136.あやふやな風景画の額縁には、血が滲んでいた。
あやふやな風景画の額縁には、血が滲んでいた。
最近狭まった視界は更に狭まり、聞こえていたはずの音が聞こえない。
重力もおかしい、頭が下に持って行かれる。
「ん…」
パラパラと顔に当たる砂。
窓を開けていたからだろうか?
徐々にハッキリとしてきた視界、私はその光景を見て言葉を失った。
ここは、上下逆さまになった車の中。
ひしゃげた車内は、葉っぱだらけの砂だらけ。
それを認知した直後、全身を鈍い痛みが貫いた。
「…!」
悲鳴を上げたいが、声が出ない。
首を動かして、沙絵がどうなったかを見たいのに、体が言う事を聞かない。
「おい」
必死に体を捩ろうとする中で、背後から誰かの声がした。
全身の毛が逆立ち、頭の天辺から、足の先まで凍り付く。
その声は、今、聞きたい声ではなかった。
「この程度、生きてるよな?おい、こっち向かせてやる」
首元に大きな手が絡みつくと、その手はグイっと捻られた。
「ガッ…ぁあアァア!!!」
鈍い痛みが鋭く突き刺さる痛みに変わっていく。
思わず零れ出た悲鳴、顔中をクシャクシャにして目を開けば、ニヤリと笑った鬼沙の姿が見て取れた。
「その様でも、事故りゃ痛むんだな。妖じゃねぇのか」
上下逆さまになった世界。
頭に血が上る世界で見えた鬼沙の顔は、この間と変わらぬ"汚い"笑みに染まっていた。
「お、に…沙」
そこは、沙絵が居たはずの空間だ。
沙絵の姿を求めて視線をかき回せば、車外に居る鬼沙の傍で、力なく倒れている姿が見て取れる。
「こ…の…」
「喋るなよ。沙月、傷に響くぜ」
鬼沙は、私がちゃんと生きている事を確認したかっただけの様だ。
私から手を離すと、車外に出て、全く動かない沙絵を掴みあげた。
「ったく。八波木とやらは知ってる通りの木偶の坊だったし、77号の連中も腰抜けだなぁ。なんだって、手を貸してやったんだか。初動ミスでよ、上手くいく訳、ねぇわなぁ」
そのまま、鬼沙に持ち上げられた沙絵。
力なくダラリと下がった腕と足が、彼女の今を物語る。
沙絵の顔をジッと見つめていた鬼沙は、沙絵を私の視界の外に放り投げると、その壊れきった顔をこちらに向けた。
「沙絵は預かっとくぜ。沙月、何時かの約束を果たしてやる」
ひしゃげた車の横で、鬼沙は私を見据えてそう言った。
何時かの約束、私はすぐにピンと来なかったが、やがて脳裏に過去の鬼沙が浮かび上がり、今の彼の姿と重なっていく。
「藤美弥の嬢ちゃんのとこで、夏祭りがあったよな?花火も打ちあがるだろ?」
反応の鈍い私の前で、淡々と話を進める鬼沙。
その声は、この間から続く、"記憶にない"鬼沙の声色をしていた。
「言ってたよなぁ、あの神社の裏手。妖しか入れねぇ"特等席"に入れてやるって。今はもう、1人で入れるはずだ。入った事、あるよな?その格好が出来るんだものな」
なのに、不思議と、目の前の鬼沙に、昔の鬼沙の姿が重なって見えている。
「8月10日の21時、準備整えてそこに来な。来なけりゃ、家ごと消えてもらうぜ」
一方的な通告。
鬼沙が視界から消えていき、すぐに何かを引きずる様な音がした。
「ぐ…」
バタンと何かを閉じる音。
エンジンがかかる音…車が、何かを引きずりながら走り出した音。
歪む視界、揺れた体。
はらりと、目の前に"黄紙の呪符"の束が落ちてきた。
藁にも縋る思いで、その呪符に手を伸ばす。
動くことを渋る体、強引に腕を伸ばすと、1枚、指先が触れた。
すぐに出来る限りの念を込めて、黄色に光らせて、"何か"を起こそうとしたが、呪符は想像と違って、真っ白に光っただけ。
私は遂に視界を失い、遠くに去って行く車の音が、徐々に聞こえなくなると共に、意識を失っていった。
・
・
・
「おい、沙月、聞こえるか?」
暗い世界、誰かの声が、私の意識を呼び起こす。
徐々に光を感じ、ゆっくりと目を開けると、視界に映ったのは茶色い木の天井。
その視界の隅に、見知った顔が映り込んだ。
「モト…?どうして、ここに?…うぅ…ぁ…」
急激に動き始める頭。
ここは、入舸にある、古い家の中、私が使っていた部屋のベッドの上。
さっきまでの光景が一瞬のうちにフラッシュバックしてきて、私は顔を歪めた。
「あぁ、大丈夫そうだな。説明すると長いが、俺は今回の騒ぎには無関係なんだぜ」
「いきなり言われて、信じられると思う?」
「だろうな。だけど、事実さ。サプライズで遊びに来てたんだが、巻き込まれちゃってさ」
まだ痛みが収まらない体を起こすと、モトはベッドの横に座り込む。
その姿、ちょっと逞しくなった彼から感じる妖力は、何時ぞや感じた妖力と同じだ。
「あの日、公園に居たな?」
「居たよ。誤解されると思って、逃げたんだ。で、隙を見て会いたかったんだけど」
「そうは行くかってか」
「ああ、京都の、あのオッサンが居る以上、嫌な予感がしたんだ」
「良い判断。で、どうやって見っけて、私を運んだ?車も無いのに」
「秘密」
私の質問に、そう言ってニヤリと笑ったモト。
そんな彼にジトっとした目を向けると、彼は床の方を指す。
「は?」
「俺が通りがかったのは偶然さ。タクシーでこっちに来てただけ。沙月を運んだのは、下に居る妖だよ。沙月の所の妖だろ?」
「そういう事。メノウ達が上から見てたか、そりゃそうか…で、何でモトはこっちに?」
「腹括って家に行ったら、こっちに行ったって言われた」
「よく逃がしてくれたな」
「驚かれたけど、それどころじゃないんだと。あと、この間の1件もあってか、沙月のばあちゃん、ちょっと親切になってたな」
私はそれを聞いてクスッと笑った。
笑って、不意に頭が揺れた時、パサっと頭から何かが落ちてくる。
頭に何かがくっ付いている感覚、それは、白菫色の…羽?
表情を失う私に、モトは表情を引きつらせて、身構えた様子で私を見つめていた。
「あ…気づい…ちゃった?」
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