第101話 つかまえる!
その日は、メープルに庭で番犬をしてもらい、そのうえ、メープルと一緒に藤堂君も庭にいて、私がお風呂に入っている間、外を十分に見張っていてくれた。
窓は一切開けず、私はさっさとシャワーだけでお風呂を済ませた。
藤堂君のお母さんは昨日の一件を警察に連絡し、近所の人にも、不審な人物がいたら、すぐに警察に連絡をするように声をかけた。
どうやら、隣の女子大生のあとをつけていたのも、同一人物のようだ。
「メープルと司が見張っていたんだから、ゆっくりと入ってきたらよかったのに」
カラスの行水くらいの勢いで、お風呂を出てきたので、藤堂君のお母さんがそう言ってくれた。
「でも、司君にも悪いから」
そう言うと、お母さんはクスッと笑い、庭にいる藤堂君を呼びに行った。
「あれ?もう出たの?」
藤堂君もそう言いながら、家に入ってきた。
「うん。今日、蒸し暑かったし、シャワーだけにしたの。司君、お風呂入っていいよ」
「そっか。蒸し暑いもんね、俺もさっとシャワーだけ浴びてこようかな」
藤堂君はそう言うと、着替えを取りにさっさと2階に上がって行った。私もドライヤーを持って、2階に上がった。
「あ~あ、こんな日がいつまで続くのかな」
部屋に入る時に独り言を言った。ちょっと憂鬱だし、藤堂君にも迷惑かけちゃって、申し訳ない。
その時藤堂君が部屋から出てきて、
「穂乃香が安心できるように、ちゃんと捕まえるからね」
とそう言って、にっこりと笑い階段を下りて行った。
あ、独り言聞かれちゃったのか。でも藤堂君、本当に家で誰がいても、優しく接してくれるようになったな。「穂乃香」「司君」って、呼び合うようになったし。
ドライヤーで髪を乾かし、1階に下りると、守君がダイニングでおやつをほおばっていた。
「たらいま、穂乃香」
「おかえりなさい」
守君もずっと、「穂乃香」って呼んでいるよなあ。まあ、いいけど。
「今日は風呂、覗かれなかった?」
「うん。メープルと司君が庭で見張っていてくれたから」
「兄貴が?じゃ、兄貴が今度は覗いたりして」
「んなわけないだろ、あほ」
ちょうどその時、司君がダイニングにやってきた。
「なんだよ、本当は覗きたいんじゃないの?」
「俺は、お前とは違うよ」
「俺は別に、穂乃香のうすっぺらい体なんて見たくもないし」
グサ。
いや、いいんだけど。藤堂君に言われたわけじゃないんだし、いいんだけどさ。
ゴチン。
藤堂君がグーで守君の頭をこついた。わ、かなりの音がしたけど。
「いって~~~。なんだよっ」
「お前が悪いだろ?今のは」
「……ちぇ。ちょっと冗談言っただけなのに」
「それでも、傷つくんだよ。そういうことは、絶対に女の子に向かって言うなよな」
そっか。藤堂君はこれが私だから特別に怒ったわけじゃないのか。他の子がそんなふうに言われていたとしても、ちゃんと怒るんだな。
そうだよね。岩倉さんのことだって、いつもちゃんと注意していたし。
私はそのまま、リビングに行きソファに座った。メープルはまだ、外にいるようだ。
「穂乃香?」
藤堂君がなんだか、心配そうな顔をしてやってきた。
「ん?」
「あいつの言うことなんか、気にすることないから」
ああ、私が傷ついてると思って心配してくれたのか。
「大丈夫。そんなに落ち込んでいないよ」
「…そっか」
藤堂君は私の横に座ってきた。あ、まだ石鹸やシャンプーの香りが残ってる…。
「ただ…」
はれ?私、また変なことを口走りそうになった。いけない、いけない。
「ただ…なに?」
ああ、ほら。藤堂君聞いてきちゃったじゃない。
「え?ううん」
「なに?なんだか、気になるようなことでもあった?」
「…う、えっと…。ただね、司君は全然、その…」
「え?」
藤堂君は眉をひそめた。私が何を言いだすのか、戸惑っているのかな。
「やっぱり、なんでもない」
「…言ってくれないと、俺、まったく穂乃香が思ってること、気づけないから。何でも話して?」
「う、うん。ただね、守君も私の薄っぺらい体に興味ないみたいだけど、司君も興味ないんだなあって思って」
「は?」
あ、藤堂君の声が裏返った。それに目が点になってる。
「全く、覗きたいとも思わないんだなって」
「え?!」
あ、藤堂君がびっくりしてる。
なんてね、冗談だよ。と言いかけたのに、藤堂君はいきなり頭を抱えてしまった。
あ、あれ?悩ませちゃうようなこと、もしや言っちゃった?
