第60話 妄想
学校を二日も休んだので、美枝ぽんからも麻衣からもメールが来た。どうやら藤堂君から私が熱を出したことを聞いたらしい。
>大丈夫?生きてる?
麻衣からのメールだ。
>穂乃香が熱を出しているっていうのに、なんだか司っち、変だったよ。
>変って?
>上の空だったり、顔を赤くしたり。そういえば日曜、司っちの家に行ったんだよね?さては熱が出るようなことでもした?
>まさか。その日すでに高熱を出して、藤堂君の家で寝込んだんだよ。
>え~~~。高熱?まだ高いの?
>もう今朝は36度5分まで下がった。だけど、また上がるかもしれないし、休んだの。明日には行けると思うから。
そうメールをしたら、やっと麻衣が安心したようで、
>明日待ってるよ~~!
と元気なメールをくれた。
そうか。藤堂君も変なんだ。
私もだ。私も朝からずっと、藤堂君の家で住むことを妄想している。
一緒に住むってことは、藤堂君がお風呂上りに上半身裸で出てきちゃったりするのかも。
きゃ~。藤堂君の裸?わ~~。
それに、寝起きの藤堂君や、いやいや、もしかしたら寝顔まで見れちゃうかも。
きゃ~~~~。きゃ~~~。
って、寝顔はないか。寝ている藤堂君を見に部屋に行くことなんてないし。もしそんなことをしたら、ちょっと危ない奴になっちゃうよね。
だけど。
「穂乃香ちゃん、司ったらまだ寝てるの。部屋に行って起こしてきてくれない?」
なんて頼まれちゃったりして~~~~!!!
そうしたら、行くしかないよね。寝ている藤堂君を起こしに。そんで、寝顔見て、
「藤堂君、起きて!」
なんて起こしちゃうんだよ。すると藤堂君はまだ寝ぼけた顔で、
「おはよう、結城さん」
なんつって!
待てよ。その頃にはもう、「結城さん」から「穂乃香」って呼び方も変わっているかもしれないし。そうしたら私も「司君」って呼んじゃうんだけどな~~!!!
駄目だ。また熱が上がったかもしれない。興奮しすぎた。
めくるめく妄想。
ああ、一緒に住むなんて。一緒に住むなんて!
あの誓いは、守られるのかな。だって、同じ屋根の下だよ。いくらでも夜這いとか来れちゃうんだよ。
って、違うって!そんなこと藤堂君がするわけないって!
あ、今思い出した。藤堂君のおとといの言葉。
「ここに住んでも大丈夫?」「それ聞いて、きっとみんなほっとするよ」
あれ、そういうことだったの?藤堂君はもうすでに、私が藤堂君の家に住むことになるって、わかってたんだ。
なんだ~~~。それならそうと、言ってくれたら、昨日私はあんなにビービ―泣かなかったのに。
昼を過ぎるとその日もまた、兄から電話が来た。
「穂乃香、お母さんから聞いたぞ」
また母は兄に報告したのか。
「今どこで電話してるの?」
「大学の食堂」
そんなところで?!
「お前、彼氏と一緒に住むことにしたのか?」
「そういう言い方はちょっと抵抗があるな。彼氏の家に置いてくれることになったの」
「母さんの友達だったんだって?すごい偶然だね。あ、母さんから言わせると、必然らしいけど」
「うん」
「こうなるようになっていたのよ。すごいわね、この世界は…。って母さん、なんだか意識がどっかに飛んで行ってたよ」
「ほんと?大丈夫かな、あの人」
「…まあ、でも、そうなのかもな」
「何が?」
「なるようになっていたってことさ。そういうのは、俺もなんだかわかる気がする」
「どういうこと?」
「なんでもね、なるようになっているのさ。俺が心臓が弱かったのも、元気になったのも」
「…」
「お前と彼氏が出会ったのも、母さんとその友達が再会したのも」
「そうかも。なんだかすごい偶然だもんね」
「ま、よかったな。転校しないですんで。それどころか彼氏と同じ屋根の下で住めるなんて、最高なことだもんな」
「う、うん」
「別れたら悲惨だけどな」
「…………」
今、ものすごく怖いことを平然と言わなかった?
