第44話 やきもち
翌日の放課後、私、藤堂君、沼田君と美枝ぽん、それに麻衣は教室に残り、みんなで机をくっつけあって、勉強をしていた。
昼にすでにパンを買い込み、勉強を始める前にジュースも買ってきた。かなり本格的に勉強をする勢いだ。
私は時々、藤堂君の声だったり、真剣な眼差しだったり、手だったり、指だったりにときめいていたが、「いけない。勉強に集中」と頭を切り替えた。
意外だったのが沼田君と美枝ぽんが、真剣に勉強をしていて、2人で問題を解きあったり、相談しあったりしていることだ。
この前も2人で数学の問題に取り組んだらしいが、途中でわからなくなり、話が他にずれていったらしい。だけど、途中まではかなり真剣に勉強をしていたとか。
私なんて藤堂君のことを意識しちゃって、まったく勉強が手に着かなかったというのに。
1時間して、みんなで休憩を取った。パンを食べたりジュースを飲んだりしていると、
「そういえば、あの外人の女の人、誰?」
と、突然美枝ぽんが藤堂君に聞いた。
「え?」
「昨日、駅に一緒にいたでしょ?あ、背の小さい痩せた男の子も一緒だった」
「ああ、弟だよ。弟の守」
「へえ。藤堂君にあまり似てないね」
「ああ、そうかも」
藤堂君、答え方がそっけないなあ。ほら、美枝ぽんが黙っちゃった。
「それで?外人の女ってのは誰だったの?」
沼田君が美枝ぽんが黙ったからか、代わりに聞いた。
「小学校の時に、同じクラスだった子」
「へえ。江の島に住んでる外人さんなんだ」
麻衣がそう言った。
「あ、もしかしてアメリカで一緒だった、とか?」
私はなんとなくぴんときて、藤堂君にそう聞いた。
「あ、そうだった。藤堂君って小学校の時、アメリカに住んでいたんだっけ」
美枝ぽんが思い出したって顔をして、そう言った。
「え。帰国子女なの?お前って」
沼田君はびっくりしながら聞いた。藤堂君はちょっと眉をしかめた。ああ、帰国子女って言葉があまり好きじゃないんだっけね。
「…父さんの転勤で、住んでいたんだよ」
「その時の同級生ってことは、アメリカの学校に通ってたの?司っち」
「うん」
「わ~~。じゃ、英語ぺらぺら?」
麻衣が聞いた。
「いいや。普通の簡単な会話くらいしか、ついていけないよ。だから、授業はかなりハードだった」
「へえ。そうだったんだ。司っち、それであんなに英語が綺麗な発音なわけね」
沼田君がうんうんとうなづきながら、そう言った。
「その時のクラスメイトが、なんで江の島にいたの?」
美枝ぽんがまた口を開いた。
「交換留学とやらで、こっちの高校に通うんだって。昨日は久しぶりに会いたいからって会いに来た」
え…。
「司っちに?」
私の表情が固まったのを見てから、沼田君が藤堂君に聞いた。
「うちの家族にだよ。家族ぐるみで仲良かったからさ」
「…ふうん」
相槌を打ったが、私の相槌はやけに暗い相槌になってしまった。
「あの人、同じ年なんだ。すごく大人っぽく見えたよ。スタイルもいいし、すごい綺麗なブロンドだったよね」
「……」
美枝ぽんの話に、藤堂君はまったく無反応だった。そして藤堂君は、ちらっと私を見た。
私はどんな反応をしていいかわからず、視線を下げた。
「だから用事があるって言って、司っち帰ったんだね、昨日は」
沼田君がまた私の反応を見てから、藤堂君に言った。
「え?ああ、うん」
藤堂君の答えが、なんだか曖昧だ。
「さ、勉強再開しようよ」
麻衣がそう言いだして、ノートや教科書を開いた。みんなもパンの袋や飲み終わったジュースのパックを片づけ、ノートを開いた。
そして勉強が再開された。藤堂君は麻衣の質問に、丁寧に答えている。
だけど私は、その外人の女の人が気になってしまって、まったく勉強をする気がなくなってしまった。
スタイルがよくて、金髪。仲の良かった女の人…。
ガイ~~~ン。なぜだかわからないけど、やたらとショックだ。
5時になり、みんな荷物をまとめだし、それから教室を出た。私たち女子はそのままトイレに寄った。
そこで、何気に美枝ぽんに聞いてみた。
「美枝ぽんが見た外人の女の子、可愛かった?」
いや、何気じゃないね。思い切り気になってるって感じの聞き方だよね。私ったら。
「可愛いっていうか、なんていうの?大人っぽい感じかな」
「ふ、ふ~~ん」
「実はさ、駅の改札に入る前に、その人、守君にはほっぺにチュッてして、藤堂君にはハグして、唇にキスしてたんだよね」
……。え、今、なんて?
