第24話 苦しみ
保健室につくと、先生が慌てて、
「大変!すぐに病院に行かないと!」
と、電話で職員室の先生を慌てて呼び出した。するとすぐに数人の先生と、顧問の先生が飛んできた。
「今、車用意させてるからな、藤堂」
顧問の先生はそう言うと、藤堂君の背中に手を当て、
「大丈夫か?ガラスで切ったのか?」
と心配そうに聞いている。
他の先生は部長に事情を聴いたり、また他の先生は病院に電話をしたりしている。保健室は騒然としていて、私は何をしたらいいのかもわからず、入り口近くで、ただ佇んでいた。
さっきから、足が震えている。私の血の気が引いていくのがわかる。
「大丈夫?藤堂君」
養護の先生が聞いた。
「はい」
藤堂君はうなづいた。でも、あきらかにつらそうだ。顔が真っ青だ。
「柏木!」
事情を聴いた先生が、廊下に出るとそう叫んだ。
柏木君、来たの?なんで?
「すみません。こんなおお事になるとは思ってもみなくて」
「わかった。事情は後で聞く。あとで職員室に来なさい。あ、そこの君、結城さん?君もその場にいたんだね?話を聞きたいからあとで、柏木と来てくれないか?」
「い、いやです」
「え?」
「病院に行きます」
「病院は、先生に任せていたらいいから。さ、弓道部のみんなも、部室にいきなさい。あ、ガラスの破片が飛び散っているかもしれないから、今、用務員の人に片づけてもおう」
やだ。やだ、やだ。藤堂君のそばにいるよ。
私は保健室に入った。藤堂君のそばには寄れなかったけど、離れたところから、藤堂君を見た。
ギュ…。無言で藤堂君は唇を噛んでいる。ああ、きっとすごく辛いんだ。
「藤堂!車用意できたから、すぐに病院に行こう」
担任の田島先生が、車を用意していたようだ。
「…はい」
養護の先生と顧問の先生が付き添い、藤堂君と歩き出した。
「私も行きます」
後ろからそう言うと、藤堂君が、
「来なくていいよ」
と、低い声でそう言った。
私は他の先生に呼ばれ、柏木君と職員室に向かった。そして職員室の奥の、会議室に通された。
「話を聞こうか。柏木、なんでもめるようなことになったんだ」
先生が聞いた。この先生は確か、柏木君の担任だよね?
「言いたくありません」
柏木君がそう言った。
「もともと、お前は藤堂と仲が悪かったのか?でも、クラスも違えば、部も違うな。接点はないよな?」
「…むかついたからです」
「柏木君」
私は思わず、口をはさんだ。
「結城さんだっけ?柏木とは同じ部か?何かわけを知ってるのか?」
「…ちょっと、私と柏木君がもめてて、それを藤堂君が止めに入って、それで、柏木君が払いのけたら、そのまま、藤堂君が…」
「もめてた?二人が?」
「はい」
「俺が一方的に、結城さんにつきまとってただけです」
「…それを藤堂が止めに入ったわけか」
「…優等生ぶってて、前からあいつのことは気にいらなかった」
突然、柏木君が先生の前で毒づいた。
「それで、怪我させて、お前は満足したわけか?」
「…」
「満足か?腕に怪我をした。ガラスでどれだけ深く切ったかによっては、弓道もできなくなるかもしれん。それが、満足か」
先生が、柏木君を責めた。ものすごく威圧的に。
「…ガラスで深くって先生。そんなひどい怪我だったんですか?」
私の手が震えだした。声も震えた。
「いや。俺は怪我を直接見たわけじゃないから、わからん」
先生はそう言ってから、震えてる私に気が付いたらしい。
「大丈夫だ。そう心配するな。だいいち、結城が責任を感じることはないぞ。な?」
先生はそう言って、私を慰めた。
「…」
責任なんてものとは違う。そんなんじゃない。
「柏木、お前とはもうちょっと話がしたい。結城はもういいぞ、帰っても」
先生はそう言うと、私をドアの外に連れて行き、
「気を付けて帰れよ」
と言って、ドアをバタンと閉めた。
「……」
どうしよう。まだ足ががくがく震えている。どうしたらいいんだろう。
職員室を出て、美術室に向かった。藤堂君、学校に戻ってくるのかな。どうなんだろう。気になって絵なんて、とても描けない。
私は片づけを済ませ、弓道部の道場に行った。すると、もうすでにガラスは片づけられ、でも、入り口をガムテープでふさぎ、中に入れないようになっていた。
ドクン!血だ。道場から渡り廊下までの間に、ところどころ、藤堂君の血が落ちている。
私の腕まで、ズキズキと痛んだ。
弓道部の部員と会えたら、何か藤堂君のことがわかるかもと思ったが、誰とも会えなかった。私はそのまま、カバンを持ち、校舎を出た。
藤堂君。お願い。怪我がすぐに治りますように。神様!
