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第104話 信頼されてる司君

 父は寝室に向かって行ってしまい、キッチンに藤堂君と2人で残された。

「……」

 藤堂君、無言だ。無言だけどなんとなく、怒りのオーラが出ている気がする。

「ごめん…」

「え?」


 いきなり謝られた?

「俺、全然気づけなかった」

「チャラ男本田のこと?」

「え?何それ?」

「なんでもない…」


「…ずっと言い寄られてた?」

「ううん。私が江の島に住んでいるって言ったら、一回は引いた」

「え?」

 藤堂君が不思議そうな顔をした。

「でも、あの女の子のお客さんに言い寄っていたから、それを阻止しようって仕事手伝わせてたら、なんだか変な勘違いをしたみたいで」


「どういうこと?」

「私がチャラ男に気があるって、勘違いしたみたいなの」

「…」

 あ、藤堂君、顔、怒ってるよ?


「あの女の子って、今日来た子たち?」

「うん、そう」

「大丈夫だよ。あの子たち、しっかりしてるから」

「え?」


「明日はあいつに任せたらいいさ」

「で、でも…」

「穂乃香よりも絶対にずっと、しっかりしてるから、大丈夫」

 わ、私よりって?


「穂乃香はそんな心配しなくていい。もっと自分のこと心配して」

「私だって、ちゃんとしてるし、しっかりしてるし」

「そう?」

 あ、疑いの目で見てる。


「うそ。実はさっきもお父さんが来てくれなかったら、困ったことになっていたかも」

「さっきって?」

「……お風呂空いたって、司君を呼びに行ったの。そうしたら部屋からあいつが出てきて」

「うん」

「お風呂あがったら、2人きりになろうって誘われた。それに…」


「……」

 うわ。こわ…。藤堂君、また怒りのオーラが…。

「それ…に?何か、まさかされたんじゃ…」

「ううん。背中に手を回されたんだけど」

「え?!」


「そこにお父さんが来て、その腕をひねってくれたから」

「……」

「それで、うちの娘に何をしているんだって脅したから、きっともう大丈夫…」

「大丈夫じゃないだろ?」


 藤堂君は怒りと同時に、はあっていうため息も吐き、頭を抱えてしまった。

 もしや、呆れてるの?

「俺、何やってたんだろう…」

「え?」


「2階で、望遠鏡の使い方、あの子たちに教えてた。でも、そんなのほっといてすぐに下にくりゃ良かった」

 やっぱり、あの子たちといたんだ。

「まったく、俺って、何をしてるんだろう」

 あ、あれ?落ち込んでる?


「でも、お父さんが来たから、その…」

「彼氏失格」

「へ?」

「きっと穂乃香のお父さんも呆れてるよね」

「ううん、多分、それはないと思う」

 っていうか、彼氏と思っているかどうかも、微妙…。


「ごめん」

 藤堂君は申し訳なさそうに謝った。

「い、いいよ。藤堂君だって、一生懸命にお客さんをもてなしていたんだもんね?」

「…」

 藤堂君は顔を引きつらせ、黙り込んだ。

 あれ?違うの?まさかとは思うけど、女の子たちに言い寄られて、気分良くなっていたとか?


「この仕事、大変だけど、お客さんにありがとうって言ってもらったり、喜んでもらえると、嬉しいなってそう感じてた」

「え?」

「ごめんね?客とは言え、女の子なんだし、穂乃香、いい気はしなかったよね?」

「ううん。大丈夫」

 嘘。怒ってたくせに…。でもこんな素直に謝られたら、何にも言えない。


「穂乃香…」

 え?と、藤堂君、顔近い。もしかしてキス?

「司君、お風呂空いたわよ。入っちゃって~~」

「はいっ!」


 藤堂君は母の声で、私から飛びのき返事をした。そして、

「じゃ、じゃあ、おやすみ」

と私に言うと、小走りに自分の部屋へと戻って行った。


 母はキッチンに来て、

「あんたはもう寝たら?」

と、淡々とそう言って、コップに水をくみ、ゴクゴクと飲んだ。

 く~~~!なんでこんなタイミングで来るかな。もう少しでキス、できたのに~~。

 やっと、やっと2人きりになれて、甘いムードになっていたっていうのに、邪魔してくれて~~!


「お母さん、ちょっと一つ気になることがあるんだけど?」

「なに?あ、じゃあ、椅子に座って話さない?お母さん、休みたいわ」

「え?うん」

 母はまた水をコップにくみ、私の分も用意してテーブルに置いた。そして椅子に腰かけると、

「何が気になるの?」

と聞いてきた。


「お父さんのこと。お父さんってさあ、藤堂君と私が付き合ってるの、知ってるよね?」

「もちろん」

「…でも、そんなふうに見えないんだよねえ」

「そう?だけど、そうじゃなかったら、2人で長野に来させたりしないでしょ?」

「そうかな。付き合ってるわけじゃないから、逆に2人で来るのも反対しなかったんじゃないの?」


「違うわよ、バカねえ」

 母はそう言うと、笑い出した。ム…。なんでバカにされたんだろう、私。

「千春ちゃんから、時々メールで二人の様子を教えてもらってたの」

「え?私と藤堂君の?」


 ぎょえ~~。いったい、藤堂君のお母さん、なんて書いて送ってたんだろう!

