第108話 いよいよ今夜?
海の散歩から帰って、私はぼけ~~っとしながら、洗濯物を干していた。隣りではメープルが、尻尾をふりながら私を見ている。
「は~~~~」
ああ、ため息が思わず出てしまった。メープルはそんな私を、きょとんとして見た。
「夕方、順番にお風呂に入るでしょ?夕飯は一緒にまた、作ることになるかな。ううん。今日こそ私一人で、ちゃんと料理してみよう。ね?司君のお母さんにだって、お料理習っていたんだもんね?」
私はメープルに話しかけた。メープルはますます、首をかしげてしまった。
「そして、食べ終わって洗い物も済んだら…」
私はそこから思い切り、一人の世界に入り込んだ。
そういえば、さっき、夕飯の買い出しに行く時、DVDでも借りてこようねって司君が言ってたっけ。ってことは、夕飯の後はリビングでDVDを観るよね。
司君は私の隣に座ってくれるかな。もし座ったら…、肩にもたれかかったりしてみちゃおうかな。
そうしたら、司君はどうするかな。私の肩を抱いてくれたりして?
そ、そうしたら、えっと。私はどうしたらいいかな。
あ、そうだ。DVDは恋愛ものがいいな。泣くような悲劇の映画は駄目だ。ロマンチックで、また司君が私たちと主人公を重ねちゃうような、そんな映画。
何がいいかな。あんまりラブシーンが多すぎても恥ずかしいな。う~~~~ん。
「穂乃香?」
「う~~~ん」
「何悩んでるの?どうやって干すかを悩んでるの?」
「わ!司君?」
「え?」
「い、いつからここにいた?」
「ちょっと前から。貸して、残りは俺が干しちゃうから」
「う、うん。ありがとう」
私は司君に残りの洗濯物を干すのをお願いして、メープルと家に入ろうとした。
「あ!!!私の下着!」
私は、慌ててまた庭に戻った。
「司君!私の下着は私が干す!」
と言ったその時にはもうすでに、私のブラジャーは干されていた。
うっわ~~~!!それに司君が今、手に持っているのは、私のパンツ?
「自分で干すから!」
私は慌てまくって、司君の手からパンツを取った。
「あ、ごめん…」
なななな、なんで?真っ赤になるくらいなら、干さなくたっていいのに~~~!
「……」
司君はしばらく黙り込み、
「母さんのかと思った」
とつぶやいた。
嘘だ!司君のお母さんのほうが、もっと大人っぽい下着だもん~~!見てすぐにわかるはずだよ~~。
恥ずかしい。
「やっぱり、私が干すからいい。司君はメープルと家にいて」
「…ごめん」
か~~~。ああ、恥ずかしくって、顔が熱い。
って…。私は下着を見られたくらいでこんなに恥ずかしがっていたら、今夜どうしたらいいんだってことになっちゃうよ?
覚悟は決めたんだよね?穂乃香。
今日は、勝負下着をつけよう。っていっても、フリルが付いてるってだけだけど。でも、私にとっては十分、勝負下着だ。
ドキドキドキドキ。うわ。なんだか、急に胸がドキドキしてきちゃった。
さっきの続き。えっと。司君がもし、肩を抱いてきたら、私は司君に体を預けて…。それで?
ああ!駄目だ。いくらシミュレーションをしようにも、経験も何もないし、まったくイメージもできないっ。
「う~~~~~~ん」
私は庭から家に入ると、リビングのソファーに腰かけ、思い切り悩んでいた。
「穂乃香?」
いつの間にやら司君が、隣に来ていた。隣に来たのも気づかなかった。
「何か、悩み事?」
「え?あ!そ、そ、そうなの。夕飯、なんにしようかと思って」
「…そんなに悩むんなら、どっかに食べに行こうか?」
「ううん!ちゃんと作るよ。そうだ。この前お母さんから、ハンバーグを教えてもらったの。それ、作ってみる」
「…うん、俺も手伝うよ」
「いい。一人で頑張ってみるから」
「…そう?」
ハンバーグとサラダがいいよね。あ、付け合せに人参のグラッセと、いんげんのソテー。前に家庭科でやったよね。あれも作ってみようかな。
サラダは何がいいかな。普通にグリーンサラダでいいよね。ドレッシングは家にある市販のものでいいかなあ。
あ、あれ?そうだった。本当に夕飯のことで、悩みだしちゃった。そうじゃなかった。私が今、考えていたのは…。
「映画はどんなのが見たい?」
「え?」
ドキ~~~!
