第40話 縮まる距離?
昼、隣でお弁当を食べいていた藤堂君が、ぼそっと小声で私に聞いてきた。
「沢村と、なんか話してたけど…なに?」
あ、気が付いてた?
「えっと…」
どうしよう。言ってもいいのかな。
「そういえば、仲よさそうに近づいて小声で話してたよね?」
沼田君にまでそう言われた。
「仲良くじゃないよ。ただ、あっちが小声で内緒話するみたいに話していただけで」
「内緒話?!」
藤堂君は、顔を引きつらせた。
「あ、違う。違うの。えっと…」
そこにうちのクラスの女子が入ってきた。
「暑い~~。ねえ、アイス食べようよ」
すでにお弁当は食べ終わったのか、そう言いながら食堂に入ってきてアイスを買うと、私たちのいるテーブルの斜め後ろのテーブルに座り、あれこれ大きな声で話し出した。
「ねえ、あの噂知ってる?」
「何?」
「藤堂君の噂」
「ああ、知ってる~~。ちょっと驚きだよね?恋に縁のなさそうな顔をしているのにね」
どうやら私たちがここにいるのに、気が付いてないらしい。そりゃそうか。知っていたらそんな話を大声でしないよね。
私たちはその会話を耳にして、みんな黙り込んだ。当の本人も、何の噂だって顔で気にしているようだ。
「それにしてもさあ、結城さん、藤堂君のどこがいいんだろうね」
え?!
「私だったら、沢村君のほうが付き合うならいいかな。そりゃ、藤堂君、顔はイケてるけど、付き合うとなったら別だよね」
ええ?
美枝ぽん、麻衣、沼田君がいっせいに藤堂君を見た。私も横目でちらっと見たが、藤堂君は怖い顔をしていた。
「沢村君のほうが話しやすいし、いろいろと遊びも知っていそうだしね」
「それに、あんな噂聞いちゃったら、私、付き合っているのも嫌かも」
「うん。この噂、結城さんって知ってるの?」
「これだけ噂になってるんだから、耳に入るのも時間の問題じゃない?」
「そうしたらどうするかな」
「別れるいい口実ができたってことだよ」
「ああ、そっか~~」
あはははって、他人事だと思い、勝手にその子たちは笑っている。
「噂?」
藤堂君が引きつった。美枝ぽんや麻衣、沼田君も暗い顔になり、私と藤堂君の顔を交互に見ている。
「噂、知ってる?美枝ぽん」
麻衣が聞いた。
「ううん。麻衣は?」
「知らない。沼っちは?そういうの一番早く情報入りそうだよね」
「俺?いや。柏木と取り合ったって噂じゃないよな?」
「そんなので、付き合うのやめたりしないでしょ」
「だよな。司っち、思い当たることないの?」
藤堂君は無言で、首を横に振った。それからじっと一点を見つめ、暗くなっている。きっとどんな噂なんだって、考え込んでいるんだろうな。
「私、知ってる」
ほえ?!なんで私の口から、そんな言葉が出ちゃったんだ。でも、藤堂君があまりにも暗く、まっさおになっているものだから。
「え?」
みんながいっせいに私を見た。藤堂君も顔を引きつらせ、私を見た。
「多分、出どころは野坂さんだと思う。あ、噂を流したかったわけじゃなくって、きっと話を聞いた子が、誰かに話しちゃったんだろうな」
「え?」
藤堂君はもっと、顔を引きつらせた。
「どんな噂が、野坂さんから流れちゃうの?」
麻衣が聞いた。
「えっと、私はさっき、沢村君から聞いたんだけど」
「え?それをこそこそと沢村君が話してきたわけ?」
「うん」
「あいつ、せこい。なんの噂だか知らないけど、そうやって、別れさせようとしたってことでしょ?」
麻衣が眉をしかめてそう言った。
「それ聞いて、穂乃ぴょん、平気だった?傷つかなかった?」
美枝ぽんが心配そうに聞いてきた。沼田君も心配しているって表情に変わり、藤堂君までが、目を細め、私のことを気にかけ始めた。
「あ、全然平気。私が傷つくことでもなんでもなかったし」
「え?」
私がそう言うと、みんながいっせいに目を丸くした。
「どういうこと?傷つくことじゃなかったら、なんであんな噂になっているの?ちょっと聞かせてもらってもいい?」
麻衣が聞いてきた。
「う、うん。でも、いいのかな?」
私は藤堂君をちらっと見た。
「…俺に遠慮してる?いいよ。言ってくれて。俺もどんな噂が流れているか知りたいし」
藤堂君は真面目な顔つきでそう言った。
いいのかな。こんな話をみんなにしても。かなり私も恥ずかしいけど、もっと藤堂君は恥ずかしいよね?
