第102話 大脱出
「さあ、急ぐのであります!」
星の煌めく夜空を船が翔ける。
それはさながら、天の海を渡っているかのよう。
荒涼とした風の吹く中を、ようようと巨大な船体が突き進んでいく。
ただしその船体は黒く塗りつぶされていて、目立たないように工夫されていた。
「エリス殿、街の方はどうでありますか?」
「特に気付かれた様子はないわ。下の騒ぎに気を取られてるみたい」
双眼鏡を覗き込みながら、エリスがツヴァイに返事をする。
彼女の視線は遥か眼下に広がる領都ヴェチアへと向けられていた。
広大な市街地の端にポツポツと点在する監視塔。
そこに常駐する衛兵たちが飛行船の存在に気付いていないか、逆にこちらから監視をしていたのだ。
「なら、特に問題ないでありますな」
「ええ。このまま突っ込んでもたぶん気付かなさそう」
「まったく、この規模の街にしてはずいぶんとザルでありますなぁ……」
「ま、普通は空からの侵入なんて想定しないからね」
そう言うと、どこか楽しげな顔をするエリス。
現在の人間世界において空飛ぶ乗り物など、この飛行船ぐらいだろう。
それに乗って敵地へ乗り込むというシチュエーションが、エリスにとってはたまらなく愉快だったのだ。
「しかし、ずいぶんな騒ぎようだ。いったい何が起きているんだ?」
「さぁ? ツヴァイ、何か分かる?」
「森を離れているので、今はマキナとのリンクが不完全なのでありますよ。直近の様子については何とも」
困ったように肩をすくめるツヴァイ。
そうしている間にも、飛行船はいよいよ地下都市の上空へと差し掛かった。
すると、地上の人々は何やら慌ただしく走っている。
中には大きな荷物をまとめ、急いで避難しようとしている者まで見えた。
「……揺れてる?」
ここで、双眼鏡を覗き込みながらエリスが呟いた。
すかさず、ツヴァイが舵輪を離れて船縁から下を覗き込む。
たちまち大きな目が細まり、地上を睨みつける。
「微かに振動しているのであります。下から突き上げる感じの揺れですな」
「地下都市で間違いなく何か起きてるわね」
「……それはいいとして、出入り口はどこに?」
ここで、周囲を見渡しながらサルマトが言った。
地下都市へと通じる出入り口が、周囲のどこにも見当たらないのだ。
しかしここで、予想外の事態が巻き起こる。
「んん!?」
「これは……」
「見て、あそこ!」
突如として響いた轟音。
それと同時に、市街地を流れる運河の水量がみるみる減り始めた。
やがて現れた水底に、巨大な穴がぽっかりと開いているのが見える。
さらにその穴の下には、都市のような構造物があった。
「間違いない、あれよ!」
「高度を一気に下げて、突撃でありますな!」
「私は準備をしてこよう!」
慌てて態勢を整えるツヴァイ達。
飛行船に据え付けられたプロペラの回転が止まった。
それと同時に、船体が一気に高度を落としていく。
そして――。
「突撃であります!!!!」
ツヴァイの高らかな号令の下、飛行船は穴の中へと吸い込まれるのだった。
――〇●〇――
「おーい、おーい!!」
「乗せてくれ! 塔が崩れて降りられないんだ!」
地下都市の天井に出来た巨大な穴。
そこから現れた飛行船に向かって、俺たちは大きく手を振った。
するとたちまち、甲板の上にいたツヴァイが縄梯子を下ろしてくる。
助かった……!!
俺たちがそれに捕まると、すぐさまツヴァイが力強く引き上げてくれる。
「二人とも、大丈夫でありましたか?」
「ああ、何とか。予想外の大物が暴れて、大変だったよ」
「予想外の大物?」
「馬鹿でけえゴーレムだよ。マキナが倒したけどな」
ガンズさんがそう言い終わったところで、マキナがこちらに向かってきた。
彼女は気絶させた少女を手に抱えたまま、建物を足場にしてここまでやってくる。
その驚異的な跳躍力は、さながら宙を翔けているかのようだ。
「遅くなりました」
「その子は? 奴隷の一人?」
「さっき言ったゴーレムを操ってたやつだよ」
「え?」
驚いた顔をするエリスさん。
彼女は少女に顔を近づけると、その様子を仔細に観察した。
閉じている瞼を開き、瞳に刻まれている紋章をしきりと確認する。
「ラバーニャの月ね。形状からして前期帝国の物……」
こうしてエリスさんがうんうんと頭を悩ませているところで、飛行船は地下都市の大通りへと着陸した。
それを遠巻きに見ていたフィローリ様たちは、戸惑ったような顔をしていた。
「船か? どうやって飛んでいたのだ……?」
「ここからではよく見えん!」
「フィローリ様、近づいたら危険です!」
全く未知の存在の来訪に、興味をそそられたのだろう。
フィローリ様がこちらに近づこうとして、慌てて護衛たちにたしなめられた。
それでもなお船に近づこうとする彼だが、ここでその行く手を人波が遮る。
「さあ、あれに乗るんだ! 急げ!!」
「走れ!! 走るのだ!!」
ゴーレムの被害を受けないように、避難していた奴隷たち。
彼らをアリシアさんたちが先頭になって連れてきた。
もはや、なりふり構っていられないのだろう。
数百もの群衆が、すごい勢いで飛行船のタラップへと殺到する。
「慌てないであります! たくさん乗れるでありますよ!」
「こっちだ、船室へ入れ!」
奴隷たちを急いで船の中へと案内するツヴァイとサルマトさん。
俺も大きく手を振り、奴隷たちを出来る限りたくさん乗せていく。
こうしてその場に集まった奴隷のほとんどが船に乗ったところで、再び船が浮かび上がった。
「お、おい!! 奴隷を連れ去られるぞ!」
「いかん! おい、急いで攻撃しろ!」
ここでようやく、呆気に取られていたフィローリ様たちが活動を再開した。
彼らはすぐに投石や矢で攻撃してくるが、その程度で飛行船が落ちるはずもない。
やがてそれらが届かない高度に達した飛行船は、そのまま速度を上げて穴から空へと舞い上がる。
「よっし、上手く行ったぞ!!」
「やりましたね、完璧です」
快哉を上げる俺と手を叩くマキナ。
こうして俺たちは、奴隷市場からの脱出に成功するのだった――。
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