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第121話 好きになってくれてありがとう

 和室を出て、リビングに行くと、メープルがワフワフと尻尾を振って喜んだ。でも、そこにはもう、守君はいなかった。

 ああ、ちょっと元気づけてほしかったかも。

 メープルでもいいか。そう思い、メープルに抱きついた。


「ど、どうしよう、メープル」

 司君は部屋にいるのかなあ。

 会いづらい。でもきっと、さっさと会って謝んないともっと気まずくなる。


 ドキ。ドキ。ドキ。まだ怒っていたらどうしよう。

 重い足を引きずりながら、私は階段を上った。上っているのに、下って行くような重さを感じる。


 司君の部屋の前で、私は重たいため息を吐き、ノックをしようとしては手が止まり、またノックをしようとしては手が止まっていた。

「ゆ、勇気でない」

 ぼそっとつぶやくと、いきなりガチャリとドアが開いた。


「うわ!」

 司君が現れて、思わず体ごと後ずさりしてしまった。もしや、私の独り言が聞えちゃったのかな。

「……」

 司君、無言だ。怖いよ~~~。


「入って」

 司君はそう言うと、私のことを部屋に入れた。

 ドキ。ドキ。ドキ。怒ってる?うん、今も怖い顔しているし。怒ってるよね?

 それとも傷つけた?

 うん、傷つけたよね。


「ごめんなさいっ!」

「ごめん!」

 私の声と、司君の声が重なった。

 え?


 思い切り頭を下げた私の頭を、ちょっとだけあげて司君を見ると、司君も頭を深々と下げていた。

 なんで謝られたのかな。えっと?


「ごめん!本当に、ごめん!」

 え?え?え?

 まだ、司君は頭を下げたままだ。

「司君、謝るのは私の方なの。ごめんなさい。司君はさっき、私のことで怒ってくれたんだよね?なのに、私ったら、あんな啖呵切っちゃって、とんでもないこと言っちゃって」


「……」

 司君はまだ、頭を下げたままだ。

「ごめんなさい。私、勝手にズカズカと司君の心に踏み入っちゃったよね?余計なこと言ったよね?」

「……」

 司君はようやく顔をあげた。


「穂乃香、泣いてる?」

「う…」

 つい、ぼろっと涙が出ちゃった。なんでかな。

「ごめん。守に怒られた。俺には泣かせるなって言っておきながら、自分が泣かせてるじゃんかって」

「え?」


「さっき、俺の部屋でずっと泣いていたんだぞって…。ごめん!それを守から聞いて、俺、謝ろうと思って和室に行ったんだ。そうしたら、母さんたちの話が聞こえて、穂乃香が困った顔してるから、つい…」

「……」

 ボロボロボロ。あ、気が緩んで一気に涙が…。


「ほ、穂乃香?」

 司君が思い切り、あたふたしている。

「や、やっぱり、司君は私のために怒ったんだよね?」

「あ、いや。今までたまっていた分を、はきだしたんだと思うけど…」

「……ごめんね?」


「いや、穂乃香は悪くないから。本当に穂乃香はなんにも悪くないからさ」

 司君はそう言うと、私のことを抱きしめてきた。

「ごめん。ちゃんと穂乃香は、俺と母さんのことを考えて、ああ言ってくれたのに、勝手に頭にきたりして」

「ううん…。きっと私も、何もわかってないで言っちゃったの。ごめんなさい」


「…だから、謝んないで。穂乃香は、本当に悪くないんだ」

「…」

「俺の心に、ズカズカ入ったりもしてないよ?だってさ、もう前から俺の心にちゃんと、穂乃香、いるし」

「え?」


「母さんのことで、あんなふうに穂乃香に言われるとは思わなかった」

「…あれも、ごめんなさい。司君のこと責めて」

「いいよ。あれも怒ってないよ。穂乃香、全然悪くないし」

「でも…。お母さんの肩持っちゃったよ。私…」


「そんなことないって。ちゃんと俺に母さんの気持ち、気づかせてくれたよ?」

「ほんと?」

「…ちょっと、面食らったんだ。だから、何にも言わずに部屋を出ちゃった」

「え?」

「母さんが俺のことを愛してるっていう言葉に、面食らった。そんなの言われたこともないし、言ってくれた人もいなかったから」


「…」

 司君?

