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第57話 素敵な家

 言葉や、思考は現実化するの?

 だとしても、こんな現実化は、どうなのよ?


 その話をここでしたいけど、でもその出来事を語る前に、私が藤堂君の家に遊びにいった話を先にしようと思う。


 6月の2週目の日曜。その日は朝曇っていた。でも江の島に着くころには、雨は本降りになっていた。

 翌日、梅雨入り宣言を天気予報でしていたけど、どうせならその日に梅雨に入りましたと言ってほしかった。気温も低めなのに、私は薄着で行ってしまったし、白のジーンズにサンダルという雨の日には絶対にそぐわない恰好をしていってしまったのだ。


「結城さん、ごめんね、待った?」

 待ち合わせの時間を5分過ぎてから、藤堂君は来た。私は5分前に着いていたので、計10分も肌寒い中を待っていた。

「こっち…」

 藤堂君はそう言うと、ゆっくりと歩き出した。


「雨になっちゃって、メープルの散歩行けなくなっちゃったね」

「うん、浜辺を散歩したかったのにな」

 メープルと言うのは、犬の名前。お母さんがつけたらしいけど、なかなか可愛い名前だ。メープルシロップのメープル。メープルシロップのような色をしているから、そうつけたらしい。


「雨の日にはメープルは、家の中にいるの?」

「うん」

「ふうん。そうなんだ」

 私はちょっと体が冷えて、震えが来ていた。どうにか話をしてごまかしていたけど、トイレにも行きたくなっていた。でもいきなり家に行って、トイレを貸してくださいとは言いづらいよね。


 藤堂君はゆっくりと歩き、なかなか家にはたどり着かなさそうな雰囲気だ。そしてそのまま、家が立ち並ぶ住宅地にと入って行った。

 駅から10分くらい歩いただろうか。

「ここだよ」

と藤堂君が言って、一つの家を指差した。


「え?」

 その家はかなり大きく、門構えもしっかりとしているし、それに庭には大きな木が何本も植えられている。

「小田急線より、江ノ電のほうが近いんだよね」

「うん。そうだね。江ノ電の線路見えるもんね」


 門を開けて藤堂君が中に入った。木は大きく育ち、門から家までの道はちょっと木の陰で暗かった。でも、葉っぱが生い茂り、木の下では雨にあたることもなく、傘を必要としないくらいだった。

 だからなのか、藤堂君は玄関に着く前にすでに傘を閉じている。いや、違った。傘が木の枝にひっかかるので、どうやら閉じたらしい。私は木の枝にひっかけてしまい、藤堂君がそれを助けに戻ってきてくれた。


「ごめんね、ここ、母さんが枝を切りたがらないから、こんななんだよね」

「なんで切りたがらないの?」

「自然なままがいいんだってさ」

 そうなんだ。ちょっと不思議なお母さんだな。


 玄関に着くと、藤堂君はチャイムを鳴らしてから、ドアを開けた。

「は~~~い」

という軽やかな声とともに、藤堂君のお母さんらしき人がやってきた。

 うわ。藤堂君そっくりの、和のテイストの顔。めっちゃ綺麗だ!美人さんだ。


「いらっしゃい。初めまして」

 お母さんがにこりと微笑んだ。ああ、藤堂君の笑顔に似ている。

「こ、こんにちは」

「中に入って。寒かったんじゃない?ちょっと顔が白くなってる。今日、雨だからなのか気温が低いものね」


 お母さんはそう言いながら、スリッパを用意してくれた。

「あ、寒かった?俺、上着貸せばよかったね」

 藤堂君はTシャツの上に半袖のシャツを羽織っていた。

「本当よ、司。ほら、穂乃香ちゃん、震えちゃってるじゃない。そういうの気が付かなくっちゃ」

「ごめん」


 お母さんにそう言われ、藤堂君は力なく私に謝ってきた。あれ。藤堂君はお母さんの前だと、こんなに素直なの?

