第85話 奴隷市場
「奴隷市場について、詳しい話を聞かせてくれ」
会議が終わったその日の夜。
俺はチリから組織が管理する奴隷市場について、より詳しい話を聞くことにした。
その場には、アリシアさんとマキナも同席している。
軍事担当とも言える二人の意見は、とても重要だからだ。
「組織が運営する奴隷市場は三つ。規模の小さい非常設の市場が二つに、規模の大きな常設の市場が一つ。襲うなら常設の市場が良い」
「しかし、規模が大きいということは警備も厳重なのでは?」
怪訝な顔をするアリシアさん。
もともと、彼女はどうもこの作戦については懐疑的なようだった。
灰被りの猫と言えば、エンバンス王国でも有名な闇組織。
その資金源である奴隷市場を襲撃しようなんて、普通の考えではないからな。
「もちろん厳重。でも、大規模な分だけ人の出入りが多いから潜り込むことは不可能じゃない」
「あの灰被りの猫の警備がそこまでざるとは思えないが……」
「そこでヴィクトル様の出番」
「んん?」
思わぬところで、俺の名前が出てきた。
予想外のことに目をぱちくりとさせていると、チリは至って冷静に尋ねてくる。
「ヴィクトル様は貴族名鑑を知ってる?」
「ああ。エンバンス王国の貴族が全員登録されてる奴だろ? 俺も子どもの時に登録させられたけど」
エンバンス王国では、貴族名鑑と呼ばれる魔道具を使って貴族を管理している。
これは古代ラバーニャ帝国の時代に作られたもので、あらかじめ魔力を登録しておくことで簡単に人の識別ができるというものだ。
「灰被りの猫の奴隷市場には、稀に貴族もやってくる。その時は貴族名鑑で身元を改めて、確認が取れれば素通し。チェックはほとんどない」
「なるほどな。つまり……俺も行くことになると?」
「ヴィクトル様が来てくれれば、潜入は超簡単。大丈夫、潜入した後は別行動だから危険はない。ヴィクトル様は普通に、他の貴族と一緒に避難するだけ」
なるほど、入る時だけは行動を共にするがあとは別行動という訳か。
それならば俺のリスクはそれほど高いわけではないだろう。
チリの言う通り、他の貴族たちと一緒にすぐに脱出してしまえばいい。
「だとしてもなぁ……。それに、奴隷市場に潜入するときに名乗りたくはないぞ。そんな履歴が残ってあとで父上にバレたらどうなることか」
シュタイン家とはほぼ縁が切れかけているが、それでも流石に違法の奴隷市場に出入りした形跡を残すのはよろしくない。
万が一、そんなことが表に出れば即座に父上が討伐軍を差し向けてくるだろう。
あの人、家の名誉を第一に考える人だからな。
そういうことに関しては非常に厳しい。
「大丈夫。灰被りの猫が持っている貴族名鑑は劣化品。本物は名前まで分かるけれど、劣化品だから名鑑に記載があるかどうかしかわからない」
「であれば、適当に架空の家名を名乗ってもまずバレませんね?」
マキナの問いかけに、チリは静かに頷いた。
いやいや、架空の貴族家なんてでっち上げたらいくらなんでもバレるだろ。
俺がおいおいと呆れた顔をすると、マキナが言う。
「……ヴィクトル様、貴族名鑑に貴族として登録されている家はいくつあるかご存じですか?」
「準男爵まで含めて、六百七十三家だろ?」
「貴族でない普通の人間、ましてや裏組織に属するような者が六百以上の貴族家を正確に把握していることなどあり得ないでしょう」
「……正直なところ、騎士の家の出身の私でも聞いたことのない家は山ほどあります。総数もだいたい六百程度としか」
ふーん、そういうものなのか。
俺は当たり前のように記憶させられていたので、エンバンス王国の国民ならばだいたい把握していると思っていたが……。
考えてみれば、六百以上もある貴族の家をぜんぶ覚えるなんて庶民にとってはほとんど時間の無駄だろう。
彼らが貴族と接することなんて、ほとんどないわけだしな。
「奴隷市場には最大で千人以上の奴隷がいる。リスクを冒す価値はある」
「千人! そうなると、やっぱり移動には例の空飛ぶ船が必須だな」
「逆にそれが出来れば、現状の大きな改善につながるでしょう。今のところ、イスヴァールを発展させていくうえで最大の課題は人口ですので」
コボルトたちの村々を吸収して以降、イスヴァールの人口は頭打ちになっている。
ゴーレムによって労働力はある程度補えるが、消費する人間がいないことには経済発展は難しいだろう。
人口千人増というのは、それはもう魅力的だ。
一気に町の人口が倍以上になるんだから。
「しかし、奴隷となると人間的にはどうなのだ? こう言っては何だが、あまり質の良くない人間が集まると悪影響があるぞ」
「基本的に、組織が集める奴隷は困窮した地方の住民がほとんど。だから普通の人たち。それをその土地の領主と提携して仕入れてる」
「むむ……。それ、領主が民を奴隷として売ってるってことか!?」
「正確には、黙認して組織から金を受け取ってる」
なんてこったよ……恐ろしく腐った領主だな。
前々から、そういった領主の存在は噂レベルでは聞いたことがあったが……。
直接聞かされると寒気がしてくる。
よき領主となるべく教育を受けてきた者としては、信じられない思いだ。
「……ちなみに、その提携してる領主っていうのは誰なんだ? まさか、シュタイン伯爵家も含まれてるのか?」
「伯爵家はまだ含まれていない。私の活動が成功したら、それをきっかけに上手く取り入るつもりだった。今のところ、提携している領主で最も勢力が大きいのはフィローリ・ルクセンドラ公爵」
「げぇっ!!」
思わぬところで出てきた、かつての学友の名前。
俺は驚愕のあまり、目を丸くするのだった。
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