第115話 浴衣姿の君
家に帰ってから、順番にお風呂に入り、それから司君の部屋に行き、私は感想文を書いた。司君は黙って、机のほうを向いて椅子に座り、小説を読んでいる。
こっちに背中を向けて読まなくっても…と思ったが、もしかすると私が集中するようにしてくれてるかもしれないので、黙って私は感想文を書いていた。
し~~~ん。部屋はエアコンの音と、私のシャープペンを走らせる音、そして司君の本のページをめくる音だけがしている。
なんだかなあ。恋人同士じゃなくってそれこそ、家庭教師と生徒みたいだよなあ。
「はあ」
一気に感想文を書きあげたので、ついため息が漏れた。
「終わった?」
司君が振り返って聞いてきた。
「うん、なんとか」
「良かったね。今日中に終わって」
「うん」
これでちょっとは、司君とお話ししたりできるかな。と思いながら時計を見たら、11時50分になっていた。
い、いつの間に!
「じゃ、もう寝ないとね。明日も部活だし」
「ごめんね。遅くまで部屋にいて」
「いや、俺は全然いいけど」
私はそそくさと片づけて、司君の部屋を出た。
そして自分の部屋に戻ってから、
「ああ、なんでそそくさと出てきちゃったんだ。私は…」
と後悔した。
おやすみのキスくらい、したかったなあ。
布団を壁際に敷き、ココンと壁をノックした。すると、ココンと司君が返事を返してきた。
「司君、おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
前は、壁を隔ててこんなやり取りをしていただけでも、浮かれてたのになあ。今はこの壁がなかったらいいのにって、本気で思うよ。
どんどんわがままになっているのかなあ。私…。
翌朝、
「今日はおばあちゃんが来るからね」
とお母さんにダイニングに行くと、いきなり言われた。
「あ、そうか。そうだっけ」
司君はそう言うと、ちょっと顔を和らげた。もしかして、おばあさんが来るのが嬉しいのかな。
「穂乃香」
駅までの道で司君が、小声で私に話しかけてきた。
「え?」
「ばあちゃん、浴衣持って来るからさ、それを着て、花火でもしに浜辺に行かない?」
「今日?」
「うん。穂乃香も浴衣あるんだよね?」
「うん、持ってる」
「ばあちゃん、着せてくれるから、きっと」
「う、うん」
「……」
あ。今、司君、にやけた。
「楽しみだね」
司君はにやけたまま、私にそう言ってきた。
「うん」
そうか。さっき嬉しそうにしていたのは、それで?
駅に着くと、司君の顔はもうポーカーフェイスになっていた。さすがだ。
それにしても、司君の浴衣姿が見れるのが、すごく楽しみだな。ワクワクだな。
そうして、ワクワクしながらその日は過ぎて行き、あっという間に帰る時間になった。
司君は片瀬江ノ島駅までは、涼しい顔をして言葉も少なかったが、駅に着いてどんどん家に向かって歩いて行くうちに、言葉数が増え、顔も無邪気に笑ったりした。
そんなに、楽しみなのかなあ。花火が?それとも、浴衣?
家に帰ると、
「司、おばあちゃん、楽しみに和室で待ってるわよ」
と玄関で司君が靴を脱ぐのを、早く早くとせかしながらそう言った。
「わかってる」
司君はそう言うと、靴を脱いで、平然と洗面所に向かって行ってしまった。
「ああ、何よ。早くしなさいよ」
「手ぐらい洗わせろよ」
司君が珍しく、そんなことをお母さんに言っている。
私も、司君のあとに手を洗った。司君はお母さんに腕をひっぱられながら、ダイニングの奥へと連れて行かれたようだ。
なんでそんなに、お母さんはせかしたりしたのかなあ。
私もカバンをダイニングに置き、奥の和室へと入って行った。すると、
「ほら!似合うわ~~~。司、すんごく似合う」
とお母さんが、司君に浴衣を羽織らせ、はしゃいでいた。
「どう?穂乃香ちゃん。司の浴衣姿、ばっちりだと思わない?」
「は、はい」
本当だ!めちゃかっこいい!
「こんにちは」
司君の体で見えなかったけど、おばあさんがひょこっと顔を出して挨拶をしてくれた。
「あ、こ、こんにちは。初めまして」
「お母さん、穂乃香ちゃんよ。司の彼女」
司君のお母さんがそう言って、紹介した。わ。いきなり彼女って言われて、私は顔を赤くさせてしまったようだ。
「あらあら、照れているの?可愛い御嬢さんね。ね?司」
おばあさんにそう言われ、司君も顔を赤くした。
「それより、穂乃香も浴衣あるっていうから、ばあちゃん、着せてあげて」
司君は嬉しそうに、おばあさんにそう言った。
「わかったわ。早速着付けしましょうか?浴衣着て、浜辺で花火でもしてきたらどう?」
「いいわね。みんなで行きましょうよ」
お母さんがそう言って、喜んでいる。
え?っていうことは、2人っきりで行くんじゃないの?