「え~~~?唇に?」
「し~~。声、大きいよ、麻衣。藤堂君、私がそんなこと言ってるって知ったら、あとで怒るかもしれないし、穂乃ぴょんも私から聞いたって黙っていてね」
「怒る?司っちが美枝ぽんに?」
「うん。さっきも私の話をしっかりと無視してくれてたし、時々、藤堂君、怖いんだよね」
「私も怖かったけど、気にすることないと思うよ。本気で怒ってるわけじゃないと思うし」
「そうかなあ。クラスの男子に怒ってたことあったでしょ?怖かったじゃん」
「美枝ぽんでも、怖いって思うことがあるんだ」
「あるよ。藤堂君はもともと私、苦手な人種なんだから…」
2人はそんな話をしながら、トイレを出た。私はさっきの、「唇にキス」がずっと頭の中を駆け巡っていて、クラクラになりながら、2人のあとをとぼとぼ歩いていた。
…ハグして、唇に、キス?
「み、美枝ぽん、待って」
昇降口に行く途中で私は、美枝ぽんの腕を掴んだ。
「と、と、藤堂君、その時、どんな反応をしてたの?」
勇気を振り絞って、美枝ぽんに聞いた。
「藤堂君は、やめろよって手で押しのけてた。そうしたら、シャイボーイって言いながら、その外人の女の人は笑ってたよ」
「……」
「そのキスが初めてじゃないね。きっと、いつも挨拶はキスをしてたんだよ」
麻衣が言った。
「それでいつも、司っちが照れて嫌がって、その子にシャイボーイってからかわれて…」
やめてくれ~~~。それ以上は聞きたくない~~~~。
だって、あの藤堂君だよ?どっからどう見ても、和男子の、キスなんて無縁って感じの、藤堂君だよ?もし、もし、もし、私とキスをしたら、絶対に藤堂君だって、ファーストキスなんだろうなって、私は心のどっかで思っていたんだから。
それが…。挨拶代わりにいつもキス?ってことは何回もその女の人とは、キスをしていたってこと?
ず、ず、ず~~~~~ん。
久々の地の底。
「お待たせ」
「遅いよ~~」
美枝ぽんの言葉に、沼田君が明るく答えた。麻衣も明るく、靴を履きかえ外に出ていった。私は思い切り暗くなりながら、靴を履きかえた。
そして、暗いまま昇降口を出た。
「あれ?どうしたの?穂乃ぴょん」
沼田君が私の暗いのに、すぐに気が付いたようだ。
「…」
藤堂君も私の顔を見た。そして、近寄ってきた。
「気分悪いの?」
藤堂君が優しく聞いてきた。うわ。やめて。優しい言葉も今、ハートに突き刺さる。
「な、なんでもないの。あ、ちょっと頭使い過ぎて、クラクラしているだけで」
「また貧血?」
「ううん。平気だから」
私は藤堂君にどうにか、笑顔を作ってそう答えた。沼田君は、
「そうだよなあ。かなり真剣に勉強しちゃったもんね。俺も今、頭痛いよ」
と明るくそう言った。
美枝ぽんはなんだか、よそよそしい感じだった。麻衣は私の顔を見ると、目で何かを訴えた。なんだろう。ああ、大丈夫だよ、気にするなって、どうやらそんなようなことだ。
そうだよね。普通はこんなことで落ち込まないよね。
付き合っていた人が前に誰かと付き合っていました…なんて、そういうのってけっこうあるし。麻衣だってそうだ。元彼は、付き合っていた女の子いたんだもん。そりゃ、キスもしたことがあっただあろうし、麻衣だって、それよりも前に誰かと、キスをしたことがあったかもしれないんだし。
こんなことで落ち込んでちゃ、これから先、いろんな男の人と付き合っていけないよね。
あ、違う。私、いろんな男の人と付き合いたいなんて思ってない。藤堂君だけでいい。藤堂君だけで。でも、その藤堂君が…。
駄目だ。また落ちた。堂々巡りをしている、私…。
必死で作り笑いをして、どうにかみんなの話に合わせながら駅まで歩いた。そして、麻衣と藤沢方面の電車に乗った。ホームで沼田君に話しかけられ、藤堂君はそれに答えて、私のほうは見ていなかった。
麻衣と空いているシートに腰かけた。それから、
「は~~~~あ」
という暗いため息をしてしまった。
「やっぱり気にしてた。あんなのね、挨拶なんだから、キスのうちにはいらないって」
「……そうかな」
「そうだよ。それに、司っち嫌がってたんじゃない?そういうの嫌いそうじゃない」
「…そうかな」
「そうだよ。気になるなら本人に聞いてみたら?まだ、電車出そうにないよ」
そう言って、麻衣は立ち上がろうとした。私はとっさに麻衣の腕を掴み、
「いいよ。いいって」
と麻衣をシートに座らせた。
「麻衣の言うとおりだよ。気にするようなことじゃないよね」
「うん、そうだよ」
ドアが閉まり、電車が出発した。私はちらっとホームを見た。すると、藤堂君は私のことを、じいっと見ていた。
