第31話 胸キュン
放課後、今日は沼田君は、1年の時の仲良かった仲間と遊びに行くと言って、さっさと帰っていき、美枝ぽんも部の友達と部の帰りにご飯食べて行くんだ~と言って、ウキウキしながら部活に行った。
麻衣は久々に芳美とお茶をして帰るらしい。
藤堂君は私と、美術室に行き、
「今日も一緒に帰ろう」
と言って、私がうんってうなずくと、ニコって笑って、そのまま道場に向かった。
一緒に帰れる。これこそが、私の待ってた、あこがれてた彼氏のいる高校生活じゃない?
メールもしあって、それから、休みの日にはデートもして。
で、デート!2人で出かける!わ~~。そんな日がいつか来るんだ~~!
そんなことを思っていたら、なかなか絵が描けなかった。
いけない。いけない。絵を描くことに集中しよう。
私は黙って、絵を描きだした。絵の中の藤堂君が、私にどんどん力をそそいでくる。
きゅ~~~ん。って、絵の中の藤堂君にまで、私は胸キュンしてるのか。やっぱり、重症だ。
今日も、何度もキュンってなった。あくびをした藤堂君の横顔にも、黙ってる凛々しい藤堂君にも、ちょっと照れくさそうに笑った藤堂君にも、さっきの一緒に帰ろうって言ってくれた藤堂君にも。
何回も何回も、キュンキュンってしちゃって、そのたび私の顔がほてっていた。きっと藤堂君といると私は、真っ赤になっちゃってるんじゃないかなあ。
それにきっと、目がハートになってるよね。
藤堂君。ああ、早く5時にならないかなあ。
って、絵だよ。絵!絵に集中だよ。
っていうのをずっと繰り返している間に、窓の外が赤く染まっていき、藤堂君が美術室にやってきた。
わ。来ちゃった。あ、なんだか、照れくさそうにしている。
「まだ、絵、描いてたの?」
「うん。あ、でももう終わるよ」
5時はとうに過ぎていて、他のみんなは片づけをして帰って行った。
「また、結城さん、最後?あ、まさか俺のこと待ってて、この時間まで描いてた?」
「ううん。時間に気づかないでいただけで」
なにしろ、藤堂君を思ってみたり、絵に集中してみたりっていうのを、繰り返しちゃってたからなあ。
「あ、じゃあ、邪魔しちゃったかな?」
「ううん。本当にもう、終わらせようと思ってたから」
っていうか、邪魔するどころか、藤堂君が来てくれて、今、すんごく嬉しいんだもん。でも、そんなことは言えないよ。
「…夕焼け、綺麗だね。昨日も思ったんだけどさ」
そう言いながら、藤堂君は窓際まで歩いて行った。
「うん」
藤堂君は窓から外を眺めた。私はその後ろ姿に、つい見惚れてしまったが、藤堂君がこっちを向いたので、慌てて、片づけているふりをした。
「ゆっくり片づけていいよ」
「う、うん」
ドキドキ。なんだか、見られてて、手が震えちゃいそうだ。
「お腹空いてない?結城さん」
「え?うん。あ、藤堂君も?」
「うん。なんか食べてく?」
「うん」
うわ~~~。一緒にお茶もできるの?嬉しいかも。嬉しすぎるかも!
「……」
藤堂君が何やら、じいっと私を見ているようだ。ものすごい視線を感じる。
「な、なあに?」
私の顔に何かついてる?あ、もしかして絵の具?
「今、すごく嬉しそうにしてたから」
「え?」
「…もしかして、嬉しいのかなって思って」
え?
「………」
嬉しいに決まってるよ~。なんで、そんなこと聞くのかな。私はきょとんとして藤堂君を見てしまった。
「あ、俺の見間違い?」
「まさか。嬉しいって思ってたよ?」
「俺と、帰れるから、とか?」
「うん」
「それに、どっかに一緒に寄っていくから、とか?」
「うん」
「…沼田が言ってたのって、本当?」
「え?」
藤堂君が耳を赤くして聞いてきた。
「言ってたことって?」
「結城さんが、健気で一途」
「…」
か~~。私の耳も熱くなった。
「お、重い?」
「え?」
「健気で一途って、重い?」
グルグル。藤堂君は顔を横に振って、
「う、嬉しいよ」
とそう言うと、くるっと後ろを向いてしまった。
もしかして、今、すごく照れてる?