「俺、最近出たばっかりの、SFの見たいのがあるんだけど、それじゃ駄目かな」
SF?恋愛ものじゃなくって?
「いいかな?」
「怖いの?」
「いや、怖くないよ。時間旅行みたいなことをしたり、けっこう穂乃香が見ても楽しめる映画だと思うんだ」
「そ、そうなんだ…」
…そっか、恋愛ものじゃないのか。
「それって、主人公が誰かに恋したり…とかする?」
「ああ、安心して。ラブシーンはないと思うよ」
「そう、そうなの…。よかった」
私は安堵の微笑みをわざとらしく作った。心の中では思い切り、がっかりしながら。
ああ、もうすでに、私の中での計画は、おじゃんになってしまった。
あ!逆にちょっと怖い映画を借りてきて、司君に「怖い」って言って、抱きついてみるっていうのはどう?
って、駄目だよね。司君が借りたい映画は、怖くないって言ってたもんね。
じゃあ、映画を観終わってから、2階に上がって…。司君は私の部屋の前で、
「おやすみ」
って言って、キスをしてくれる。そして、その時、私は司君に抱きついてみる。
っていうのはどう?
でも、その先は、どうしたらいいんだろう。
「まだ、寝たくない」
と言ってみるとか。
「勉強教えて」
と言って、司君の部屋に入ってみるとか。でも、本当に勉強だけして、終わりそうな気もする。
じゃあ、えっと。
「一人で寝るの、怖いな」
なんてね。まさかね。なんで?って聞かれそうだし。
「怖い夢をみそうで」
うわ。そんな理由変だよ。
じゃあ、また停電にでもなってもらうとか。って、そんなうまい具合に停電になるはずもないし。
じゃあ、また、台風でもきて…。って、今日はすんごくいい天気だし。
じゃあ、いっそのこと、お化けにでも出てもらって。って、無理!そういうの思い切り怖いし。
じゃあ、どうするのよ。私!
「穂乃香?」
「え?」
「さっきから、どうしたの?何か変だね」
「え?」
「俺の話も聞いてなかったみたいだし」
「ごめん。なんか話してた?」
「やっぱり…」
わ~~~。申し訳ない。全然聞いてなかった。
「怖い顔してたけど、なんの考え事?まだ、夕飯のことで悩んでいた?」
「ううん。もう、それはすっきりした」
「そう。じゃあ、どこか具合でも悪い?」
「ううん。いたって元気」
「…そう」
あ、司君が心配そうに私を見てる。
「なんでもないの。えっと…。夕飯は決まったけど、お昼はどうする?」
「ああ、どっか海の見える店に食べに行こうか。今日、天気良くって気持ちよさそうだし」
「うん」
司君と、のんびりとまた海に向かって歩き出した。
「どこがいいかな。あ、そうだ。ちょっと歩くけど、海の真ん前にあるイタリアンの店に行く?」
「うん」
「ピザもパスタも美味いんだ」
「そうなの?楽しみ」
司君は私と手を繋いだ。ドキン。最近、近所でも手を繋いでくれるようになったな。あ、あの変な男につけられてからだ。
人の目を気にするのはやめたって、そう言っていたもんね。
司君の手、大きいな。ゴツゴツしてるけど、でもあたかくって、繋いでいると安心するんだ。
司君の背中、結構広い。腕も筋肉質なんだよね。
そんな司君の腕や肩を見ながら、私はまた、自分の世界に入って行ってしまった。
もし、司君とそんな関係になったら、私は変わるのかな。
どう変わるんだろう。
司君は?どう変わるの?
繋いだ手は、今みたいに優しかったり、あったかかったりする?
