第118話 二人の朝
ザァーーーー…。
ビュー…。ガタガタ…。
「なんだか、さっきよりも強くなってる気がするけど」
司君の腕の中に抱かれたまま、私がぽつりとそう言うと、
「そうだね」
と司君が冷静に答えた。
ドキドキ。司君の腕、やっぱり筋肉質だよね。
「つ、司君」
「ん?」
「そろそろ、下に行かないと、お母さん、また呼びに来ちゃうんじゃ…」
チュ。
ドキン!
せ、背中にキスされちゃった。
「穂乃香って、あったかい」
ドキドキ~~。
「それに、いい匂いがする」
「シャンプーだよ」
「それに、柔らかい」
うわ!胸触りながら言わないで~~~!!!
「……」
今度は背中に顔をうずめてる?
ドキドキドキ。
「お、起きようよ」
「…」
「つ、司君。起きよう?」
「俺…」
「うん」
「今日やっぱり、集中できないかも」
「…」
そ、そんなことを言われても~~。
「司~~~!」
「ほ、ほら、またお母さん来ちゃったよ~~」
私がベッドの中で慌てていると、
「電車、藤沢からは動いているけど、こっちは当分動かないみたいよ~~。今日部活休んじゃったら~?」
というお母さんの能天気な声が聞こえた。
「…わかった。休む」
え?!
そ、そんなに簡単に決めていいの?
「じゃあ、まだいいわよね?朝ごはん」
「うん、まだ寝てる」
え?寝てるって言っちゃったし~!
「穂乃香ちゃんもまだ、いいわよね?」
ドキ~~~!
「うん。穂乃香も一緒に寝てる」
ぎゃひ~~~~!つ、司君~~~?!
「じゃ、ごゆっくり」
お母さんはそう言うと、また一階に下りて行ったようだ。
バクバクバク。なんつうことを言っちゃうのよ、司君。
「やったね」
「へ?」
「これで、穂乃香とずっとこうしていられる」
ギュウ。司君がもっと私を抱きしめてきた。
「い、いいの?部活」
「あ、そうだった。川野辺にメールするよ」
司君はそう言うと、またベッドの横に手を伸ばした。ベッドの横の小さめのテーブルには、目ざまし時計と携帯が置いてある。
そして司君は携帯を手にすると、プチプチとメールをし始めた。
なんか、可愛い。司君、やっぱりメール得意じゃないよね。うつの遅いし。
「送信」
そう言って、司君はしばらく携帯の画面を眺め、
「うん、送れた」
と言って、携帯をテーブルに戻した。
そしてまた、タオルケットの中に潜り込み、私を抱きしめてきた。
「あったかい」
「暑くないの?」
「穂乃香、暑い?」
「う、ううん」
お母さん、なんにも言わなかったな。…いや、ごゆっくりって言ってた。やっぱり寛大と言うか、変わっているよね。
チュ…。
ドキ~~~。今度は肩にキスされた。ああ、そのたびにドキドキしてるよ。
チュ…。
わあ!今度はうなじ?
って、それだけじゃない。背中から腰に向かって、司君、キスしてる。ど、どうしよう。
ブルルル。その時、携帯が振動した。
「司君、メール?あ、電話かも」
「…」
司君はまだ、私の背中や腰にキスしている。
「つ…、司君、携帯が振動しているってば」
「しょうがないなあ…」
司君はタオルケットからもそもそと顔をだし、手を伸ばすと携帯を取った。
「もしもし?ああ、川野辺…」
川野辺君からの電話だったのか。
「うん。電車動いてないんだろ?いつ動くかもわからないし…。ああ、悪い。そうしてくれると助かる」
司君はそれだけ言うと、ブチッと電話を切ってしまった。
「…い、いいの?」
ずいぶんと中途半端な電話だったけど?
「うん。今日の部活は自主トレにするって」
「…司君、行かないの?」
「行かないよ。今日は穂乃香とこうしてる」
ドキン。
う、嬉しいけど。でも、家には守君もお母さんも、あ、そうだった。おばあちゃんだっているんだよ?