わ。いつから見ていたんだろう。私はとっさに目を背け、藤堂君のことを無視してしまった。
ガタン、ガタン。ああ、なんだか、気まずい。藤堂君、変に思わなかったかな。
「私、駄目だよね」
「え?何が?」
「ほんと、こんなことだけで落ち込んだりして、こんなでこれからちゃんと付き合って行けるかな」
「大丈夫だって。それからさ、もし気になるなら、ちゃんと司っちに聞いたほうがいいよ」
「え?」
「私もね、気になることがあっても、聞かなかったし、平気なふりまでしちゃってたの。元カノのこともすごく気になっていたのに、聞かなかったんだよね。そういうの、素直に聞いてたらよかったって、今さらながら思うんだ」
「そうなの?」
「美枝ぽんのことは気にしないでいいよ。司っち、美枝ぽんには怒ったりしない。きっとね」
「うん。藤堂君、優しいからそんなことはしないとわかってるけど…」
「そうだよね。優しいんだよね。でも、勘違いしちゃうよね。あの、なんかこう無言の威力というか、圧力?」
「無言の?」
「そう。何も言ってくれないと、へこむよね。私もそうだったし、美枝ぽん、今日へこんだみたいだし」
「………」
私も、藤堂君は優しいって知ってるけど、冷たくされたらへこむだろうな。地の底の底まで。
は~~~。聞けるのかな。それに、なんて聞いたらいいの。これ、私の単なるやきもちだよ。そんなこと言ってもいいの?藤堂君、呆れない?
あ~~~~~~~。頭、本当に痛くなってきたよ~~。
誰かに相談してみる?こういうのって、男の子のほうが、どんなふうに感じるかわかるのかな。
だったら、沼田君に…。
私は家に着き、夕飯を食べ終えてから部屋で、携帯を手にしてまたため息をついた。
藤堂君にか、沼田君にか、どっちに先にメールするか。
>今、メールしても平気?
>いいけど。やっぱり暗かったのは、何か悩んでたんだ。
沼田君、すぐに返事が来たなあ。なんかぴんと来ていたんだなあ。
>わかった?実は美枝ぽんから、藤堂君と外人の女の子のことを聞いて…。
>やっぱり?俺も聞いたよ。ハグしてキスしたところ見ちゃったって。そのことだよね?
>そう。そのこと。よくおわかりで…。
>それだったら、気にしないでいいよ。美枝ぽんも言ってなかった?司っちは嫌がってたって。
>照れてたんじゃなくて?
しばらく沼田君のメールが来なくなった。そして、
>微妙だけど、やっぱり嫌がってたんじゃないの?
と5分してからやってきた。あ、今、考え込んでいたのかな。
>こんなこと藤堂君に聞いたら、嫌がるよね?
>こんなことって?外人の女の子とハグしてキスしてのは、嫌だった?って?
>そんなふうには聞けないよ。いくらなんでも。
>じゃ、どういうふうに聞くの?
>だよね。聞けないよね。は~~~~~。
>あははは。また、地の底までいきそうなため息だね。
ああ、沼田君にはみんなバレバレだね。
>まあ、そうだな。聞くなら電話かなんかで、昨日の外人の女の子のことを、もっとちゃんと聞きたいな、とか言って、聞きだすんだね。
>話してくれるかな?
>直接顔を見てのほうが、わかりやすいかもね。司っち、顔に出やすいから。
ああ、沼田君はそういうの、わかってるんだな。
>ありがとう。明日の朝にでも聞いてみるよ。
私は携帯を置いた。そしてお風呂に入りに行った。
沼田君も、藤堂君が嫌がってるって言ってたけど、それはどうなんだろう。でも、嬉しがったりはしなさそうだなとも思うし。でも、どうなんだろう。
ぶくぶく。お風呂のお湯に沈んでいき、おぼれそうになり私は慌ててお風呂を出た。
ボ~~っとしながら部屋に行くと、携帯が点滅していた。
うわ。藤堂君から、電話が来てた!ど、どうしよう。やっぱり、ちゃんとかけたほうがいいよね、電話。
プルル…。プル…。
「もしもし」
わ。すぐに藤堂君が出た。電話、待ってたのかな、もしかして。
「あ、ご、ごめん。お風呂に入ってて、電話出れなかった」
「…ああ、風呂?」
「うん」
しばらく藤堂君は黙った。それから、一回息を吸う音が聞こえた。
「なんか、結城さん、様子変だったから。体の具合、どう?」
「大丈夫だよ。もう全然」
「…ほんと?」
「うん。心配して電話してくれたの?ありがとう」
「いや…」
藤堂君はまた黙り込んだ。
「大丈夫ならいいんだ」
ぼそってそう言うと、藤堂君はまた、黙ってしまった。
「今日は、いろいろとありがとう」
「え?」
「勉強見てくれて」
「あ、ああ。やっぱりみんなで勉強した方が、張合いがあるね」
「うん」
し~~ん。また黙っちゃった。
「じゃあ、また明日ね、藤堂君」
「あ!」
え?