こんなふうに、ドキドキする?安心するのにときめいている。それは変わらない?
司君の目は?この優しいオーラは?どんなふうに変わっちゃうのかな。
「ね?穂乃香」
「……」
「穂乃香?」
「え?ごめん。何?」
「…どうしたの?」
「え?」
「やっぱり、今日変だよ?」
「ごめん。なんでもないの。えっと、なんの話?」
「…父さんと母さん、もう長野に着いたかなって」
「あ、どうだろう…」
やばい。もう、一人の世界に入らないようにしなくっちゃ。司君に申し訳ない。
しばらく歩いていると、イタリアンのお店に着いた。そして、2人でピザやパスタ、サラダを頼んで、海をみながら食べた。
「美味しい」
「でしょ?」
「海も綺麗。ここ、夕方も夕焼け見えるんじゃない?」
「かもね。夕方は来たことないからわかんないけど」
「デートには最高だね。あ…」
「え?」
私はいきなり気になりだした。いったい、司君は誰と来たんだろう。まさか、キャロルさんとか?
「か、家族で来たの?」
「ああ、ここ?うん、そうだよ」
なんだ。良かった。
「この前は確か…。ああ、母さんと守とキャロルと来たんだ」
やっぱり、キャロルさんも一緒か~~。ま、まあ、いいか。2人で来たわけじゃないんだし。
「キャロルさん、元気?夏に司君の家に遊びに来ると思ったのに、来ないんだね」
「来てたみたいだよ。俺らが長野に行ってる間に」
「え?そうだったの?」
「今はアメリカだよ。学校も夏休みだしね。彼氏に会いに戻ってるんじゃない?」
ああ、そうだった。留学中は遠距恋愛してるんだもんねえ。
「司君に会えなくって良かったのかな」
「別に?なんで?」
「ううん、なんとなく」
「…俺とキャロルは…」
「なんでもないんだよね?」
「そうだよ」
司君はちょっと、眉をひそめてやれやれって顔をした。
「ごめん、もう気にするのはやめるね?」
「…うん」
司君はうなづいてから、海を見て黙り込んだ。
「穂乃香は、もし聖先輩が付き合おうって言って来たら、どうするの?」
「え?そんなことあり得ないから」
「でも、万が一、そう言って来たら?」
「…万が一もないよ。絶対」
「…俺より、先輩と付き合う?」
聞いてる?人の話。それに、なんでいきなり聖先輩の話なの?
「付き合わない。私は司君と付き合っているんだもん」
「……、ほんと?」
「本当に」
「もったいないって思わない?」
「ええ?思わないよ~~~」
何を言ってるの?もう~。
「だったら、いいけど」
「あ、昨日の話、気にしてたの?」
「え…。うん、まあ」
嘘~~。そんなの司君、気にしたりするの?
「男から見ても、先輩はかっこいいからさ」
「…でも、司君のことが、私は好きなんだもん」
「え?」
「……」
かあ~~。言ってから顔から火が出た。
「……今、穂乃香、照れてる?」
「え?!」
「顔、真っ赤だけど」
「て、照れてるよ。なんで?」
「いや…」
司君は下を向いて、ちょっと嬉しそうに笑った。
「穂乃香、なんだか変だったから、どうしたのかって気になっちゃって」
「え?」
「なんか、俺、変なことしたり言ったりしたかなとか…。それとも、今日と明日2人でいるのに、緊張してるか、嫌がってるのかなとか…。ちょっとね、考えちゃった」
「そ、そんなわけないよ。嫌がるわけないじゃない」
「…うん。今、赤くなった穂乃香を見て、ほっとした」
「ほっとしたって?」
「嫌われてないってわかって、ほっとした」
え~~~!!
嫌うなんて!その逆なのに。いったいどうしたら、今夜司君と結ばれるかって、それをずっと考えてただけなのに。
かあ~~~~。あ、あれ?顔がもっと熱くなっちゃった。
「穂乃香?あ、もしかして、やっぱり、緊張してた?」
「え?」
「だったら、ほんとに安心していいよ?俺、今日は手なんて出さないし、暴走もしないから」
「…う、うん」
暴走、してくれないのか。
………。
………。
って、何をがっかりしてるんだ。私は…!