「そうなのかなって思ったら、俺も、さっき母さんに向かって、酷いこと言っちゃったって反省したんだ…」

 司君は、ちょっと黙ってコホンと咳払いをしてから、話を続けた。

「でも、本当に俺のことを母さんは思ってくれてたのかなって思ったら、嬉しかったりもした…」


「そうなの?そうだったの?嬉しかったの?!」

「え?う、うん」

 司君は恥ずかしそうにうなづいた。


 それから、司君と一緒にベッドに腰掛けた。私はようやく泣くのがおさまって、落ち着いてきた。

「でも、なんで穂乃香には母さんの気持ちがわかったの?」

「うん。お母さん、さっきね、司君が部屋に行っちゃったとき、話してくれたの」

「…自分の気持ちを?」


「司君に対しての気持ちを。お母さん、能天気じゃないよ。ちゃんといろいろと司君のことを考えて、明るくしたり笑ったりしてたんだよ」

「…」

「司君が泣いていたりすると、お父さんに怒られたり、失敗すると駄目だしされてるのを見て、暗くなっている司君に笑ってほしかったんだと思う」


「俺に?」

「うん。きっといろんな表情が、お母さんは見たかったんだよ」

「…」

「司君もでしょ?」

「え?」


「悲しいことも、嬉しいことも、本当はわかってほしかったんじゃない?」

「…母さんに?」

「うん。悲しい時に泣くな、男だろって言われたり、平常心でいろって言われても、辛いよね。そんな時こそ、受け止めてほしいよね」


「……」

 司君は黙ってしまった。

「あのね?私もそうだったの」

「え?」

 司君は下を向いていたのに、私のほうを見た。


「お兄ちゃんがずっと、心臓弱くって、入退院を繰り返してたんだけど、その時、いっつももうお兄ちゃんが帰ってこないんじゃないかって、怖くって怖くって…。でも、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんに付き添っていたし、おばあちゃんが家に泊まりに来てくれたけど、でもおばあちゃんには言えなかったんだ。怖いって」


「…」

「一人で布団の中でいっつも、怖がってた。そんな気持ちを誰にも言えないでいるのも、受け止めてくれる人がいないのも、すごく辛かった」


「おばあさんには何で言えなかったの?」

「おばあちゃんはいつだって、今、お兄ちゃんが頑張ってるんだから、穂乃香はいい子でいるんだよって、そう言うんだもん。言えないし、泣けないよ」

「ああ、そうか。うん、そうだね」


 司君はそう言うと、しばらく宙を見て黙り込んだ。

「俺も、そうだったな」

「え?」

「ひいじいちゃんと、ひいばあちゃんが続けて亡くなって。俺、2人にすごく可愛がってもらったから、悲しくって、ずっと泣いてて。でも、父さんがそんなに司が泣いたら、2人とも天国で悲しい思いをするって言って、そうしたらもう、泣けなくなった」


「…」

「それから、平常心でいろって言われた。辛いのはお前だけじゃない。母さんだって、ばあちゃんだって、辛いんだから、お前はそんな二人を、ちゃんと守っていく立場なんだぞってさ」

 そんな。いくらなんでも、まだ小学生の低学年だったんだよね、司君は。逆に誰かにそばにいてもらって、慰められたり、励まされたりする年齢じゃないの?


「だから、泣けなくなった。泣いちゃいけないんだって思ってさ。穂乃香の気持ち、わかるよ」

「…」

 司君。やっぱり、辛かったんだよね?

 ボロ。あ、また涙が…。


「穂乃香?思い出し泣き?」

「え?」

「小さなころを思い出したの?」

 司君が優しい目でそう聞いてきた。


「ううん。司君が辛かったのかなって思ったら、なんだか…」

「え?俺のために泣いちゃったの?」

「……ごめん。泣いたりして」

「……」

 ギュウ。司君が抱きしめてきた。


「司君。私はそのあと、お兄ちゃんが元気になって、いっつもお兄ちゃんのそばにばかりいて、私のそばにはずっといなかったお父さんが、べったりくっついてきて」

「え?そうなんだ」

「うん。それに、お兄ちゃんも、私のことを可愛がってくれて、いろんな話はお兄ちゃんとしていたの。いつも相談に乗ってくれてた」


「そっか。仲いいんだね」

「だからね、今も暗かったり、悩んで落ち込んだんりって、そんなこともしちゃうけど、泣きたい時には泣いて、落ち込みたい時には落ち込んで、お兄ちゃんに話を聞いてもらったり、友達に聞いてもらったりできてるんだ」

「そうだね。穂乃香は、素直に自分の気持ち、中西さんたちに言ってるもんね」


「司君だって、言っていいし、辛かったら泣いてもいいと思う」

「俺が?」

「うん。男だからなんて関係ないよ。お兄ちゃんだって、よく泣いてたよ。死にたくないって」

「そ、それは俺でも、泣くかもなあ。死を目の前にしたら」


「ほんと?司君だったら、そんなときにも我慢するんじゃない?」

「……」

 司君は黙り込んだ。

「お母さん、きっといろんな司君が見たいんだよ。笑ったり、悩んだり、いろんな司君」


「そうかな」

「心、開いてほしいと思う」

「…そう…かな」

「お父さんは、もしかして怒ったり、また平常心だって言って来るかもしれないけど」


「はは…。そうだね」

 司君は力なく笑った。

「でもね!司君。お父さんが何を言ってきたって、司君の心を見せてもいいと思うよ」

「え?」


「辛いなら辛いとか、悲しいなら悲しいとか」

「父さんにも?」

「それでまた、なんか言ってきたらね、私がお父さんに言うから」

「な、何を?」

「司君の心をちゃんと、受け止めてくださいって、啖呵切っちゃうから」


「……」

 司君は私を目を丸くして見て、ブッといきなりふきだした。

「え?なんで笑うの?」

 そんなに変なことを言った?


