第48話 早い展開
藤堂君は、きっとあまり自分の感情を表に出すのが得意じゃないと思う。自分の気持ちを言葉にするのも、苦手かもしれない。
だから普段は、ポーカーフェイスだ。それに言葉数も少ない。
一緒にこうやって歩いていても、藤堂君はあまり話をしてこない。だけど、私が困ったり、私が悲しがったりしていると、ちゃんと自分が何を思っているのかを、一生懸命に伝えてくれる。
でも、元来それは苦手なことだから、ああやっていつも、顔を赤くしたり、顔を隠したりしながら話してくれるんだろうなあ。
だけど、そんな藤堂君の言葉はすごく信頼できて、すごく嬉しい。
鎌倉でのデートも、キャロルさんの出現であわや悲しいデートになるかと思いきや、藤堂君のキスで幸せいっぱいな1日になった。
翌日、日曜日。藤堂君も部活だし、私も藤堂君会いたさに学校に行った。
絵を描いていても、時々藤堂君を思い出し、胸がキュンってしていた。
鎌倉の帰りの電車で、なぜか藤堂君は黙って私のことを見ていたなあ。あの目に、ドキドキしちゃったなあ。
藤沢の駅に着いたら、藤堂君はまた鼻の横を掻き、
「じゃあ、またね」
と照れくさそうに笑ってた。今、あの笑顔を思い出すだけで、胸がキュンってする。
日記にはキスしたことも書けなかった。だって、もし誰かに見られたらって思ったら…。って、見る人なんかいないんだけど。
いや、わかんないな。最近の私の様子が変なことに、母が気が付いてきたようだし。学校に行ってる間に日記を見られたりしたら、たまったもんじゃないし。
キスしたことは、なんとなく美枝ぽんや麻衣にも言いたくないな。そっと胸の中にしまっておきたい。
う。でも、もし2人に言ったとしても、そんな唇がそっと触れたのなんて、キスのうちに入らないよって言われそう。
昼になった。藤堂君、食堂に来るかな。でも、部員の人も一緒かな。
あ、そうか。部活終わったら送別会か。もしかして昼からするのかもしれないし、行ってもいないかな。
あれ?じゃ、私今日、藤堂君に会えないとか?
それは寂しすぎる!
なんてあれこれ思っていると、美術室にいた部員はみんな、お昼を食べに行ってしまった。
「結城さん」
え?藤堂君?藤堂君が弓道着のまま、美術室に入ってきた。ああ、道着を着た藤堂君ってなんて凛々しいんだろう。特に袴。すごく似合うんだよね!
「これから昼?」
藤堂君は私の真ん前まで来てそう聞いた。
「うん」
「弓道部はもう終わりなんだ。これから着替えて、部室で送別会をするんだけど、結城さんも来る?」
「ううん。部外者が行っても悪いし、私はいいよ」
私は首を横に振りながら答えた。
「じゃ、俺、これでもう行っちゃうけど…」
「うん。また明日ね」
「……」
藤堂君は黙って私を見て、なかなか出て行こうとしない。あれ?なんでかな。
「うん、また明日。朝、駅で待ってるよ」
「うん」
「じゃあね」
藤堂君はそう言うと私に一歩近づき、いきなり私の頬にキスをした。
「それじゃ…」
藤堂君はパッと後ろを振り返り、そのまま颯爽と美術室を出て行った。
う、わ~~~~~~~。ほっぺにキスされた!
ドキドキドキ。い、いきなりすぎるよ。いつも心の準備ができない。
きゃ~~~。
私は藤堂君の唇が触れたところを手で押さえ、その場に立ち尽くしていた。
それから冷静になり、あたりを見回した。よ、良かった。誰もいない。っていうか、誰もいないから藤堂君は、キスなんてしたんだよね?
なんだか、いきなりの進展で、私の心臓がついていけそうもない。今にも、ボン!って爆発しちゃいそうだ。
奥手の藤堂君が、キスしてくるなんて…。
ん?奥手?
そういえば、美枝ぽんも麻衣もみんなが藤堂君は奥手だ。国宝ものだって言っていたけど。(あ、国宝ものは私のほうか?)本当に奥手なのかな。
いくら犬や猫にしている感覚だとはいえ、小学校3年生でファーストキスだよ?そのあとも、キスされたり、ハグされたりしてたんだよ?
そんな人が奥手なのかな。
う。なんか頭の中グルグルしてきちゃった。駄目だ。目が回りそうなほどだ。
確か私、奥手なほうがありがたいって思っていたんだった。それが、なんだか展開が早くなってきて、ものすご~~く戸惑っている。
う~~~。でも、嫌じゃないんだ、藤堂君のキス。嫌どころか、めちゃくちゃドキドキしながらも喜んでいる。
藤堂君に今日は会えそうもないし、このまま片づけてもう帰るとしよう。そう思いながら私は片づけを始めた。
そしてなんとなく携帯を見ると、沼田君からのメールが届いていた。
>穂乃ぴょん、今日、部活?帰りに藤沢に寄れない?