ああ、私にはなんにもできない。祈ることしかできない。
ふらふらになりながら、駅に行った。改札を通ろうとしても、なかなかパスモが出てこない。手が震えてしまって、うまく手でつかめない。
ああ…。動揺がまだ、おさまらない。どうしたらいいの?
その場に私はしゃがみこんでしまった。
「穂乃ぴょん!」
いきなり声をかけられた。顔をあげると、沼田君と美枝ぽんだった。
「そこの店にいたの。中から穂乃ぴょんが見えて。また、貧血?」
美枝ぽんが聞いてきた。
「ち、違う。違うの」
私はずっと我慢していたが、一気に気が緩み、わっと泣き出してしまった。
「と、藤堂君が、藤堂君が…」
「司っちがどうした?」
「何があったの?」
しばらくわんわんと泣いた後、ようやく落ち着いて、私は2人に事情を話すことができた。
「ガラスで腕を?」
沼田君が青い顔をした。
「それで、今、病院なのね」
「…私もついていくって言ったの。でも、藤堂君が怖い顔して、来るなって」
「…司っちなりの配慮だよ、それ。心配もかけたくなかったんだろうし、自分も精一杯で、穂乃ぴょんのことまで、思いやる余裕もなかったんだよ」
「…つらい」
「穂乃ぴょん。今、一番つらいのは、藤堂君だよ」
「そう。だから辛い。そばにいられないのも、なんの力になれないのも、すごく辛いよ…」
「…大丈夫。力には絶対になれる。な?」
沼田君がそう言ってくれた。
「沼っち、穂乃ぴょんと方向一緒?」
「ああ、藤沢まで送っていくよ」
「うん。お願い」
美枝ぽんがそう沼田君に言った。でも、いいの?私が沼田君と2人で帰っちゃっても。
「わかった。じゃ、行こう、穂乃ぴょん。今はちゃんと帰って、ゆっくりと自分の体をいたわるんだよ。もし穂乃ぴょんの具合がまた悪くなったら、それこそ司っち、心配して、自分のことまで責めちゃうかもよ?」
「うん。そうだね」
私は、沼田君の言うとおりかもって思った。藤堂君は優しいから、私がこれで具合をまた悪くしたら、自分を責めてしまうだろう。
気になる。でも、先生や医者を信じて、明日、藤堂君に会うまで、しっかりとしていよう、私。今はそれしかできないよ。
その日の夜、11時。沼田君からメールが来た。
>司っちにメールしたら、そんなに深い傷じゃないから安心してってさ。穂乃ぴょんにもそう伝えておいてって、返信が来たよ。
そうか。よかった!
涙がどっと出た。やっぱり、怖かった。藤堂君の怪我が、たいしたことなくて、本当によかった。
翌日、土曜日。藤堂君は弓道部に出ないかもしれない。でも、来るかもしれない。私は絵なんて描けないかもしれないが、部活に出ることにした。
弓道部に朝、立ち寄ってみると、ドアにはまだガラスも張られていなくって、渡り廊下にはところどころ、藤堂君の血の跡が残っていた。
「あの…」
中に誰かがいるようなので、声をかけた。3年生のようだ。
「あれ?君」
「…藤堂君と同じクラスで…。昨日、藤堂君、怪我してたけど、大丈夫だったかなって気になって」
私は、言葉に詰まりながら、そう聞いてみた。
「まだ、僕も様子を聞いてないから。午前中、病院に行くって言ってたから、もし来るなら午後になるかな。あ、でも、今日はこれないかもしれないし」
「そうですよね。すみませんでした」
私はぺこりと頭を下げ、後ろを向いた。
「結城さんだったよね?美術部の」
「はい」
その先輩がまた声をかけてきたので、私は振り向いた。
「藤堂が来たら、結城さんが心配してたって言っておくよ」
「は、はい」
私はまた頭を下げ、道場を出た。そして廊下を歩きながら、藤堂君の血の跡を見た。
「…」
私が心配したなんて、藤堂君、嫌がらないかな。昨日、病院についていくって言ったら、冷たく突き放されたんだっけ。
この血の跡はこのまま、ずうっとここにあるんだろうか。
ズキン。胸が痛んだ。私は早足で美術室に戻った。
「はあ」
キャンパスに向かったけど、まったく絵なんて描けない。ぼ~~っとながめていると、原先生がやってきた。
「どうした?描けないのか?」
「はい」
「結城、無理してくることなかったんだぞ。大丈夫か?」
「…え?」
「昨日の話を、弓道部の顧問の先生から聞いたんだ」
あ、そうだったんだ。
「なんだか、家にいても落ち着かないんで、学校来たんですけど…」
「そうか」
「柏木君は?」
「なんの連絡もない。柏木の担任は、多分部活も学校も出てこなくなるかもしれないって、そう言ってたけどな」
そうなんだ。
「あいつも、いろいろと苦しんでるんだろうな」
「柏木君?」
「絵にそれをぶつけていたが、それだけじゃおさまらないくらい、苦しんでいるのかもしれないな」
「…」
そんなに、柏木君つらかったんだ。でも、私にはやっぱり、どうすることもできない。
それに、私の頭の中は藤堂君のことでいっぱいだ。
午前中が過ぎて、やっぱりどうにも絵を描けなくって、私はもう帰ることにした。藤堂君には会いたいけど、藤堂君は私に会いたいとも思っていないかもしれないし…。
片づけをして、美術室を出た。すると、渡り廊下から藤堂君がこっちに向かって歩いてきた。
わ。うそ。どうしよう…。このまんま、何も話さず、帰っちゃう?
