第111話 私の異変
鍵を閉め、家を出た。それから駅までの道、司君は手を繋いでくれた。ドキン。なんとなく、司君の手のぬくもりが昨日と違って感じるのは、気のせいだよね。
それから司君の横顔も、違って見える。
あれ?それだけじゃない!景色までが違うかもしれない。やたらと空が青く、アスファルトの道も、住宅地の緑も、なんだかキラキラして見えちゃう。
目の錯覚だよね。だけど、なんだってこうも、世界が輝いちゃっているのか…。
司君は?
やっぱり、世界が変わって見えてる?私は昨日と違う?
「……今日、やけに空が綺麗だね」
司君が空を見上げてそう言った。
「やっぱり?そう見える?」
「え?」
司君がこっちを見た。
「空だけじゃなくって、世界が輝いてるの。あ、もちろん、司君も」
そう言うと、司君は赤くなった。
「穂乃香も、綺麗だよ?」
「え?」
きゃわ~~~~~~!綺麗って言われちゃった。私も顔、赤いぞ、きっと。
学校までの道のりを、私たちは照れながら歩いた。
昨日と同じ道も、昨日と同じ商店街も、昨日と同じ風景が、違って見えた。校舎も、廊下も、壁も、そして美術室までもが。
「じゃあね、またあとで…」
司君はそう照れながら言うと、廊下を歩いて行った。
ああ、司君の後姿も、グレイのタイルの床までが、輝いて見えちゃう。
私はほわわんとした気持ちのまま、自分の絵の前に座った。
うわ!なんと絵の中の司君にまで、ドキドキしてきちゃった。
でも…。
「う~~~~ん」
私はこっちの角度、あっちの角度、上から下から斜めから、自分の絵の司君を眺めた。
「違う」
そうだ。絵の中の司君と、本物の司君が全然違うんだ。
もっと司君はたくましい。絵の中の司君のほうが痩せているし、線が細すぎる。
胸板はもっと厚いし、腕の筋肉ももっとある。首ももっと太いし、指だってもっと節々がごつい。
昨日はそれに気が付かなかった。なんでかな。
って、やっぱり、司君に抱かれたからだろうか。
…………。
今、私はなんて心の中で言いました?
きゃ~~~~~!!!抱かれた…なんて表現しちゃった!!!
恥ずかしい~~~~!!!
私は顔を真っ赤にして、うつむいた。ありがたいことに、美術室の隅っこに一人部員がいるだけで、今日も他の誰も来ていなくって、私が一人で恥ずかしがっているところを誰にも見られずに済んだ。
ああ、そうか。どっか違うって思っていたのは、司君とこの絵の司君の線が、全く違っていたからなんだ。
本物のほうがもっと、たくましくって、男らしい。
きっと私は、司君の男の部分を知らずにいたのかもしれない。
だって、司君は優しかったけど、腕の筋肉も胸やお腹も、硬くってたくましかった。それだけ、鍛えているんだよね。
ドキ。ドキドキドキ。うわわ。思い出したら胸が…。うわ。なんだか、キュンってしてきちゃったし、大変だ。
「なんか、飲み物でも買ってこよう」
独り言を言って立ち上がり、美術室を出た。
ガチャン。食堂の前にある自販機でジュースを買った。すると、どこの部だかわからないけど、女生徒が2人ジュースを買いにやってきた。
「今日、弓道部あるみたいだよ」
「見学行く?怒られるかな」
「顧問がいると、絶対に怒られるんだよね。いなかったらいいんだけど」
「また、昼に食堂来ようよ。藤堂先輩に会えるよ、きっと」
え?司君?
「昨日もいたもんね」
あ、そうなんだ。昨日もこの子たち、司君に会いに来ていたんだ。
「でもさ、彼女と別れたような噂あったけど、どうなったんだろうね」
「彼女って見たことある?」
「一緒に帰ってるのを見かけたことなら」
うわわ。ここにいるってばれたら大変。なんだか立ち聞きしてるみたいになっちゃう。さっさと美術室に戻ろう。
そうか。まだまだ、司君はモテているんだね。
昼、食堂行ってみようかな。ちょっと、気になって来ちゃった。
12時になり、私はさっさと食堂に向かった。食堂には、あの女の子たちもいなかったし、弓道部のみんなも来ていなかった。
「早すぎたかな」
そう思いながら、また私はパンを買った。
「見学できてよかったです。ありがとうございました」
という、すごく元気な声が聞こえてきた。あ、あの子たちがなんと、弓道部員と一緒にやってきたんだ。
え?見学したの?
