第100話 優しさに包まれて
「た~~だいま~~」
「ワフワフ」
リビングのソファーに座り、ハーブティを飲んでいると、守君がメープルを引きつれリビングに来た。
「散歩だったのか?」
藤堂君が聞いた。
「うん。あ、メープルは外だよ。お前は番犬なんだから」
「守、お前が散歩に行く時、変な奴がこの辺をうろついていなかったか?」
「変な?あ、穂乃香をつけてた男?」
「ああ」
「いや、いなかったな。な?メープル」
「ワフ」
「…メープル、今日はずっと外にいたのか?」
藤堂君はメープルの背中を撫でて、そう聞いた。
「そうよ。ずっと庭にいたわよ」
お母さんが守君に、ジュースを持ってきながらそう言った。
「散歩に行ったすきに、入って来たんじゃないかしらね」
「うちの様子をうかがっていたってことだよな…」
「なに?またなんかあったの?」
守君が話に首をつっこんできた。
「あの男が、うちの敷地内まで入っていたの。それで、さっき穂乃香ちゃんがお風呂に入っている時、覗こうとしたみたいで」
「え?!」
守君がものすごく驚いて、私を見た。
「だ、大丈夫だったのか?穂乃香」
「……う、うん」
私は顔を引きつらせながら、うなづいた。
「やばいんじゃないの?警察とか連絡した方が」
「そうね、お父さんが帰ってきたら、相談してみるわ。それにしても、ほんと、嫌になっちゃうわよね」
お母さんはそう言って、またキッチンに戻って行った。
「メープル、お前散歩もしばらく行かないほうがいいな」
藤堂君がそう言った。
「あ、じゃなきゃ、メープルと散歩に行く時、穂乃香も一緒に行こうぜ」
守君がそう提案してくれた。
「だけど、穂乃香、あんまりこの辺うろつかないほうがいいんじゃないか?」
藤堂君は私のほうを見て、心配そうにそう言った。
「……うん」
なんだか、本当に嫌だな。
「穂乃香?大丈夫?」
藤堂君は私の顔を覗き込んだ。
「う、うん」
私はちょっと笑って見せた。でも、やっぱり引きつってしまった。
夕飯の時、お母さんとお父さんは、警察に連絡をしたらいいかどうか、近所の人にも声をかけたほうがいいかどうか、いろいろと真剣に話していた。守君もそれを真剣に聞き、藤堂君は無表情で黙々とご飯を食べていた。
「…穂乃香。食欲ない?」
藤堂君が突然、すごく優しい声で聞いてきた。
「あら、穂乃香ちゃん、大丈夫?」
お母さんも気が付き、私に聞いた。
「すみません、あんまり…食欲なくって」
「そうだな。穂乃香ちゃん、無理しないでいいぞ。早めに部屋で休むかい?」
今度はお父さんも優しくそう言ってくれた。
「はい」
私はうなづいて、お茶を飲んでから立ち上がった。
「それじゃあ…」
静かに私はダイニングから離れた。すると藤堂君までもが立ち上がり、
「ごちそうさま」
と言って、私の背中に手を回し、
「一緒に2階に行くよ」
とまた優しくそう言ってくれた。
あれ?でもご飯。藤堂君の席を見てみると、すでにお皿もお茶碗も空っぽだった。あっという間に食べ終えたんだなあ。
「司、今日は穂乃香ちゃんについていてあげなさい」
お父さんがそう言うと、藤堂君も、
「うん。そうする」
と素直に返事をした。
2階に上がると藤堂君は、
「俺の部屋、おいで」
と、また優しい声と優しい目でそう言ってくれた。
ドキン。
なんだか、やけに藤堂君が優しい。家族がいる前でも、すごく優しく接してくれてる。
部屋に入ると、藤堂君は私にベッドに座るように言って、その横に藤堂君も腰を下ろした。
「大丈夫?顔色悪かったけど」
「私?」
「うん。どこか具合悪い?」
「…大丈夫。司君と一緒にいたら、安心するし」
「……」
藤堂君は優しい目で私を見て、それから視線を下げた。
「もし、怖くなったり、不安になったら、いつでも俺の部屋に来ていいし」
「うん」
「いつでも、俺のこと呼んでくれていいから」
「……うん」
キュン。
藤堂君の肩にもたれかかってみた。あ、すんごい優しくってあったかいオーラだ。
藤堂君は優しく私の肩を抱いてくれて、しばらくそのまま黙っていた。
このまま、押し倒されちゃってもいいなあ。
え?
今、私、何を思ってた?ちょ、ちょっと!