美術室の前で、どうしようかと立ち往生していると、
「結城さん。これから昼?」
と藤堂君が聞いてきた。腕には包帯を巻いて、肩からつるしている。
「う、うん。藤堂君は病院に行ってたの?」
「うん。それで、みんなに心配かけたから、顔出してきた」
「そ、そう」
ああ、顔が引きつる。藤堂君の顔も見れない。
「朝、道場に来たんだって?」
「うん」
「心配かけてごめん。俺だったらもう、大丈夫だから」
「…」
藤堂君の目が優しかった。
ボロ…。
「結城さん?」
ボロボロ…。安心して涙が出た。でも、それを必死で手で拭い、
「よかったね」
と笑って言おうとしたが、顔が引きつってしまった。
「藤堂。食堂に行くんだろ?俺も行くよ」
川野辺君がやってきた。
「あれ?結城さん。部活だったの?これから昼食べに行くけど、一緒に行く?」
「ううん。私はもう帰る。じゃあね、藤堂君」
「うん。それじゃ」
藤堂君は、川野辺君と歩き出した。
同じ方向に行くので、私は後ろをとぼとぼとついて行った。
「藤堂、よかったな。怪我、深くなかったんだろ?」
川野辺君が藤堂君に聞いた。
「ああ。でも、今度の大会には出られないから、みんなに迷惑かけるな」
「まあな。お前が出られないのは痛いけど、まあ、秋の大会もあるしな。大丈夫だよ」
「…」
「大丈夫じゃないのは、お前のほうか。練習頑張ってたもんな」
ズキ。そうか。今度の大会には出られないのか。
「傷、大会までは治りそうもないか」
「…無理だって医者に言われた。深くはなかったけど、7針縫ったんだ。無理したら、また傷が開くぞって脅された」
「7針?」
「深くはないんだけど、スパってさ、かなりの長い範囲で切れたから」
グ…。聞いてるだけで、私が倒れそうだ。
「残念だったな」
「秋の大会、頑張るよ」
「しばらくは安静だな。ま、日ごろお前、練習ばかりしてて、趣味も何もないんだろ?骨休みと思って、思い切り羽伸ばせよ」
「サンキュ。でも、部に顔出すよ。弓の手入れくらいできるし」
「はは。お前らしいな。あ、わりい。俺、トイレに寄っていくから、先に食堂に行ってて」
「ああ」
藤堂君は一人で食堂に歩いて行った。私はいったん、昇降口のほうに足を向けたが、藤堂君にどうしても明日来るかを聞きたくて、食堂のほうに歩いて行った。
藤堂君はなぜか、食堂の前で立ち止まっていた。そして自分の怪我をした手を見て、
「くそっ」
と吐き出すように小さく言うと、怪我をしていないほうの手を、ギュって握りしめた。
ズキ!
ああ…。藤堂君は、出たかったんだ。大会。
そりゃそうだよ。そのために頑張って練習して。なのに、怪我して…。
あんなに辛い思いをしているのに、私には、大丈夫って言ってたんだ。
あんなに辛そうなのに…。
ズキズキ…。胸が痛む。藤堂君。私、何ができるの?私に何ができる?何の役にも立てない?
その日は、藤堂君に何も話しかけず、そのまま家に帰った。
私には何ができるというのだろう。ずっと考えていた。
何か力になりたい。私にできること、できることって?
