第91話 領都ヴェチア
大樹海を出て、徒歩と馬車で二か月ほど。
俺たち一行はワイズマン公爵領の中心地であるヴェチアへとやってきた。
大きな河川に面したこの街は、中心を運河が流れる風光明媚な場所である。
その人口は十万を超え、エンバンス王国でも屈指の大都市だ。
「……このコーヒーって飲み物、おいしいなぁ」
ヴェチアの街にあるコーヒーハウスなる建物。
そこでコーヒーという飲み物を嗜みながら、俺たちはチリの報告を待っていた。
奴隷市場に潜入するにあたって、事前にチリに情報を集めてもらっていたのだ。
「独特の苦みがありますが、奥深い味わいですね」
「うーん、俺には良さがわからんなぁ……」
「ガンズは単細胞だから?」
「それとこれとは関係ないだろ。というか、単細胞じゃねえ!」
ミーシャさんの頭をポカッと叩くガンズさん。
おーおー、いい音したな。
今のは結構痛そうだ。
「ちょっとぉ! 女子にそれはひどいじゃん!」
「そういうことはもっとお淑やかになってから言え。マキナ殿みたいにな」
そう言うと、ガンズさんはマキナの方へと視線を向けた。
エプロンドレスを着て、コーヒーをカップに注ぐ姿は優雅そのもの。
ゴーレムならではの姿勢の良さも相まって、絵にしたいほど美しい。
「そりゃ……マキナさんに勝てないのは仕方ないじゃん。それより、チリはまだ?」
「そうだな、馴染みの情報屋のところへ行くと言っていたが……遅いな」
壁に掛けられた時計を見て、怪訝な顔をするアリシアさん。
既に、事前に約束した時刻を三十分ほど過ぎていた。
チリは基本的に時間には厳しいタイプなので、これはなかなか珍しい。
「何かに巻き込まれたのかもしれません。先ほどから、他の客の会話が聞こえているのですが不穏なものも多いです」
「不穏って、どんな内容?」
「フィローリ様を下ろして、ルザーム様に立っていただくとか」
「……それは、あからさまに政変の相談ではないか」
アリシアさんは眉を顰め、小声でそう言った。
ルザーム様というのは、フィローリ様の異母弟のことである。
確かまだ十二、三歳だったはずだ。
それを担ごうなどとは、フィローリ様の統治は噂通りひどいものらしい。
「用が済んだら、さっさと出た方が良さそうです」
「あぁ。噂のハーレムは一度見てみたいもんだがな」
「くだらないこと言ってる場合じゃないって」
こうして話していた時だった。
店の扉が開き、呼び鈴がカランと鳴る。
そして、小柄な少女が音もなく中へと入ってきた。
三つ編みで眼鏡がよく似合う、本でも読んでいそうな雰囲気の少女だ。
やがて彼女は座席を見渡すと、迷うことなくこちらに進んでくる。
「……誰だ?」
見慣れない少女の姿に、たちまちアリシアさんが怪訝な顔をした。
ミーシャさんとガンズさんもまた、おやっと首を傾げる。
俺たちの知り合いに、こんな子はいなかったはずなんだけどな。
こうして戸惑っていると、マキナが平然とした様子で言う。
「遅刻ですよ」
「……予想外、見破られた」
「変装したところで骨格は変わりませんからね」
「流石はゴーレム、見てるところが違う」
少女はそう言うと、眼鏡を外して手鏡を取り出した。
そしてハンカチで顔をふき取り、髪の毛をほどくといつものチリが現れる。
……おぉ、メイクってすごいんだな。
チリの思わぬ特技に、俺たちは大いに感心する。
「遅くなって申し訳ない。でも、いい情報が入った」
「と言うと?」
「今夜、奴隷市場のオークションにレアものが出る。それ目当てに金持ちが集まってるらしい」
なるほど、それはいい情報だ。
出入りする人間が多くなれば、その分だけ警備は緩くなる。
人波に紛れて潜入したい俺たちからしてみれば、ベストなタイミングだ。
「今夜ですか。なかなか急ですね」
「でも、今夜を逃すと逆にしばらく潜入は難しい」
「どうしてですか?」
「オークションが盛り上がった後は、しばらく市場は閑散とする。そうなると目だって入り込みにくい」
そう言うことなら、今日行くしかないな。
俺たちもあまり長くイスヴァールを離れるわけにはいかないし。
万が一、留守中に六王が攻めてきたりしたらとんでもないことになるからね。
「しかし、レアものか。いったい何でしょうね?」
「それはわからない。オークションの参加者にも伏せられてるらしい」
「亜人種とかかな?」
「有名人という可能性もある。たまに借金で首が回らなくなった傭兵や冒険者が闇市場で奴隷になってるとは聞く」
ああだこうだと意見を交わすアリシアさんたち。
へえ……ずいぶんと色々なパターンがあるんだな。
もし優秀な人材なら、連れて帰ればいろいろと役に立ちそうだ。
「ひとまず、潜入に備えて今のうちに宿に戻って休みましょう。恐らく、今夜は一睡もできないかと」
「そうだね。飛行船の手配とかもしないと」
「はい。ツヴァイに支度させます」
こうして俺たちは、潜入に備えて着々と準備を進めていくのだった。
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