第50話 素直に
昼休み近くになり、お腹が鳴りそうになった。わ、やめてくれ。ここで鳴ったら、藤堂君に聞こえちゃうよ~~。頼む~~。
そうか、隣って嬉しいこともいっぱいあるけど、こういう困ったこともあるんだな。大あくびもできないし、ぼけっとした顔も見せられない。
視界に入る藤堂君の横顔は、今日も凛々しい。
4時限目は歴史。とても苦手だ。歴史自体は嫌いじゃないけど、どうもこの先生の授業は面白みがないので、私はいつも眠くなってしまう。だけど、隣に今日は藤堂君がいるから、全然眠くはならない。
「プリント配ります。後ろの人に渡してくださいね」
先生はいつも穏やかな口調の50過ぎの男の先生。あまり生徒を当てて答えさせることもないし、淡々と授業をするので、ほとんどの生徒がうつろな目をして授業を受ける。
だけど、そんな歴史の授業も藤堂君は凛々しい顔で受けるんだなあ。
プリントが回ってきた。岩倉さんは、ゆっくりと腕だけ回し、下を向きながらプリントを渡してくれた。
「ありがとう」
そう言うと、岩倉さんは黙って、顔だけ少し上げるとちょっとだけ目線をあげ、また前を向いた。
あれ?今、岩倉さんの目線は藤堂君に行っていませんでしたか?
何気に藤堂君を見ると、藤堂君はちょうど手塚君からプリントを受け取ったところだった。
「はいよ、藤堂」
「ああ、ありがと」
藤堂君は無表情なまま、プリントを受け取った。
「なあ、藤堂」
手塚君が椅子をほんの少し後ろにずらし、藤堂君に声をかけた。
「お前、養護の桂子ちゃん、知ってる?」
「うん」
「あ、そっか。腕怪我したし、保健室行ってるか」
「ああ」
「噂は聞いてる?」
「なんの?」
「柏木とできてるって噂」
「…知らない」
「そういうの桂子ちゃんから聞いたことある?」
「ねえよ。そんなに話したこともないし」
「…お前は迫られたことないの?」
「誰に?」
「養護の桂子ちゃん」
「ないよ」
「そっか。やっぱり、桂子ちゃんにも好みのタイプがあるのか」
「…」
藤堂君は黙って、プリントを読んでいる。
「柏木とできてるって噂もあるけど、実は聖先輩狙いだっていう噂もある」
「…」
藤堂君は返事すらしない。きっと興味がないんだろうなあ。
聖先輩を狙ってたって、聖先輩って保健室嫌いなんでしょ?それにあんな可愛い彼女いるんだし、絶対に無理なんじゃないかな。
「体育の時間に聖先輩が怪我してさ、でも保健室嫌いだからそのまんまにしてたらしくって、そうしたらわざわざ教室まで桂子ちゃん、傷の手当てに来たらしいよ」
え。本当?
「わざわざ来ると思う?」
「怪我してたからだろ」
「たいした怪我じゃなかったって」
「誰かが呼んだんだろ?」
「…お前とこういう話をしても、盛り上がらないからつまらないよな」
「じゃあ、するなよ」
手塚君は、つまんねえと言って、椅子をもとの位置に戻した。そしてちょっと左側を見て、
「こっち見てんなよ。気持ち悪いなあ」
と岩倉さんにそう言った。
ええ?!何よ、それ。そんな言い方しなくたっていいじゃん!なんだかムカつく。とそう思った次の瞬間、
「言葉、気をつけろよ」
と藤堂君が手塚君の背中をこつきながら言った。
「あ~?」
手塚君がうるさそうに振り向いた。すると藤堂君は、いつもよりもさらに迫力ある怖い顔をして、
「そういうことを簡単に口にするな。言われたら傷つくってお前だってわかるだろ?」
と低い声で手塚君に言った。
手塚君はその威圧的な声と、怖い顔でひるんだらしく、おとなしく前を向いた。
すご~~~。そうか。こういうところが怖がられてるところなのね。でも、藤堂君、かっこいいって思っちゃった。
岩倉さんはほんのちょっと後ろを見て、藤堂君のほうに目線を向けたが、パッとまた前を向いてしまった。
藤堂君はそんな岩倉さんのことを見向きもせず、さっき配られたプリントを読んでいる。
「…………」
藤堂君、かっこいい。
「何?結城さん」
ドキン。
「え?」
「さっきから、こっち見てるけど、何?」
藤堂君がプリントを見たまま聞いてきた。
「わかっちゃった?」
「わかるって」
藤堂君はちらっと私を見た。
「ごめん。プリントを見てるのに、邪魔した?」
「いや、そういうわけじゃ…」
藤堂君は耳を赤くした。あ、ずっと見てたから照れたのかな。
私は口にするのは恥ずかしいから、またメモに書いてそれを切って、小さく折り畳み、先生に気づかれないよう藤堂君の机に置いた。