「あ、あははは」

 なんで、そんなに笑うの?

「ほ、穂乃香、やっぱり、最高」

「え?」


「ああ、俺、まいった」

「…?」

「完全にまいった」

 何が?


「やっぱり、穂乃香にすんごい惚れてる」

 え?!

「それに、惚れ直した。やっぱ、最高」

「…私が?」


「うん、穂乃香を好きになって良かったって、まじでそう思うよ」

「ほ、ほんと?もう嫌になったり、後悔したりしてない?」

「してない。するわけない」

「…ほんと?」


「穂乃香は?」

「え?」

「俺のこと、嫌にならない?」

「……そんなの」

 なるわけないよ。


 私は何も言わず、司君に抱きついた。

「好き」

 抱きついてから、そう言うと、司君も抱きしめてくれた。

「サンキュ」

「…え?」


「俺のこと、好きになってくれてありがとう、穂乃香」

 またお礼を言われた。それは、私が言いたいよ。

「穂乃香」

「え?」

「ずっとそばにいて…」


「うん!」

 本当にもしかして、あの振袖を着て、結婚式を挙げる日が来ちゃうかな。

 それに、私と司君の子供が七五三で着ることになったりして。


 翌朝…。見事に晴れた。守君は元気に朝早くに起きて、朝練に出かけた。

「守君、ありがとうね」

 守君が玄関から出ていく時にそう言うと、守君は任せろって言う顔をして、へへんと笑った。


 お父さんがそのあと、会社に行った。いつか、私は司君のお父さんに啖呵を切る日が来るかもしれない…し、こないかもしれない。


 それから、私は司君と学校に行く準備をして、玄関に行った。玄関にお母さんとおばあさんが、見送りに来てくれた。

「司、穂乃香ちゃん、私は今日の昼に千葉に帰るけど、元気でね」

「え?もう?」

 司君が寂しそうにそう言うと、

「今度は2人で千葉までおいで」

とおばあさんが優しく言った。


「わかったよ」

 司君はそう言って、玄関で靴を履くと、

「あ、そうだ。あの振袖だけど」

と後ろを振り返り、お母さんとおばあさんに向かって、

「やっぱり、俺と穂乃香の結婚式で、使うかもしれないから、綺麗に取っておいてね」

とにっこりと笑ってそう言った。


「え?」

 お母さんが驚いて目を丸くしたが、おばあさんはにこにことしてうなづいていた。

「じゃ、行ってきます」

「いってらっしゃい!」


 お母さんのいつもの元気な声に見送られ、私は司君と手を繋いで駅に向かった。

「司君、さっきの」

「ん?」

「プロポーズとは違うよね」

 はっ!私、なんかとんでもないことを聞いちゃったかな。  


 こわごわ、司君の顔を見ると、司君はにっこりと微笑み、

「プロポーズならもう、昨日した」

とちょっとはにかみながら言って、前を向いて歩き出した。


 昨日?え?昨日?

 い、いったいいつ?どれ?どの言葉がそう?


 え~~~~?!


 司君はあははって、笑った。それから、

「穂乃香って、けっこう鈍いよね」

と、そんなことも言ってくれた。


 どれ?どの言葉?

 駅までの道を私は脳みそをフル回転させ、思い出そうと必死だった。でも、思い出せない。

 電車に乗って、シートに座った。夏休みももうすぐ終わる。

「ああ、夏休みも終わりだね」

 司君がぽつりとそう言った。


「うん、ずっと続いたら良かったのにね」

 そう言ってから、思い出した。

 ああ!もしかして、昨日の、

「ずっと、そばにいて」

 って言葉~~~?


 ガタン、ガタン。電車に揺られながら、私は司君の横顔を見た。

 うん。ずっとそばにいる。だって、司君のことをこうやって、ずっと見ていたい。


 司君がいつも言う。俺のことを好きなってくれてありがとう。

 それは、私のほうが言いたい。私を好きになってくれてありがとう。

 あの時、告白してくれてありがとう。

 ふっちゃったのに、ずっと好きでいてくれてありがとう。


 もう一度、私と恋をしようと思ってくれて、ありがとう…。

 離れないよ。ずっとそばにいるからね…。


                 ~おわり~


長い間、ありがとうございました。


この作品は、短めの作品にする予定でしたが、嬉しい感想をいただいたり、見に来てくださる方が本当にたくさんいたので、長く続く作品になりました。


「もう1度恋をして」の主人公たちが、私は大好きなので、また続編も書こうかな~と思っています。


その時には、またよろしくお願いします。

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