「穂乃香」
また司君が私を後ろから抱きしめ、うなじにキスをする。
「つ、司君、やっぱり起きたほうがいいんじゃない…かな?」
「…」
「司君…」
「…」
なんで黙ってまた、背中にキスをしてくるのかなあ…。ああ、そのたびに心臓がドキドキして大変なのに。
「穂乃香」
「え?」
ドキン。
「あと30分、こうしていていい?」
「…う、うん」
「本当は、まるまる一日、こうしていたいけど」
「…」
キュン。
そうだ。私も本当は、ずっと司君の腕の中にいたい。こうやってぬくもり感じて、幸せに浸っていたい。
「大好きだよ」
キュキュン!!!
「わ、私も」
やっぱり、幸せだ~~~~。雨と風に感謝しちゃう。
「穂乃香、こっち向いて」
ドキン。
私は司君のほうに体を向け、司君の胸に顔をうずめた。
「あれ?なんで顔、見せてくれないの?」
「だって、なんだか恥ずかしい」
「なんで?」
「な、なんとなく…」
「くす」
司君にまた、笑われた。
「穂乃香って、恥ずかしがり屋だよね」
そう言う司君だって…。って、そうでもないのかな?
「そういうとこ、可愛いよね」
キュキュン!ああ、もう。今日もまた、胸がキュンってしっぱなしだよ。
「やばいなあ」
「え?」
何が?
「俺、学校で、大丈夫かなあ」
「?」
「ポーカーフェイスでいられるかどうか」
う、それを言うなら、私だって。
ギュ…。司君がまた抱きしめる腕に力を入れた。
「やばいなあ」
まだ言ってる?
「俺、相当穂乃香にやられちゃってるんだけど」
へ?
「穂乃香が可愛くて、しょうがないなあ」
ドキドキ。な、なにそれ。
「なんだか、離れたくない。やっぱり、ずうっとこうしていたいなあ」
う~~わ~~。嬉しい!でも、ずうっとこうしているわけには…。
だけど、本心は私も、ずっとこのままでいたい。
結局、あと30分ね、あと10分ね…と司君は言いながら、9時ころまで私たちは、ベッドの中で抱き合っていた。
「そろそろ、起きようか」
やっと司君がそう言って、上半身を起こした。私は、タオルケットの中に潜り込み、司君に体を見られないように隠した。
「穂乃香、起きないの?」
「…起きるけど。司君、こっち見ないでね?パジャマ着るから」
「…うん」
司君は、裸のままベッドから出た。わ!司君の裸見えちゃう。慌てて私は顔も隠した。
司君はどうやら、タンスを開けて洋服を出し、着替えているようだ。
司君が着替え終って、部屋を出てから私も着替えようかなあ。なんて思いながら、まだタオルケットの中で丸まっていると、いきなり後ろから、
「穂乃香!」
と言って、司君がベッドの上に乗っかってきた。
「きゃ!」
「いつまでそうしてるの?」
「うん、起きるよ、私も」
「じゃ、タオルケットから出てこないと」
「うん。でも」
「いいのに、俺の前で裸でいても」
よ、よくない!私がよくないんだってば。
グイ!
「きゃ?」
司君がタオルケットを、ひっぱった。
「駄目!司君!」
司君ってば~~~!
「あはは。穂乃香、必死?」
私が必死でタオルケットにしがみついていると、司君が声をあげて笑った。
「だって」
ギュ~~!
わ、いきなり今度は、タオルケットごと私を抱きしめてきた。
「可愛い」
ええ?
「穂乃香、なんだか、全部可愛い」
うわ~~~。顏から火が出る!