「かっこよかった~~。本当は弓道部に入りたかったんですよ、私たち」
「そうなんだ~。今の顧問が、なかなか女子の入部を許してくれないから、残念だったね。僕らも君たちみたいな子が入ってくれたら、嬉しいんだけど」
川野辺君が鼻の下を伸ばしながらそう言った。
その後ろから、司君も食堂に入ってきた。
きゃわん。めちゃくちゃ、かっこいい!
「藤堂先輩、すごかったですね!全部的に当たってたし」
女の子の一人が、司君にべったりくっついてそう言った。
ちょっと、やめて。そんなに近づくの!
「そうだな。藤堂、今日すごかったな。集中力が半端なかったじゃん」
…え?そうなの?
なんで?私なんて、午前中、昨日の司君を思い出し、何度魂が抜けていたことか。
「俺、パン買って来るよ」
そう言うと司君は、購買のほうに行ってしまった。
それから、弓道部員と女の子たちは、食堂の奥に入ってきた。
「あれ?結城さんじゃん。一人?」
「うん」
川野辺君に見つかった。
「一緒に食べようよ」
「ううん、いいよ」
私は首を横に振った。
「いいのに、そんなに遠慮しないでも」
「まあ、川野辺。2人にしてあげようよ。ねえ?結城さん」
他の部員がそう言って、川野辺君を奥の席へと連れて行った。
えっと。もしや、司君と2人にしようって言ってるのかな。
そ、それは困るかも。私きっと、司君のことまともに見れないよ。顔がにやつくか、目がとろんとするか、赤くなるか。
「あれ?」
司君が私に気が付いた。
「一人?」
「うん」
ドキン。ああ、ほら。司君の声だけでも反応しちゃう。
「…じゃあ、俺もここで食べようかな」
「駄目」
司君が私の前の席に座ろうとして、私はつい、そんなことを口走った。
「え?」
司君は椅子に腰かけようとして、中腰で固まっている。
「弓道部のみんなで食べていいよ?私、先に美術室戻るし」
「………」
あ、まだ司君が固まっている。
「あの、今、目の前に司君が来たら、私、顔がにやつきそうで…」
すごく声を潜めてそう言うと、司君が目を丸くして、
「あ、そ、そういうこと」
と言って、立ち上がった。
「うん、そうだね。俺もポーカーフェイス崩れそうだ」
「だから、また、帰りにね」
「うん」
「あの…」
司君が私の席から離れようとした時、私はつい呼び止めてしまった。
「え?」
「でも、あんまりあの1年の子たちと、仲良くしないでね」
また、司君にしか聞こえないくらいの音量で私はそう言った。
「…は?」
司君はまた、目を丸くすると、
「…当たり前だよ。仲良くするどころか、話もしないよ」
と小声で私に言い、ちょっと口元をゆるめて、
「まさか、ヤキモチ?」
と聞いてきた。
「だ、だって…」
私が顔を赤くして困っていると、司君はクスって笑って、
「心配はいらないよ」
とまた、小声でそう言った。
うわ。その笑顔にまた、やられた!
胸をキュキュンってさせていると、司君はいきなり真顔に戻り、さっさと弓道部のみんなのところに、行ってしまった。
顔、すごい。あんなに簡単に真顔になれるんだ。
それにしても、すごい集中力だったって言ってたけど、司君にとって昨日のことは、弓道の練習を妨げるほどの出来事ではなかったんだろうか。
自分の絵の前に座って、そんなことを思ってしまった。
私はと言えば、絵の中の司君と、実物の違いに気が付き、絵を修正しているところだけど、時々意識が昨日にふっとび、絵を見ながらぼけ~~ってしてしまうし、時々にやけてしまうし、大変なのになあ。
5時を過ぎ、私以外の部員はさっさと帰って行った。と言っても、今日も2人来ただけで、たったの3人だったんだけどね。
でもよかった。近くに他の部員がいたら、私のおかしな行動や表情に気が付かれていたかもしれないし。
「また遅くなった。ごめんね」
司君が、私がぼけら~~っと絵を眺めていたら、やってきた。
「ううん。大丈夫」
「あれ?絵、直した?」
「あ、わかる?」
司君はちょっと遠くから絵を見たり、近寄ったりして見ている。
「ああ、線か…。俺、前よりたくましくなってる?もしかして」
「わかった?」
「なんで?」
なんでって、聞いてきちゃう?