藤堂君はそれを机の下で広げて読んで、また赤くなった。
「だから…」
と何かを言おうとして、それからその切ったメモに何かを書き込み、私のほうにそっと手渡してきた。
あ!メモを受け取る時、手が触れちゃった。きゃあ。それだけでドキッとした。
ああ、もう、私ってば。もう手をつないで歩いたりもしているのに、こんなことでドキッとしちゃうなんて、我ながら呆れちゃうよ。
メモには、私が書いた『藤堂君かっこいいから見惚れてた』という文字の下に、『からかわないように!』という藤堂君の文字が書かれていた。
からかっていないのに。本気なのに。だって、藤堂君本当にかっこいいんだもん。
はあ。あ、いけない。今もまたため息つきながら、藤堂君に見惚れてたよ…。やばい、やばい。
私は前を向いた。するとまた岩倉さんがそっと斜め後ろを向き、藤堂君に目線をやっていた。
もしや、まさか、藤堂君のことが好き?とか?!
昼休み、麻衣が私たちの席にやってきた。
「いいな、一番後ろ。私先生の真ん前だからこれから授業中居眠りもできないよ」
「いや、意外とあそこらへんは盲点だよ。先生って一番前の席の人のことはあまり見てないから」
と藤堂君は冷静に麻衣に言った。
「沼田君は?」
「うん、それが今日は俺、他の奴らと食べるって…」
「じゃ、美枝ぽん」
「まだ席にいるから、私誘って来るね」
「……やっぱり、変だね?八代さんと沼田」
藤堂君が麻衣の後姿を見ながらそう言った。
「う、うん」
私はなんて言っていいかわからず、ただうなづいた。
美枝ぽんも一緒に食堂に移動した。美枝ぽんは作り笑顔をずっとしていて、こっちのほうが逆に気を使ってしまった。
「…沼田と何かあった?」
しばらく和やかにお昼を食べていたのに、いきなりずっと黙っていた藤堂君が口を開き、その場を凍り付かせた。
「…」
美枝ぽんの作り笑顔が一瞬にして消えた。麻衣は、藤堂君の顔を見ながら、目で何かを訴えた。そんなこと聞いちゃだめだよって、そう言っているようだ。
「喧嘩?だったら、早くに仲直りしちゃえば?」
そんな麻衣の目の訴えに気が付かなかったのか、気づいても無視したのか、藤堂君は話を続けた。
「…喧嘩じゃない」
美枝ぽんが暗い声でそう言った。
「沼っちが、少し距離を置こうって言ってきたの」
わあ、そうか、そんなことを言っちゃったのか。
「なんで急に?」
麻衣が驚いてそう聞くと、
「急じゃないよ」
と美枝ぽんはまた作り笑顔でそう答えた。
「…無理して笑わないでもいいよ」
藤堂君がぼそっとそう言った。あ、作り笑いをしていたことに、藤堂君も気が付いたんだ。
「無理してない。だからみんなもあまり、暗くならないでくれる?こういうのって苦手なんだ」
美枝ぽんがそう言うと、いきなり声をもっと明るくさせ、
「他のこと話さない?そうだ。麻衣ってバイトどうなの?うまくやってるの?」
とそんなことを言いだした。
「……」
藤堂君の顔が思い切り無表情になった。それを見て美枝ぽんが顔を引きつらせた。あ、怖かったのかな、もしかして。
「み、美枝ぽん。よかったら私たち、何があったか聞くけど?」
私は、美枝ぽんにドキドキしながら聞いてみた。美枝ぽんの反応がちょっと怖かった。
美枝ぽんは一瞬、眉をしかめて黙り込み、すぐにまた表情を明るくして、
「なんか、合わないのかも、私たちって」
と軽い感じでそう答えた。
「合わないって?」
麻衣が聞いた。
「沼っちってもっと明るくって、楽しい人かと思ったの。でも、違ってた。なんだか美枝ぽん、がっかりしちゃったんだ」
美枝ぽんはぎこちなく笑って、シナリオ本を棒読みでもしてるかのような口調でそう言った。
「…」
私たちは何を言っていいかわからず、黙り込んだ。藤堂君はさっきよりもさらに、表情を硬くして黙り込んでいる。
「あ、ごめんね?藤堂君は沼っちと仲いいんだもんね?明日から私が昼休み抜けるから、沼っちとみんなでお昼を食べてよ」
「…いいの?」
藤堂君が聞いた。
「うん、いいよ、私は。他の友達と食べるし」
「そうじゃなくって、別れちゃってもいいの?」
「え?」
「本当に沼田に愛想つかしただけ?」
「そうだよ。それだけだよ。なんでそんなこと聞くの?」
美枝ぽんの顔色が変わった。声も低くなった。
「…だったら、作り笑いやめたら?」
わ。藤堂君、そんなことはっきり言っちゃう?
