第47話 ファーストキス
藤堂君は、私に顔を見せないようにしているみたいだ。だから今、どんな表情をしているのかがわからない。
もしかして、違うっていうのはキャロルさんとのキスと違うってこと?
まさか、私とのキスは嬉しくもなんともなくて、がっかりしてしまった…とか。
まさか、私なんか女らしくもないし、興ざめしちゃったとか。
だって、キャロルさんは本当にナイスバディで色っぽかったし。あんな綺麗な外人さんにキスされたりハグされたんじゃ、私なんかごぼうか長ネギみたいなもんだよね。こんな痩せててひょろひょろしただけの薄っぺらい体じゃあ…。
「……」
私、また落ち込んでる。藤堂君とファーストキスしちゃったっていうのに。なんでこうも、すぐに地の底に行っちゃうのかな。
せめて藤堂君、こっちを見て。
ああ、でもこっちを見たら目が思い切り冷めていましたとか、顔がげんなりしていましたとか、そんなだったら地の底どころか、魂抜け出ちゃうから、顔を向けられるのも怖いなあ。
そう思ったら、顔をあげていられなくなり、私はまた下を向きその場に固まっていた。
「……ゆ、結城さん?」
ドキン。藤堂君、こっちを向いたのかな。それで、話しかけてきたんだよね。顔、まだ怖くてあげられない。
「…怒った?」
クルクル。下を向いたまま、顔を横に振った。
「……ごめん、勝手に…、俺…」
藤堂君が言葉に詰まったようだ。
し~~~ん。しばらく沈黙が続いた。この沈黙すら怖い。
「あ、あの…」
「え?」
ドクドク。違うっていうのが気になる。きっと気になって夜も眠れず、何日も私は悩んでしまいそうだ。
「違うって?」
「え?何が?」
「藤堂君がさっき言ってた、全然違うって、キャロルさんと…ってこと?」
「うわ。それ、口から出てた?」
私は藤堂君の顔も見ないでうなづいた。
口から出てたってことはやっぱり、キャロルさんと全然違うって思ってたってことだよね?
「あ~~~。えっと」
藤堂君がものすごく困っているのがわかる。
だ、駄目だ。心が沈んでいく。
「……ごめん。結城さん、なんか落ち込んでる?やっぱり俺が勝手なことしたから」
「…」
私は少しだけ首を横に振った。落ち込んでいる原因はそこじゃないし。
「…ごめん。結城さん、もしかして初めて…」
「え?」
何が言いたいの?あ、もしかしてファーストキスって聞きたかったとか?
「えっと、ファーストキスだった?」
コクン。当たり前だ。付き合った人だっていないんだから、他の誰かとするわけがない。あ、そうか。藤堂君は違うか。外国に住んでいたら、付き合ってなくてもキスすることもあるのか。
だけど、ずうっと日本に暮らしてるんだもん。挨拶がキスって習慣の友達だっていないんだから、初めてに決まってるじゃないか。
じわ…。藤堂君は違うかもしれないけど!キャロルさんがファーストキスの相手かもしれないけど!わ、私は藤堂君が…。なんて思っていたら、また涙がこみあげてきた。
私は藤堂君が貸してくれたハンカチで涙を拭いた。
「な、泣いてる?」
藤堂君がすごく驚いて聞いてきた。
泣いてるよ。泣きたくもなるよ。だって、私のキスなんてキャロルさんとは全然違うんでしょ?
「………ごめん!」
藤堂君が頭を下げて謝った。
そんな、謝られても…、どうしていいか…。
「結城さんが泣いてて、落ち込んでて…。どうしたら元気になれるかわからなくって…」
え?
「結城さんがこのまま帰るのも、引き留めたくて…」
藤堂君?
「だから、つい…。か、軽はずみだった、俺…」
軽はずみ?って?
「き、キスしてわかった」
ドキン。何を?何がわかったの?わあ、なんだか聞きたくないかも。
キャロルさんと全然違うって?私なんかまったく、キスしたくなるような女の子でもなんでもなかった…とか?!
「………キャロルがキスしてくるのと、まったく違う」
グサ。
「心臓、今もあばれまくってる」
……え?あばれ…まくってる?!
「やばい…」
藤堂君はいきなりその場に、しゃがみこんでしまった。
え?え?え?え?なんで?
「は~~。結城さんが落ち込んじゃってるのに…」
え?
「まじで、ごめん。泣かせちゃったし。俺、ほんと最低だよね」
ううん。キスされて泣いたわけじゃ…。
「でも、こんな状況なのに…」
それから藤堂君は下を向き、黙り込んでしまった。
な、何?その続き…。こんな状況なのに、何?