「あの、今のはジョー…」
「まさか、穂乃香、俺にだったら覗かれたいって」
「え?」
「そう思ってた?」
ひょえ~~~~~!
「思ってないよ、そんなこと!」
私は真っ赤になって、顔をブンブンと横に振った。すると藤堂君は顔をあげて私を見て、
「あはは。真っ赤だ」
と目を細めて笑った。
あ…。
な、なんだ~~~。私のほうがからかわれたの?ひどい~~~。
「また、私のことからかったんだ」
「最初にからかってきたのは、穂乃香でしょ?」
「う…」
でも、半分は本気だった。私の体なんて、藤堂君から見たら、魅力ないのかな…なんて。
「覗くようなことはしないよ」
「え?」
「……穂乃香とそういう時が来るまで、俺、ちゃんと待ってるからさ」
「…え?」
「だから、その…」
藤堂君が真っ赤になってうつむいた。
か~~~。ああ、私の顔もどんどんほてっていく。私たち今、2人で照れ合ってるんだろうなあ…。
その日の夜、しとしとと雨が降りだし、メープルは家の中に入ってきた。
「今日は大丈夫だった?」
藤堂君のお父さんも、夕飯の時に聞いてきた。
「はい」
「でも、このままだとずっと不安よね。どうにか警察に捕まえてもらえないものかしらね」
「う~~ん、そうだなあ」
「おとり作戦は?」
突然、守君がそんなことを言いだした。
「母さんが、窓開けてお風呂入って、メープルと俺は散歩に行ってるふりをする。で、あいつがうちの敷地に入ってきたところを、兄ちゃんがとっつかまえる」
「そ、そんなお母さんがおとりだなんて。それに、司君が危ない」
「でも、いい案かもしれないな。まあ、本当に風呂に入らないでもいいしな。入ってるふりでもいいし。明日は土曜で父さんも家にいるし、司と父さんでつかまえたらいいんだしな」
お父さんが、守君のとんでもない案に賛成してしまった。
「そうね。でも、土曜日に来るかしら」
「曜日なんて関係ないだろ?」
「だけど、家にあなたがいることも、わかってるんじゃない?」
「…また、懲りずに敷地内に入ってくるかどうかもわからないしな」
藤堂君も、首をかしげた。
「やってみる価値はあるだろう」
お父さんは身を乗り出してそう言った。
「だけど、やっぱり危ないです、そんなの」
「それは平気よ、穂乃香ちゃん。うちの人、武道家だし」
ええ?!そんなの、関係あるの?相手はわけのわかんない人なんだよ?
私は、そんな作戦うまくいくのかな…と、かなり不安になりながら自分の部屋に戻った。
藤堂君は、お父さんと打ち合わせをすると言って、夕飯の後もダイニングに残っていた。
「危ないことはしてほしくないな」
独り言を言って、布団を敷き、ゴロンと横になった。
そしてしばらく、ぼけ~~っとしていると、窓の外から、何か音が聞こえてきた。
なんだろう。何の音かな。
ガタ…。
え?
ミシ…。
小窓のほうから、聞えてくる…。
まさか、誰かが窓の外にいるの?そういえば、この窓の下には物置があって、その上をまるで誰かが、歩いているような音だけど…。
猫とかかな。だったらいいんだけど、でも猫にしては音が大きい気もする。
どうしよう。藤堂君を呼んでくる?
ドキドキしながら私は、そっと部屋のドアを開けた。するとちょうどその時、藤堂君が階段を静かに上って来ていた。
「司君、変な音が外からするの」
私は小声でそう藤堂君に言った。
「え?」
藤堂君と一緒に部屋に戻った。
ガタ…。ガタン…。
「窓の外に誰かいるのか?」
藤堂君は小声で私に聞いてきた。
「あ、あいつかな?まさか」
私は怖くて、司君の背中にしがみついた。
「穂乃香は、離れてて」
藤堂君はそう言うと、突然ガラリと勢いよく小窓を開けた。
「何やってんだよっ!」
次の瞬間、藤堂君は思い切りそう叫んだ。やっぱり、誰かいるんだ。
「うわ~!」
男の声とガタガタという音が窓の外からした。
「あいつ!」
藤堂君は、血相を変えて、階段を下りて行った。
「メープル、父さん、あいつが穂乃香の窓のところにいた!今、外の物置からおりて、逃げようとしてる!」
「よし、司、挟み撃ちだ。メープルはすぐに追いかけろ」
「俺も行く!」
藤堂君とお父さん、メープルも守君も、玄関から飛び出して行った。
「穂乃香ちゃんは、ここにいて」
お母さんまでが手にフライパンを持って、外に飛び出した。
嘘。フライパンでやっつけるの?
