閑話 豚人族の逃避行
時に森の木々すら食らう雑食性と強靭な生命力が特徴の豚人族。
かつては大樹海の南東部において、小鬼族と覇を競った六王の一角である。
しかし現在では、その勢力は見る影もないほどに衰えていた。
王権を巡る内紛と小鬼族との相次ぐ戦争が原因である。
たった一年ほど前まで十万を超えていた精強な戦士たちも、いまや一千ほど。
小鬼に一矢報いる力すら残っておらず、王を守って大樹海を逃げ延びるのがせいぜいであった。
こうして長い旅を続けてきた彼らは今、再び大きな岐路に立たされていた。
「本当に、奴らがいるのか?」
「間違いない。我らが竜人王の保護を受けるのを阻止するつもりだ」
絶大な力を持ちながら、六王の中でも中立的な立場をとっている竜人王。
豚人王はその保護を受けるべく、彼の住む山脈を目指して旅をしていた。
だが、山脈へ通じる唯一の道を屍人王の手の者が塞いでいるというのだ。
その一報を野営地で聞いた豚人王と側近たちは、たちまち顔を曇らせる。
「あの女としては、小鬼王が我らの王権を奪った方が都合がいいのだろう」
「そうして肥え太った小鬼王と森人王をぶつける気か」
「そのまま戦ったのでは小鬼に勝ち目はない。だが王権を複数有することができれば、いくらか勝負になると考えているのだろうよ」
「森の秩序を乱す奴らめ。竜人王はなぜ動かぬ!」
「あの者は常に中立よ。ゆえに我らも頼ろうとしたのだからな」
「ううぬ……」
そのまま低い声で唸るオークの戦士長、ロロ・タウ。
彼こそが、竜人王を頼りにしようと推薦した人物である。
大樹海を流れて武者修行をした彼は、竜人の戦士たちとも交友があったのだ。
「仕方あるまい。いま一度、我らの領地に戻って奴らと一戦交えよう」
ここで豚人王が重々しく言葉を発した。
しかし、その内容はある種の自殺とでもいうべきもの。
王の言葉といえども、簡単に支持できるようなものではない。
「王よ。恐れながら、小鬼と戦ってもみな犬死するだけかと」
「その通りです。小鬼どもの思うつぼですぞ」
「だが、このまま逃げたところで未来もあるまい。無様に逃げ延びた末に死ぬぐらいならば、最後に一花咲かせてくれようぞ」
そう言うと、王は大岩から腰を上げた。
その体躯は王を名乗るに相応しく、周囲のオークたちより二回りほど大きい。
さらに手足は丸太のように太く、突き出した腹は筋肉で張りつめていた。
しかし、その顔には成熟した肉体に反するような若さがあった。
さながら、無理やり身体だけ成長したとでも形容するのが適切なありさまだ。
「なりませぬ! 王よ、抑えてくだされ!」
「何故だ! この力があれば、小鬼の百や二百は道連れに……」
「それをしたところで、何になりましょうや! 王は王権を手に入れられて、少し気が大きくなられておりますぞ!」
「……貴様、我が王に相応しくないとでもいう気か!」
大きく足を踏み鳴らし、ロロ・タウを威圧する豚人王。
その力は凄まじく、地面が凹んで木々がざわついた。
すかさず側近たちが王をなだめるものの、ロロ・タウだけは落ち着き払った態度で王を睨む。
「相応しくないとまでは申しません。ですが、急に王権を継承したがゆえに未熟な点が目立つのもまた事実」
「おのれ、調子に乗りおって! そこに直れ、斬ってくれる!!」
大岩に立てかけられていた大戦斧。
鉄をやすやすと切り裂く豚人族自慢の宝物だ。
それを手に取って怒りをあらわにする王に対して、ロロ・タウはなおも冷静に一喝する。
「好きになされよ! だが、私の首では何も解決しませんぞ!」
「ぐぐぅ……!」
「ここはこらえて、どうにか生きる機を探るのです。小鬼王に我らの王権が渡ることだけはなりませぬ!」
「…………だがどうする。ひたすら逃げて、本当に機はあるのか」
豚人王の問いかけに対して、ロロ・タウは静かにうなずいた。
無論、何らかの確証があるわけではない。
だが、最後まで足掻かないことには道が開けないことも彼は知っていた。
足掻き続けることで、彼はただのオークから戦士長にまでのし上がったのだ。
「ひとまず、ほかに行く当てがないか情報を得るべきですな」
「そういえば、このあたりの小鬼族を探ったところ妙な噂を聞きましたぞ」
「噂?」
ここで側近の一人であるロロ・イズが気になる発言をした。
彼はオークレンジャーたちを統括し、情報収集の役割を担っていた。
「何でも、コボルトたちの縄張りに新たに大きな町ができたとか」
「町? コボルトたちが集まったのか?」
「そうではないらしい。以前、このあたりの集落に滞在していたシェグレンというリザードが小鬼王の要請で調査に向かったとか」
――小鬼王の要請で調査に向かった者がいる。
この発言によって、にわかに街の重要度が上がった。
側近たちはざわめき、その町へ行ってみようという意見が出始める。
そして――。
「その町へ向かおう。ほかに道はない」
王の言葉によって、オークたちの方針は定まった。
彼らはゆっくりと立ち上がると、力強く森を歩み始める。
「進め、進め!!」
「我らの希望は町にあるぞ!」
こうして、イスヴァールの街を目指して進み始めた豚人王の一団。
それを木陰から見守る影がいくつかあった。
「うまくいきましたわ」
「これで、小鬼王もいよいよ直接動くだろう。姫もお喜びになる」
蝙蝠へと姿を変えて、飛び立っていく影。
こうしてイスヴァールの街に、新たな波乱が訪れるのだった。
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