第27話 もう一回
放課後、美術室で絵を描いていると、缶ジュースを2本持って沼田君がやってきた。
「おっす。今いい?」
「原先生もいないし、いいけど、どうしたの?」
「美枝ぽんと一緒に帰る約束してて」
「部活終わるの待っててあげてるの?」
「うん」
沼田君は私に缶ジュースをくれて、自分のもプシュって開けた。それから私の後ろに立つと、
「これ、司っちだろ?」
と私の絵を見て聞いてきた。
「うん」
私も缶ジュースを開けた。
ゴクン。あ、美味しい。ちょうど喉乾いてたんだよね。
「ここで、ちょっくら時間つぶしててもいい?」
「いいよ~~」
私は缶ジュースを机に置き、また絵を描きだした。
「お、いい風入ってくるじゃん」
沼田君は窓まで行って、外を眺めた。
「二人でいる時って、何話してるの?」
「え?俺と美枝ぽん?」
「うん」
沼田君はまだ窓際にいる。でも、こっちを向いて話し出した。
「う~~ん。映画の話、好きなアニメや漫画の話。あとは、なんだろう?ま、適当に」
「美枝ぽんって、沼田君と2人だと変わる?」
「ううん、あのまんま」
「ふうん」
しばらく黙って私は絵に集中した。
「それ、司っちに見せるんだろ?」
「え?」
「呼んでこようか?俺」
「いい、いい。そんな恥ずかしいから」
「なんで?司っちのために描いてるんだろ?見せなかったら意味ないじゃん」
「それ、なんで知ってるの?」
「美枝ぽんから聞いた」
う~。そうか~~。
「司っち、絶対に感動すると思うなあ。表面、何でもないように見せてるけど、やっぱ、大会出られないこと、本当は落ち込んでると思うし」
「…本当に、この絵、藤堂君のこと勇気づけるかな?」
「そのために描いてるんだろ?」
「うん」
「よっしゃ。待ってな。呼んでくるから」
「え?」
沼田君は飲み終わった缶ジュースの缶を置いて、さっさと美術室を出て行ってしまった。
「う、うそ」
どうしよう。力づけるつもりで描いたのに、いきなり動揺してきた…。
ドキドキドキドキ。どうしよう。
こうなったら絵を隠しちゃおうか、なんてバカなことを考えていると、
「本当にいいのか?」
と、藤堂君の声が廊下からした。あ!連れてきちゃったんだ。
「いいから、来いよ!ほら」
沼田君の声もした。そして、美術室に2人で入ってきた。
「よ。連れてきたぞ」
沼田君がそう言った。その後ろから藤堂君が、ちょっと戸惑いながら顔をのぞかせた。
「い、いいのかな?絵、見せてもらって…」
藤堂君が、遠慮がちにそう言った。あ、そうか。前に私、部外者は勝手に入ってこないでって、言っちゃったっけな。
「完成してないの。でも…」
沼田君が私を見て、小さくガッツポーズをした。
「わ、私、何もできないから」
「え?」
藤堂君がきょとんとした顔をした。
「絵で表現することしかできないから」
「…」
私は立ち上がり、ちょっと絵から離れた。沼田君は藤堂君の怪我をしていない腕をつかみ、私の絵の前まで藤堂君をひっぱった。
「……」
藤堂君は私の絵を見て、黙り込んだ。
ドキ…。ドキ…。何か言って!
緊張する。沼田君も藤堂君も黙っていて、他の部員も黙って絵を描いているから、やたらとその場が静かだった。
「あ…」
藤堂君は私を見て、
「これ、俺だよね?」
と聞いた。
「うん」
変かな。藤堂君に見えなかったかな。
「すげ…。あの桜みたいだ」
藤堂君がそう言って、また絵を見た。
「桜って?」
沼田君が聞いた。
「文化祭で見なかった?結城さんの絵」
「うん。美術室見に来てないし」
「なんだ。沼田にも見せたかったな。桜の絵。すごかったんだ」
藤堂君は絵から目を離さずにそう言った。
「桜が生きてた…。本物の桜よりももっと、生き生きしてた。この絵もそうだ」
「う、ううん!本物の藤堂君のほうがずっと、生き生きしてるよ」
私は慌ててそう言った。
「そんなことないよ。大会出られなくなって、俺、半分死んでたし」
「え?」
藤堂君は静かにこっちを見た。
「これは、結城さんから見た、俺なのかな」
「うん」
私は思い切りうなづいた。
「桜の時言ってたよね?絵の中の桜が、命をそそいでくれたって」
「うん」
「絵の中の俺も、結城さんに命、そそいでる?」
「…うん」
沼田君は黙って、窓際に行って私たちの会話を聞いている。
「……」
藤堂君は絵の真ん前に立って、しばらく黙って絵を見つめていた。
「サンキュ」
藤堂君は、小さな声でそうつぶやいた。
「え?」
私が聞き返すと、藤堂君は私に背を向けたまま、
「ありがとう。力出たよ」
と今度は大きな声でそう言った。
沼田君は藤堂君に近づき、背中を軽くぽんとたたいた。
「秋にまた大会あるんだろ?」
「うん」
「頑張れよ」
「…ああ」
沼田君の言葉に、藤堂君は静かに笑ってうなづいた。
「じゃあ、俺、道場に戻るよ。みんなの練習見てくるから」
「おお」
藤堂君は、スタスタと歩いて、美術室を出た。
「よかったじゃん。穂乃ぴょん」
沼田君が私にそう言ってから、
「あれ?泣いてんの?」
と私の顔を見て驚いた。
「よかった。私、役に立てたよね?」
「そりゃもう、しっかりと」
「よかった…」