気になる。藤堂君。その続き…。
それに真ん前でしゃがみこまれちゃって、私、どうしたらいいのかな。下を向いたままの藤堂君の顔、見れないし…。
ドキドキ。ドキドキ。どのくらい時間たったかな。わ、私、本当にどうしたらいいのかな。
「と、藤堂君?」
小さな声で話しかけた。すると、藤堂君は顔をあげて私を見た。
うわ!真っ赤だ、藤堂君。それにものすごく照れた顔をしている。
「ごめんね?結城さん…」
「う、ううん」
藤堂君はまたぱっと顔を下に向けてしまった。
私は藤堂君の横に、ちょっと距離を置いてしゃがみこんだ。
「…俺さ」
「え?」
ドクン。
「アメリカに行ったのが、3年生の時。キャロルとは家が近所で親同士がなんだか仲良くなって、それでうちにキャロルの家族が遊びに来たり、こっちが遊びに行ったりってしてたんだよね」
「う、うん」
「最初、俺もびっくりした。キャロルの親、お父さんもお母さんも、俺のことハグしたりキスしたりしていつも歓迎するんだ。あ、でもキスはほっぺだけど。でも、驚いていたんだ」
「う、うん」
「そういうのがアメリカなんだって、だんだんとわかってきて、他の家に遊びに行っても、どこのご両親もそうだったし…」
「…」
「キャロルは、特に明るい子で、俺以外のやつでもその頃から平気でハグしてキスしてた。犬や猫にするのと同じ感覚みたいで…」
犬や猫?
「最初は戸惑ったけど、そういうのを見てるうちに、そんなもんかって…。俺も犬や猫にするようなもんだし、まあいいかって」
まあ、いいか?!
「さすがに俺も6年生になったら、抵抗するようになって、キャロルにもやめろって言うようになったんだけど、あいつはまったくそういうの無視してたしさ」
「……」
「その延長で、日本に交換留学で来た今でも、ああいう挨拶を平気でしていると思う」
「う、うん…」
そんな話をされてもな…。それに小学3年生の時からずっとアメリカじゃ、キャロルさんとキスしてたってことでしょ?
「俺、ほんとキャロルとは、犬や猫と一緒って感じで…」
藤堂君はぼそっと、また話を続けた。
「キスしてきたって、抱きついてきたって、ああ、まただよっていうくらいで、なんていうのかな」
「…」
「ドキドキしたこともないんだよね、一回も」
「え?」
「だから、その…。さっき、結城さんにキスして、自分で驚いたっていうか」
「え?」
驚いた?
ちら。藤堂君が私を見た。目が合った。ドキン。私はすぐに目をそらして下を向いた。
「……結城さんって」
ドキン。何?何?何?犬や猫以下なんて言わないよね?!
「可愛いよね」
え?!!!
私はびっくりして思わず、藤堂君を見た。わわ。まだこっちを見てた。それも、じいっと…。
「結城さんの腕を掴んだら、すごく細かった」
ゴボウやネギみたく?
「肩も、すっぽり俺の肩に入るくらい、小さいんだね」
ゴボウやネギみたいに?
「なんか…、すごく線が細くて、そのへんもキャロルと違うんだなって思って」
ギクギク~~~。色っぽさも何にもない?
藤堂君はまた下を向いてしまった。
「私、ゴボウやネギみたい?」
「は?」
私の質問に藤堂君が目を丸くしてこっちを見た。
「細くて、色っぽくもなくって」
「……え?」
「キャロルさんみたいに、女らしくもない…」
「え?」
藤堂君はしばらく私を、目を丸くして見てから、
「俺、そんなこと何も言ってないけど?」
とそのままの表情でぽつりと言った。
「で、でも…」
「違うよ。その逆。キャロルに対しては、女性だって意識したこともなかった。だけど、結城さんは女の子なんだって、すごく意識しちゃって…」
「…」
でも、女の子…なんだ。女性じゃなくて…。
「今、ものすごく、俺…、まいってるんだ…」
………。
「まいってる…って?」
「結城さんに…」
「???」
「今さらだけど…」
「???」
「前から結城さんのことは、すごく好きだけど…。もっと意識したっていうか、なんていうかさ…」
え?!
か~~~~。あ、藤堂君、また真っ赤になった。
「ね?俺の顔赤いよね?」
「うん」
「自覚してる。顔がすごく熱いし。今も心臓あばれてるし。キスしただけでこんなになるなんて、思ってもみなかった。それもちょっと触れただけで…」
え?
「ごめん。本当にごめん。結城さんにとってはファーストキスなんだよね?それって、けっこう女の子にとって大事っていうか…その…。なのに俺、軽はずみにしちゃったし…、っていうか、俺が奪ってもよかったのかな」
う、奪う?え?私のファーストキスを?