「司君とあんた、よく一緒に勉強してるんですってね?ダイニングに座って、2人で頑張ってるって書いてあったわ。あんた、成績表をコピーして送ってくれたじゃない。テストの点数も教えてくれて」

 ああ、1学期終わってすぐに、藤堂君のお母さんから言われたんだよね。いい成績とったんだから、すぐにご両親に報告した方がいいって。それでコピーを郵送で送ったんだった。


「お父さんがそれを見て、きっと司君が穂乃香に勉強を教えてあげたんだろうなって、司君のことをもっと気に入っちゃってね。それも、千春ちゃんに言わせると、あんたたち、部活ばっかりしていて、デートもしたことないんですって?」


 ………え?

 それは、えっと…。

「なんだか、変な男につけられたりもしていたって。もう、それ聞いてお父さんとびっくりしたけど、その男も司君がつかまえちゃったんですってね?」

 う、う~~ん。正確にはお父さんが投げ飛ばしたんだけど…。まあ、藤堂君と守君も活躍したかな。


「お父さんね、今時珍しくらい、礼儀正しいし真面目だし、本当に司君はいい子だって、褒めているのよ」

「…そうなんだ」

「あんなに真面目な好青年なんだから、健全なお付き合いもしているんだろうなって…」

 え?

 健全?


「一緒に住むってなった時には、お父さん、本当に心配していたんだけど、千春ちゃんのメールで本当に安心して、司君なら穂乃香を任せられるなあって」

 …それって、すんごい信頼されているってこと?

 っていうか、藤堂君のお母さん、かなり真実を曲げて報告しているような気もしなくもないんですけど。いや、ありがたいことなんですけど…。


「だから、ちゃんと付き合ってるのは知ってるわよ。それも健全なるお付き合いをしてるってことも。私も安心だわ。なにしろ、こっちに来てからの司君の働きぶりも、素晴らしいものね。いい人をゲットしたわよ、あんたにしては上出来…」

 へ?


「ほんと、あのチャライ本田君みたいな男じゃなくって、良かったわよ」

「うん。そうだよね…。って、私、あんなチャラ男にはひっかかったりしないよ?」

「そうよね。あんたも古臭いもんね」

 どういう表現の仕方よ、それって。もっと他のいい方はないわけ?


「でも、ちょっとあんた、危なっかしいんだから、ああいうチャラ男には気をつけなさいよ」

 そう思うなら、チャラ男本田が言い寄った時に、阻止するくらいのことをしてよっ。

「おやすみ。もう寝る」

「…おやすみなさい」


 母をキッチンに残し、私は部屋に入った。寝室では父が机に向かい、パソコンをいじっていた。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。明かり消したほうがいいか?穂乃香」

「ううん、大丈夫」


 私はベッドに寝っころがった。

「穂乃香」

「え?」

「司君は本当に、いいやつだな」

「…うん」


「いっつも何事も一生懸命にするし、真面目で誠実で…」

「…うん」

「穂乃香は、あんまりあれだぞ?」

「…なに?」

「甘えてばかりいたら駄目だぞ?」


「は?」

「いい青年だからって、あぐらをかいていたら、他の子に奪われちゃうかもしれないからな」

「ど、ど、どういうこと?」

「ちゃんと穂乃香も自分を磨けってことだ。司君にふさわしいだけの女性になりなさい」


「…ふさわしい?」

「司君が優しいからって、ふんぞり返っていると、痛い目に合うってことだよ」

「……」

 ふんぞり返っていると?ってどういうこと?