「別れないもん」
私は強がって見せた。でも、内心バクバクだった。
兄と電話を切ってからも、別れたら…という妄想が始まってしまい、今度は一気に私は暗くなってしまった。
は!いけない、いけない。私の悪い癖だ。まだ起きていないことをあれこれ考え、心配したり不安になったり。
別れることなんか妄想したって、楽しくも嬉しくもないんだから、そんなのやめて、他のことを考えよう。
たとえば。そう。この家を売っちゃうなら、私の荷物ごと藤堂君の家に持って行かないとならないわけだ。
私はそう思ったらいてもたってもいられなくなり、リビングから自分の部屋に急いだ。
バタン。部屋を開けると、クリーム色のカーテンと、同じ色のベッドカバー。白木の机と椅子。チェストが一つ。
荷物といってもこれだけだ。あとはノートパソコンくらいで。
服もそんなに持っていないし、本は小説が数冊と、漫画と、雑誌が何冊か。部屋にはラジカセすらないし、クローゼットの中も、たいしたものが入っていない。はっきり言って、小学校から捨てられなかったガラクタと言ってもいいものばかりだ。
「部屋、片づけようかな。いらないものも一気に捨ててみるか」
熱をまた出すかもしれないというのに、私は突然片づけを始めた。
いつものんびりしていて、なかなか重い腰をあげられないくせに、私はいきなり何かを突拍子もなく始めてしまうことがある。
部屋の片づけや、模様替えなど、夜中にやり始めたこともあるし、漫画も寝る前にちょっとと思いつつ、結局徹夜で読んでしまう、なんていうことも休みの日にはよくあることだ。
透明のごみ袋を持ってきて、てきぱきといらないものをその中に捨てた。捨てているうちにどんどん気持ちがよくなった。
クローゼットはあっという間に、すっきりと片付いてしまった。
「服、長年着ていてよれているのとか、藤堂君には見せられないなあ」
そう思って、よれた服もぱっぱと捨てた。
「あ~~。なんかすっきりする~~~」
物を捨てるっていうのは、けっこう気持ちのいいものなんだね。
その日は、そんな大変なことを始めてしまったにもかかわらず、熱もあがらないで1日を過ごせた。
夜は母と父と食卓を囲み、ペンションや藤堂君の家に事を話した。
「素敵な家だったよ。特にリビングが最高に素敵なの」
私がそう言うと、母も目を輝かせた。
「庭にも門から玄関までの間も、緑がいっぱいあったわ。まるで玄関までは緑のアーチみたいだった。それに門のすぐ横にあったのは、紫陽花ね。きっとこれからの季節、綺麗でしょうね」
へえ。よく見てたんだな。私が熱を出していて、その迎えに来たっていうのに。
「千春ちゃんは昔から、緑や花が大好きだったから。それも、あまり手入れをしたがらないのよね」
「へえ、なんでだい?」
父が聞いた。
「自然が好きなのよ。なるべく自然なままにしておきたいみたい」
「そうか。じゃあ、長野のペンションにもしょっちゅう遊びに来てくれるといいね。あそこは自然がいっぱいだ」
「千春ちゃん、羨ましがってた。絶対に家族で遊びに行くって言ってたわよ」
「そうか。それは楽しみだな」
父は母とそんな会話をして、2人だけで盛り上がってしまった。
父よりもいつも母がおしゃべりだ。そのおしゃべりに、父はちゃんといつも付き合っている。うるさがりもしないし、否定もしない。
きっと仲のいい夫婦なんだろうな。他のご両親がどんなだかをあまり知らないから、わからないけど。
藤堂君の家も、夫婦仲がよさそうだった。優しくてきれいなお母さんと、貫録のある頼もしいお父さん、そんなイメージだ。
弟の守君は、まだわからない。生意気そうでもあるし、なかなか優しいところもあるみたいだ。
それにメープル。可愛かった!早く浜辺を散歩に行きたい。あ、お散歩には絶対に藤堂君も一緒!休みの日に浜辺で散歩なんて、最高じゃない!