「守も今、メープルの散歩行ってるけど、きっと花火したがるだろうし」
「あ、守にも浴衣作ってきたのよ」
「守、着るかしら」
「どうだろうねえ…」
おばあさんはそう言うと、もう一つ浴衣を風呂敷から出した。
私は、2階に行って浴衣をクローゼットから出した。花火大会に着ていけるかもと思い、ちゃんと藤堂家に持って来ていたんだ。ただ、あんまり可愛い柄でもなくって、おばさん臭い浴衣なんだけどね。
浴衣と帯を持って、また和室に行った。するとすでに司君が浴衣に着替えていた。
「わあ。かっこいい。すんごい似合う!」
思わず私はそう声をあげた。司君はその言葉を聞き、顔を赤くしている。
「お、俺もやっぱり、着る!」
その横でいきなり、守君がそう叫んだ。あれ?いつの間にここにいたのやら。
「守。今の今まで絶対に着ないって言っていたじゃないの」
おばあさんが呆れた顔をしてそう言った。
「い、いいから。ほら、着せてよ。ばあちゃん」
「はいはい」
守君は、服をどんどん脱ぎだした。私はさすがにパンツ姿を見るのは悪いと思い、浴衣と帯を置いて司君とダイニングに行った。
「本当に似合ってるね、司君」
「そ、そうかな」
「そうよ。だから言ったでしょう?前からあんたは絶対に浴衣が似合うんだから、おばあちゃんに縫ってもらったらって」
お母さんもダイニングに来て、司君にそう言った。
「そうだったんですか?」
「でも、着る機会もないし、いらないって、司ったらずっと言い張って」
「そうだったんだ」
「おばあちゃんも、司が浴衣縫ってくれって言ったから、喜んじゃって」
へえ。それでお母さん、早く和室に行けってせかしていたのかあ。
「カメラも持って行きましょうね。ああ、楽しみ」
お母さんはそう言って、ワクワクしている。
「穂乃香ちゃん、今度は穂乃香ちゃんの番よ」
「はい」
おばあさんに呼ばれて、私は和室に向かった。
すると、中から浴衣姿の守君が現れ、何も言わなかったが、目で「どう?俺」と訴えてきた。
「守君、似合う。なんだか大人っぽい」
そう言うと、守君はへへんって顔をして、ダイニングに入って行った。
「あら、守。いいじゃない。似合ってるわよ」
お母さんの声がした。すると、
「そうかな。似合っちゃってるかな~~」
という守君の浮かれた声も聞こえてきた。
ほんと、可愛いなあ。守君は。わかりやすいし、単純だし。私はそんなことを思いながら、和室に入りドアを閉めた。
「穂乃香ちゃんの浴衣も帯も素敵ねえ」
おばあさんは、浴衣と帯を畳に広げて眺めていた。
「そうですか?なんだか、地味な柄だし、あまり好きじゃないんですけど」
「そんなことないわ。上品だし、すごく女らしい柄よ?」
そうなのかな。今ってもっと華やかな浴衣が主流だから、こんな地味なの着てる女の子もいないと思うんだけど。
「じゃ、着つけましょうか」
「はい」
私は洋服を脱いだ。ブラジャーとパンツ姿だけになってちょっと恥ずかしかったが、おばあさんは何も言わず、さっさと浴衣を羽織らせてくれた。
「ほら、似合ってるわ。この色も柄も穂乃香ちゃんにぴったりよ」
私も地味だってことかな。あ、また変な風に考えちゃった。私の悪い癖だよね。
おばあさんは、あっという間に帯も締めた。
「姿見を見て。ほら、似合ってるわ。そうだ。髪もアップにしましょうか。そのほうがきっといいわよ」
おばあさんは櫛を取り出し、これまたあざやかに私の髪を、アップにしてくれた。
「ね?似合うでしょう?」
「は、はい」
なんだか、やけに大人っぽくなってない?
わ。後ろから見たら、うなじがしっかりと見えちゃってる。ど、どうしよう。司君、どんな反応を示すかな。
「司に見せてあげたら?喜んじゃうわよ」
「え?」
「さっきも、穂乃香に着せてあげてって、嬉しそうに言ってたし」
あ、そういうの、おばあさん、しっかりとわかっていたんだ。
「そうだ。あの子どう?」
「え?」
どうって?
