第23話 怪我
「柏木なの?」
藤堂君の顔が、なんだか青ざめていない?
「ううん」
やっと私は、首を横に振った。
「本当に?違う?」
「…もっと優しい人だから」
「え?」
「私が好きな人は、もっと優しくてあったかくって、一緒にいて安心できる人だから」
「……」
藤堂君は私から視線をはずし、ふうってため息をはいた。
「ごめん。俺、取り乱した?」
「ううん。そんなことないけど」
でも、いつもとちょっと違ってたかな。
「でも、なんであんなに驚いたの?」
「なんでかな…」
藤堂君はまた、階段を上りだした。
教室に入り、
「ここ、座っちゃえば?」
と藤堂君は椅子を後ろに向けて、私を麻衣の席に座らせた。
「プリント、今日中に提出だってさ」
「え?うそ」
「あれ?知らないで、俺に教えてもらいに来たの?」
「麻衣と美枝ぽんが、あとで藤堂君に聞きなって言ってたから」
「うん。結城さんの分のプリントも、八代さんから預かってるよ。はい、これ」
「ありがとう」
「じゃ、問1からね」
「え?うん」
藤堂君は、私が問題を解くまで待って、わからないところがあると、わかりやすく説明してくれた。前に美枝ぽんが言ってたけど、ほんと、藤堂君って頭いいんだな。
「じゃあ、次」
「え?うん」
わかりやすく説明してくれるけど、さっきからドキドキしちゃってて、半分も頭に入ってこないよ。目の前の藤堂君の顔、声。それからシャープペンを持っている手にも、ドキッてしちゃってるし。
「わかった?」
最後の問題まで、藤堂君は説明をしてくれた。
「ありがとう。どうにか解けた」
って言っても、ほとんど、教えてもらったまま、答えを書いたようなものだけど。
「………」
私がプリントに名前を書いていると、藤堂君が小声で、
「好きなやつ、優しいんだ」
とぼそって言った。
「え?」
驚いて顔をあげた。わ!目の前に顔があった。
「それで?優しくされると、浮かれるってさっき、言ってたよね」
「う、うん」
今もものすごく浮かれてるかも。
「だけど、期待しないって」
「うん」
「…期待してもいいかもよ?」
「え?ど、どうして?」
「好きな人じゃなかったら、そうそう優しくしないと思うし」
「…もともと、優しい人だったら?誰に対しても」
「…そんな感じのやつなの?」
「わかんないけど、多分、みんなに優しいと思う」
「他の女にも?」
「お、女の人にはどうかな」
「じゃ、友達とかってこと?」
「うん。多分」
「…じゃ、それこそ、期待してもいいんじゃないの」
「え?なんで?」
「女の子にはあまり、接してないとか、優しくないんでしょ?でも、結城さんには優しいんでしょ?」
「そ、そうかな。あ、友達だからじゃないかな」
「…友達なの?」
「う、うん。多分」
「……そっか」
藤堂君はそう言って黙り込んだ。私は目を合わせてるのも恥ずかしくて、しばらくプリントのほうを見ていたが、ちらっと藤堂君を見てみた。
うわ。私のことをじっと見てるよ!
「友達って、俺らみたいに?」
また藤堂君が聞いてきた。
「うん」
私は視線を下げてうなづいた。
「……誰かな。俺や沼田以外にもいるんだね。そういうやつ」
ううん。藤堂君だもん。
「期待してもいいって言うけど」
「うん」
「告白して、うまくいくってことかな」
「…」
藤堂君は、じっとまだ私を見ている。私も一回藤堂君を見たけど、また視線を外した。
「うまくいくかもしれないし…」
藤堂君はそう言って、しばらく黙り込んだ。
「う、うまくいって付き合えたら」
どうする?って、何度、駄目押しを自分にさせたいんだ。私は。
「そいつは、結城さんを幸せにしてくれそう?」
「え?」
「優しいし、あったかいって言ってたけど、大事にしてくれそう?」
「…私を?」
「うん」
「どうだろう。でも、もう片思いでも、私、幸せな時いっぱいあるし」
「え?」
「一緒にいるだけで、幸せなんだ」
言ってから、顔が熱くなった。私、本人に向かって、何を言ってるんだろうか。
か~~~~。やばい。顔が赤いのばれるよね。
「そうなんだ。今でも幸せなんだ」
今?そう、今もすごく幸せで…。って、あれ?もしや、ばれた?!
