第49話 隣の席
カフェを出た。沼田君は、
「話、聞いてくれてサンキュー」
と作り笑いでそう言った。
「…私も、よくわからないけど」
「え?」
「美枝ぽんも無理してるのかもしれない」
「どういうこと?」
「なんとなく…。たまに無理して明るくしてたり、無理に前向きになろうとしているところが見えるんだ」
「じゃ、俺と一緒?」
「そうかも…。あ、でも、わからないよ?」
「……うん」
沼田君は一瞬黙り込み、そしてまた笑顔で、
「じゃあね」
と私に手をふって、くるりと背中を向けた。
その背中を見ながら考えた。合う、合わないってあるのかな。
だから、別れちゃうカップルもあるのかな。
すごく好きだって思っていても、駄目になっていくものなのかな。
ズキン。私たちは?
沼田君と美枝ぽんがこれからどうなっていくのかも、すごく気になったが、自分と藤堂君の未来も、一気に怖いものに感じてきた。
藤堂君と別れたり、離れるのは嫌だ。ずっと一緒にいたいよ…。
そんな気持ちを抱えながら私は家へと向かった。
翌日、家を出てからもぼ~~っとしてしまった。沼田君のことをまさか、藤堂君に相談もできそうもないし…。麻衣なら話しても大丈夫かな。いや、やっぱり誰にも言わないほうがいいよね。
今日、美枝ぽんの顔を見るのが辛いな。
電車を降りて改札を通ると、すぐに藤堂君の姿が目に付いた。はあ、今日もかっこいいよ。
私は早足で藤堂君に近づいた。
「あ、おはよう」
藤堂君は私が真ん前まで行って、ようやく私に気が付いた。何か、考え事かな?
「おはよう。藤堂君」
私がそう言うと、藤堂君は照れくさそうに笑った。ああ、またこの笑顔だ。キュン!
クラスの女子が横を通って行った。ちらっとこっちを見たが、私たちには声をかけてこない。
だけど、話声だけが聞こえてくる。
「毎朝、一緒に登校してるんだね」
「どんな話をしてるのかな」
「話、しないんじゃない?」
う~~わ~~~。なんで、そう言う話を、聞こえる範囲でするかな。ちょっとむかつく。
藤堂君を見た。すると、じっと私のことを見ていた。ドキン。
「な、なあに?」
「え?」
あ、なんでもないのか。じっと見てると思ったのは私の思い過ごし?
「おはよう、藤堂。おはよう、結城さん」
弓道部の人だ。この人は必ず声をかけてくるなあ。
「今日も一緒に登校?仲いいよね」
そう言うとその人はさっさと行ってしまった。
藤堂君を見ると、一瞬照れて耳を赤くしていたが、すぐに顔はいつものポーカーフェイスになった。
「藤堂君って、いつからポーカーフェイス?」
「え?いつって」
「中学の頃から?」
「うん。ああ、もっと前からかな」
そうなんだ。
「父親がそんな感じなんだ。よく母親に、司は父親似よねって言われるよ」
「へえ。お父さんもポーカーフェイスなの?」
「うん。あの人は何があっても動じない。ちょっと変わってる」
「?」
「剣道、柔道、合気道を習ってた。武士道ってのがやたら好きで、そういう類の本がうちには何十冊とあるし、俺も読まされてた」
「へ~~~~」
「映画もそんなものばっかり見せられてた」
だから、好きな映画が侍の映画なのか。
「ラストサムライって知ってる?」
「うん。あ、でも見たことはないな」
「あれも、好きだよ、父さん。アメリカでは向こうの子供たちに合気道を教えてたんだ。子供もその親も、父さんのことをすごく尊敬しちゃって…。なんか武道ができるってだけで、もてはやされるんだよね」
「ふうん。藤堂君は合気道しなかったの?」
「してたよ。その道場も行ってたし」
「そうなんだ」
「でも、中学は陸上に入った。父さんに武士道のことを教えてもらってた頃は、わけわかんないし、あまり興味なかったんだ。それよりも俺は走るのが好きだったし」
「走るのが?」
「…ストイックってよく言われる。黙々と走ってるのとか好きなんだよね」
「へえ…。あ、長距離だったんだっけ?」
「うん」
「…すごいな。私、マラソンとか嫌いだし、尊敬しちゃうな」
「そんな尊敬するようなことじゃないよ。ただ、一人の世界にいられるし、そういうのが好きってだけだよ」
「ふうん」
「…武士道っていうのはまだよくわからないけど、弓道してから、日本の伝統的なものには興味を持つようになったかな」