私もこうしてはいられない。鍋を片手に私も、玄関から出て、お母さんの後に続いた。
「穂乃香ちゃんまで、来ちゃったの?」
「だ、だって。私だけ残っているなんて…」
お母さんと私は、ゆっくりと歩いて、家の角を曲がった。すると、数メートル先から、男たちの大声や、メープルの吠える声が聞こえてきた。
「ワンワン!」
「司、守、そのまま離すなよ」
どうやら、先にメープルと司君、守君が例の男をつかまえ、あとからお父さんが追いついた様子だ。
「こいつ!いい加減、観念しろよ」
守君のかん高い声がした。
「守、手を離せ!」
お父さんの声がして、そのあと、お父さんのものすごい気合の入った声がした。
「とりゃ~~~~~っ!!!!!」
「あ、お父さん、投げ飛ばしたわ」
え?
お母さんはそう言って、フライパンを持つ手をダランと体の横にたらすと、のんびりと歩き出した。
「投げ飛ばした?」
「そう。あの人、柔道すごいから」
柔道、すごいって…?
「守、警察に電話!」
お父さんの声がして、守君がこっちに向かって走ってくるのが見えた。
「はい。携帯持ってきたわよ」
お母さんはエプロンのポケットから、携帯を出した。
近所の人も今の騒ぎで、家から顔を出した。隣りの家族も出てきて、女子大生が例の男を見て、
「あ、あいつだ」
と小声で藤堂君のお母さんに言っていた。
「やっぱりあいつだった?」
お母さんも、隣の娘さんに返事をして、捕まえられてよかったわね…と、隣の奥さんとも話をしていた。
パトカーが数分してやってきた。それまでは、藤堂君とお父さんが例の男の上にまたがり、動けないようにつかまえていた。
警察に取り押さえられ、あの男はパトカーに乗せられた。お父さんと藤堂君が説明を警察官にして、しばらくしてようやく、パトカーは動き出した。
「は~~~~」
私とお母さんは同時にため息をつき、そしてお父さん、藤堂君、守君、メープルと一緒に家に戻った。
「お母さん、フライパン持ってきたの?それで、あいつをなぐるつもりでいた?」
「そうよ。お母さんだって、やる時にはやるんだから」
「あはは。でも、お母さんの出る幕はなかったなあ」
お父さんは声をあげて笑い、そう言った。
「怪我しなかったですか?」
私は心配になり、みんなに聞いた。
「大丈夫だよ。ああ、司がちょっと顔をなぐられていたけどね」
「え?」
私は藤堂君の顔を見た。濡らしたタオルで、目のあたりを藤堂君は冷やしている。
「だ、大丈夫?」
「うん。とっさによけたし、ちょっとかすっただけだよ」
本当?
