第120話 初めての喧嘩?
お母さんが、昼ごはんできたわよ~~と、一階からさけんだ。あ、もういつもの元気な明るいお母さんだ。
お母さんの暗い顔は、あまり見たことがない。さっき、ちょっと見たけど、もう明るさを取り戻してる。いや、違うか。無理して明るくしているのかもしれないな。
私は暗くなると、そのまんま暗くなるけど。う、なんだか、司君に会いづらいなあ。こんな時、一緒に暮らしているってきついかも。
ダイニングに行くと、おばあさんがお母さんの手伝いをしていた。
「あ、すみません。私もします」
「いいの、いいの。穂乃香ちゃんは」
「でも」
「じゃあ、守呼んでくれる?あの子、きっとぐうすか寝てるから」
「…はい」
い、行きづらいなあ。2階…。と思いながら階段を上ると、司君が下りてきた。
ああ、どうしよう…。
あ、あれ?スル―された?
なんにも言わず、こっちを向きもしなかった?
ズキン。
司君はそのまま、私に背を向け階段を下りて行った。
なんで?まだ、怒ってるの?
ズキズキ。む、胸が痛い。そんな思いをしながら、私は守君の部屋のドアをノックした。
「ま、守君、ご飯だよ」
し~~ん。返事がない。本当に寝てるの?
「守君?開けるよ」
思い切ってドアを開けた。守君の部屋を見るのは、お初かも…。
お、おわ~~~!!!!びっくり~~~!!!アイドルの女の子のポスター?!ええ?実は女の子好き?
それに、カラフルな色の部屋だ。モノトーンの司君の部屋とは大違いだ!
カーテンは色とりどりの、アルファベットが描かれてある柄。カーテンの地の色は明るい黄緑色。クッションは、緑色。床も明るい色のフローリング。それに、いくつかぬいぐるみもおいてある。多分、何かのゲームのキャラクターだ。
そうか。まだ、守君は中学1年なんだもんね。ついこの前まで、小学生なんだもんね。
「グ~~~~~」
あ、やっぱり寝てた。思い切り気持ちよさそうに。起こすのなんだか、悪いかな。
「守君、ご飯だよ」
「…ん~~~?」
あ、起きた?
パチリ。守君が目を覚ました。
「…穂乃香?」
「ご飯だ…よ…」
うわ。なんで?ぱちくりとした、守君の大きな目を見たら、涙がこみあげてきた。
「な、何?何?」
守君がびっくりして、飛び起きた。
「ヒック」
駄目だ。さっきから、ずっと我慢していた分、一気に来た。止まんない。
「ヒイック…」
「なんで泣いてんの?あ、兄ちゃんと喧嘩?」
「喧嘩…じゃない。でも、怒らせちゃった」
「兄ちゃんを?」
「ヒック。うん」
「…兄ちゃん、そんなにしつこく怒らないから、すぐに仲直りできるよ」
「…あ、謝らないと駄目だよね?」
「そんなに怒らせるようなことしたの?」
「そ、そうかも。ヒック」
「あ~~あ」
守君が、ため息をして、難しい顔をした。もしかして、司君に怒られたのは、大変なこと?
「兄ちゃん、穂乃香のこといじめたり、泣かせるなって俺に言ってたくせに、自分が泣かせてるし」
「え?」
そんなこと守君に言ってたの?