「……」
「夏休み、部活が5日間休みの日があるんだ」
「うん」
「その時は、どっか旅行にでも行こうかと思っている」
「旅行?」
「うん。日本のどっか」
「一人で?」
「うん」
すごい。一人旅か。いいなあ。一緒に行きたいなあ。
…って、一緒に旅行っていったら、一緒に旅館に泊まるってことで…。きゃあ、私、何を考えてるの。
一気に顔がほてった。赤くなったのをばれないように、ちょっと下を向いた。
「何の話をしてたんだっけ?ああ、俺のポーカーフェイスか」
「うん」
「…あまり感情を出さないようにする。いつも平静。それが父さんの教えだったから、それでこうなったかな」
なるほど。お父さんの影響だったんだ。なんだか、藤堂君の歴史をちょっと垣間見れたような気がするな。
なんて、実際のことろはまだまだ知らない藤堂君がいるんだろうけど。
家族といる時の藤堂君。一人でいる時の藤堂君。そんないろんな藤堂君をまだまだ私は知らないんだ。
学校に着くと、教室にはもう美枝ぽんも沼田君もいた。沼田君は男子とふざけていて、美枝ぽんはすでに席に着いていた。
「おはよう」
私も席に行き美枝ぽんに声をかけた。美枝ぽんは明るく、
「おはよう」
と返してきた。でも、目が真っ赤だった。まさか昨日泣いたとか?
まさか、もう別れ話をしてたりして?
「寝不足?」
わざとそんなことを聞いてみた。すると、
「うん。昨日漫画ずっと読んじゃって、寝たのが朝の3時なの」
と美枝ぽんが作り笑いをして言った。それ、本当のことかな。
美枝ぽんは自分の弱さをあまり見せない。それどころか、弱さや暗さは悪いものだと思っているような気もする。
私なんてすぐに落ち込むし、暗いわ弱いわで、よく美枝ぽんが私の友達でいてくれてるよなって、時々思う。
その日朝のホームルームで、
「席替えをする」
と突然田島先生が言った。すでに先生はクジを持っていて、一人ずつクジを引いて、さっさと席を移動させられた。ほんと、この先生って、いきなり何かをするのが好きだよなあ。
「うっそ。一番前?」
麻衣が嘆いている声が聞こえた。それから、沼田君の、
「俺もだ」
という声も。
私はど真ん中。美枝ぽんは廊下側の一番後ろ。そして藤堂君は…。ドキドキ。近くになれたらいいのに、と思ったけど、残念。一番後ろの窓際から2番目だ。
ああ、これじゃ、視界の中にも藤堂君は入ってこないじゃないか。ガックシ。
席を移動しようとカバンを持って歩き出すと、私のところに一人の女子がすっとんできた。えっと何さんだっけ?確か、香苗っていう子の友達の、ああ、望さん。誰かが2人が並ぶと「望かなえ」だって言っていたっけ。
「結城さん、席どこ?」
「私、教室のど真ん中」
「替わって~~。お願い~~」
「え?どうして?」
ど真ん中がいいの?
「私。窓際の一番後ろ」
え?そこって藤堂君の隣?!私の胸がいきなり舞い上がった。
「とてもじゃないけど、あんな席にいたら私1日で登校拒否になりそう」
望さんが必死な目でそう言ってきた。
「どうして?窓際だから?」
「違う。あの席、前はずっとだんまりの岩倉さんだし、隣は藤堂君だし、そんな二人に挟まれたら、話す相手もいないし…、毎日が暗くなる~」
ああ、そっかあ。藤堂君、女子と話さないもんなあ。
「藤堂君、怖いし。隣りにいるだけで威圧的だし…。って、ごめん。結城さんの彼氏だっけ?」
「…い、いいのかな。席、交換しても」
「みんなしてるって!お願い!」
「うん、いいよ」
「よ、よかった~~~~」
望さんはめちゃくちゃ喜んで、私に何度もありがとうと言って、席に座りに行った。
私もカバンを持って、藤堂君の後ろを通過して、窓際の席に着いた。
「え?結城さん、ここ?」
藤堂君がびっくりして目を丸くした。か~~。私は顔が熱くなった。
「席、替わってもらっちゃった」
そう言うと、藤堂君のほうが真っ赤になった。
「そ、そうなんだ」
そう言ってから、藤堂君は目を伏せた。それからまた私を見ると、すごく小さな声で、
「やばい。授業まともに受けられるかな」
と照れながら言った。
顔、藤堂君の顔、照れくさそうな笑顔…。可愛い~~~。キュン!こんな顔を毎日隣で見れちゃうの?ここ、天国じゃない!