寄れないも何も、家が藤沢ですけど…。
>もう部活おしまいにして、これから帰るところだよ。
そう送ると、一分もたたないうちに返信が来た。
>昼飯、どっかで一緒に食わない?
いいのかな。美枝ぽんに悪いような気がするけど。
>2人で?それとも、美枝ぽんも一緒?
一応そう聞いてみた。すると、意外な返事がやってきた。
>美枝ぽんとのことを相談したいんだ。
美枝ぽんとのこと?あ、そういえば、最近ちょっと二人の間に何かある感じはしていたっけ。
>わかった。じゃあ、30分後に藤沢で。
なんだろうな。喧嘩かな?まさか別れたなんて、そんなことはないよね?!あ、それじゃ、単なる報告か。相談なんだから、別れているわけないね。
藤沢の駅に着くと、沼田君はすでに改札口にいた。そこから、沼田君がよく行くというカフェに入った。
駅から少し離れているので、うちの高校の生徒もいないだろう。小さめのカフェで、メニューも少な目。その中から私は食べやすそうなミックスサンドを頼んだ。沼田君はいつも同じものを頼むらしく、「またナポリタンね!」と店員に言っていた。
「相談って?」
水を飲んで一息ついてから、私は沼田君に聞いた。
「…あのさ、これ、絶対に美枝ぽんには言わないでほしんだけど」
「うん」
「…俺、どうも美枝ぽんと合わないような気がしてきたんだ」
「え?!合わないって?」
何が?
「一緒にいて、最近、窮屈でさ」
「窮屈?」
「穂乃ぴょんはないの?そういうの…。司っちといて疲れたりとかって」
「美枝ぽんといると疲れるの?」
「気を使っているからかな、俺が…」
「でも、好きなんでしょ?」
「……」
え?なんで何も答えず、下を向いちゃったの?沼田君。
「それも、最近、よくわかんなくて」
「…好きかどうかを?」
「は~~。こんなことで、悩んだりもするんだな」
「……」
ずっと片思いしてたのに?付き合ったら、違ってましたってこと?
私は何も言わず、また水を飲んだ。こんな相談をされても、どうしていいものやら。
「穂乃ぴょんはどう?司っちとうまくいってる?」
「う、うん。多分」
「多分?」
「ううん。うまくいってる」
沼田君の前であまり、のろけられないなと思い、多分なんて言ってしまった。
「そっか。うまくいってるのか」
「……」
沼田君、暗い…。
「どういうところが合わないって思ったの?」
「…合わないっていうか、俺、すごく美枝ぽんにいろんなことを合わせようとしてるんだよね」
「それで疲れたの?」
「美枝ぽんといると、明るくしてないとならないし、言葉もすごく選ぶし、そういうのも最初は付き合ってるんだから、このくらいは当たり前、みたいに思ってたんだけど」
「うん」
「だけど、どんどんどんどん、俺が俺じゃなくなっていく気がしてさ」
「じゃあ、沼田君って、どんななの?どんなのが沼田君で、今はどう違ってるの?」
「……俺は…」
沼田君はしばらく黙り込み、
「けっこう暗いかな」
とボソッと言った。
「え?嘘~~。明るいじゃない、いつも」
「まじでそう思う?穂乃ぴょんと恋の相談してた時って、俺らよく暗くなってたじゃん」
「あれはだって、私が暗かったからでしょ?それに合わせていたんじゃないの?」
「いや、合わせてない。っていうか、あの時は思い切り、素でいたよ、俺」
そうなの?