「やばいよ」
うん、やばすぎるよ~。
「司君、恥ずかしいから、お願い。部屋、出てて?」
「え?」
「…」
私は抱きしめられたまま、黙り込んだ。
「くす」
あ、また笑っているし…。
「わかった。先に下に下りてるね」
司君はそう言うと、やっと私を抱きしめる手を離し、部屋を出て行った。
よ、よかった。部屋、明るいし、下着やパジャマを着ているところなんて、司君に見られるの恥ずかしいもん。
私はタオルケットから這い出て、下着やパジャマを探して急いで着た。そして、そのまま急いで自分の部屋に戻った。
部屋に戻って、今着たばかりのパジャマを脱ぎ捨て、服を着る。何を自分でもやっているんだって思うけど…。
でも、この前みたいに裸で廊下に出て、そこに守君でもやってきた日にゃ、とんでもないことになっちゃうしなあ。
「はあ」
クローゼットについてある鏡を覗いた。ああ、顔が赤い。髪もぼさぼさだ。
「下に行く勇気がないなあ」
司君のお母さんと顔を合わせられないよ。
でも、行かないと。司君はもうダイニングに行ってるかなあ。
窓の外をカーテンを開けて見てみた。雨が横殴りで振っていて、ガラスに叩きつけられている。
「もしかして、台風かなあ?」
そんなことをぼんやりと口にして、私はどうにか部屋のドアを開けた。
「さ、行くか」
と勇気を振り絞り、階段を一歩おりようとした。すると、ガチャリとドアが開く音がして、
「あ~~~、良く寝た」
と守君が部屋から出てきた。
「お、おはよう」
「あれ?なんでいるの?」
守君が私を見てびっくりしている。
「電車が止まっていて動かないから」
「ああ、そんなに雨ひどいのか。そういえば、ザーザー、ビュービューうるさいかも」
目をこすりながら、守君はそう言うと、パジャマのズボンの中に手を入れ、お尻をぼりぼりと掻きながら、階段を下りて行った。
「ふあ~~~。朝飯食ったら、また寝ようかなあ」
守君は大あくびをしながらそんなことを言った。髪は寝癖だらけ。パジャマはよれよれ。ここにいるのが私じゃなくって麻衣だったとしたら、あんな恰好で家の中をうろうろするんだろうか。
でも、あんな恰好でいてくれるから、私もこの寝癖でぼさぼさの髪でも平気なんだけど。
いや、平気じゃない。司君にはあまり見せたくない。
一階に下り私は真っ先に洗面所に入った。そして、顔を洗い髪をとかした。
う~ん。でもなあ、もうすでにこのぼさぼさ髪も、寝ぼけた顔も見られているんだよなあ。今さらかなあ。
だけど、できるだけ変なところは見せたくないんだもん。
ダイニングに行くと、また大あくびをしている守君がいた。それからいつものポーカーフェイスの司君と、優しい顔で司君と守君に話しかけているおばあさん。
「穂乃香ちゃん、おはよう。今日はトーストとハムエッグでいい?」
キッチンからお母さんが声をかけてきた。
「うわ!はい、はい」
ああ、思わず声が裏返った~~~。恥ずかしい!
私は顔をなるべくみんなに見られないようにして、下を向いたまま席に座った。
「あいにくの雨ねえ。電車が止まっちゃうなんて、困ったわよね」
おばあさんが誰ともなくそう言うと、
「いいじゃん。家でのんびりできるし。ばあちゃんもみんながいたほうがいいでしょ?」
と守君が無邪気にそう言った。
「そうね。出かけられそうもないし、今日は家でみんなでのんびりしましょう」
おばあさんがそう言うと、司君もにこりと微笑んだ。
あ、そういう笑顔、おばあさんには見せちゃうんだなあ。
「司、弓道をしている写真や、ビデオを見せて。あ、守はテニスをしているビデオはないの?」
「あるけど、試合のボロ負けしたのだから嫌だよ、見せるの…」
「あら、それしかないの?」
「ないよ。今度勝ったら見せるよ」
「それはいつ?」
「すぐだよ、すぐ。来年には必ず、勝ってみせるから」
「まあ、頼もしいわね」
おばあさんはくすくすと笑った。
「俺も、ビデオで撮ったりしないからないよ」
司君が静かにそう言った。
「あ、私、持ってる」
「え?」
「見学に行ったときに、ビデオに撮ったよ」
「ああ、そうか。あれ、まだ取ってあるんだ。もう消したかと思った」
「まさか、永久保存にするもん」
「い、いいよ。そろそろ消してくれても」