「中西さんも言ってたけど、俺さ、多分、結城さんの前ではポーカーフェイスでいられないみたいだ」
「え?」
「多分、結城さんもがっかりしちゃうかも」
「がっかり?」
「しまりのない顔とか、今も俺、していそうだ」
「……」
私は藤堂君の横まで行って、ちょこっと顔を覗き込んだ。
「うわ。なんで見に来てるの?」
藤堂君が驚いている。その驚いた顔が、すごく可愛い。
キュン~~!か、可愛い。ぱっと顔を私に見られないよう、藤堂君はまた後ろを向いた。後ろからでもわかる。耳が真っ赤だ。
可愛い。
キュン!今日は何万回も、胸キュンしてる気がする。
「と、藤堂君」
「え?」
藤堂君は後ろを向いたまま、返事をした。
「がっかりしないよ」
「え?」
藤堂君がちょっとこっちを見た。
「そ、その逆で、嬉しいかも」
「え?」
藤堂君は目を丸くして私を見た。うわ。その顔にも胸キュンだ。
どうしたらいいんだ。どんな藤堂君にも胸がときめいてしまう。
「お、藤堂、また絵を見に来たのか」
原先生が入ってきた。
「え?あ、はい」
藤堂君は焦ったように返事をした。
「結城の絵を見てどうだ?これは、藤堂がモデルだろ?」
原先生が聞いた。藤堂君はまた、赤くなるのかなと思って見ていると、
「やっぱり、結城さんの絵はすごいですね」
と静かな、いつもの藤堂君の穏やかな表情に戻っていた。
「藤堂もこの絵の藤堂に負けないくらい、頑張れよ」
「え?」
「秋の大会。怪我もその頃には治ってるんだろう?」
「はい。もっと前に治ってると思います」
「そうか。今は練習もできないと思うがな。だけど、怪我をしたことも無意味なことじゃないと思うぞ」
「…」
「いろんなことが見えて来たり、考えることのできる時間ができたんじゃないのか?」
「はい」
藤堂君は真面目な顔になって、うなづいた。
「…柏木も、今日も朝早くに来て絵を描いていた。絵に向かっていると、自分とも向き合えるって、そんなことを言っていた」
柏木君が?
「…藤堂に怪我をさせたことは、反省していたようだが、まあ、それがきっかけで、また絵を描きだしたようだしな」
「僕に怪我をさせたのがきっかけって?」
藤堂君が不思議そうに聞いた。
「絵を前にして、柏木が言ってた。俺の心の中はどろどろです。そんな自分をしっかりと、見てみますってな」
どろどろ?
「すごい絵を描いているよ。柏木も」
「そうなんですか」
藤堂君は静かにそう言った。
「戸締りは俺がしていくから、もう二人とも帰りなさい。片づけも終わったんだろ?」
「はい。それじゃ、お先に失礼します」
私は先生にお辞儀をして、藤堂君と美術室を出た。
藤堂君はしばらく黙って、廊下を歩いていた。
「柏木、相当辛かったんだな…」
藤堂君がぽつりと話し出した。独り言のように。
「自分の中の暗闇って、見たくないもんな。それに今、向き合ってるんだな」
「藤堂君の中にも、そんな暗闇があるの?」
「あるよ。俺だって。だから、昨日も言ったじゃん」
「え?」
「嫉妬。俺、エゴの塊だよ?」
「それだったら、私も…」
藤堂君は私を見た。そして少し目を細めて、微笑んだ。
ああ、それ。その表情も好き。
「結城さんも、俺が他の子と仲良くしてたら、やきもちやいちゃうんだね」
「う、うん」
「…」
藤堂君は黙った。黙って私よりもちょっと先を歩き出した。
「俺、まだまだ結城さんのこと、知らないんだな」
「え?」
「やきもちとか、そんなに妬かないのかなって思ってたし」
「…」
え?
「もっと、何があっても穏やかでいるんだろうな、とか…。勝手に思い込んでいたかも」
ズキン。こんな私でもしかして、がっかりしてるの?