「な、なんでそんなこと言うの?だいたい私、作り笑いなんかしてないし」
「そう?でも、辛そうだよ?」
藤堂君はまっすぐに美枝ぽんを見てそう言った。
「わ、私、別に辛くなんか…」
美枝ぽんの目に涙が光った。それにみるみるうちに鼻の頭が真っ赤になっていく。
「美枝ぽん…」
麻衣が優しい声をかけた。すると美枝ぽんは麻衣を見て、ボロボロと涙を流してしまった。
「だ、だって、こうでもしていないと私、泣いちゃうから」
美枝ぽんがそう言って、頭をテーブルに伏せた。
「泣いてもいいのに」
私がそう言って美枝ぽんの頭をなでると、美枝ぽんは、もっとひっくひっくと泣きだしてしまった。
「ハンカチ使う?」
麻衣が自分のハンカチを美枝ぽんに渡した。
「あ、ありがと」
美枝ぽんがそれを受け取った。
「……無理しても、うまくいかないよ、きっと」
藤堂君がぽつりとそう言った。その声はさっきよりもずっと優しい声だった。
「…無理したからうまくいかなかったってこと?」
美枝ぽんがハンカチで目を覆いながら、顔をあげて藤堂君に聞いた。
「そうじゃないの?無理したから続かなくなったんじゃないの?」
「…そうかも」
美枝ぽんが、ハンカチで涙をふいてそう言った。
「…沼っち、きっと美枝ぽんが素のままでいても、受け止めてくれると思うなあ」
麻衣が今度はそう話し出した。
「え?」
「沼っちって、明るいよ?でもさ、人間みんな、暗い時もあれば、落ち込むときもあるんだよ。私だってそうだもん。美枝ぽんだってそうでしょ?無理して明るくしないでも、沼っち、わかってくれるんじゃないの?」
「…」
麻衣の言葉に美枝ぽんは黙り込んだ。
「……別れたくないなら、そう沼田に言ってみたら?」
藤堂君が優しくそう言うと、美枝ぽんはしばらく藤堂君を見て、
「びっくり。藤堂君、優しい顔もするんだね」
とぼそってつぶやいた。
「…あのね、今は俺のことより、自分のことだろ?」
「あ、ああ、そうか」
美枝ぽんはそう言うと、なぜかくすって笑って、
「ありがとう。ちょっと勇気出てきた」
と藤堂君に言った。
「あ、それは本物」
藤堂君が美枝ぽんの顔を見てそう言うと、目をふせてくすって笑った。
私はその笑った顔を見逃さなかった。ああ、その笑顔も好きなんだよね。
「なんだか、ちょっと誤解してたかも」
美枝ぽんは藤堂君の笑った顔を見て、ぽつりと言った。
「何を?」
「藤堂君。ちょっと怖かったけど、違うんだね」
「ああ、八代さん、俺のこと怖がってたもんね」
知ってたんだ。藤堂君。
「わかった?怖がってたの」
「そりゃ、わかるよ。話し方や表情で。今は、思い切り岩倉さんに怖がられてるみたいだ、俺」
「え?」
私はその言葉を聞いて、驚いてしまった。
「それ、ないんじゃないの?だってさっきも、岩倉さんのこと藤堂君かばったし」
「かばったわけじゃないよ。ただ、手塚の言った言葉に頭に来ただけだ」
「だけど、きっと岩倉さんは藤堂君にああ言ってもらって、嬉しかったんじゃ?」
「…そうかな。にらまれたけどな、俺」
にらんだ?ううん。あれは絶対に藤堂君のことを気にして、岩倉さんは藤堂君を見たんだよ~~~。
「岩倉玲子でしょ?1年の時、同じクラスだったよ」
美枝ぽんが話しに加わってきた。
「え?そうなの?1年でもあんなふうだったの?」