それから、朝も一緒に家を出て行くことになるんだ。どこかで待ち合わせなんて、これからはしないんだ。
帰りだってそうだ。一緒に帰ってくるんだ。駅のホームで「また明日ね」と言って別れることなんてなくなるんだ。
そう。毎日「おやすみ」って直に言い合って、その日を終えるんだ。そして朝は一番に藤堂君に「おはよう」って言えるんだ。
うっきゃ~~~~。駄目だ~~~。嬉しすぎて、嬉しすぎて。
「ちょっと」
「え?」
「顔赤いけど、また熱上がったの?」
母が私のおでこを触った。
「だ、大丈夫だよ。それより明日学校に行くし、お風呂入ってくるね」
私はそそくさと、お風呂に入りに行った。
お風呂。そうか、藤堂君と一緒のお風呂に入るのか。それもそれで、ドキドキしちゃうんだろうな。
部屋はどこになるのかな。あの和室かな。だったら隣の部屋が藤堂君の部屋なんだ。
隣?音とか聞こえて来たりするのかな。
わ~~。
なんかもう、妄想だけでドキドキがおさまらないくらいになってきちゃった。
どうにかお風呂から出た。すると父がダイニングでビールを飲んでいた。
「穂乃香。ちょっといいかい?」
「え?うん」
何かな。
「穂乃香は本当にいいのか?」
「え?」
「家族がばらばらになって。お父さんは本当は、穂乃香とも一緒に長野に行きたかったんだ」
「そ、そうなの?」
「離れて暮らすのは、嫌じゃないのかい?それも、お母さんの友達の家だ。穂乃香にとって、まったく知らない他人の家なわけだろう?」
ギクギク。
「えっと。でも、私友達もこっちにいっぱいいるし、あと1年半で卒業なんだし、こっちに残りたいな」
「…そうか。親にくっついて行くような、そんな年でもないのか」
「…うん」
父ががっかりした顔をした。
「卒業までは待とうって言う話も、お母さんとしていたんだ。だけど、すごくいい物件が見つかってね」
「そうなんだ」
そこに母も、ビールの入ったグラスを持ってやってきた。
「今がチャンスだっていうこともわかっていた。だが、心残りはただただ、お前のことだったんだよ。転校は嫌がるだろうし、一人でこっちに残すわけにもいかないしな」
「そんな時に千春ちゃんに会っちゃったんだもの。これはもう、夢を今叶えろっていうことだったのよ。ものすごくいいタイミングなのよ、お父さん」
母が父に向かってそう言った。父は黙ってうなづいて、ビールを飲んだ。母も一口ビールを飲んだ。
「いつからの夢なの?」
そう私が聞くと、
「お父さんと結婚してすぐの頃からよ」
と母が答えた。
「そんなに前から?」
「そうだ。お母さんと長野に旅行に行ってね、すごく素敵なペンションに泊まったんだ。オーナーが優しくて、あったかい人でね、こっちに戻ってきてから、あんなペンションのオーナーになれたらいいねって、そんな話をしていたんだよ」
今度は父がそう話してくれた。
「へえ」
「お母さん、お父さんと同じ会社にいたでしょ?」
「うん」
今度は母が話し出した。
「二人とも旅行が好きだったから、旅行会社に勤めたの。でも、旅行に行くよりも、泊りに来てくれたお客さんに、素敵な空間を提供したり、美味しい料理を作ったり、楽しい思い出を作って行ってもらったりって、そんな旅館かペンションができたらいいねって、いつの間にか2人でそんな夢を持つようになったのよ」
「最初はあこがれだけだった。だけど、高宏を長野に連れて行った時から、本当に実現したい夢に変わったんだ」
父が私の顔を見てそう言った。父の目はきらきらしている。
「あの時泊まったペンションが、私たちが結婚してすぐに行ったペンションなのよ。あのペンション、穂乃香、覚えてる?」
「なんとなく…」
「あのオーナーも4年前に亡くなった。今ではあのペンションも、建て直され、他の人がオーナーになってるんだ」
「そうなんだ」
「あの時も、オーナーの奥さんから、あのペンションを引き継いでくれないかという話があった。だけど、穂乃香と高宏のことを考えたら、どうしても動けなかったんだ」
「会社も大変な時だったしね。あの時には辞めるわけにもいかなかったわよね。それにお金だって、まだそんなにたまってもいなかったし」
母はそう言って、ビールをゴクンと飲んだ。
「今回は、オーナーの古い友人が、ペンションを新しく建て直したんだ。ところが1年もたたないうちに、オーナーが体調を悪くして、入院してしまった」
「入院?」
「退院したとしても、もうペンションで働くのは、無理そうなんだ。それでお父さんたちにそのペンションを、譲り受けてくれないかと申し出があったんだよ」
「写真やビデオで撮ったものを送ってくれた。素晴らしいペンションだった。立地条件もいいし、ペンションから見る景色も最高だ」
「…それで契約したら、いつ引っ越すの?」
「夏前には引っ越して、8月からは営業しようと思っているよ。最初はオープニング価格で、まだお父さんたちも慣れないし、アルバイトも雇うだろうけど、そんなに多くは雇えないから、8月いっぱいは予約も少な目に入れようと思っているよ」
「もしかしたら、親戚や友達だけになるかもしれないわね」
「それもそれでいいよ。いろんな意見を言ってもらえるだろうしね」
「八月から?大丈夫なの?今、もう6月だよ」
「契約の書類は今日、早速おくった。会社に辞表も出した」
「ええ?もう?」
「お母さんもコンビニのパート、今週中で辞めることにしたのよ」
今週いっぱいで?