司君はちょっと顔を赤らめ、そう言った。
「見せてくれる?穂乃香ちゃん」
おばあさんがそう言うので、私はコクンとうなづいた。
「じゃ、朝食食べてから、上映会ね」
お母さんがテーブルに、トーストとハムエッグの乗ったお皿を並べながらそう言うと、
「母さんはいいよ」
と司君がボソッとつぶやいた。
「え?なんで?」
お母さんは、ちょっと驚いたように目を丸くして司君に聞いた。
「…どうせ、笑うだろ?」
「笑わないわよ」
「でも、いいって」
司君は、あんまりお母さんには見られたくないようだ。
「わかったわよ。リビングで見たら?私はこっちで、片づけでもしているわ」
そう言ってお母さんは、少し顔を曇らせ、キッチンに戻っていった。
朝食を食べ終え、私は部屋にビデオを取りに行った。そしてすぐに、一階に下りた。リビングではおばあさんと司君が、笑いながら話をしていた。
司君は、おばあさんの前では、すごく自然に笑う。嬉しそうだし、はにかんだ可愛い笑顔も見せている。
ああ、あの笑顔、最高に可愛い。
「はい、ビデオ」
「ああ、サンキュ」
司君と守君は、おばあさんを取り囲むようにして、ソファに座った。そしてビデオが始まった。
「穂乃香ちゃん、こっち手伝ってくれる?」
「あ、はい」
お母さんに呼ばれ、私はキッチンに行った。
ドキドキ。あんまりお母さんとは、顔を合わせたくなかったんだけどな。
「穂乃香ちゃん、変なこと聞いていい?」
どっき~~~ん!
「は、は、はい?」
何?昨日の夜のこと?今朝のこと?何~~?!変なことって!!!
「司、穂乃香ちゃんと居る時、笑う?」
「は?」
え?な、なんのこと?予想外の質問だ。いや、ちょっと安心したけど。
「笑います…けど?」
「そう。じゃあ、ちゃんと心開いているのよね」
「え?」
「あの子、あんまり表情見せないし、心の内も話さないから、ちょっと心配だったの。穂乃香ちゃんを傷つけていやしないかって」
「そ、そんな。大丈夫です。司君、優しいし、ちゃんと思ったこと口にしてくれてるし」
「司、優しいの?」
「はい」
「じゃ、無理強いしたり、穂乃香ちゃんが嫌がることをしたり、嫌がっているのに押し倒したりしていないわよね?」
「は、はい?!」
それって、えっと。
どひゃあ!
「な、な、な、ないです」
私は意味が分かり、慌てて首を横に振った。
「だったらよかったわ。私もほら、司をつい、せかしたりしたものだから、まさか、嫌がる穂乃香ちゃんを無理やり…とかしてないでしょうねって、心配しちゃった」
どひゃあ。なんて答えていいか。それに、お母さんの顔見れないよ~。
「穂乃香ちゃん、朝、司の部屋にいたでしょ?でも、返事も何もなかったから、まさか、泣いていたりしてないでしょうねって、ちょっと心配になって」
「だ、大丈夫です」
かあ。顔熱い。ああ、返事をしなかったのは、恥ずかしかったからなんだけど。
「司が何か傷つけるようなことをしたら、すぐに言ってね?」
「あ、あの。本当に大丈夫です。司君、本当に優しいし、それに」
「うん?」
「あ、あの。わ、私のこと、大事に思ってくれてるって、伝わってくるから」
って、言ってから、すんごいことを言ってしまったと気が付き、顔がかっと熱くなった。
「そう?それなら、いいけど」
お母さんは安心したようにそう言ってから、
「そうね。私はもっと司を信頼しないとね。それに、司、本当に穂乃香ちゃんを好きだものね」
とそう続けた。
「…」
か~~~。顏、さらに熱くなったかも。
「あんなふうに、表面には見せないから、何を考えているのか一見わからないけど。それも、私に対しては相当、心閉じちゃってるしね」
…え?
寂しそうにそう言ったお母さんの横顔。
もしかして、ビデオを見せてもらえなかったのが、悲しかったのかな。
なんで、司君はお母さんに、ビデオ見られたくなかったんだろう。
そういえば、お母さんの前では特に、司君、ポーカーフェイスになっている気がするなあ。
おばあさんの前ではあんなに、笑顔だったのに。
お母さんは、はあってため息をつき、もっと寂しそうな顔をしてしまった。
守君も、おばあさんも、お母さんのことを能天気だからって言ってたけど、本当にそうなんだろうか。そんな感じ、しないけどなあ。