「ううん。私がこんな天気なのに、薄着で来ちゃったから」

 そう言いながら、私は靴を脱ぎスリッパを履いた。


「ふふ。本当だ。司の言うとおりの感じの女の子ね」

「え?」

 ど、どんなふうに言ってるの?そういえば、私の名前も知ってた。

「俺?俺じゃなくて、あれこれ説明したのはキャロルでしょ?」

「ああ、そうそう」


 お母さんはそう言うと、どうぞとリビングに私を通そうとした。でも、トイレに行きたくて、そっとお母さんにだけ聞こえるように、

「あの、ちょっと寒くて、トイレにも行きたくなってしまって」

とそれだけ告げた。


「こっちよ」

 お母さんは優しい表情を変えず、廊下の奥へと案内してくれた。藤堂君は、私がトイレに行こうとしているのに気が付いたらしく、そのまま自分だけリビングに入って行った。


 廊下の床は、濃いブラウン。ピカピカに磨かれていた。そしてトイレに入ると、小さなお花が瓶にいけてあり、全体にグリーンのイメージのするトイレだった。

 壁にも絵が飾ってあり、すごく居心地のいいトイレだ。


 私はトイレから出て、リビングに行こうとした。すると階段からトントンと男の子が降りてきた。

「あ…」

 弟君だ。確か、守君。わあ、美枝ぽんが言っていたっけ。細くて背が低い。顔もあまり藤堂君に似ていない。眼はくっきり二重だし、色は白いし。


「こ、こんにちは」

 私はぺこっとお辞儀をしてみた。

「兄ちゃんの彼女?」

「はい」

「…ふうん。兄ちゃんのもろ好みって感じ」

 え…。


 それだけ言うと、守君はとっとと廊下を歩き、突き当りの部屋に入って行った。

 私はリビングの中に入った。

「藤堂君、今、守君に会った」

と言いかけ、私は驚いた。


「うわ。すごい素敵!」

 リビングには、いくつもの観葉植物と、壁には絵が飾られ、天井からは素敵なシャンデリアが下がっている。

 それに天井が高い。窓が大きく、その窓にはビロードのカーテンと綺麗なレースのカーテンが下がっている。


 アンティークのテーブルや椅子。皮のソファ。それにテーブルに合わせたアンティークのチェスト。そこにはこれまた、アンティークものだろう。素敵なランプが置いてある。

「素敵。全部素敵!」

 私はその部屋が思い切り、気に入ってしまった。


「どうぞ、座って」

 そう言いながら、お母さんがお盆に紅茶のカップとポットを乗せてやってきた。そして私が腰を下ろすと、お母さんはテーブルにカップとポットを置いた。


「わあ。このカップもポットも素敵」

「そう?こういうの穂乃香ちゃんも好き?」

「はい」

「私と趣味が合うのね」

「お母さんの趣味なんですか?」


「ええ。でもこの辺のテーブルは、結婚前からここにあるの。おじいちゃん、おばあちゃんの代からよ」

「そうなんですか」

「もう、おじいちゃんもおばあちゃんも、司が小学生のころに亡くなっているけどね」

「そうなんですか」

 そうか。この家は、何十年も人が住んでいて、古いお屋敷なんだ。


 カップに注がれた紅茶を飲むと、あったかくって心底ほっとした。でも、そのあとまた震えが来てしまった。

「ねえ、穂乃香ちゃん、震えてない?」

「すみません。まだ、なんだか寒くて」

「何か上に着る?俺、持ってこようか?」

 藤堂君が心配そうに聞いてきた。


「ううん。大丈夫」

とそう答えたが、またブルって震えが来た。

「熱、あるんじゃない?」

 お母さんが私のおでこを触った。

「やっぱり、熱い」


 ええ?熱?