「えっとね」
みんながゴクンとつばを飲み込む音がした。
「と、藤堂君は1年の時に、ふられてるって」
「え?それ、穂乃ぴょんにでしょ?」
沼田君がそう言った。
「沢村君は誰にふられたか、知らないみたい」
「そうなんだ~」
美枝ぽんが相槌を打った。
「それで?」
麻衣が私をせかした。藤堂君は、眉をしかめて聞いている。
「それで…、藤堂君はね、ずっとその子のことを好きでいるみたいだって…、そういう噂だった」
「は~~~~?!!」
あ、一気にみんなが呆れたって顔をしてしまった。
藤堂君は、ああ、やっぱり。真っ赤になって下を向いている。
「何それ。そりゃ、穂乃香、傷つかないわ」
「逆に嬉しい噂だよな?」
麻衣と沼田君がそう言った。
「でも、あれ?相手が穂乃ぴょんだってことだけは、みんなにばれてないってことか」
「だよな。じゃなきゃ、バカみたい、勝手に仲良くやってたら?って話だもんなあ」
沼田君は美枝ぽんにそう言うと、食べ残していたハンバーグのかけらをばくっと口に入れた。どうやら噂話が気になって、最後の一口を食べられなかったようだ。
麻衣も拍子抜けをしたって顔をして水を飲み、美枝ぽんなんて、
「私、ジュース買ってこようっと」
と言って、売店に行ってしまった。
「それ、野坂さんが言ったんだ」
藤堂君がぽつりとそう言った。
「沢村君が言うには、ずっと好きでいるみたいだから、私はあきらめたっていうようなことを、誰かに野坂さんが言っていたって」
「ああ、そういうことか」
藤堂君はまだ、耳が赤い。
「なんなんだ。でも、なんでそんな噂が流れてるんだ」
藤堂君が下を向き、ぽつりとそう言うと、
「そんだけ、もしかして穂乃ぴょんファンが多いとか?」
と沼田君が言った。
「え?」
「じゃなきゃ、そんな噂流れる?結城さんが藤堂と付き合いだした。でも、どうやら藤堂には他に好きな子がいるみたいだ。だったら、俺らにもまだチャンスがある。みたいな?」
ちょ、ちょっと。また沼田君は変なことを言いだしている!
「そ、そういうことか」
ちょっと?なんで藤堂君まで、納得しているの?