ああ、望さん、ありがとう。私の望みを叶えてくれて!なんてわけのわかんないことまで、思ってみたり…。
ドキドキ。隣りにいるって言うだけで胸が高鳴る。
前を向いていても、視界に藤堂君が入ってくる。ドキドキ。横顔がかっこいいよ~~。
ちら。藤堂君のほうを見てみた。すると藤堂君も私のほうに視線を移した。わ!目が合った。
そして同時に、目を伏せた。
く~~~。照れる!もう一回藤堂君を見てみた。あ!耳が真っ赤だ!藤堂君も照れてるんだ。
く~~~~。幸せすぎちゃうよ~~~~。
授業が始まった。英語だ。藤堂君当たらないかな。すぐ隣であの流ちょうな英語を聞いてみたい。なんて思っていたら、
「次のところ、結城、読んで訳せ」
と私が当たってしまった。
え?!
私は慌てて立ち上がったが、
「や、訳までわからないよ」
と小声の独り言を言い、それからしどろもどろで読みだした。ああ、隣に藤堂君がいるのに恥ずかしい!そんな藤堂君はさっきから、何やら忙しそうにペンを走らせている。
「結城、ちゃんと予習して来たんだろうな?今のところ、訳してみろ」
先生がしかめっ面をしてそう言った。ああ、あまりにも読み方がひどすぎるからか…。
困った。訳…。ここ、特に難しいところ…。と、真っ青になっていると、
「結城さん」
と藤堂君がそっと自分の教科書を私の机に置いた。
あ!私が読んだところ、全部和訳が書いてある。そうか!今、書いていてくれてたんだ!
感激!!!
私は藤堂君が訳してくれているのを、そのまんま読んだ。
「よし、完璧だ。なんだ。読み方はぼろくそだったが、ちゃんと予習はしてきたようだな」
ああ、良かった。ほっとしながら私は席に着いた。
次の人が当てられ、その人もしどろもどろになって読み始めた。
「藤堂君、ありがとう、助かった」
私はそっと藤堂君に教科書を返した。
「うん」
藤堂君はただ一言そう言うと、こっちを見てにこっと微笑んだ。
キュン!
嬉しい。隣りって、いい!!!!!
次の時間は体育。男子はサッカーを校庭で、女子は体育館で創作ダンスだ。
ただでさえ、創作ダンスは苦手なのに、そのうえ藤堂君のサッカーをしている姿が見れないだなんて…。
暗くなりながら、更衣室に行った。すると、
「結城さん、席、ありがとう。あ、もしかしてあの席で、暗くなってるの?」
と望さんがすすすっと私に近寄り小声で聞いてきた。
「え?ううん。あの席に替えてくれてありがとう」
私はそう望さんに答えた。
「ほ、ほんと?あの席で大丈夫?前の岩倉さん、暗いでしょ?」
「さあ。まだ話したことないし」
「きっと一回も口をきくことはないと思うよ。あの人、誰とも話さないから」
「そうなの?」
「藤堂君は?」
「…」
あ。やばい。今、にやけそうになった。
「藤堂君は、いろいろと授業でも助けてくれるから。さっきも英語の訳、教えてくれたし」
「え?そうなの?!」
あ、そうか。望さん、私よりも前のほうの席だし、後ろは見れないのか。
「藤堂君は、優しいから」
私の言葉に、そのへんにいたクラスの女子が同時に振り返った。
「藤堂君が優しいの?」
「あの、藤堂君が?!」
わ。しまった。言わないほうがよかったかも。
「やっぱり、彼女には優しいんだ」
「そうだよねえ。1年の時から藤堂君って結城さんが好きだったんでしょ?」
「でも、想像つかない。優しい藤堂君って!」
「笑顔も怖そうだもんね」
「怖そう~~~~」
ひどい。怖くないもん。めちゃくちゃ可愛いんだからね!
と心の中で言ってみた。でも、口には出さない。だって、可愛い藤堂君を知られたくないもん。
創作ダンスが終わり、私は麻衣と一緒に更衣室に戻った。今日は美枝ぽんは、私たちにあまり話しかけてこない。
やっぱり、おかしい。
「ね、穂乃香。美枝ぽんと沼っち、どうしちゃったの?」
麻衣が私にこっそりと聞いてきた。あ、麻衣も気が付いていたのか。
「なんか、変だよね?」
「美枝ぽん、目も赤いし…。今日、まったく沼っちと話してないよ。喧嘩?」
喧嘩ならいいけど、もしかしてもしかすると、別れたのかもしれないよなあ。
はあ。それを考えると、ちょっと暗くなる。藤堂君と席が隣になって浮かれてたけど、沼田君と美枝ぽんのことは、そうそう明るくなっていられないような問題なんだよね、きっと。
とか言いつつ…。私は自分の席に戻ると、すでに隣に藤堂君が座っていて、沼田君のことは頭の中からすぱっと消え去り、ウキウキドキドキでいっぱいになってしまった。
ガタン。席に着く。藤堂君の横顔が視界に入る。藤堂君は体育をしたからか、シャツのボタンを3個くらい開けたままだ。
わあ。藤堂君の鎖骨が見えた。ドキ。ああ、こんなことでドキッてしているなんて!