私がそう聞くと、美枝ぽんはうんとうなづいた。
「男子からちょっと気持ち悪がられてたんだよね」
ああ、だからさっきも手塚君、あんなこと言ったんだ。
「でもさ、岩倉さんも聖先輩のファンでさ」
「え?」
「去年の文化祭では、じいっとステージの上の聖先輩を見ていたよ」
「そうなんだ」
じゃあ、藤堂君を好きなわけじゃないのかな。
「聖先輩のファンって、どんだけいるんだろうね。ほんと、びっくりだ。そういえば、新しく来た養護の先生も聖先輩のこと狙ってるらしいし」
「麻衣、どこでそれ聞いたの?」
私が質問すると、
「え?噂になってるじゃない」
と麻衣が知らないの?って顔で私を見た。
「…そっか。それ有名な噂なんだね」
「どうでもいいじゃん」
藤堂君はお弁当をいつの間にかたいらげ、ぼそっとつぶやいた。
「もし狙ってても、聖先輩はきっとどうにもならないだろうし」
「え?」
「なんか、聖先輩、彼女一筋みたいだし、他の人なんかどうでもいいんじゃないの?」
「…よくわかるね。一筋だって」
麻衣が言った。
「見たらわかったよ。聖先輩が彼女にベタ惚れだって」
ああ、まあね。あんな笑顔を見せられたら、そう思うよね。私もそう思う。
「藤堂君でもわかるの?そういうの疎そうなのに」
美枝ぽんがそう言うと、藤堂君は、
「疎いけど、さすがにあんだけ仲がいいところを見せられちゃうと…。それに俺もあんななんだろうなって、聖先輩の顔を見て思ったし」
「あんなって?」
美枝ぽんが聞いた。
「いや、なんでもない」
藤堂君は慌てて、お弁当を片づけだした。
「なんで知ってるの?彼女といるところを見たの?」
麻衣が聞いた。
「偶然、浜辺で見かけた。手をつないで、仲良く笑いながら通り過ぎて行ったよね?こっちにも気が付かずに」
藤堂君が私にそう言ってきた。
「え?うん」
「なんだあ。2人もデート中だったんだ」
麻衣がそう言った後、私たちをひやかした。
「しっかりデートもしているし、仲いいよねえ」
麻衣はまだ私たちをひやかして遊ぶつもりだ。藤堂君はむすっとして、
「うっさいな」
と一言言った。
「そんなふうに仲良く居られる秘訣は何?」
美枝ぽんは真面目な顔で藤堂君と私に聞いてきた。
「え?秘訣?」
藤堂君はたじろいだ。それからしばらく下を向き黙り込み、
「う~~ん、何かな。俺にもよくわかんないけど、やっぱり結城さんが素直だからじゃないかな」
とそんなことを言った。
「え?私が?」
嘘。私なんて、ものすごくひねくれてると思うけど。
「ああ、穂乃香ね。健気で一途で、素直だもんね」
「そうなんだ。理想の彼女だね。いいな」
美枝ぽんがそう言うと、なぜか私よりも藤堂君が顔を赤くした。
「あ、司っちが照れた」
「うっさい」
藤堂君は麻衣の言葉に、また一言だけ言い返し、それから顔をずっと背けていた。
照れてる。今、すごく照れてる。
私は仲はいいのかどうかわからないけど、もし秘訣があるとしたら、この藤堂君の可愛いところや優しいところを、見れたことなんじゃないかなって思う。
藤堂君は自分でわかってないよね?きっと私の前では藤堂君のほうが、ずっと素直だよ。顔にも出るからわかりやすいし、一生懸命に思ったことを話してくれるし。
そっぽを向いた藤堂君の後姿を見ながら、は~~~っと目をハートにして私はうっとりとしていた。