「来月の頭には向こうに行って、いろいろと準備をする予定だよ。それと同時に、予約も受け付ける。夏休みに穂乃香も、高宏も来るといい」
「そうね。千春ちゃんの家族もみんなで、泊りに来たらいいんだわ!」
「そうだな」
「夏休みの前に、私はいつ、藤堂く…。千春さんの家に行くことになるわけ?」
「藤堂家にか?」
父はそう聞き返してきた。
「そう。藤堂家」
藤堂君と言いかけてやめたのを、父は藤堂家と聞こえたらしい。
「今月中だな。この家も売りに出すし、お父さんも今週中はまだ会社に行って、片づけないとならないことがあるから、来週あたりから引っ越しの準備をしよう。穂乃香の荷物も徐々に、藤堂家に運ばないとならないな」
「私の荷物って、あまりないよ」
「…机は?勉強机はいるでしょう」
母がそう言うと、父はうなづきかけたが、
「でも、千春さんの家にもいろいろと聞いてみないとならないな。机みたいに大きな家具を置いてもらえるのかどうか」
と首をかしげた。
「そうね。ちょっと今、電話してみるわ」
母がさっさと電話機を持って、藤堂家に電話をかけだした。すぐに藤堂君のお母さんが出たのか、
「あ、私よ。真佐江」
といきなり言い出し、それから私の机の話をする前に、あれこれと長々話をはじめてしまった。
「あれは長くなりそうだ。お父さんは先にお風呂に入ってくるよ」
「うん」
私も二階に行って、勉強をすることにした。二日間も休んでしまったし、ちょっとは教科書に目を通すくらいしていかないとなあ。
それにしても、私は6月中には、藤堂君の家に行くことになりそうだ。
そんなに早くに。
それから1時間後に、藤堂君からメールが来た。
>明日は学校に来れそう?
>うん。行けそう。
>結城さん、6月中にうちに来るんだって?さっき母さんが結城さんのお母さんと電話で話していて、思い切りはしゃいでた。
はしゃぐ?
>母さん、女の子欲しがってたし、結城さんが来るのが楽しみなんだ。
>どうしよう。私、女の子らしくないし。
>そんなことないよ。結城さん、すごく女の子らしくていい子ねって、母さん言ってたよ。
>うそ。お世辞?
>まさか!
藤堂君、気持ち、メールの返信が早くなった気がするなあ。
>今日、ずっと私、藤堂君の家で暮らすことを考えてて、また熱が出そうになってた。
>ほんとうに?熱出ちゃった?
>ううん。大丈夫だった。
>それはよかった。俺も学校でずっと、妄想してたけどね。
>妄想?どんな?
>それは結城さんには言えないよ。
え~~~!どんな妄想なの?
>私も妄想してた。
>どんな?
>藤堂君には内緒。
>なんだ。
うん。絶対に内緒。とてもじゃないけど、言えないよ。絶対に呆れられる。でも、藤堂君の妄想は知りたかった。
>ヒントはないの?
そう聞いてみた。
>なんの?
>藤堂君がしていた妄想のヒント。
>ないよ。聞きだそうとしている?だったら、結城さんも教えてくれるの?
ええ~~~!無理無理。
>じゃ、いい。
>結城さん、俺さ、あの誓い、守っていけると思う?
え?あの誓いってあの誓いのことだよね。
>どうかな。大丈夫かな。
そんなこと聞かれても!
>って考えちゃうような妄想。これ以上は言えないよ。
え?!!!ヒントだったの?
っていうか、誓いをやぶるかもしれないような、そんな妄想ってことなわけ?
どひゃ~~~~~~~~。
そこまでは妄想していなかった。私の妄想なんて、ずっと藤堂君の妄想に比べたら、可愛いものだったかもしれない。
そんなことを思っていたら、また顔が熱くなってきた。やばい~~。まさか熱が上がったんじゃないよね。藤堂君は、おやすみってメールをくれて、私もおやすみなさいと返信したら、もうメールは来なくなった。
布団に入って私は寝ようとした。
バクバク。駄目だ。心臓がまだバクバクしている。
ああ、今日もまた寝れないかもしれないよ~~~。