ああ、自分の思考にびっくりする。
私はしばらく、恥ずかしくなって下を向いた。下を向いたまま、しばらく顔があげられなくなった。
すると司君はまた、
「穂乃香?」
と心配そうに聞いてきた。
「な、なんでもないの。ほんと、気にしないで」
必死に私はそう言って、司君から顔をそむけ、海を見た。
「あ、海、綺麗~~~」
とわざとらしく、そんなことを言いながら。
そして、そして、そして…。夜がやってきてしまった。
お風呂に入って、やっぱり念入りに体を洗ってしまった。
出て来てから、かさついた肌にクリームを塗り、勝負下着をつけた。
それから、夕飯の準備に取り掛かった。
1時間半もかけて、ようやく夕飯ができた。もうすでに、8時を過ぎていた。
人参のグラッセは、硬かった。いんげんのソテーは味がしなかったし、ハンバーグは中身までしっかり焼こうとして、片面が真っ黒にこげてしまった。
ご飯は、水加減を間違えて、ほとんどお粥に近い状態だ。まともにできたのは、グリーンサラダだけだ。
ああ、情けなさすぎて、涙が出そうだ。
「ごめん。全部失敗した」
「え?大丈夫だよ。美味しいよ?」
嘘ばっかり~~~。どれも、まずいよ~~~~。
「ごめんね、残していいよ」
「まさか。せっかく作ってくれたのに、残したりなんかできないよ」
司君はそう言うと、バクバクと全部をたいらげてくれた。
申し訳なさすぎる。ハンバーグ、絶対に苦かったはず。
「今度は、もっとまとにも作れるようになる…」
「…くす」
え?
「穂乃香、可愛いよね。いっつも」
「ど、どこが?」
「だって、一生懸命だからさ…」
嘘だ。全然可愛くなんかないよ。だって、まともにご飯も炊けないんだよ?もう、女の子失格だよ。穴があったら入りたいよ。
それから、がっくりしたまま洗い物を司君として、リビングに移動した。
「DVD面白いよ。きっと元気が出るよ」
ああ、私が落ち込んでいるの、司君もわかってるんだ。って、わかるよね、そりゃ。私きっと今、暗い顔してるよね?
リビングでは、司君は私の真ん前のソファに座ってしまい、隣には来てくれなかった。あ、ここでも私の計画は駄目になってしまったか。
隣に座って、肩にもたれかかって…ができやしない。
まあ、いいか。それどころじゃないし。なにしろ私はまだ、落ち込みから這い上がれずにいるし。
映画は、ハラハラドキドキもするが、夢のある映画だった。
「どう?楽しめた?」
「うん」
娯楽性のある映画っていうのかな。きっとこういう映画は、司君は好んで見たりしないと思うんだ。もっと、マニアックな映画が好きそうだもん。きっと、私に合わせて借りてくれたんだろうなあ。
「メープルは、もう寝ちゃったか」
メープルはさっきまで、司君の膝に顔を乗せ、く~んと甘えてみたりしていたが、今はマットの上で丸まって静かになってしまった。
「さ、俺たちも寝ようか。もう11時だし」
「…うん」
ああ、うんって言っちゃった。でも、待って。これから2階に行って、それから司君が私の部屋に来るかもしれないし、私が司君の部屋に行ってもいいんだし…。
司君はリビングの電気を消すと、私と一緒に階段を上りだした。
「じゃあ、おやすみ、穂乃香」
え?
2階につくと、司君はキスもせず、さっさと部屋に入って行ってしまった。
ま、待って。
ええ~~~?
一人廊下に取り残された。
おやすみのキスは?そうしたら、抱きつくってイメージしてたの。もうちょっと一緒にいたい…とか、勇気を出して言ってみようか…なんて、そんなことも考えていたのに。
呆然。
しばらく私はそのまま、司君の部屋の前で立ち尽くしていた。




