂君のお母さんの声がした。
「はい」
私は廊下の奥のドアを開け、中に入った。
「いろいろと穂乃香ちゃんの食器、揃えたのよ。お茶碗はこれ、お箸はこれね。マグカップに、コップ」
ひょえ。ほとんどがピンクで花柄。お箸までピンク。
「でね、こっちのが司のよ。司のも穂乃香ちゃんと一緒に新調しちゃった」
どひぇ?!お箸も、お茶碗も、マグカップもコップも、私と色違いのお揃いだよね?お茶碗にいたっては、夫婦茶碗のようじゃない?
「いいでしょ?」
「は、はあ」
「洗面所には、歯ブラシもコップも置いてあるから」
「はあ」
「タオルはピンクのが全部、穂乃香ちゃんのだから」
「はあ」
タオルもピンク。
「楽しいわよね。女の子がいるのって!」
「………」
何て答えていいのやら。
「ワン」
いきなり吠えられ、びっくりして振り向くと、メープルがすぐ後ろにいた。
「メープル。これから穂乃香ちゃんがここに住むのよ。仲良くしてね。なにしろ女の子同士なんだしね」
「ワン」
ああ、そうか。メープルは雌なんだ。
「よろしく、メープル」
私はメープルの頭を撫でた。
「さあ、こっちで休みなさい。穂乃香ちゃんも疲れたろう」
お父さんにそう言われ、私たちはダイニングのテーブルに着いた。
お母さんが紅茶を入れてくれて、クッキーも持ってきてくれた。
「穂乃香ちゃん。もしかして、お父さんたちがあっさりと行ってしまったんで、悲しくなったかい?」
いきなり、お父さんが私に聞いてきた。
「なんでわかったんですか?」
「はは。2人が出て行ったあと、寂しそうにしていたからね」
「……」
そうなんだ。わかっちゃったんだ。
「あの二人、あれ以上何か言ったら、泣きそうだったものね」
「え?」
「うん。お父さんもお母さんも、必死で泣くのを我慢していたんだよ。だから、言葉が出てこなかったんだと思うよ」
「はい」
私はその言葉を聞き、思わずボロボロと泣いてしまった。
「すみません。私」
「いいんだよ、泣いても」
「すみません…」
お母さんは優しく、ハンカチを手渡してくれて、メープルは「く~~ん」と私の足元に来て、それからほっぺをぺろぺろと舐めだした。
「メープルはもう、穂乃香ちゃんが気に入ったみたいだね」
「そうね。家族の一員だって、わかってるのよね?」
家族の一員?
「あの、私、家族の…?」
「そうよ。一緒に住むんですもの。もう一員なのよ?」
「……」
じ~~~ん。うわ。また感動だ。もっと涙が出てきてしまった。
「穂乃香ちゃんは、感激屋さんか」
お父さんはそう言って、優しい目で私を見て、
「そのへんがいつも、そっけない司と違うところね」
とお母さんは笑って言った。
藤堂家はやっぱり、あったかい。両親と別れた悲しみはどんどんと癒されていき、あったかい紅茶と、甘いクッキーはとても私を落ち着かせてくれた。
そのうち、知らぬ間に私は、藤堂君のご両親の話に笑っていて、時々嬉しそうにメープルもしっぽを振って、「ワン」と話しに参加していた。
なんだろう。このあったかさは。きっと二人が、心を開いてくれているからなんだろうな~。
なんて、そんなことを感じながら、私はその空間を心から喜んでいた。