「…結城さんって」
な、何?その先、聞きたくないんだけど。
「思っていたよりも、もっと可愛いんだね」
……えっ?!
か、可愛い?!
藤堂君はこっちを見てくれない。暗い廊下で、耳が赤いのかどうかもわからない。
「って、俺、何言ってるんだろう…」
藤堂君は一回立ち止まったのに、また歩き出した。
ドクン。ドクン。む、胸が…。苦しいくらいドキドキしちゃってるんだけど。
てくてくてくてく。私は黙って、ドキドキしながら、藤堂君のあとを歩いていた。
「結城さん?」
昇降口まで来ると、藤堂君が私を見て、声をかけた。
「え?!」
ドキン。なに?
「怒った?」
「う、ううん」
首を思い切り横に振った。
「…顔赤いけど、もしかしてずっと照れてた?」
コクン。私はうなづいた。
「………」
藤堂君が目を細めて私を見た。それから、
「やっぱり」
とぼそってつぶやいて、すぐに自分の下駄箱まで行って靴を出した。
私も靴を出して、履きながら、
「あ、何か手伝うこと…」
と聞こうとした。だけど、藤堂君はもうすでに靴を履き終え、私のことを待っていた。
あれ?昨日はバランスが崩れるから肩貸してって言ってたよね?大丈夫なの?さっさと靴履いちゃったよ?
「結城さん」
「え?」
「どこに食べに行く?」
あ、そうか。
「藤堂君、甘いもの好きなんだよね?ドーナツにする?」
「え?あ!」
いきなり藤堂君が、何かを思い出した。
「野坂さんにもらったクッキー、みんなで分けるの忘れてた。っていうか、あれ、どうしたっけ?」
「…食堂に忘れてきた、とか?」
「…そうかも」
「野坂さん、それ、知ったら傷つく」
「だよね?ごめん。ちょっと食堂行ってくる。まだあるかもしれないし」
「つ、着いてく!」
「え?」
「ここで一人は嫌だよ」
「あ、そっか。結城さん、怖がりだっけ」
「…」
怖がりって言われるのも、ちょっと子ども扱いされたみたいで嫌だけど、待たされるよりずっといい。
また上履きに履き替え、食堂に向かった。食堂はもしかするとまだ、開いてるかもしれない。閉まっていても、中にきっと、食堂のおばさんか、おじさんがいるはず。
あ、明かりついてる。誰かいるんだ。
ガラ…。
藤堂君が先に入った。そのあと、私が入ると、
「せ、先輩」
と野坂さんがそこにいた。
「あ…」
藤堂君はやばいって顔をして、すぐにまたポーカーフェイスに戻った。
「ごめん。それ、忘れたことに気が付いて、今、取りに来たんだ。」
野坂さんは自分が作ったクッキーの袋を、手に持っていた。その横には2人女の子がいて、こっちを睨んでいた。
「忘れて行ったんですか?」
「うん」
「みんなで食べてくださいって言ったのに」
「ごめん」
藤堂君は謝って、野坂さんのそばに行った。
「これ、本当はいらなかったんじゃないですか?」
「え?」
「だったら、はっきりと言ってくれたらよかったのに」
「…」
野坂さん、泣きそうだ。それから私のほうを見た。
「同じクラスの人ですよね?」
「はい」
思わず、はいって返事をした。
「何で一緒にいるんですか?」
「一緒に帰ろうと思って…」
藤堂君が無表情な顔でそう答えた。そして何気に私の前に立って、私を守ろうとしてるみたいだ。
「…私も帰るから、江の島まで一緒に帰りましょう。先輩」
野坂さんがそう言うと、藤堂君は、
「ごめん。結城さんと寄っていくから、一緒に帰れない」
と野坂さんをまっすぐに見て答えた。
「寄っていくってどこに?」
「どこかな。多分、ドーナツ屋とか」
「二人で?」
「うん」
野坂さんも他の子も、なぜか驚いている。
「と、藤堂先輩、女子苦手だからって、2人でどっかに寄ったりしないじゃないですか。私が誘ったっていつも、断っちゃうのに」
野坂さんがまた、泣きそうになりながらそう言った。
え?そうだったの?でも、前にも2人でパスタ食べたりしたよ。
…って、あ、そうか。あの時も私のことを好きでいてくれたからか。なんて思ってたら、顔がほてりだした。
駄目だって。今、照れてる場合じゃないってば。
「結城さんは、特別だから」
「え?」
藤堂君の言葉に、野坂さんが驚いている。私はさらに顔がほてった。
「まさか、先輩が好きだった人って」
「うん。そう。結城さんなんだ」
え?好きだったって、藤堂君に好きな人がいること、知ってたの?