「昨日、なんか違うって言ってたでしょ?」
「うん」
「本物の司君と、絵の中の司君、違ってたんだよね。でも、昨日は気が付かなかったんだ」
「…あ」
司君は「あ…」と言ったきり、黙ってしまった。でも、なんか勘付いたんだよね。
「俺のこと、昨日、見た?」
「え?」
「えっと、だから、俺の…裸」
司君は声をうんと潜めてそう聞いてきた。
私はびっくりして、顔を思い切り横に振った。
「み、み、見てない。暗かったし、私ずっと、目、閉じてた」
「…そっか。ああ、びっくりした」
「でも…」
「え?」
司君がまた、表情を硬くして私を見た。
「触れた感じでなんとなくわかって」
「え?」
「司君、筋肉質だって…」
そう言うと、司君が赤くなってしまった。
あ、あれ?変なこと言った?もしや。
「ほ、穂乃香は、やわらかかった」
「え?」
「すごく、線が細くて、やわらかくて、びっくりした」
ドキン!
きゃ~~~。なんだか、聞いてて顔から火が出そう。
「あ、やばい。思い出さないようにしてたのに、一気に思い出した。やべ~~~」
司君はそう言うと、もっと顔を赤くして、下を向いた。
「思い出さないようにしていたの?私は時々思い出しちゃって、ここで赤くなったりしていたのに」
「え?」
「今日、部員がほとんどいなくって、助かったの。いたら、私の異変に気が付いてたよ」
「異変?」
「うん、今日私、変だったもん」
「…そっか」
「司君はすごいね。さっき、食堂で聞いたよ。すごい集中力だったんだって?」
「うん。ものすごく集中してないと、穂乃香のことを思いだすから。的しか見ないようにしていたし、何も考えないようにしてた」
あ、そういうことなんだ。
「って、やばい。穂乃香って呼んでた」
「でも、誰もいないよ」
「うん。だけど、やっぱり学校では気を付けるよ」
「…そうだね」
私たちは、廊下でもちょっと離れて歩いた。それから、顔もなるべくにやつかないように気を付けた。
昇降口を出て、校門を出て、それでも私たちは、ちょっと離れていた。
そうして片瀬江ノ島駅に着き、住宅街に入り人が全くいなくなると、司君は私の手を取って歩き出した。
「穂乃香。もうきっと、母さんたち帰ってると思うんだ」
「うん」
「で、きっと俺、むすっとしちゃうと思うんだ」
「うん」
「でも、気にしないで。照れ隠しだからさ」
「…わかってる。そうだよね。司君はそういうの得意だよね」
「え?」
「私、どうしよう」
「何が?」
「私は顔に全部でそうだ」
「……」
司君は黙って私の顔を覗き込んだ。一気に私の顔が赤くなった。
「今、照れてる?」
「ううん。司君がかっこよくって、うっとりして赤くなった」
「何それ…」
司君まで真っ赤になった。
「あ~~~。俺もなんだか、自信ない」
「え?」
「一回崩れたら、きっともう駄目だろうな。ポーカーフェイス」
「そ、そうなの?」
「そうしたらもう、しょうがないよね。開き直るしか」
「え?」
「どうぜ、勘のいい母さんのことだから、まずあの干してあるタオルケットを見て、察しが付くと思うよ」
「やっぱり?」
「…ま、いっか」
「へ?」
いきなり開き直った?
「どうせ、いつかはばれるんだろうし。時間の問題だ」
「え?」
「こうなったら、こそこそ隠さず、どうどうといちゃついてみようかな」
ええ?!
私が隣で目をまん丸くさせると、司君はそれに気が付き、
「あ、冗談だよ」
と笑った。
び、びっくりした。本当にご両親の前で、いちゃつくのかと思った。
でも、いちゃつくってなあに?どうやって?
そんな話をしている間に、家に着いた。
ドキドキドキ。わあ、緊張だ。本当にどんな顔してお母さんやお父さんに会えばいいんだ~~!




