野衾
男、川越左門は夕闇の中、旅をしている。
年齢は二十代後半。伸び放題の髭に鋭い眼光。旅の兵法者といったいで立ち。
気の弱い者ならば、道を譲ってしまいそうな雰囲気を持っている。
戦国の世に突如現れた魔王は滅されて、世の動乱はおさまりつつあるが、未だ天地に妖魔は巣食い、人びとの暮らしはまだ安寧とは程遠い。
──ここいらのはずだが。
山は深く人影はない。まだ日は落ちてはいないはずだが、既に暗くなり始めていた。地図の通りであれば、そろそろ村が見えてきても不思議はないはずだ。
──なんにせよ、常夜の欠片はあるはずだ。
魔王から噴き出した血は、この国の全土に飛び散った。その血は固まり、『常夜の欠片』と呼ばれている。その欠片は、妖魔に力を与え、瘴気を放つ。
魔王を滅した祖父は、自らの子孫に常夜の欠片の回収を命じた。
常夜の欠片がある限り、自らが第二の魔王にならんとする妖魔も多い。
川越家は人の世の礎を護っていかなければならないのだ。
この先の村に怪異があると聞き、左門は山に入ったのだが思った以上に遠いのか、それとも何かに化かされているのか。
──後者か。
木々の間を渡るように飛ぶ、黒い影。三つか。完全に囲まれている。妖魔の持つ力によって、道を曲げられていたようだ。
「野衾か」
『闇鋼ノニオイ』
『憎キ刃』
『倒スベシ、倒スベシ』
人語を操っても、野衾には、それほど高い知性はない。ただ、あるのは左門の持つ破魔の刃『霧雨丸』への憎しみのみ。
霧雨丸は、妖魔の住む幽界にある闇鋼を神社の神域で打った刀である。
その刀こそが彼らの王である魔王を倒したものであることは、妖魔の間では知れ渡っており、彼奴等はその刀を見つけ次第、破壊しようとするのだ。
野衾は、イタチに似ているが、木と木の間を滑空する。
それほど強い妖魔ではないが火を喰らい、火を吐く。そして、時に人を襲う。
──火事は避けたい。
冬枯れの季節だ。大気は乾燥しており、山火事がおこりやすい時期である。野衾の攻撃そのものを避けたとしても、周囲に火がついては元も子もない。
斜め前方の木立から、黒い影が左門に向かって飛びながら、大きく火を吐いた。
「くっ」
左門は咄嗟に後ろへと飛びながら、抜刀し柄を握る手に力を込める。
『臨兵闘者 皆陣列在前』
白刃が淡い光を放つ。
「夕霧!」
辺りに霧が立ち上った。
木々に立ち込めた霧のおかげで、着火の危険を多少減らす。
『焼キ殺ス』
一匹目はなんとか交わしたものの、右わきからさらに火が吹きつけられた。
霧雨丸は霧を操ることができるが、さすがに『雨』は降らせない。火勢を多少そぐだけだ。
それでも、それだけでも左門には十分だった。
滑空してくる野衾の身体を炎ごと一閃する。
「がああ」
切られた野衾の身体が自らの炎に焼かれていく。
『憎シ、憎シ』
仲間を殺され、二匹の野衾が怒りのあまりに左門の前後から襲い来る。
左門は後ろを振り向くことなく前に向かって飛び、前方の野衾を切った。
後方から来た野衾の炎が、仲間ごと左門に火を噴きつけた。
『燃エロ、燃エロ』
左門の髪がちりちりと燃え、焦げた匂いがたちこめる。
『何故、燃エヌ?』
野衾が焦りの声を上げた。
左門は顔色を変えることなく反転する。そしてそのまま刃を宙に走らせた。
野衾の絶叫が山に響いた。
「悪いが、俺の着物は火ネズミの皮で出来た特注品でね」
にやりと左門は笑った。
妖魔を狩り、常夜の欠片を集める川越の人間は、当然備えも普通の人間とは違う。
「しかし、髪の毛がちと焦げちまったな」
左門は襟足に手をやって、髪の感触を確かめる。
「このまま野宿か、それとも進むべきか」
暮れていく山道は先ほどより暗くなっている。
左門は懐から八面体を取り出す。八卦を占うための賽子である。
──さて。
額にあててから、地面に転がした。
「乾か」
左門は眉根を寄せる。
「そのまま進めってことか。鬼が出るか蛇が出るか、お楽しみってところだな」
荷物から提灯を取り出して、火を灯すと、左門はそのまま歩き始めた。