「あなたの前では、表情を見せる?」
「あ、はい。いろいろと…」
「まあ、良かった。いつの間にやら、ポーカーフェイスになっちゃったけど、ちゃんと彼女の前では、表情を見せているのね」
「…おばあさんの前では、どうですか?」
「私の前では、小さい頃からいろんな表情を見せてくれてるわよ。ひいじいちゃんや、ひいばあちゃんが生きてた頃は、あの子は甘えん坊で、泣き虫で。お父さんにはそれでよく怒られてたけど、ひいばあちゃんがいっつも慰めてあげていてね」
「そうだったんですか。じゃあ、ひいおばあちゃんが亡くなってからは?」
「私が遊びに来た時には、そっと甘えに来ていたわね。でも、千春さんもあまり子供にかまわないほうだったから、だんだんと表情を隠すような子になっていっちゃったのねえ」
「……」
「千春さんが悪いわけじゃないのよ。ただ、なんていうのかしらね。ちょっと能天気っていうか、あんまり気にしないタイプだからね」
それ、確か守君も言っていた気がするなあ。
「穂乃香ちゃん」
「はい」
「あの子をよろしくね」
「え?」
「あの子は、感情を表に出さないだけで、実は傷つきやすい優しい子だから」
「…はい」
「無表情だから冷たいって勘違いされることも多いみたいだけど、根は本当に優しい子なのよ」
「わ、わかってます」
「え?」
「私、司君の優しいところやあったかいところに、惹かれちゃったんです」
そう言ってから、私の顔がぼぼぼっと熱くなった。
「そうなの?じゃあ、大丈夫ね」
「…」
顔、熱い。
「くすくす、穂乃香ちゃん、可愛いわねえ。顏、真っ赤よ」
「は、はいっ」
ああ、声が裏返った。変な返事をしてしまった。
おばあさんは笑いながら、私とダイニングに行った。
「どう?穂乃香ちゃんの浴衣姿は」
そうおばあさんが司君に聞くと、司君は「あ、うん」と言って鼻の横を掻き、そっぽを向いた。
あ、あれ?どうして?なんにも言ってくれないの?
「メープルも浜辺に行くか?」
司君はメープルの背中をなで、そうメープルに話しかけた。
「夕飯も外で食べましょうか」
お母さんがそう提案をした。そうして、お母さんもおばあさんも、浴衣姿になり、みんなでぞろぞろと家を出て、歩き出した。あ、もちろん、メープルも一緒だ。
「穂乃香、似合ってるじゃん。なかなかの美人だよ」
そう言ってきたのは、守君だ。
「あ、ありがとう」
私は、こいつ、生意気言っちゃって、と思いながらもお礼を言った。だが、守君はなぜだか、司君にこつかれてしまっていた。
「いってえな。なんだよ、兄ちゃん」
「…」
司君はただ、無言で守君を睨んでいる。怖い。なんで怒っちゃったのかな。
「お父さんも、こっちに直行してもらう?ところで、花火は持ってきたの?」
「ああ、そこのコンビニで売っているから買って行こうか」
司君はそう言うと、さっさとコンビニに入って行った。私も司君の後に続いて、コンビニに入った。
「穂乃香も何か買うの?」
「バンソウコウ。下駄、履きなれてないから、ちょっと鼻緒のところが痛くって」
「そうなんだ」
司君はそう言うと、花火とバンソウコウを手にして、さっさとレジに行ってしまった。あ、あれ?買ってくれるのかな。
「はい」
司君はコンビニから出ると、袋からバンソウコウを取り出し、渡してくれた。
「ありがとう」
「指に貼るのもしてあげようか?」
「い、いいよ。そんな」
私は真っ赤になって、首を横に振った。
「……」
司君はしばらく黙って私を見ている。ドキン。
「あ、みんなもう、レストランに行っちゃったのかな。どこのお店かな」
「ああ、よく行く店があるんだ。犬を連れて行ってもOKの和食屋でさ。きっとそこだよ」
司君は私の手を取って歩き出した。
ドキン。なんだか、やけにドキドキしちゃう。浴衣姿の司君、大人っぽいし凛々しいんだもん。
「…穂乃香」
「え?」
「守に先を越されて、悔しかったけど」
?何が?
「浴衣、似合ってるし、その髪型も似合ってるよ」
「あ、う、うん」
か~~~。顏、熱い。
「その…」
「え?」
ドキン。司君がまた私をじっと見ている。
「いや、なんでもない」
「え?な、なあに?気になるよ」
「…浴衣着ると、色っぽいなあって思って」
色っぽい?!私が?!
「やばい…ね?」
「え?」
「他の男には見せたくないくらいだな」
ええ?!
「なんて…ね」
ドキドキ。繋いだ手、汗ばんだかも。それ、司君にもばれてるかもしれない。
「…つ、司君もすごく凛々しいよ?」
「え?」
「浴衣。すごくかっこよくって、私、さっきからドキドキしちゃって」
「ドキドキ?」
「う、うん」
「……」
司君は私を見て、目を細めて笑うと、
「それ、俺も同じ」
とぽつりと言った。そして、耳を赤くした。
それって、私を見てドキドキしているってこと?
わあ。ますます、顔が熱くなった。
ドキンドキン。浴衣姿で手を繋いで歩いている私たちは、けっこう注目を浴びていたようだ。でも、人の目も気にならないくらい、私たちは2人で照れ合っていた。
ああ、やっぱり、司君は、かっこいい。めちゃくちゃ、かっこいい。
司君の浴衣姿を見ながら、私はずうっとうっとりしたり、ドキドキしたりして歩いていた。