 体温計をお母さんがすぐに持ってきてくれて計ったら、なんと38度もあった。

「大変。二階に布団しくから、そこで寝てた方がいいわ。家の人は?車で迎えに来てもらう?それか、私が送りましょうか」


「38度?」

 お母さんがそう私に聞いている横で、藤堂君は青い顔をして私を見ている。

「家に電話してみます」

 はたしているかな。今日、お母さん、仕事なんだよね。母はパートで近くのコンビニで働いている。帰ってくるのはいつも、5時過ぎ。


 携帯で家に電話した。それから母の携帯にも。でも、やっぱり出なかった。

「母、今日パートなんです。家にはきっと5時過ぎないと帰らないと思う」

 私は携帯をカバンにしまいながら、そうお母さんに言った。


「そうなの。今、まだ1時だものね…。じゃあ、夕方になったら車で送るから、2階の和室で休んでて。そうだ。お昼はもう食べた?」

「はい。食べてきました」

「じゃ、ちょっと布団しいてくるから、司、ちゃんと穂乃香ちゃんのこと見ててあげて」

「うん、わかった」

 藤堂君のお母さんはそう言って、リビングを出て行った。


「ごめんね?迷惑かけて」

「いいよ。全然…」

 藤堂君はぽつりとそう言うと、しばらく怖い顔をして黙り込み、

「俺、気づけなかった。ごめんね」

と私に申し訳なさそうに謝った。


「藤堂君は悪くないよ?」

 私は必死にそう言ったが、必死になったと同時に頭がクラッとしてしまった。

「大丈夫?」

「ちょっと痛いかも」

 私は頭を手で押さえた。


 お母さんが2階からリビングに戻ってきて、

「布団を敷いたから、2階まで司、連れて行ってあげて」

とそう言った。藤堂君はソファを立ち、私の背中に手が当たるか当たらないかくらいの微妙な距離に手を当て、

「歩ける?」

と優しく聞いてきた。


「うん、大丈夫」

 私はそう言いながら、ソファーを立ち歩き出した。でも、歩くたびに頭が、ズキンズキンと痛む。

 それできっと、顔がゆがんだんだろう。

「大丈夫?」

 藤堂君は思い切り私の顔を覗き込み、心配そうに聞いてきた。


「うん。ちょっと頭が痛いだけ」

 そう答えると、藤堂君はしっかりと今度は私の腰を抱き、一緒に階段を上りだした。

 うん。これは誓いの「手を出さない」をやぶってないよね?だって、私が熱があってふらふらだから、こうしてしっかりと支えてくれているんだもの。


 なんて思いながらも、ガンガンする頭をなるべく動かさないように私はそうっと階段を上った。

 38度。ここまで熱が上がることはめったにない。それも一気に熱が出るなんて。

 和室に入り、ゆっくりと布団に腰を下ろして、ゆっくりと私は横になった。

「薬、いつも飲んでる?」

「ううん。熱が出たら、とにかく寝てる」


「そうか。じゃ、今日も寝てて。本格的に寝てもいいからね?」

 藤堂君は優しくそう言って、和室を出て階段を下って行った。

「は~~~」

 横になって、やっとこ頭痛がおさまった。それから私は部屋を見回してみた。あ、なるべく頭は動かさず、目だけを動かして。


 床の間があった。掛け軸と花が飾ってある。ここは多分、お客さんが泊まる部屋だろう。ああ、もしかするとキャロルさんも泊まったんだろうか。

 え、藤堂君と一つ屋根の下で?

 なんて思ったら、またグワングワンと頭痛がしてきてしまった。


「寝よう」

 そう独り言を言い、目を閉じた。外からはただ雨の音だけ。とても静かだ。

 眠りに入るちょっと前、電車の音が聞こえた。きっと江ノ電だ。その音もなぜか妙に気持ちが安らぐ音で、うるさいとはまったく思えなかった。


 布団はフカフカで気持ちが良くて、部屋も気持ちが良かった。そして江ノ電の音、雨の音、すべてが優しくて、私はぐっすりと眠りにつくことができた。


 今思えば、すごく不思議だ。初めていった家。それも彼氏の家だったら、もっと緊張してもおかしくないはず。だけどすごく安心できて、心地よかった。

 それに何より、リビングも和室もトイレも、庭の木も、なんとなく可愛げのない弟も、優しいお母さんも、お母さんの入れてくれた紅茶も、そのあとに会う、お父さんや犬のメープルにまで、私はすっかりと気に入り、すぐその日にみんなみんな好きになってしまったのだ。


 ああ、きっとあれだ。すべて藤堂君の醸し出す優しい空気感と一緒なんだ。

 っていうか、この気持ちのいい家で育ったから、彼は優しくあったかいんだな。


 

