第52話 光
藤堂君って、やっぱり美枝ぽんや麻衣が言うみたいに奥手じゃないんじゃないかな。
そんなことを最近時々、思ってしまう。そして勝手にドキドキしている私がいる。
そんなドキドキの私とはうらはらに、美枝ぽんは今日も暗かった。
夜、最近ずっと話をしていない沼田君にメールした。
>今、いい?メールしてても。
5分くらいして返信が来た。
>いいけど、なに?
あ、めずらしくそっけない感じのメールだ。
>美枝ぽんとどうなってるの?
こうなったら直球で聞いてみよう。
>距離を置いてるよ。
>いつまで?
>わかんない。自分の気持ちがわかるまで、かな。
>自分の気持ちがわからないの?なんで?
そう送ると、何分待っても返事は来なかった。
結局、沼田君のほうがお昼を他の男子と食べるようになり、美枝ぽんは私たちと食べている。藤堂君は私たちとだったり、弓道部の部員と食べたりしている。
藤堂君も気になり、沼田君と話をしているようだが、沼田君は俺たちの問題だからと最後にはそう言って、話をやめてしまうらしい。
私と麻衣は、美枝ぽんに素直にこっちから沼田君に話しかけてみたら?と言っている。だけど、美枝ぽんはそう言う話をすると、黙り込んでしまう。
「ごめん、私暗いね」
とそのあとに必ず美枝ぽんは謝ってくる。
「私だって、藤堂君に片思いをしていた時は暗かったよ」
「私も、ふられた直後は真っ暗だった」
麻衣と私がそう言うと、美枝ぽんは力なく笑い、
「ありがとう」
とそう小さな声で言った。
沼田君はどういうつもりなんだろう。メールもその後、来なくなっちゃったし。別れちゃっても本当にいいのかな。
翌週、放課後美術室に行くと、柏木君がいた。
「久しぶり、結城さん」
「来たんだ」
「うん。今日が最後だけどね」
「え?」
どういうこと?
「完成したんだ。それで、もうこの学校には用がなくなったから」
「完成した絵はどうするの?」
「おいていくよ。原先生が秋の文化祭に展示してくれるって」
「…絵、見てもいい?」
「どうぞ」
私は完成したという柏木君の絵を見た。
「!!」
すごい!波のうねり、空の雲、引き込まれるようだ。
「絵にぶつけたんだね。今、すっきりしてるんじゃない?」
「うん。けっこうね…」
柏木君はそう言うと、ふっと笑ってから、
「結城さん、いろいろとありがとう」
と私に向かって手を差し出した。
握手?
私はその手に私の手を重ねた。すると、柏木君は私の手をギュって握りしめ、私を引き寄せてしまった。
「え?」
美術室にいる他の部員が、いっせいにこっちを見た。
「か、柏木君?」
ギュ。柏木君が私を抱きしめ、そしてすぐに私の手を離した。私は慌てて、柏木君から遠ざかった。
「そんな目で見ないでくれる?今のは別れのハグ」
「……」
「もう会うこともないだろうからさ」
「と、東京、すぐに行くの?」
「うん」
「東京のどの辺?」
「聞いてどうすんの?会いに来てくれんの?」
「…」
私が黙り込むと、柏木君はまたクスって笑って、
「東京のどっかだよ。もしかしたらまた、偶然会うこともあるかもね」
と首をかしげてそう言うと、掌をぴらぴらさせて、
「じゃあね」
と美術室を出て行った。
え?もしかして、本当に本当にこれで最後?
なんてあっけないの?