「…ほんとに、穂乃ぴょんは健気だよねえ」
沼田君はそう言うと、ふって笑った。
5時近くになると、沼田君は、
「そろそろ教室に戻ってるよ」
と言って、美術室を出て行った。私は、なんだか胸がいっぱいで、なかなかその場を離れられなかった。
他の部員が美術室を出て行き、先生も一回美術室に来たが、
「結城、まだ先生用事があるから、片づけ終わったら鍵を職員室に返しに来てくれるか」
とそう言って、さっさと職員室に戻って行った。
「本当に、よかった」
私は自分の絵を見ながら、ぼそってつぶやいた。
美術室の前を、弓道部員がわやわやと歩いて行った。藤堂君もいるのかなと思って、ドキドキしながら見ていたが、藤堂君の姿はなかった。
「…まだ道場かな。それとも、違う道から帰って行ったのかな」
椅子から立ち上がり、窓から外を見た。
「わあ。夕焼け…」
綺麗な夕焼けが広がっている。
ガタン…。その時、誰かが美術室に入ってきた音がして、私は振り返った。
「藤堂君?」
「あ。まだ、絵を描いてたの?」
「ううん。もうそろそろ帰るところ」
「…他のみんなは?」
「もう帰ったよ。私が最後」
「…そっか」
藤堂君は静かにそう言うと、また私の絵を見た。
「絵を描く時は、無心だって言ってたよね?」
「うん」
「この絵を描く時もそうだったの?」
「うん」
「…俺も、矢を射る時、無心だとずばって真ん中にあたる」
「…そうなの?」
「何かを考えてると、駄目なんだ」
「やっぱり、そういうものなんだね」
「…今日も少し残って、的を見ながら座禅組んでた」
「え?」
「静かにね、的だけを見て何も考えないようにするんだ」
「うん」
「…我がなくなっていく感じかな」
「我?」
「…俺さ」
藤堂君は私のほうを見た。
「あの時、すごい我があったんだ」
「え?」
「結城さんを守ろうとか、そんなんじゃないんだ」
「あの時って、もしかして」
「うん。怪我した時」
「…」
藤堂君は少しだけ視線を下げた。
「あの時、嫉妬したんだよね」
「え?」
「美術室でもそうだ。柏木が結城さんにキスをしようとしてるのを見て、かっとなった。この前も、腕をつかんでて、かっとなったんだ」
し、嫉妬?!
「あれが柏木じゃなくても、俺、きっと嫉妬してるかな」
「ぬ、沼田君でも?」
「うん」
「でも、付き合ったらって、勧めてたよね?」
「…沼田といると結城さん、楽しそうだから、付き合ってもきっと、沼田なら、結城さんを傷つけたりしないだろうなってそう思った。俺といてもさ、結城さんは辛そうにしてる時多いし、俺といるよりもずっと、幸せでいるんだろうなって、そう思ったからさ」
「…!」
そんなことないのに。でも、私って、そんなに藤堂君といると、辛そうなの?
「だけど、ちっとも心の奥じゃそんなこと思ってなかった。って、さっきも、座禅してて感じてた」
「え?」
「エゴの塊。俺ってさ」
「…?」
「結城さん、すごいね。好きな人が元気で笑顔でいてくれたら、それでいいって言ってたよね?」
「う、うん」
「そんなふうに、俺も思ってたんだけど、やっぱ、なかなかそう思えないもんだよね」
「わ、私だって、好きな人が他の子と仲よさそうにしてたら、嫉妬しちゃうよ?」
「そうなの?」
「だから、一喜一憂もしてるんだもん」
「ああ、そっか…。好きな人ができたら、そういう嫉妬もしちゃって、それで一喜一憂するのか」
「うん」
「俺もだな…」
藤堂君は私のことを見ると、
「俺も、結城さんが他のやつと仲良くしてると、嫉妬しちゃうな」
とそう言った。
「……」
え?今、なんて?
「でも、笑顔でいてほしいっていうのは、本当だよ」
そう言うと、また私の描いた絵のほうを向いた。
「この絵、まじで嬉しかったな」
「…ほ、ほんとに?」
「うん。俺を描いてくれて嬉しかったよ。あ、川野辺がそう言ったんだろ?俺じゃなくて藤堂を描いてって」
「うん」
「川野辺に感謝だな」
「……」
駄目だ。さっきから、頭、真っ白。藤堂君。もう一回言って。嫉妬って?誰に?私に?
「結城さんは、やっぱり、迷惑するかな」
「な、何を?」
「俺が思ってると…。前に告白されて気が重いって言ってたよね?」
私?言った?そんなこと…。
…。ああ、4月の最初の頃。言ったかも~~~。
「だけど、友達になれたんだよね?」
「え?」
「友達のまんまでいいよ。ただ、やっぱり俺、自分の気持ちを誤魔化したり、隠してるの、違うって思えてきて」
「え?」
「気持ちにこたえてくれとか、そういうことは言わない。だけど、好きなものは好きだし、その気持にはもう、嘘はつきたくないなってそう思ってさ」
「え?え?で、でも、白紙って」
「…うん。言った。告白、白紙にしてって」
そうだよ、言ったよ!?
「だから、もう一回してもいいかな」
「え?!」
「いや、あれはもう、まじで白紙にして、もう一回じゃなくって、初めて告白するってことにしてもいいかな」
「……」
う、うそ。
「白紙にして、何もかもなくした状態で、ただ、結城さんが好きだって、言いたかったんだ」
「……」
うそ!い、今、なんて?今なんて言った?さっきから、藤堂君、何を言ってるの~~~??!!!