 目が覚めると、そこには藤堂君のお母さんがいた。

「よく眠れた?」

 頭には冷たいタオルが置いてあった。それに、水枕がいつの間にか頭の下には敷かれている。

「すみません、これ、お母さんが?」


「水枕は司よ」

 藤堂君のお母さんが優しくそう言うと、

「司の方が安心できる?呼んできましょうか?」

と言ってくれた。

 藤堂君、来るかな。あんな誓い立てなのに、2人きりになろうとするかな。


「はい」

 でも顔が見たくて、私はお母さんにはいって返事をした。

「待っててね」

 そう優しく言って、お母さんは部屋を出て行った。


 目が覚めるまで、そばにいてくれたんだろうか。ああ、優しいな。うちの母が横にいてくれたかのような安心感だった。


 トントン。階段を上る音がして、藤堂君が部屋に入ってきた。

「目、覚めたって聞いて」

「うん」

「どう?まだ頭痛い?」

「ううん」


 藤堂君は静かに布団の横に座った。

「…なんか食べるか飲むかする?」

「あとで水、欲しいな。でも、今じゃなくてもいいよ」

「あとで?」

「うん。今は…、藤堂君にここにいてほしいな」


「…」

 藤堂君はそれを聞き、黙り込み、ちょっと照れた顔をした。それから、すぐに真剣な目をして、

「病院は行かなくても平気?」

と聞いてきた。


「寝てたらよくなっちゃうから、大丈夫」

 私がそう言って微笑むと、

「あ、いいよ。気を遣わなくても。笑ったりしないでも大丈夫だからね」

と優しく言ってくれた。


「藤堂君のお母さん、優しいね」

「そう?」

「うん。この家も、すごく素敵。私、気に入っちゃった」

「じゃあ、住む?ここに」

「ええ?」


 私がクスって笑うと、藤堂君もクスって笑った。

「居心地いいよね。いいな、こんな素敵な家に住んでるの」

「ずっと生まれた時から住んでるからわかんないよ。だけど、けっこういろんなところがガタが来てて、大変なんだよ?掃除やメンテナンスがさ」


「そうか、そうなんだ」

「だから、父さんは、日曜大工が趣味になったのかもしれない。まだ俺くらいの年の頃から、この家のいろんなところを直していたらしいし」

「そんなに長い間、この家ってたっているの?」

「うん。父さんが生まれる頃からかな」


 そうなんだ。

「いろんなところ、直しながら今に至ってるんだって」

「へえ…」

 藤堂君は私に気遣って、静かに小さな声で話していた。だから、すぐ近くに顔を持ってきていた。


 藤堂君の目、優しいな。それに何も話さなくても、藤堂君からは本当に優しい空気が感じられるよ。

「ちょっとまた眠くなってきた」

「うん、じゃ、寝る?俺、寝るまでここにいるから。安心して寝ていいよ」

「うん。あ、でも寝顔見られるのはちょっと恥ずかしい」


「はは。でも俺、もうさっきも見ちゃったよ。それに保健室でも寝顔見たことあるし」

 ああ、あの時か。

「私、変な顔して寝てなかった?」

「ううん。可愛い寝顔だった。だから、ついキスしたくなって、寸前で止めたんだ」


「さっき?」

「いいや、保健室で」

「ええ?!」

「寝てる間にキスなんてしたら、それこそ俺は柏木以下になっちゃうもんね」

「え?」


「嫌がることも、受け入れることもできない状態なのにキスするなんてさ」

「…」

 藤堂君ならいいのに。と喉まで出かかったけど、そんなことを言う私はちょっと軽蔑されちゃうかもと思って、言うのをやめた。


「おやすみ。ゆっくり寝て」

 藤堂君はまた優しい声でそう言うと、ちょっとだけ私から離れて、その場にあぐらをかいた。

「うん、おやすみなさい」

 

 あれ?私、そういえば、ずいぶんと前に、お休みって言うメールが来て、喜んだよね。お休みって直に言ってもらったりしたら、ものすごく喜ぶだろうなって、ありもしない妄想をしていたよね。

 でも、今、おやすみって直に言ってもらったし、言っちゃったよ?

 なんだか、叶ってる?



 言葉は現実化する。思考も現実化する。そんなことを頭の中で、考えているうちに私は眠ってしまったようだった。


 




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