「その逆もあり得るよね」
麻衣が話に加わった。
「藤堂君を影から見ている子が、どうやら、藤堂君は結城さんと付き合っているけど、他にも好きな子がいるようだって、そんな噂をしだしてるとか?」
「ただ単に暇なだけじゃない~~?」
ジュースを買ってきた美枝ぽんが、そう言いながら席に着いた。ああ、そうだよ。きっとそういうことだよ。
「そうかなあ。俺、何気にいろんなやつから耳にするんだけどなあ」
沼田君がぼそって言った。
「何を?」
藤堂君が気になっているのか、かなり顔を沼田君に近づけ聞き返した。
「う~~ん。穂乃ぴょんと俺が仲いいとか、付き合っているのかとか、いっときそんな噂が流れた時があって、そんときに何人もの男子から、まじで付き合ってるの?って聞かれたんだよね」
「え?」
「付き合ってないって言ったら、じゃあまだ結城さん、フリーだよねって安心したやつがこのクラスにも数名…」
「え?」
「他のクラスにも数名いた」
「………」
藤堂君は顔を引きつらせ、
「そういうの、初めて聞いた。なんでお前、教えてくれなかったわけ?」
と沼田君をちょっと睨んだ。
「だって、司っちが穂乃ぴょんを好きだなんて、俺、知らなかったしさ」
沼田君のほうも顔を引きつらせ、そう答えた。藤堂君の睨んだ顔が怖かったのかな。
「よかったじゃん。司っち。他の誰かに穂乃香を取られないで」
麻衣がそんなことを藤堂君に言うと、
「……まじでそうだよな」
と藤堂君は独り言のようにそうつぶやいた。
私はさっきから、自分事の話じゃなかった。まったく他人の話を聞いているかのようだ。それに、私を誰が好きだとしても、まったく興味もないって感じだし、私はただただ、隣にいる藤堂君の表情が気になり、それを見ていた。
ふられて、すごく落ち込んでいたって、柏木君が言ってたな。1年の同じクラスだった奴は、みんな知っているって言ってたけど、そんなに藤堂君は落ち込んじゃったんだろうか。
それに、ずっと私を好きだったって。
ああ、相手の子が誰だかを知らず、噂になってるとはいえ、その噂は私を落ち込ませるどころか、喜ばせる噂になっていることは、間違いがない。そして、その噂は私たちを別れさせるどころか、ますます結びつけちゃう噂になっちゃったんだ。
藤堂君は私がじっと見ているのに気が付いたのか、私をちらっと見ると、一気に顔を赤くした。あれ?なんで照れたの?
わかんないけど、私もそんな藤堂君を見て、思わず顔が熱くなってしまった。ああ、またきっと、2人で照れあってるんだなあ。私たち…。
その日、ホームルームが終わり、私は掃除当番なので教室に残っていると、
「結城さん、あのさあ」
とまた別の男子が声をかけてきた。藤堂君はすでに、弓道部の道場に行ってしまっていなかった。
「な、なに?」
つい、沼田君や藤堂君以外の男子だと、身構えてしまう。
「結城さんって、藤堂に怪我させた責任から付き合いだしたって、本当?」
は?私が目を点にしていると、もう一人男子がやってきた。
「いや、俺は藤堂から脅されて付き合いだしたって聞いたけど?」
ちょっと待って。何よ、それ!
「違うよ。そんなことあるわけないじゃん」
と、その二人の間にずずずいって顔を突っ込んで、否定してくれたのは美枝ぽんと麻衣だ。
「まったく、どこでそんな噂が流れちゃってるわけ?」
麻衣が呆れている。
「言っとくけど、穂乃ぴょんはまじで、藤堂君に惚れ込んじゃってるから、他の誰が言い寄っても藤堂君と別れたりしないよ。とっととみんな、あきらめた方がいいよ」
み、美枝ぽん。それ、ありがたいような、恥ずかしいような…。
「でもさ、あいつのことを好きでも、結城さんが傷つくことになるんじゃねえの?だったら今のうちに別れたほうが、結城さんのためでもあるじゃん」
どこからか沢村君が現れてそう言ってきた。
「なんで、穂乃香が傷つくのよ?」
麻衣が沢村君の顔を睨みながらそう聞いた。
「噂知らないの?あいつ、1年の時にふられて…」
「知ってるわよ。それも噂どころか、ふった張本人も知ってるし」
麻衣が、沢村君の顔を睨みながらそう言った。ゲ。何を言い出すつもり?!
「え?知ってるんだ。でも、藤堂はその子のことをあきらめてもいないし、まだ思ってるんだぜ?なのに結城さんと付き合いだして」
「そう。司っちはあきらめてもいなきゃ、忘れてもいなかった。ずうっと思い続けてようやく、その思いが届いたってわけ。で、ハッピーエンド。だから、穂乃香は、傷ついたりしないわけ。わかる?言ってる意味」
麻衣が仁王立ちになって、沢村君にそう言った。隣りで美枝ぽんが、うんうんとうなづいている。
「?」
沢村君は首をひねった。麻衣が言っている意味がわからないらしい。
「え?じゃあ何?ふったのって、結城さん?」
その横にいた男子が先に気が付き、驚いた顔で私に聞いてきた。
私は黙ってうなづいた。
「え~~~?!」
沢村君の目が丸くなり、めちゃくちゃ驚いている。なんでそんなに驚くことなの?