「駄目じゃん。兄ちゃん」
「違う。きっと司君が悪いわけじゃなくって、私が…」
心の中に、ずかずかって入ろうとしちゃったの。勝手に…。
「は~~~あ。昼飯?食べれる?」
「…わ、わかんないけど、下行かないと…」
「兄ちゃんもいるんでしょ?」
「うん。さっき、階段ですれ違った。でも、そっぽ向いてた」
「あちゃ~~」
…ヒック。
「そんで泣いてるのか」
「うん」
「そうか~~~~。じゃ、下に行きにくいね?穂乃香」
「うん」
「そうか~~~~~」
守君がまた、難しい顔をして悩みだした。
「うん、わかった。もう少しここにいたら?」
「え?」
「兄ちゃんが部屋に戻ったら、俺と一緒に行こうよ。俺がなかなか起きなかったってことにしたらいいじゃん」
う…。守君が優しい。
ああ、もっと泣けてきた~~。
ヒック。グス…。ヒック。
「鼻かめば?」
「うん」
守君からティッシュの箱をもらい、鼻を思い切りかんだ。
「グスン」
「…兄ちゃんと穂乃香、いい感じだと思ってたのに、喧嘩しちゃうなんてね」
ズキ。
私だって、朝までは幸せ絶頂だったよ。まさか、その日にこんなふうになるなんて思ってもみなかった。
「なんか、音楽聞く~?適当に流していい?」
「うん、ありがと」
守君は明るいポップスの音楽を流した。あ、これ知ってる。私もよく聞く。
それから、いきなり雑誌を持って来て、
「今度、このバンドのコンサート行くんだ。楽しいんだよ」
と言って、あれこれ話し出した。
ああ、きっと私を慰めてくれてるんだろうなあ。
そして10分もたっただろうか。バタンと司君の部屋のドアが閉まる音がした。
「兄ちゃん、昼飯食い終ったんだよ。そろそろ下に行こうか?」
「ごめんね?冷めちゃったかも。ご飯、美味しそうなチャーハンと、中華スープだったのに」
「いいよ、いつものことだから」
守君はそう言って、音楽を止め、私と一緒に部屋を出て一階に行った。私はいつの間にか、泣き止んでいた。
「あ、守。あんた寝てたんでしょ?穂乃香ちゃんに起こされても、なかなか起きなかったんじゃないの?」
「あ~~、だって、穂乃香の起こし方がぬるいんだもん」
「穂乃香ちゃん、これからは、蹴っ飛ばして起こしてもいいからね?」
「…はあ」
ああ、守君に申し訳ないな。嘘までつかせて…。
それに、わざわざ、お母さんがチャーハンを炒めなおしてくれた。
「ご、ごめんなさい」
私が謝ると、守君が、
「穂乃香のせいじゃないって。俺が起きなかったからだろ?」
とそう言ってくれた。
ああ、守君がやたら、優しくって大きな人に思えてきたよ。いや、実際に優しいんだけどさ。
司君は、どう思ったかな。まだ、怒ってるんだよね。どうしたらいいのかな。
「はあ」
思わず、ため息が出た。
「穂乃香ちゃん、あとで和室に来て?」
おばあさんが、そんな私にそう言ってきた。
「え?は、はい」
ああ、ため息、聞かれちゃったかな。
ご飯を食べ終わり、私は小声で守君にお礼を言った。
「いいよ、いつでも、何かあったら俺の部屋に来て、気分転換してって」
守君はそう言うと、リビングに行きテレビをつけ、メープルとじゃれ合いだした。
私はキッチンの片づけを手伝ってから、お母さんと和室に行った。
「見て、穂乃香ちゃん」
和室に入ると、鮮やかな色彩の綺麗な着物が目に入った。
「これ?」
「私が結婚式の時に着た着物なの」
お母さんがにこにこしながらそう言った。
「これ、振袖なのよ。成人式に穂乃香ちゃんに着てほしくて」
「え?で、でも」
「駄目?」
どうしよう。でも、はっきり言ったほうがいいよね。
「あの…。実は母が成人式で着た振袖がとってあって、それを着る予定なんです」
「真佐江ちゃんの?」
「はい」
「そう。そうか…。そうよね。お母さんのを着たいわよね」
「すみません」
母をがっかりさせたくないし。だって、綺麗にしまってあって、私がその着物を着るのを楽しみにしてるんだもん。
「じゃあ、結婚式かしらね。一応結婚式用に、派手な赤だし」
「それか、穂乃香ちゃんと司の子の七五三でっていうのはどう?」
へ?
「あら、いいわね、お母さん。作り直したら着れるわね?」
え~~~。結婚式もだけど、子供の七五三なんて気が早すぎる!
「何してんの?」
うわ!司君?なんで?
「あら、司。司も見てよ。これ、私が結婚式の時に着た着物よ」
「…今、七五三がなんとかって言ってなかった?」
「そうそう。これをね、作り直して、あんたたちの子供ができたら、七五三にいいわねって。それか、結婚式でも着れそうだし」
「……」
司君、顔、怖い?
「いい加減にしてくれよ」
「え?」
お母さんもおばあさんも、司君の低く怒った声にびっくりしている。
「いい加減にしてくれって言ったんだ。何で母さんはいっつも、そうやって先走るんだよ」
「なんでって…」
「ちょっと、司、どうしちゃったの?」
おばあさんが司君に話しかけたが、司君はおばあさんを見ようともせず、お母さんに向かってまた、話し出した。
それも、すごく冷たい目で。冷たい声で。
「なんでそうやって、勝手に人のこと振り回すんだよ。相手の気持ちも、相手の話も聞かずに、なんでいっつも勝手に決めるんだよ」
「ちょ、ちょっと待って司。そんなに怒らないで」
「ばあちゃんは黙ってて!俺、ずっと言いたかったんだ」
司君?ど、どうしちゃったの?いつもと違うよ。
お母さんも、真っ青だよ。ねえ、気が付いて…。
「あのさあ、母さんは穂乃香に聞いたことある?ちゃんと穂乃香のしたいことを聞いてんの?」
私?