「そいつ、もうすでに結城さんのこと、幸せにしてるのか」
いえ。藤堂君ですから!
「じゃ、大丈夫かな」
「何が?」
「結城さんが苦しんだり、悲しむのは見たくないからさ」
「………」
私は黙り込んで下を向いた。
「藤堂君は誰にでもそう?」
「え?」
「美枝ぽんが苦しむのも見たくない?麻衣が泣いてるのを見て、つからった?」
「え?」
「友達だもんね。あの二人も」
「そうだね」
「……」
私はしばらく黙ってから、顔をあげた。
「私も、藤堂君が笑顔だったり、幸せなほうが嬉しいな」
「え?」
「藤堂君が苦しんだり、悲しんでるのは辛いかも」
「…そう?」
「…うん。もし、苦しんでいたら、何か私の力になれることがあればいいのにって思う」
「…ふ。優しいね。優しいのは結城さんのほうだよ」
「…」
「でもさ、それは好きな相手にしてあげたら?俺にそんなふうに優しくしたら、俺、完璧勘違いするよ?」
「え?」
「俺は多分、期待する」
「え?」
「八代さんが言ってたみたいに、思い切り期待する。だから、俺に優しいことを言ってくるのは、やめたほうがいいかもしれない」
「…期待?」
「……するよ」
ええ?なんで?私が藤堂君を好きだって?だって、私が好きでもどうでも、関係ないんじゃないの?
「俺も、けっこう浮かれやすいしさ」
「え?」
「……うまくいくといいね。その好きなやつと」
そう言うと、藤堂君は席を立った。
「俺、ちょっくらトイレ」
藤堂君はそう言って、そのまま教室を出て行ってしまった。
「期待?」
「浮かれ…やすい?」
えっと?
何が何だか。
私は午後、ボケ~~っとしながら授業を受けた。
まだ頭の中で「期待」と「浮かれやすい」って言葉が、繰り返している。
美枝ぽんと沼田君は、午後、教室に一緒に真っ赤になりながら戻ってきた。どうやら、今日は2人で初のデートになるそうだ。
正直、羨ましい。でも、私の頭はそれどころじゃない。
放課後、美術室に向かった。もし、柏木君がいたら嫌だなって思って、そろっと美術室をのぞくと、いなかった。
ホ…。安心して中に入った。
「結城、久しぶりだな」
「原先生」
う、なんだか、申し訳ないかも。
「すみません、勝手に休んでて」
「いや、調子が出ないときには仕方ないさ。柏木も今日からまた、海を見に行くって言ってたしな」
「そうですか」
「…あいつも、いろいろとあるみたいだな。明日から学校に来るかどうか」
「…」
そうか。私もあんなこと言っちゃったし、柏木君、本当に一人ぼっちになっちゃったのかもしれないな。
ズキ。あ、ちょっと罪悪感だ。
でも、しょうがないよね。私には何もできないし、もし、藤堂君だったら、一生懸命に何かしてあげようって努力もするかもしれないけど、柏木君にそこまで思いを入れ込んではいないんだから。
キャンパスに向かって、久々に絵を描きだした。しばらくすると没頭して、何も考えなくなった。無我夢中になったあとっていうのは、頭の中がすっきりして、靄がすべて消えてなくなってるみたいになっている。
「ふう」
「お、いい色が出たな」
原先生が私の絵を見てそう言った。
「今、無心で描いていただろう」
「はい」
「いい絵ができそうだな」
「ありがとうございます」
すごく集中していたので、疲れてしまい、伸びをしてから私は、手を洗いに廊下に出た。手を洗っていると、窓から風が入り込み、つい、ふらふらっとそのまま外に出た。