翌日、日曜日。藤堂君が部活に出るかどうか、やっぱりわからなかったが、私は学校に行った。午前中はやっぱり、ただなんとなく絵を眺めているだけで終わった。
そして、午後になって藤堂君が美術室の前を歩いて行ったのが見えた。あ、道場に向かったんだ。
藤堂君はこっちを見ることもなく、廊下を歩いて行った。
私は、そのあとキャンパスに向かった。少しだけ色を塗り、そのあと気が散ってしまい、またぼ~~っと絵をただただ、眺めた。
今も、藤堂君は苦しんでるんだろうな。みんなの練習を見ながら、辛い思いをしてるんだろうな。
だけど、きっと部の仲間の前では、そんな姿見せないんだろうな。
そんなことがずっと頭の中をかけめぐり、絵なんてまったく描けなかった。
5時になり、私は早めに片づけを終え、美術室を出た。そして、弓道の道場に向かった。ちょうど部員がぞろぞろと道場から出てきたところだった。
「あ、結城さん」
部員の一人が私に気が付いた。
「あの、藤堂君は?」
「中だよ。弓の手入れをしてる。結城さん、中に入って、藤堂のこと慰めてあげてくれる?俺らの前じゃ、あいつ無理して笑ってるからさ」
そう一人の部員が私に言うと、いきなり、
「よせよ」
と、川野辺君が、私の前に立った。
「結城さん。単なる慰めだったら、あいつにはいらない。同情はあいつ、嫌いなんだ。男のプライドもあるしね。あいつのためにならないから、ここで帰ってくれないかな」
単なる慰め?同情?
「違う。そんなんじゃない」
私は川野辺君をしっかりと見てそう言うと、川野辺君は、
「結城さん、もしかして、あいつのこと本気で…」
と言いかけて、やめた。私はずっと川野辺君を、真剣な目で見た。
「結城さん。藤堂のこと、頼むよ…。ほら、みんな部室に行くぞ」
川野辺君はそう言って、みんなを引きつれ、道場を去って行った。
ドアにはもう、ガラスが入っていて、渡り廊下の藤堂君の血の跡も、綺麗に上から塗られていた。
「失礼します」
私はそっと中に入った。すると、部長が私に気が付いた。
「結城さん」
部長はにこりと笑って、
「藤堂のことなら、心配ないよ。結城さんが責任感じることじゃないからね」
といきなり言い出した。
「え?」
責任?そんなんじゃない。
「藤堂、弓の手入れありがとうな。そのくらいにして、片づけてもう帰れよ。じゃ、結城さん、あとのことはよろしく」
部長はそう言うと、道場から出て行った。
藤堂君は片手だけで、弓を片づけていた。
「私、手伝おうか?」
そう言って近づくと、
「部外者に弓を触ってほしくない」
と突然、きっぱりと突き放すように言われてしまった。
藤堂君?なんだか、いつもと違う?
「結城さん、俺なら大丈夫だから、もう帰っていいよ」
「でも…。カバンとか持つの大変でしょ?帰り、持って行くよ」
「いいよ。片手で持てる」
「…」
なんでそんなに、突き放すように言うんだろう。
「ごめんなさい」
「え?」
「私のせいで、大会に出られなくなって」
怒ってるよね。
「結城さんのせいじゃない。だから、責任を感じることはない。部長も言ってたよね」
「だけど」
「やめてくれないかな。そういう恩着せがましいの…」
恩着せがましい?
「俺が勝手にしたことだ。結城さんのせいじゃないんだ。だから、謝ったりしないでくれないかな」
「…ごめんなさい」
「謝りに来たんならもういいから、帰ってくれないかな」
藤堂君、さっきから弓を片づけたりするので、ずっと後ろを向いたまま、こっちも見てくれない。
「迷惑だった?」
「え?」
「私…」
「迷惑とか、そんなんじゃない」
「私にできることってないの?藤堂君、大会に出られなくなって、今、辛い思いしてるんだよね?」
「…誰かに聞いた?慰めてくれって頼まれた?」
藤堂君は後ろを向いたまま、聞いてきた。
「ううん。頼まれて来たんじゃない。でも、きっと辛いだろうなって思って」
「で?何か私にできることはないかって、言いにきたの?」
「うん」
「…」
藤堂君はようやく私のほうを向いた。
「俺、しばらく一人になりたいんだ。もう、帰ってくれないかな」
藤堂君の目、いつもの優しい目じゃない。なんだか、怖いくらいにクールな目だ。
そりゃそうだよね。こんな状況で、優しくいられるわけないよね。
藤堂君はまた後ろを向いて、的のほうを向き、正座をした。
「…」
私は話しかけるのも悪い気がして、そのまま静かに道場を出た。
「はあ…」
道場を出てため息をついた。結局私は、藤堂君のお荷物でしかないのかな。そばにいても、かえって邪魔するだけで、なんの役にも立てない…。
やりきれない思いをどうすることもできないまま、私は家に帰った。