「か、柏木君」
思わず私は美術室を出て、柏木君を追いかけた。柏木君は、私の声に気が付き振り返った。
「…あ、あの」
どうして私、呼び止めたりしたんだろう。
「何?」
「げ、元気でね」
「…それだけ?」
「えっと…」
私は少し柏木君に近づき、
「私は柏木君の絵、すごいと思っているよ。だから、東京に行っても、絵を続けて」
と一気にそう言った。
「……そうだな」
柏木君は下を向き、それからまた顔をあげると、
「描きたい衝動にかられたら描くよ」
と笑いながらそう言って、またくるっと後ろを向き昇降口に向かって歩き出した。
私は美術室に戻り、柏木君の絵をもう1度見た。荒れ狂った海。空。暗い色の中に、ほんの小さな光が見える。
私は自分のキャンバスの前に座ると、キャンバスの下に何か、手紙のようなものがはさまっているのを見つけた。
「なに、これ?」
それを広げてみた。その手紙は柏木君からの、私宛の手紙だった。
『結城さん、いろいろと迷惑かけた。悪かったって思ってるよ。本当は俺、すぐにでも学校やめてやろうと思ってた。それでも学校に来て絵を描いていたのは、結城さんがいたからかもしれない』
うそ…。
『俺の絵、最初はただ荒れ狂ってた海だった。でも、そこにわずかな希望の光が見え始めてるんだ。わかる?』
ああ、小さな光は希望の光だったの?
『それ、結城さんだよ』
柏木君の手紙はそこで、終わっていた。
「……私?」
ガタン。私は思わず席を立ち、また廊下に出た。それから急いで昇降口に向かったけど、もう昇降口には柏木君はいなかった。
靴に履き替え、校舎を出た。校門まで走って行ったが、そこにも柏木君の姿は見えなかった。
もう、帰っちゃったの?
「はあ…」
思い切り走ったから息があがった。校門から駅までの道も見てみたが、柏木君はどこにもいない。
まだ、校舎の中?
私はまた走って、校舎に戻ると上履きに履き替えた。
教室?いや、きっと教室には行かないだろう。じゃあ、職員室?あ、もしかして保健室?
保健室に向かって走っていると、保健室から養護の先生と一緒に柏木君が出てきたのが見えた。
「柏木君」
私はまた柏木君の名前を呼んだ。柏木君は驚いて私を見た。
「結城さん?」
「て、手紙、読んだの…」
「ああ、そっか」
「はあ、はあ…」
「もしかして走ってきたの?」
「うん…」
私はしばらく下を向いて、息を整えた。
「柏木君、じゃあ、私は職員室に行くから。東京行ってもちゃんと学校行くのよ。それでちゃんと卒業はしなさいよ」
養護の先生はそう言うと、柏木君の背中をぽんとたたき、廊下を歩いて行ってしまった。
「い、いいの?」
「え?」
「もうちょっと、先生と話したかったんじゃないの?」
「でも、結城さんが邪魔しに来たんじゃん」
「私、邪魔をしに来たわけじゃ…」
「じゃ、何?」
柏木君はさっきからにやにやしている。
「手紙…。私は希望の光なんかじゃないよ」
「俺には希望の光だったよ」
「どこが?私、柏木君を避けてたし、私なんか全然」
「でも、結城さんの存在は俺に光をくれてたよ」
どうして?どこが?私は何もしていないのに。
「結城さんが藤堂を好きなのは、もうわかってる。だけど、俺のことも気にかけてた。それは本当でしょ?」
「恋じゃないよ?そういうんじゃなくって」
「うん」
柏木君は下を向いて、またしばらく黙り込み、
「わかってる。だけど、気にかけてくれてたこととか、絵をすごいって言ってくれたこととか、そういうことがもうすでに、俺には光になってたんだなって思ったんだ」
「…」
「だから、ありがとう」
「ありがとうなんて、お礼を言ってもらうようなことを私はしていない」
「してくれてた。十分してくれてた」
なんで?なんでそんな穏やかな目をしているの。
「俺、きっと東京行ったら、結城さんのこと思い出して、けっこう真面目にやっていくと思うよ」
「え?」
「親の離婚、かなりきつかったけど、今はそうでもない。すっきりしてるんだ」
「……」
「結城さんも、ずっと絵を続けて」
「私?」
「結城さんの絵は優しい。人を癒す力があるよ」
「…私の絵が?」
「うん。俺とは正反対の絵だよ」
「……」
「藤堂は結城さんに似てる」
「私と?」
「一見怖そうに見えるけど、藤堂って優しいんだろ?」
「うん」
「藤堂なら結城さんを大事にしてあげるだろうし、お似合いだよ」
柏木君。本当にどうしちゃったの。顔、ずっと穏やかだよ?