ああ、気持ちのいい風。それに緑がなんて綺麗なんだろう。
そこからは、弓道の部室や、道場へと続く渡り廊下がある。ここをいけば、藤堂君が、弓を射ているのが見れるんだ。
見たいな。見学にいつでも来ていいって部長が言ってたけど、いいのかな。
そっと道場に近づいた。でも、驚いたことに道場の前に、柏木君が立っていた。
「あ」
思わず声を出してしまい、柏木君がこっちを見た。
「なんだ。見つかっちゃった」
柏木君がそう言って、舌を出した。
「何してるの?」
「見学に来たんだけど、ちょっと入りづらくてね」
「何で見学に?」
「…気分転換だよ。先生も、たまには気分転換するといいって言ってただろ?」
「…」
「なんてね。本当は結城さんが魅せられた弓道、俺も見たら、何かインスピレーションでもわくかなって思ったんだよね」
「…」
私はその場を離れようとした。
「待てよ。一緒に見ようよ。俺一人じゃ入りづらかったんだ」
いきなり柏木君が私の腕をつかんできた。
「離して。私は見学に来たわけじゃないから」
「じゃ、何をしに来たんだよ。あ、俺がいるって知ってたとか?」
「違うよ。ちょっとぶらってしてただけだから」
ギュ。なんで柏木君は、強く私の腕をつかんでるのよ。
「離すと、逃げるよね?」
「離してよ」
「そうしたらもう、つかまえられないよね」
柏木君はものすごくつらそうな顔で、そう言った。
「離して!」
「何してるんだよ」
道場から、いきなり藤堂君がやってきた。
「え?」
「離せよ。柏木!結城さんの手を離せ!」
藤堂君は柏木君の腕を、ひっぱった。でも、なかなか柏木君は私の腕を離さないでいる。
「いい加減にしろよ、お前!」
「うるさい。お前こそなんなんだよ。結城さんの彼氏でもないくせに、なんでいつも助けに現れるわけ?」
柏木君が私の腕を離し、今度は藤堂君のむなぐらをつかんだ。
「やめてよ」
私が止めても、柏木君は藤堂君を離さないでいる。
「お前こそ、なんだよ。結城さんが嫌がってるのに、なんでしつこく構うんだよ!」
「うっせえ!」
柏木君の手がぶるぶると震え、それから思い切り藤堂君のことを突き飛ばした。
その拍子に藤堂君は、道場の入り口のドアに激突して、ドアのガラスに思い切り腕をつっこんでしまった。
バリン…!
「きゃあ!」
藤堂君の腕から、血が流れた。
「と、藤堂君!!」
道場から部員が飛び出してきて、
「藤堂!大丈夫か?」
と聞いてきた。そしてすぐに部長が、藤堂君の腕を止血して、保健室に連れて行った。
柏木君は真っ青になったまま、佇んでいる。
「藤堂君」
私はみんなのあとから、ふらふらになりながらも、ついていった。その後ろから、柏木君も、
「俺も行く」
と言ったけど、
「来ないで。もう帰って」
と私は柏木君を追い返した。
「藤堂、大丈夫か」
「お前、こんな大事な時に怪我して!もうすぐ大会だぞ」
部長が言った。ああ、とんでもないことをしたんだ。私。
私が、柏木君ともめたりしていなかったら。
藤堂君が止めに入りさえしなかったら。
藤堂君の腕が、深い傷を負ってたらどうしよう。
弓道がもうできなくなったら?ううん。今度の大会だって、出られないかもしれないんだよ?
真っ青になりながら、私はみんなのあとを追った。