か~~~~~。ああ、そんな変な思考をしたものだから、顔が熱くなっていくよ~~。
バクバク。心臓も早くなり出した。
それに気づかれないよう、うつむいたまま私は藤堂君にひっついていた。
「……」
部屋、静かだ。ドキドキっていう音、聞えちゃってないよね。
ああ、なんだか、藤堂君からいい匂いがしてくる。きっと石鹸だ。
ドク…。ドク…。
私?ううん。これは、藤堂君の鼓動みたいだ。藤堂君も鼓動が早くなっちゃってるのかなあ。
キュ~~ン。
ああ、私の方はやたらと胸が、キュンキュンしている。
「落ち着いた?」
藤堂君がまた、優しくそう聞いてきた。
「うん」
「もう平気?」
藤堂君は私の肩から手を離して聞いてきた。でも、私はまだ藤堂君の胸に顔を預けたままでいた。
「も、もうちょっと…かな」
そう言うと、藤堂君はまた、藤堂君の手を私の背中に回した。
「じゃあ、もうちょっとこうしているね?」
できたら、ずうっとこうしていてほしい。
「穂乃香?」
私は思わず、藤堂君の胸にしがみついてしまった。
「…」
あ、藤堂君、今、びくってした。びっくりしたの?
でも藤堂君はまた、黙って私の肩をぎゅって抱きしめてくれた。
その力強さが、もっと私を安心させるのはなぜかなあ。
ドク…。ドク…。藤堂君の心臓の音。その音は私の胸を、キュンってさせるなあ。
さっきも私、藤堂君にしがみついちゃったっけ。洗面所で…。
う。思い出した。そうだった。私、また素っ裸でいたんだった。
「つ、司君」
「ん?」
「さっきは、勢いとはいえ、私、は、裸で抱きついてごめんね」
「…!」
あ、藤堂君の体が今、カチンって硬直した。
「み、見てないよ」
「え?」
私は少し顔をあげ、藤堂君の顔を見た。あれ?真っ赤だ。
「いや、正確に言うと、顔面蒼白だった穂乃香の顔は見えてたけど」
「私、顔面蒼白だった?」
「うん」
そっか。
ギュウ。
藤堂君がもっと、腕に力を入れた。
「早く、あいつ、どうにかつかまえられたらいいんだけど」
「え?」
「そうしないと、穂乃香、安心できないよね」
「…うん」
チュ…。
え?今、私の髪に藤堂君、キスをした?
「…今日、ここにずっといる?」
ドキン。
「…そ、それは」
「うん」
藤堂君の顔を見てみた。すごく優しい顔をしている。
いたい。ずっと藤堂君と一緒に。でも…。
「そろそろ、戻る。落ち着いたから」
私はそう言って、藤堂君の胸から離れた。
「…うん。おやすみ」
「おやすみなさい」
藤堂君は部屋を出る私に、そっとキスをしてくれた。
ほわわん。
宙に浮いたような気持ちで、部屋に戻った。
「は~~~~」
お布団を藤堂君の部屋のほうに敷いて、私は藤堂君の優しさを思い出していた。
ずっといたかった。
でも、いたらきっと私…。
そうなんだ。こんな状況なのに、私はずっとずっと、口から言い出しそうで我慢していたんだ。
「司君にだったら、いいよ」
昨日から頭の中を、独占している言葉。
だけど、まだ、怖さもあって。
って、そうじゃないよね。今はそれどころじゃないよね?
「は~~~~」
また、藤堂君の優しい声や目を思い出して、私は胸をキュンキュンさせていた。
翌朝、お父さんとお母さんは、まだ真剣に何かを話していた。
「あ、司。今日もちゃんと穂乃香ちゃんと、帰ってくるのよ」
藤堂君と家を出ようとすると、お母さんがそう言った。
「うん」
藤堂君は、お母さんのほうを向いて、真剣な目をしてうなづいた。
駅までの道も、藤堂君は私に寄り添って歩いていた。ちょっと周りを警戒しながら。
「どっかで、見てるかもしれないんだよなあ」
藤堂君はそうつぶやくと、ふっと私に視線を向け、
「穂乃香は、心配しないでもいいからね?」
と優しく言ってくれた。
「うん」
藤堂君、朝からずうっと優しいんだ。おはようという目も声も。それはお父さんがいようと、お母さんがいようと変わらず優しくって、私はちょっと驚いている。
家族の前だと、ムッとしちゃうかもって言ってたのにな。でも、すごく嬉しい。
学校では藤堂君は、あまり話しかけてこなかった。でも、隣にいてもなんとなく、藤堂君の優しいオーラを感じていた。
今日は、午前授業。明日は終業式だ。
藤堂君と私が別れたという噂は、相変わらず広まっているようだが、そんなの本当にもう、どうでもよくなってしまった。
帰りのホームルームが終わると、美枝ぽんが来た。
「穂乃ぴょん、今日、うちの部ないから、これで帰っちゃうけど」
「え?そうなの?」
「麻衣もバイトに行くみたいだし、穂乃ぴょん、一人でお昼食べる?」
う~~ん。なんだか、寂しいな。
「一緒に食堂で食べよう?」
それを隣の席で聞いていた藤堂君が、優しくそう言ってくれた。
「え?いいの?」
びっくりした。学校では、あんまり仲良くしたらいけないと思っていたのに。
「一緒に昼を食べるくらい、いいんじゃないかな」
藤堂君はポーカーフェイスを崩さないで、そう返事をした。
「う、うん」
嬉しいかも!