「多分、司君は穂乃香のことを大事に思ってくれてるんだろうな」

「…うん」

 ドキン。そういうの父にもわかるんだ。

「だからって、いい気になっていないで、穂乃香もちゃんと司君を大事にするんだぞ?」

 ああ、そういうことかあ。


「うん、わかってるよ。私も大事だもん」

「…わかってるなら、いいけどな」

 父はそう言うと、黙ってパソコンで何かを打ち出した。私はしばらく父の背中を見ていたが、なんだか安心した気分になって、深い眠りに入って行った。


 翌日、藤堂君は、本田さんが私に話しかけようとすると、それを阻止しにやってきていた。そして父は何かと、

「本田君。こっちを手伝ってくれ」

と本田君をこき使っていた。

 お客の送迎も本田さんを父が連れて行ってくれたので、私は藤堂君としっかりと仕事をすることができた。


 窓ふきを2人でしている時、

「藤堂君、すごくお父さんに気に入られてるね」

と話してみた。

「え?俺が?」


「うん。すごく信頼されてる」

「…それは嬉しいんだけど」

 あれ?顔、ちょっと困ったっていう顔になってる。

「やっぱり、藤堂君が言ったように、勉強頑張って良かったよ、私」


「褒められた?」

「ううん。でも、私の成績が上がったのって、きっと藤堂君が教えてくれたからなんだって、そう父も母も思ったみたい。藤堂君の株あがったんだもん。良かったよ」

「なんで?頑張ったのは穂乃香…じゃなくって、結城さん自身だろ?結城さんが褒められるべきことだよ?」


「ううん。藤堂君のおかげだもん。だから、藤堂君が褒められて当然だよ」

「俺は…」

「藤堂君が頑張ろうって言ってくれたから。だからできたの。じゃなきゃ、私あんなに頑張れなかったよ」

「……」

 藤堂君はしばらく、窓を拭く手を止めて私を見ていた。


「だから、ありがとう」

「……」

 藤堂君は何も答えず、また窓を拭きだした。

「ちゃんとね、堂々と長野に来れて、本当に良かったって思ってるんだ」


「…うん」

「だから、ありがとう…ね?」

「……穂乃香」

 藤堂君は、周りに聞こえないくらいの小声で私を呼び、

「俺こそ、いつもありがと」

とそうささやいた。


「え?なんでありがとうなの?」

「…全部、穂乃香の言うことも、想っててくれてることも、俺にはすごく嬉しいことだから」

「え?」

「いいよ、わかんなくって、でも、ありがと」


「……」

 ?

「はあ…」

 また藤堂君は窓を拭く手を止めた。そして小さなため息を吐いた後、はにかんだ笑顔を見せた。


「知ってた?」

「え?」

 ドキン。顏、近いんですけど。

「俺、前よりももっと穂乃香を好きになってる」

 ドキ~~~ッ!

 藤堂君はそうささやくように耳元で言うと、さっと私から離れ、

「2階、掃除してくる」

とバケツと雑巾を持って、2階に行ってしまった。


 ドキドキドキドキ。ああ、しばらく藤堂君と至近距離で話もしていなかったからかな。やたらと胸が高鳴っちゃった。

 はにかんだ笑顔、可愛かったな。それに、それに…。

『前よりももっと穂乃香を好きになってる』

 うっきゃ~~~~~。嬉しすぎる!!!!


 バシャン!

 あ…。

 足をじたばたして、バケツをひっくり返してしまった。やばい!床が水でびしょ濡れ!

「何してるの、穂乃香」

 ああ、母に見つかった。


「ごめん、今すぐに拭くから」

「じゃ、モップを持って来て、ついでに床も綺麗に磨き上げちゃって」

「え?」

「よろしくね」


「はい」

 私は仕方なくモップを持って来て、床を拭きだした。でも、藤堂君のあの言葉や笑顔を思い出し、気分はどんどん上がってきて、鼻歌まで歌って床を拭いていた。

「楽しそうですね」

 外から帰ってきた泊り客にそう言われた。


「あ、あ、はい。おかえりなさい」

「いいわねえ。ここのスタッフのみなさん、気持ちがいい人ばかりで。あの若い真面目そうなバイト君も、いいわよね、礼儀正しくって」

 藤堂君のことだ!


「もう一人のバイト君も楽しいし」

 え?チャラ男のこと?

「見た目は、ちょっとチャラそうに見えるけど、楽しい人よね」

「…はあ」


「リビング掃除中?ダイニングでコーヒーを飲んでもいいかしら」

「はい、どうぞ」

 30代くらいの女性客だ。旦那さんと子供と来ているようだけど、どうやら、旦那さんは子供とまだ外で遊んでいるようだ。


 ペンションから少し歩いたところに、スキー場がある。夏場の今は、グラススキーができるようで、ここの泊り客もそこで遊んでいる人が多いようだ。きっと、息子さんと旦那さんはまだ、グラススキーを楽しんでいるんだろう。


「あなた、ここの娘さん?」

「はい」

「いいわね。こんな自然の中で暮らせるって」

「あ、夏休みの間だけ、手伝いに来てるんです」

「あら、ここに住んでるんじゃないの?」

「はい」


「そう。それもそうか。ここから学校に通うのは大変そうだものね」

「は、はい…」

 私はまた、床をモップで掃除し始めた。その人はダイニングでのんびりと本を読みだした。

 綺麗な人だな。黒髪のワンレングス、似合ってる。いいなあ。あんなふうな大人になりたいなあ。


 しばらくすると、旦那さんが息子さんと戻ってきた。小学3~4年だろうか。

「おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

 みんなでダイニングに座ると、わいわいと楽しそうに話し出した。息子さんの笑顔が特に、きらきらとしていて見ていて幸せな気分になった。


 お父さんとお母さんと旅行に来れて、きっと幸せいっぱいなんだろうなあ。

 私も、ずうっと兄の病気で家族で旅行に何て行けなかったけど、初めて家族旅行をした時には、すごくすごく幸せな気持ちになったっけ。


 あの時、何をしたかとか、どんなペンションだったかも、あまり覚えていない。でも、父と母と、そして兄が幸せそうに笑っていたのは覚えている。それがすごくすごく、嬉しくって、私も幸せだったことも…。


 こんなふうにお客さんが笑顔になってくれるのが、見たかったのかなあ。父と母は。

 そんなことを思いながら私は、リビングからお客さんを見ていた。

 うん。確かに忙しくって大変な仕事だけど、なんだかいいね…。


 そしてまた、私は鼻歌を歌いながら、せっせと床をモップで磨きだした。


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