「…一回ふったのに、何で付き合うことになってるわけ?」
「やっぱ、脅されたとか」
「それより、怪我させたって、責任感じたんだろう?」
沢村君の周りにいる男子が、そう私に言ってきた。なんでそうなるの?話が振り出しに戻っているし。
「か~~~!わからないかな、これだけ言っても!」
麻衣が怒りだした。
「いいよ、麻衣。それよりも私、そろそろ部活に行ってくる」
私はその場にいた男子をほっておき、教室を出て美術室に向かった。
「私ももう帰るから、途中まで一緒に行く」
麻衣がカバンを持って、私の横に並んだ。
「それにしても、なんなんだろうね。責任とか、脅したとかって」
「うん。本当にまいっちゃう。そんなことわるわけないのに」
私がそう言うと麻衣が、本当だよねえって言ってため息をついた。
「なんでかな。美枝ぽんと沼田君は、そんなに付き合っても噂にならないのに」
「だから穂乃香の隠れファンがそれだけいたってことでしょ?」
「それ、絶対にないと思うよ」
「…ああ、そういえばさ、美枝ぽんと沼っちは仲いいじゃない。一緒に登校してくるし、見ててもべったりしているしさ。まあ、たいていが美枝ぽんのほうから沼っちに引っ付いてるって感じだけど」
「うん」
「あの仲の良さなら、付き合ってるのも一目瞭然だし、誰も何も言わないし、うわさも流れないんじゃないの?」
「じゃあ、私と藤堂君は」
「付き合っているように見えないもん。そりゃ、本当に好きで付き合ってるのか?どうなんだよって、気になっちゃうかもしれないよねえ」
「…」
ってことは?
「だからさ、もっと司っちと仲良くなったら?穂乃香のほうから、腕組んでみたり、引っ付いてみたりしたらいいんじゃないの?」
やっぱり、そうきたか。
「無理…」
「なんで?好きなんでしょ?」
「好きだからこそ、無理。とてもじゃないけど、恥ずかしくって」
「なんで?付き合ってるんでしょ?」
「だけど、無理なものは無理なんだってば」
手をつなぐのだって、やっとこだったんだよ?藤堂君だってすごくシャイだし、これ以上の接近はありえないよ。
「だけどさあ、これからはわかんないよ」
麻衣がにやって笑って、私を見た。
「え?何が?」
「司っち、きっと慌てたと思う」
「?何を?」
「穂乃香のファンが多いから」
「へ?」
「他の奴に取られないよう、もっと積極的になってくるんじゃないのかな」
「な、何を?」
積極的にってどういうこと?
「だから~~。もっと、穂乃香に迫ってくるようになるってことよ」
せ、ま、る~~~~?!
「え?ええ?!」
私は、驚きのあまり、頭が一瞬真っ白になった。
迫る?迫る?迫るって、何?
あまりの驚きで、その場に佇んでいると、
「じゃ、私はバイトだからもう帰るよ~~。今日も、司っちと一緒に帰るんでしょ?ま、頑張ってね、穂、乃、香」
と麻衣は意味ありげな言い方をして、昇降口に行ってしまった。
え?
…え?
頭を真っ白にしたまま、美術室に行った。そして自分の絵の中の藤堂君を見て、私は麻衣の言葉を思い出した。
藤堂君が、迫る?
あ、ありえない。そんなこと絶対にありえないって。
絵の中の藤堂君を見ながら、私は思い切り麻衣の言葉を否定した。
でも…。でも、もし、そんなことになったとしたら?私はその時、どうしたらいいんだろう?
そんなことを考え出してしまって、私はなかなか絵を描くことができなくなっていた。