あ、やばい。私の方は顔、思い切り喜んじゃったかもしれない。
「じゃ、また明日ね。穂乃ぴょん」
「うん、バイバイ」
美枝ぽんが教室を出て行った。
私と藤堂君は、一緒に食堂に向かった。すると、クラスの子たちが、
「あれ?仲直りしたのかな」
と話しているのが後ろから聞こえてきた。
「喧嘩してると思われていたのかな」
ぼそっと私がそう言うと、藤堂君は振り返り、
「まあ、一時すごく仲良くしちゃったんだから、そう見えちゃうのもしょうがないかもね」
と小声で言った。
そうだよね。喧嘩はしていないけど、ちょっと変な雰囲気には実際なっていたし。
食堂に着いた。2人で席に着くと、周りにいた女子がちょっとざわついた。
「別れたんじゃないの?」
という声が、1年の女子から聞こえてきた。
う~~ん、なんだか藤堂君とどう接していいか、悩んじゃうなあ。
藤堂君を見ると、ポーカーフェイスだ。こういう時にはいいな。ポーカーフェイスって。私は顔に全部出るから、ちょっと羨ましいかも。
藤堂君は静かに「いただきます」と言って、静かにお弁当を食べだした。
「あ…」
近くにいた子が私たちを見て、こそこそと話している。耳をそばだてると聞こえてきた。同じお弁当だって言ってるみたいだ。
ばれたか。
「彼女が作ったんじゃない?」
「なんだ。全然まだ、仲いいんじゃない」
あ、そうか。そういうふうに解釈されたか。実はどっちも、藤堂君のお母さんの手作りなんだけどな。
って、待てよ、そうか。彼女ならお弁当ぐらい作ってあげたっていいんだよね。
ああ!そこ、まったく思いつかなかったよ。
でも、お母さんの料理こんなに上手で、私絶対に太刀打ちできないし、藤堂君、まずいって言って食べてくれなかったらどうしよう。
ちら。
「ん?」
藤堂君は私が見たのに気が付いたようだ。
「今日も食欲ない?」
「ううん。大丈夫」
私はまた、箸を進めた。
「あのね?」
「うん」
「今度、私がお弁当を作ったら、つ…。藤堂君、食べてくれるかなって思って」
「え?」
藤堂君は目を丸くして私を見た。
あれ?変なこと言った?
「作って…くれるの?」
「も、もしもの話」
「うん。もちろん、食べる」
「まずくっても?」
「うん。あ、いや。まずくないよ、きっと」
「……」
じゃあ、挑戦してみようかな。
「…あ、やべ」
「え?」
「顔、にやけそう」
「…」
藤堂君は、下を思い切り向いて、顔を隠した。
…喜んでいるんだよね。お弁当を作るって言っただけで。
か~~~。なんだか、私まで顔が熱くなってきた。
「…ほ、結城さん」
「え?」
「学校で俺があんまり、嬉しくなるようなこと言わないで」
「へ?」
「にやけちゃうから」
「……」
キュン。
それを言うなら藤堂君だって。
「じゃ、じゃあ、藤堂君も、あんまり学校で可愛いこと言わないで」
「え?可愛い?」
「うん。私、そのたび胸キュンしちゃうから」
「え?何それ!」
藤堂君が耳を赤くして、大きな声を出した。すると、食堂にいた子たちがいっせいにこっちを向いた。
「やばい」
藤堂君はまた、顔を手で隠した。それから、すごく小声で、
「む、胸キュンってなに?」
と聞いてきた。
「だから、胸がきゅんってしちゃうこと」
私も小声でそう答えた。
「俺に?」
「うん」
か~~~~~。
あ、藤堂君の顔がみるみるうちに赤くなった。
「ちょ、俺、水もらってくる」
藤堂君は慌てて立ち上がり、水を汲みに行ってしまった。
「なんだか、仲いいじゃん」
「本当だ」
そんな声が後ろからした。そのうえ、
「がっかり。別れたって思って、チャンスだと思ったのに」
というそんな声まで。
やっぱり?やっぱり、そんなふうに思ってた子がいるんだ。
そんなことを言ってる子がいるって、藤堂君はまったく知らないで、顔を無表情にして戻ってきた。
ガタン。藤堂君は席に着くと、コホンと咳払いをして、
「結城さん。さっきみたいな話は…、その、またあとで」
となぜか、棒読みでそう言うと、またお弁当を黙々と食べだした。
ああ、胸キュンって言ったの、藤堂君、照れちゃったんだなあ。
じゃあ、「藤堂君にだったら、いいの」なんて言ったら、どうなっちゃうのかなあ。
見てみたいような、そんな気もする。
っていうのは、私の悪い癖だから!
真ん前で黙々とお弁当を食べている藤堂君を見ながら、私はまた自分の衝動と葛藤していた。