「顔あつ~~~」
私は思わず、下敷きで顔をあおいだ。でも、勢い余って下敷きが手からすっとび、前の席のところまで飛んで行ってしまった。
前の席は岩倉さんだ。取ってくれるかな。とちょっと待ったけど、岩倉さんはまったく無視をしている。
しょうがない。と席を立とうとすると、藤堂君がすっと立ち上がり、私の下敷きを取ってしまった。
ガタ…。
下敷きを取る時、藤堂君は岩倉さんの椅子にぶつかった。
「ごめん」
藤堂君は無表情で岩倉さんに謝ると、下敷きを私の机に置いた。
「ありがとう…。ごめんね?」
わざわざ拾わせちゃったみたいだ。私…。
「ううん」
藤堂君は一言だけそう言うと、またにこっと微笑み席に着いた。
すると、岩倉さんがちら~~っと藤堂君のほうを見た。
それと同時くらいに、岩倉さんの隣の席の男子もなんとなく後ろを向いた。
「なに?手塚」
手塚って名前なんだ。初めて知った。
「いや、別に」
手塚君はそう言いつつも、まだこっちを見ている。岩倉さんはもう前を向いてしまっていた。
「なんだよ?」
藤堂君はまた、ぶっきらぼうに手塚君に聞いた。
「お前、相変わらず愛想ないなって思ってさ」
「え?」
「1年の時もそうじゃん?女子との会話、いつも一言で終わってたけど、今もなんだな。それも彼女にもそうなんだな」
あ、1年同じクラスなんだ。藤堂君と…。
「聞いてんなよ」
藤堂君はもっとむすっとした。あ、もしや照れ隠し?
「結城さん、大丈夫なの?こんなやつで…。怖くないの?」
手塚君が私に聞いてきた。私は思わず、ブルブルと首を横に振った。
なんでそんなことを言って来るんだろうと、私はそのあと首をひねった。藤堂君は今日、ずうっと優しいよ?そりゃ、「うん」と「ううん」くらいしか話してないけど、そのあとの「にこ!」がめちゃくちゃ可愛いのに…。
って、ああそうか。手塚君も前を向いてるから、話す内容は聞こえても、表情まではわからないのか。
「なんか、結城さんって健気だね」
手塚君がそう言って前を向いた。
健気?
どこが?よくわかんないけど、私はただただ、隣にいられる喜びをかみしめているだけだもん。
藤堂君を見た。藤堂君も私を見た。藤堂君の目は、ちょっと不安げ。あ、もしかしてもしかすると、何か心配している?
私はメモ帳を出して、そこに書き込み、藤堂君の机の上に置いた。
「…」
藤堂君は黙ってそれを読むと、顔を一気に赤くした。あ、やっぱり…。そしてちらっと私を見ると、メモ帳に何かを書き込み、私の机に置いた。
『藤堂君の笑顔で、ちゃんと優しさ伝わってるよ』
『よかった』
たった一言だけの返事。でも、真っ赤の藤堂君を見ると、照れているのがよくわかる。
可愛い。可愛いっていうのを伝えたい。伝えちゃう?
『藤堂君が照れているのも伝わってる。藤堂君、可愛い』
そう書いて、メモ帳を藤堂君の机に置くと、藤堂君はそれを読み、パッと私のほうを向き、それからパッと、今度は顔を隠してしまった。
あ~~~~。照れた、照れた。可愛い~~~~。
しばらく藤堂君は下を向き、顔をあげないでいたが、しばらくしてメモ帳に何かを書きだし、私の机に置いた。
『からかってる?こういうの書いてこられると、もっと照れるからやめて』
か~~わ~~~い~~~。駄目だ~~~。
私はしばらくメモ帳の藤堂君の字を見て、にやけるのを抑えていた。それを何気に藤堂君は横目で見て、
「暑いな。ここ…」
と言いながら、下敷きで顔をあおぎだした。