「その…。もしかして、なんか聞いた?」
「え?なんかって?」
はっ!外人の女の子のことかな。
「その…八代さんに何か…」
やっぱり。ああ、どうしよう、なんて言ったらいいのかな。
「えっと、あの…。ううん。たいしたことは、その…」
駄目だ。完全にしどろもどろだ。これじゃ、動揺しているのまるわかりだよね?
「な、なんか、えっと。別れ際に、えっと…」
ああ、こんなじゃ、もっと藤堂君、変な風に思うよね?
「……」
藤堂君がまた、黙っている。沈黙だ。やっぱり、直接顔を見て話したかったな。でないと、どんな表情をしているのかがわかんないもん。
「やっぱり、聞いてるんだ…、八代さんから」
「え?」
ドキン。美枝ぽんのこと怒ってる?まさか。
「あ、でもね、美枝ぽんからじゃなくて、私が美枝ぽんにいろいろと聞いちゃったの。その、き、気になったから」
「何を?」
「だから、えっと。藤堂君がその外人の女の子と、仲良かったのかなとか、どんな感じだったのかなとか…」
「……」
また、藤堂君は黙り込んだ。まさかと思うけど、話しにくいことなのかな。実はすごく仲がよくって、私には話しにくいとか。
「う~~~ん。わざとなんだ」
「え?」
「キャロルはいつも…、ああ、キャロルっていうんだけどさ、名前。ああやって、俺のことからかって遊んでるんだ」
え?遊んでる?からかってる?わざと?
「面白いんだろうな。俺がいちいち、嫌がるから。日本人はシャイだって、からかってくるんだけど、シャイとかじゃなくって、本当にああいうのは苦手だから」
本当に、本当に、本当に?
「…気にしてた?よね?」
「う、うん」
「日本とアメリカは違うんだから、そういう挨拶もやめてくれって言ってるんだけどさ」
「…実は、キャロルさんは藤堂君が好きで、とか、そういうのは?」
「ない!」
そんなはっきりと…。
「あいつには、彼氏いるしさ。3歳上のかなりのエリート」
「…ふうん」
そういうのも知ってるんだ。それだけ仲いいのかな。
「気にしないでいいから」
「え?」
「俺のことも、同じ年なのにてんでガキだって思ってるみたいだし、だから、気にすることないから」
「う、うん」
そうは言われてもな。いや、藤堂君がそう言うんだから、気にするのはやめようよ、私。
「わかった。もう気にしないね」
「……あ、そっか」
「え?」
「それってあれか…。俺が沢村や、柏木のことを気にするのと一緒か」
「……え?」
「や、やきもちってやつ、だよね?」
「…うん」
か~~。今、顔見られないで良かった。私、真っ赤だ。
「そっか。だったら嬉しいことかな」
「え?」
「まったく結城さんが気にしないでいるっていうのも、寂しいよね。気にかけてくれた方が、俺としては嬉しいってことだね」
そうなの?そう思ってくれるの?うざかったり、重たかったりはしないの?
「…えっと。でも、まじで気にしないでも大丈夫だからさ。だけど、うん。やきもちは嬉しいかな…」
藤堂君も今、もしかして顔赤かったりするのかな。
「じゃあ、また明日ね。朝、待ってるから」
「うん、おやすみなさい」
「おやすみ…」
電話を切った。はあ。いきなり安心して、ほっとしている私がいる。
だけど、心の奥底ではまだ、藤堂君、キスしたことあるのかって、気にしている。
誰とも付き合ったことがないって言うから、キスの経験もないって勝手に思っていた。まさか、挨拶のキスをしていただなんて。
気持ちを持ち上げて、もう気にするのはやめようとすればするほど、なんだか落ち込んでいく。
ごめん、藤堂君。明日にはちゃんと、元気になるからね。そんなことを思いながらも、その日の夜はなかなか眠ることができなかった。