「でも、ふられたって、言ってませんでしたか?」
「ああ、うん。そう…」
藤堂君は少し、ポーカーフェイスが崩れた。
「ふったくせに、先輩にくっついてるの?なんで?」
野坂さんの隣にいた子が、ぼそってそう言った。
「あ、でも今は、ちゃんと付き合ってるんだ」
藤堂君はその言葉を聞き、慌ててそう言った。
「付き合ってる?」
野坂さんが、顔を思い切り引きつらせた。
「うん。結城さん、交際申し込んだら、引き受けてくれたから」
「なんで?一回、ふったのに」
野坂さんが顔を真っ青にして、私に向かってそう言った。でもまた、藤堂君が私を隠すように前に立ち、
「一回ふられたけど、リベンジしたら、OKをくれたんだ」
とそんなことを言った。
へ?リベンジ?
ちょっとニュアンス、違うんじゃないかな。私が勝手に藤堂君を好きになっただけで、まだ藤堂君が私を思っててくれて、それで、付き合うことになったっていうのが、真実じゃないのかな?
「…同じクラスになって、先輩、頑張ったんですか?」
野坂さんが声を震わせそう言った。
「…うん」
へ?
「振り向いてもらえるようにですか?」
「うん。それで、やっと思いが通じたっていうわけ」
藤堂君はそう言うと、ちょっと照れくさそうに下を向いた。
「え~~。そうだったんだ」
野坂さんの隣にいた子がそう言うと、
「敦子~~。もうあきらめたら?先輩、ずっとその人のことあきらめず、思い続けたってことでしょう?」
と野坂さんの肩を抱きながらそう言った。
ボロ。野坂さんの目から涙が出た。そして、鼻をずずってすすると、野坂さんは、
「じゃ、じゃあ、ちゃんと幸せになってくださいよね」
とそう言って、チョコクッキーを藤堂君の手に持たせた。
「え?」
「ずっと私がいくらアプローチしても、振り向いてくれないのは、まだその人のことをあきらめられないからなんだろうなって、気が付いてました。思い、通じてよかったですね。これ、2人であとで食べてください」
「あ、ありがとう」
藤堂君はちょっと戸惑いながら、クッキーを受け取った。
「結城さん。先輩のことをよろしくお願いします」
「え?はい」
「それじゃあ」
ペコって野坂さんはお辞儀をして、お友達と一緒に食堂を出て行った。
「…」
藤堂君はクッキーの袋を、ちゃんとカバンにしまいこんだ。
「行こうか」
藤堂君はにこりと微笑んで私に言うと、歩き出した。
「と、藤堂君」
「え?」
「リベンジって?」
「あ、ああ。ごめん。変な言い方をして。でも、そう言ったほうが、野坂さんも納得するかなって思ったんだ」
「え?」
「それに、思いが通じて振り向いてもらったっていうのは、本当のことだし」
「…」
そうなの?私の思いが通じて、やっと振り向いてもらえたような気もするんだけど。それにリベンジっていうより、一回白紙にして、告白してくれたんだよね?
ああ、でも。ずっと思っててくれたってことなのか。嬉しいな。ああ、また胸がきゅ~~んってしてる。
藤堂君は私のちょっと前を歩いている。廊下が暗い。また、手をつなぐ?とか言ってくれないかな。とても、私からそんなこと言えないな。
昨日は怖くて腕にしがみついたけど、それもできそうもない。
ズボンのポケットに手をつっこんでいる藤堂君の腕を見ながら、私はとぼとぼと藤堂君のあとを歩いていた。
手をつないで歩いたりって、いったいいつできるようになるものなのかなあ。なんて思いながら。