「ごめん。嫌だった?だよね。泣いてたもんね…」
違う。
「あ、やばい。やっと冷静になってきた。俺、もしかして取り返しのつかないことを…」
あ、藤堂君の顔がみるみる白くなっていく。
「い、嫌がってないし、泣いていたのは違う理由だから」
「え?」
藤堂君が私を見た。
「藤堂君が違うって言っていたのは、キャロルさんに比べて、私なんて女っぽくもないし、体だって貧弱でごぼうみたいだし、藤堂君、がっかりしたのかなって、そんなことを思って…」
「……」
藤堂君の目が点になった。
「もう私のこと、嫌になっちゃったかなって、そんなことも思っちゃって…」
ブルブル!藤堂君は無言で首を横に振り、
「まさか!そんなこと思うわけない。その逆はあっても、がっかり何て、絶対に…」
と顔をまた赤くしてそう言った。
「…ほ、ほんとに?」
私はこわごわ聞いてみた。藤堂君は黙ってコクンとうなづいてから、顔を赤くしたまま、
「結城さんこそ、ファーストキスの相手、俺でよかった?」
と照れくさそうに聞いてきた。
「え?」
そんなの、そんなの、藤堂君じゃなきゃ嫌だったよ。
バクバクバク。そんなこと私から言えない。とてもじゃないけど、恥ずかしい。私は真っ赤になって、うつむいてしまった。
「ゆ、結城さん?」
藤堂君が、気弱な声を出した。
「と、藤堂君でいいです」
「え?」
わ~~。変な言い方をしたよね?
「今の、無し!」
私が慌ててそう言うと、藤堂君の顔が引きつった。
「な、無しって?」
「だ、だから、藤堂君でいいんじゃなくて、藤堂君がいいっていうか、藤堂君じゃなきゃ嫌だっていうか、藤堂君だから嬉しいっていうか」
あわわ。私、結局言っちゃってる。か~~~~。言って顔が火がついたようにほてった。でも、目の前の藤堂君も真っ赤だった。
「そ、そっか。よかった」
藤堂君はそう言うと、また目を伏せた。
じわじわじわ。だんだんと実感がわいてきた。私、藤堂君とキスしちゃったんだよね?
と、藤堂君と…。
うきゃ~~~~~~~~。
いきなり恥ずかしくなってきた。私は顔がどんどん熱くなっていくから、両手で顔を隠して顔を伏せた。
バクバク。そうだよ。キスしちゃったんだ。
「結城さん?」
そんな私を見て、また藤堂君が気弱な声で私の名前を呼んだ。
「な、なんか今頃、恥ずかしくなって」
「え?」
「顔、あつ~~~~~」
私は下を向いて、顔を隠したままそう言った。
「……」
藤堂君は黙って、しばらく私を見ているようだ。視線を感じる。
「やっぱ、可愛い」
という小さなつぶやきが聞こえた。そのあとで、
「あ、やべ。また口に出てた」
という独り言もしっかりと聞こえてきた。
コホン。藤堂君は咳払いをして立ち上がった。
「そ、そろそろ行く?あ、結城さん、帰らないよね?」
「うん」
私も立ち上がった。
藤堂君はそっと手を私のほうに差し出した。ドキン。私はその手に自分の手を重ねた。
藤堂君が優しく、私の手を握った。
ドキドキドキ~~~~。藤堂君の手のぬくもりだけで、胸がときめく。
「う、わ…」
藤堂君が耳を赤くした。
それから鼻の横を掻くと、
「なんか、手、つなぐだけで照れるね?」
とすごく照れくさそうに笑いながら、私に向かってそう言ってきた。
私は藤堂君をちらっと見て、コクンとうなづいた。
「…!」
藤堂君はそんな私を見て、目を丸くしてからクルッと前を向いてしまった。
え?どうして?
「ゆ、結城さんって、すごく女らしいと思う」
「え?」
どこが?!
「俺、何度もそのたびに射抜かれてるって思う」
は?射抜かれる?
「だ~~~~。俺、何を言ってるんだろう?」
「私のどこが女らしいの?どこも女らしくないと思うけど?」
「い、いいよ。結城さん、わかんなくても」
「え?」
「とにかく、俺がまいっちゃってるってことだから、その…。だから、あまり落ち込んだりしなくていいからさ」
「?」
私は少し藤堂君の手を、くいって引っ張った。意味が分からないから、教えて?というつもりで。すると、藤堂君はこっちを見て私の顔を見た。
私がきっときょとんとした顔をしていたんだろう。藤堂君は、
「だから…、俺、他の子なんて目にも入ってないし、結城さんのことだけでいっぱいなんだ。いっぱいどころか、自分でももてあましているくらい、どうしようもなくなってるし」
え?
「…結城さん。そのへん、わかって?」
「え?」
「ああ。このくらいでいい?これ以上、こういう話をしているのもすごく照れる」
「……」
藤堂君はまた前を向いて、ゆっくりと歩き出した。
「はあ…」
藤堂君がため息をついた。
「なんで、こんなに好きになってるのかな、俺」
もしかして今のも、独り言?
「なんでだと思う?」
前を向いたまま、藤堂君が聞いてきた。
「え?」
独り言じゃなかった?
「な、なんでって聞かれても」
困った。ああ、だけど、
「私も藤堂君のことが、すごく好きだけど、それもどんどん好きになってるけど、なんでだと思う?藤堂君」
と逆に聞いてみた。
バッ!藤堂君は立ち止まり振り返って私を見た。わ。真っ赤だ。
「それ、ほんとに?」
「うん」
私がうなづくと、藤堂君はもっと赤くなった。
それからまたクルッと前を向くと、
「顔、あつ…」
とボソッと言った。今度のは独り言だよね?