「父さんの投げ技、すごかったなあ。あの男、空中浮いたもんなあ」
守君がそう言って、お父さんを褒めた。
「まだまだ、父さんの腕も落ちてないってことだ」
そう言って、またお父さんは笑った。
「穂乃香、大丈夫だった?」
藤堂君は優しく私にそう聞いてきた。
「うん、私は全然」
「あいつ、穂乃香の部屋にまさか、忍び込もうとしていたとか?」
守君が聞いてきた。
「いや、穂乃香、洗濯物をしまい忘れてただろ?それを取りに来たんだと思うよ。雨でメープルも家に入っていたしね」
「雨だっていうのに、下着泥棒をしに来たわけ?いやあねえ」
お母さんがそう言って、顔をしかめた。
ああ、そうだった。なんだか気が動転して、洗濯物を出しっぱなしにしてしまった。パンツとブラジャー。みんなと一緒に干すのが恥ずかしくって、小窓の外にいつも干していたんだった。あれを取りにきただなんて…。
「女の子の下着を干していたら、そこに女の子がいますって言ってるようなもんじゃん」
守君がそう言った。
「そうね。これからは、一階でみんなのものと一緒に干しましょう。それか、部屋の中に干すか…」
「そうですね…。ごめんなさい。私の不注意で」
「いや、返ってよかったよ。明日にでもあの作戦を実行しようとしていたんだ。それが今日、捕まえることができたんだから」
「とりあえず、安心したわね」
お父さんとお母さんは優しく微笑み、そう言ってくれた。
「穂乃香、そろそろ2階に行こうか」
「雨に濡れたけど、穂乃香ちゃん、平気?」
「はい、小雨だったし…」
「そう。じゃあ、ゆっくりと安心して寝てね?」
「はい。おやすみなさい」
私と藤堂君は、2階に上がった。守君はリビングに行き、またお父さんとわいわいと話し出していた。
そこにお母さんも参加して、3人は盛り上がっている。
「穂乃香、ちょっと部屋に入ってもいい?」
藤堂君がそう言って、私の部屋に入ってきた。
「窓、開けっぱなしで行っちゃったね」
藤堂君は窓を閉めた。
「司君、本当に目、大丈夫?」
「うん。ほら、そんなに腫れてもいないでしょ?」
藤堂君は私に顔を近づけた。
「あ、本当だ」
ちょっと赤い気もするけど、でも、大丈夫そうだ。
チュ…。
藤堂君はそのまま顔を近づけ、私の唇にキスをしてきた。
「…」
「良かった。本当に…。これで、安心だね」
藤堂君は優しい目でそう言った。
「うん」
私はなんだか、優しい藤堂君に思い切り甘えたくなり、藤堂君の胸に顔をうずめてみた。
「穂乃香?」
「こうやっていると、もっと安心するの」
「そっか…」
藤堂君は優しく、私の背中に両手を回して抱きしめてくれた。
キュン…。
「お父さん、すごいね。投げ飛ばしちゃうなんて」
「そうだね。あの人、根っからの武道家だよね」
「うん。だけど、司君と守君が先に、あいつをとっつかまえたんでしょ?」
「ああ、メープルがあいつの前で思い切り吠えたんだ。歯をむき出しにして今にも噛みつきそうな勢いで。で、あいつがひるんだところを、守るととっつかまえたんだけど、かなり暴れたから、顔、一回殴られて…」
「司君は殴らなかったの?」
「殴って、指や手を怪我したくなかった。もう、弓道ができなくなるのはさすがにね」
そうか。そうだよね。
「ごめんね?」
「なんで穂乃香が謝るの?」
「だって…私のせいだし」
「違うよ。穂乃香のせいじゃないよ。どっちかっていったら、うちに来て怖い思いをしちゃったんだ。こっちこそ、謝らないと」
「ううん!そんな…。司君のせいでもないんだもん。謝らないで」
私はとっさに顔をあげ、首を横に振った。
「…穂乃香」
藤堂君は私の目をじっと見つめてきた。
「穂乃香が、無事でよかった」
「え?」
「あいつ、本当に穂乃香に何かしてくるんじゃないかって、ちょっと心配だった。いや、俺が絶対に守るって、そう思っていたけどさ」
ギュウ。私は藤堂君に思い切り抱きついた。
「穂乃香?」
「ありがと。そう言ってくれて、すごく嬉しい」
「…うん」
藤堂君も抱きしめる腕に力を入れてくれた。
「俺、今回のことで、まじで感じたんだ」
「え?」
「すごく、穂乃香が大事。だから、体裁とか、周りの目とか、そんなのもう、気にしないことにする」
「え?」
「家でも、父さんの前だろうが、母さんの前だろうが、そんなの関係なく、穂乃香を大事にするよ」
キュ~~~ン!
「っていっても、穂乃香のお父さんの前では、こんなふうに抱き合ったりはできないけどね」
「…そ、そうだよね」
見られたら、えらいことになりそうだ。
私たちはマットに座り、長野行きの話をし始めた。何時の電車に乗るのかとか、駅弁買って電車で食べようとか、そんな話は楽しかった。
2人きりの旅行。わくわくする。
でも、心のどこかで2人ともわかっていた。向こうでは、あの父が待っている。だから、仲良くなんてしていられそうもないってことを。
だけど、やっぱり、2人きりの旅行なんだから、電車の中でとか、向こうでも両親のいないところでは、いちゃつきたいなあ。
…なんて!きゃ!
そんなことを思うと、ついにやけそうになってしまい、私は必死で藤堂君のようにポーカーフェイスをよそおっていた。