「じゃ、俺、本当にもう行くよ」
「う、うん」
「俺のこと見つけに来てくれてありがとう」
「ううん」
「じゃあね」
「…うん。元気でね」
「サンキュ」
柏木君はそう言って、歩き出した。私は柏木君の後姿をしばらく見ていたが、柏木君とは反対方向を向き、私も歩き出した。
私の存在が、誰かに光をあげることになるんだ。そんなことを思うと、驚きでまだ心が震えている。
穏やかな表情になった柏木君は、転校したら本当に変わるんだろうか。それはわからない。だけど、なんとなく絵を続けていたら、また本当に会えるんじゃないかって、そんな気もした。
5時を過ぎた。
「柏木君、今日で本当に最後なの?」
とそんなことを言いながら、美術室を出て行く部員が何人もいた。
「はあ~~」
私は大きなため息をついた。
しばらくぼけっと自分の絵を眺めていると、そこに藤堂君がやってきた。
「まだ描いてた?」
藤堂君が私の横にまで来て、そう聞いてきたので、
「ううん」
と首を振り、私は席を立った。
「もう片付けるね。ちょっと待ってて」
「うん」
藤堂君はそう言うと、少し私から離れ、私の絵を眺めている。私はその間に片づけをして、手を洗いに行った。
「結城さん、これ落とした」
手を洗ってから戻ってくると、藤堂君が柏木君からの手紙を手にしていた。
「ごめん。手紙だってわかんないで、読んじゃった。これ、柏木から?」
「うん。今日で最後だったんだ」
私はそう言って、手紙を藤堂君から受け取った。
「柏木の絵ってどれ?」
「それだよ」
私は柏木君の絵を指差した。
「これ?」
「うん」
藤堂君は柏木君の絵を見て、しばらく黙っていた。
「…光って、これか…」
藤堂君は目を細め、それから私に視線を向けた。
「柏木、もしかするとふっきれたのかな」
「え?」
「苦しんでいたけど、こうやって希望の光が見えたってことはさ」
「うん。抜け出せたみたい。すっきりしたって言ってたし」
「そっか…」
藤堂君の目もなぜか、穏やかだ。柏木君に対しては、敵対心みたいなものを持っているのかと思っていたのにな。
「絵ってすごいな」
「…すごいって?」
「柏木のは引き込まれる強さがある。結城さんのは癒しや優しさがある」
藤堂君はもう一回柏木君の絵を見て、ふうってため息をついた。
「結城さんはもしかして、柏木のことが好きだった?」
「私?」
「あ、柏木のことって言うより、柏木の絵って言ったほうがいいかな」
「…うん。柏木君の絵には惹かれてたよ」
「そっか」
藤堂君はそう言ってから、今度は私の絵を見に来た。
「柏木もきっと、結城さんの絵に惚れてたと思うよ」
「私の?」
「うん、きっとね」
藤堂君はそう言うと、私の隣に来て私の手を握ってきた。
「藤堂君も私の絵に惹かれたって言ってたよね?」
「うん」
「最初に、私の絵を好きになったってことだよね?」
「違うよ。初めは絵を描いている結城さんに惹かれたんだよ」
「私に?」
「真剣に絵を描いている結城さんが綺麗だったんだ」
「き、綺麗?!」
「うん。真剣な目も、表情も、綺麗だったよ」
ドキン。そんなことを言われると、顔がどんどん熱くなっていく。
「だから、結城さんの絵を見たくなったんだ」
「…そうだったの」
「うん。それで絵を見て、もっと惹かれた」
「……」
ドキン。ドキン。さっきから藤堂君がぎゅって手を握っているから、胸がドキドキして顔が熱い。