「じゃ、学校では?いつも明るいよね」
「ああ、まあね。それはいつもの俺かもしれないけど、だけど、暗い時もあれば、静かな時もあるしさ。それをいつもいつも、明るく前向きではいられないでしょ?」
「じゃあ、美枝ぽんの前でも、静かにしてたらいいんじゃないの?無理したりしないで」
「…うん。俺もそう思う。静かにしてたりもしたし、たまに愚痴ったり、暗い話にもなった。だけど、そのたびに美枝ぽんが、俺らしくないとか、もっと前向きにもっと明るく考えてって言うんだよね。それが沼田君でしょ?って…」
「美枝ぽんも明るくて前向きだもんね」
「…そう。それが俺は好きだった。だけど、それが今はきつい」
「どうして?」
「きついんだよ。多分、俺と違うんじゃないかな」
「…一緒にいてきついの?」
「うん」
沼田君はため息をついた。
「こんなふうにね、美枝ぽんの前でため息なんてついたら、一緒にいてつまらないの?って怒られるんだ」
「それは私だって、藤堂君が一緒にいてため息をついたら、嫌だと思うな」
「いや、それはいきなりだったり、理由もなく…でしょ?たとえばさ、司っちが部活で大変なんだよ、とか、テストで悪い点取っちゃったんだよ、って落ち込んでてため息をついたとしたらどうする?」
「う~~ん。あまりそういう弱音を吐きそうもないけど、もしそんなことを言ってため息をついたら、大丈夫?って聞くか、じゃなかったら、黙ってただ横にいるかな。って、そんなじゃ私、何の役にも立ってないね。やっぱり、そういう時は明るく励ましてあげないとだめなのかな」
「いや、黙って隣にいてくれるだけでもいいと思うけど?」
「…美枝ぽんは?」
「だから、つまらないのかって怒ったり、もっと明るくしてって言ってきたりする」
「…励ましてるんじゃなくって?」
「うん。ちょっと違うと思う」
「…そうなんだ」
「俺が変なの?司っち、そんなに弱音吐いたりしないの?」
「うん」
「…そっか。そうだな。強そうだもんな、司っちは」
「わかんない。強いんじゃなくて、強がってるのかもしれないし、もしかすると、弱さや辛さを誰かに見せる術を知らないのかもしれないし」
「え?どういうこと?」
「藤堂君って、あまり自分の気持ちを表さないでしょ?あれ、ただ単にどう表現したらいいか、わからないんじゃないかなって思ったんだ」
「でも、顔に出てることあるよ?」
「うん。あれはきっと無意識で。でも、よく感情を抑えてることあるし」
「ああ、そうかもね。顔、無表情にして、動じていないふりとかしてそうだ」
「…私はもっと、見せてほしいような気もするの」
「何を?」
沼田君がそう聞いたときに、サンドイッチとナポリタンが運ばれた。そしてすぐに、アイスコーヒーとオレンジジュースも店員が持ってきた。
「ご注文はおそろいですか?」
「はい」
沼田君が明るく答えた。
「いただきます」
私はサンドイッチをバクって食べたが、沼田君はまだ食べようとしない。
「で、司っちの何を見せてほしいの?」
あ、さっきの話の続きか~。
「嬉しいとか、悲しいとか、辛いとか。そういう感情や気持ち。抑えないで、見せてほしいなって」
「嬉しいってのはいいけど、悲しいや辛いってのは、穂乃ぴょんが辛くならない?」
「…わかんない。でも、藤堂君が手を怪我した時、なんの役にも立てないのが悲しかった。私に苦しいとか、辛いとか言ってくれた方がよかったな」
「司っち、言うかな」
「わかんない」
「…そっか」
沼田君はやっとナポリタンを食べだした。食べだすと、あっという間にぺろりと食べてしまった。
沼田君はテーブルの上にあった紙ナプキンで口をふき、アイスコーヒーをゴクンと飲んだ。
「俺、前から思ってた」
「何を?」
「そういうところが、穂乃ぴょんのすごいところだよなって」
「え?」
どこが?!
「健気で一途。司っちは幸せ者だよな」
「そ、そうかな」
「…穂乃ぴょんといると、司っちって癒されるんじゃない?」
「ど、どうかな」
「俺は癒されるよ」
「誰といると?」
「だから、穂乃ぴょんといると」
「嘘だ~~。暗くってじめじめしてて、癒される感じじゃないでしょ?逆に怒ってたじゃない。私があまりにも後ろ向きで」
「…あんときにはわかんなかったんだよ。でも、聖先輩の言ってたことも、最近やっと理解できた」
「聖先輩の言ってたこと?」
「そのままでいいんじゃないかなって、前に食堂で水ぶっかけた時、言ってたでしょ?」
「ああ、あの時。うん。すごく嬉しいことを言ってくれた」
「無理に明るくふるまったり、無理して好きになってもらおうとしたりしないでもいいんだ。そのまんまの俺を好きでいてくれて、そのまんまの相手を好きでいられたらそれでいいんだって、最近そう思うよ」
「そのままの美枝ぽんは駄目なの?」
「…そうだね。きっとそのままの美枝ぽんだと、疲れるんだ」
「…そっか」
やっぱり、合う、合わないって相性があるものなのかな。好きだけじゃだめなのかなあ。
「俺にはきっと、穂乃ぴょんみたいな子がいいんだろうな」
「……私?な、なんで?」
「一緒にいて安心する。癒されるし、ほっとする。疲れないし、すごく楽だ」
「それ、好きっていうのとは違わない?」
「違わないんじゃない?」
「そうかな。それ、友達だよ、きっと」
「男と女の友情って、あると思う?」
「うん。あ、わかんない。わかんないけど、でも、あってもいいと思う」
「……」
沼田君はじっと私を見た。
「それ、絶対、恋じゃない。そりゃ、無理したり、自分を誤魔化すのは違うと思うけど、好きな人のために何かをしようとしたり、歩み寄ろうとするのは、別に悪くはないと思う」
「だけど、疲れない?」
「好きな人のためなら、疲れないよ、きっと」
「じゃ、俺、別に美枝ぽんのこと好きだったわけじゃないのかな」
「え?」
ドクン。なんでそんなこと言うの?なんだか、悲しくなってきた。
好きじゃなかったの?恋じゃなかったの?ドキドキしたり、沈んだりっていう一喜一憂していたのは、恋じゃないの?