「ここに穂乃香が住むのだって、すんごい強引に決めちゃったし、部屋の模様替えも勝手にしたし、穂乃香の荷物だって、勝手に開けてたし」
「それは、穂乃香ちゃんが来たらすぐに住めるように…」
「一言聞いてからしたらいいだろ?パジャマだとか、茶碗だとか、何で勝手に買ってんの?それもなんで、穂乃香に押し付けてんの?結婚だの、子供だのって、まだ俺ら、高校生だよ?なんだって、そんな先の話を穂乃香にしてるんだよ!」
つ、司君?
「あんたさあ、いっつも勝手なんだよ。それに、能天気すぎるよ。少しは物を考えてから行動しろよ!」
「司!お母さんに向かって、あんたはないでしょう?それに、言い過ぎだよ!」
おばあさんが、司君の胸元を掴んでそう言った。でも、司君はその手も振りほどき、
「ばあちゃんは黙っててって言ったろ?」
と言い返した。
「……」
ああ、お母さんが真っ青だ。今にも泣き崩れそうだ。いつも明るくって、元気で気丈なお母さんが…。
でも、きっと最後の力を振り絞って、立っている。
「そうだよ。言い過ぎだよ」
は…。私、何を言いだしてるんだ。でも、勝手に口が…。
「司君、なんにもわかってないよ」
やめようよ。司君は、私のことで怒ってくれてたよ?
でも、でも、でも。お母さんのこと、わからなさすぎだよ~~~!!司君のことを思ってしたことじゃん!
「司君はわかってないよ。お母さん、司君のことが大好きなんだよ?司君のことをすんごく思ってるんだよ?わざと明るくふるまっていたのに、能天気なんかじゃないし、すんごく優しくって、すんごく司君のこと、愛してるんだからっ!」
うっわ~~~。やってしまった。啖呵切っちゃったよ。また私…。
おばあさんは目を丸くして私を見た。お母さんも、口をぽかんと開け、私を見た。でも、そのあとにボロボロと涙を流した。
司君は…、司君はと言うと、あ、あれ?すんごい戸惑った顔してる?
「ほ、穂乃香ちゃん。もう~~、いいのよ~~」
お母さんがボロボロに泣きながら、私に抱きついてきた。
「え?」
「もう、いいの。十分。ほんと、いいの。そんなことでね、司と喧嘩したりしないで」
「……」
抱きつかれたまま、私はどうしていいかもわからず、ただ突っ立っていた。
「………」
司君はしばらく黙って下を向いていたけど、そのまま何も言わず、部屋を出て行った。
「穂乃香ちゃん、ごめんね」
お母さんが謝った。謝ることなんてないのに。
「ありがとうね」
今度はお礼を言われた。
「ふふふふ」
後ろでなぜか、おばあさんが笑っている。
「こりゃ、ずいぶんといい子を司は選んだもんだね」
へ?
「さすが、真佐江ちゃんの娘よね。似てるわ~~」
今度はお母さんがそう言ってきた。
「似てる?え?」
「真佐江ちゃんもよく、私や友達がくよくよしてると、怒り飛ばしてくれたのよね」
「え?母がですか?」
「ありがとう。穂乃香ちゃん。でも、司とは仲直りしてね?それから、いろんなものを勝手にそろえてごめんね?これからは、一緒に買いに行ったり、相談して決めましょうね?」
お母さんはそう言うと、涙を拭いて、笑って見せた。
「はい…。あ、でも…、私、いろいろと揃えてもらって、嬉しかったです」
そう言うと、おばあさんがまた、ふふふふって笑って、私の頭をなぜか撫でた。
「ほんと、いい子だね。穂乃香ちゃんは。司にはもったいないね」
「…い、いいえ」
本当にそんなことないです。今、なんだか、脳が働きだしました。
司君。私のためにあんな風に言ってくれたのに、とんでもないこと言っちゃったよ~~~!
もう怒って許してくれないかも。口出しすぎた。司君の心をズタズタにしちゃったかも。
なんだって、私はお母さんの肩を持ったりしたんだ。いや、お母さんの想いはわかってほしかったけど。もっと言いようがあるじゃん。
なんだって、あんなときに啖呵切っちゃったんだ。ああ、後悔~~!!!
ますます私は、司君に会うのが怖くなってしまった。
それに、司君、なんで和室に来たのかな。ああ、どうしたらいいんだろうか。