「柏木には悪いけど、転校してくれてちょっとほっとしている」
「なんで?」
「ライバルだから」
「柏木君が?なんで?」
「結城さん、だって、柏木の絵が好きなんでしょ?」
「絵だけだよ」
「そう?でも、そのうちに中身にも惹かれていったかもしれないよね?」
「………」
私は藤堂君の目をじっと見た。藤堂君も私を見つめている。
「それはないと思う」
「なんで?」
「だって、私が好きなのは」
藤堂君なんだから。そう言おうとした。でも、そんなのとっくに藤堂君は知ってるはずだ。
「藤堂君、ちょっとさ」
「え?」
「認識不足なの?もしかすると」
「え?なんの?」
藤堂君が首をかしげた。
「私が藤堂君を好きなのは知ってるよね?」
「…うん」
「それがどれだけ好きかは、知らないのかなって思って」
「え?」
藤堂君は目を丸くして私を見た。
「まあ、いっか」
私がそう言うと、藤堂君はさらに目を丸くした。
「いや、まあ、よくない…」
藤堂君は目を丸くしたままぽつりとそう言った。でも私は、もう一回、
「まあ、いいよ」
と力なくそう言った。
「よくないって。どれだけ俺のことが好きかってことだよね?」
「うん」
「それを俺がわかってないってことだよね?」
「うん」
「よくないって。わかってないなら、もっとよくないって」
藤堂君はまた、私の手をギュって握った。
「いいよ」
「なんで?」
「…そのうち伝わるよね?」
「………」
藤堂君は黙ったまま、私をじっと見ている。
「そのうちわかってくれるよね?」
「ど、どうかな。俺、そういうの疎いから、なかなかわかんないかも」
「じゃ、どうしたら伝わるかな」
「…言葉にしてもらったり?」
「してると思う。もう十分に」
「え?じゃ、じゃあ、態度?」
「態度に出ていないの?私」
「……ど、どうかな」
藤堂君はそう言うと、下を向いてしまった。
「だけど、メールもしてる。どっちかって言えば私のほうがしてる」
「うん」
「藤堂君からしてくれたことってないよ」
「そうだっけ」
「そうだよ」
「ごめん」
「………ね?こんなじゃ私のほうが、藤堂君のことを好きで、片思いでもしてるみたいだよ?」
「…え?!」
「より好きなのは私のほうかもって、時々思うもん」
「……ほんとに?」
私はコクンとうなづいた。藤堂君は赤くなり、
「そ、そうだったんだ。ごめん。これからはちゃんと、俺からもメールするし、ちゃんと俺も、意思表示をするし」
とかなり慌てて必死にそう訴えた。
「うん」
私がまたコクンとうなづくと、藤堂君はほっとした表情を見せた。そうして、
「キスしたら、もっと俺が結城さんを好きだってこと、わかってくれるのかな」
といきなりそんなことを言いだした。
え?
ドキン。そこはうなづいていいところ?どうなの?でも…。キスしてほしいからか、うなづいてしまった。
藤堂君は顔を近づけた。私はそっと目を閉じた。藤堂君の唇が触れた。ドキドキドキドキドキ。
唇が離れても、目を開けられない。顔が思い切り熱い。
藤堂君はどうやら、顔を私から離し、黙っているようだ。私はそっと目を開けた。
藤堂君とはまだ手をつないでいた。その手を藤堂君はひいて、
「帰る?」
と聞いてきた。
「うん」
手をつないだまま美術室を出て、廊下の向こうのほうに人影が見えて、藤堂君はぱっと手を離した。そして藤堂君は照れくさそうにしながら、私の横を黙々と歩いていた。




