119.大人しくしている間に、研げるだけ爪を研いでおきたい。
大人しくしている間に、研げるだけ爪を研いでおきたい。
どれだけ準備を整えても、その時が来たら、私は敵うはずが無いのだが。
出来る限り悔いが無いまま終わりたいのさ。
「参ったな」
ボロボロになった私が、こうして人気のない所で過ごしている間も、状況は悪化の一途を辿っていた。
5日の朝、久しぶりに使う家で目を覚ました私は、外していたピアスを付けて再び妖となる。
ピアスが無くとも、狐耳がひょっこり出てきている今の私。
狐面を使わずとも、ピアスを付けるだけで、十分に人の匂いを消すことが出来た。
「戻らなかったらどうしよう」
顔だけ洗って、洗面台で"妖"と化した自分の姿を見て呟く。
右頬の傷は、この間の異境の頃よりも深く広範囲に広がっていて、右耳の前辺り…額と髪の生え際の境目には、鬼の角のような物が1つ、鋭利な先端を晒していた。
「はぁ」
妙な疲れと共に洗面台から居間に戻る。
そっと角を摩ってみれば、象牙みたいな感触が感じられた。
「おはようございます。沙月様」
「「「「おはようございます!」」」」
「ええ、皆、おはよう」
居間に戻ると、さっきまでは感じなかった朝食の香り。
ジャムを塗ったトーストと、目玉焼きと小さなサラダに牛乳…いつも通りのメニューがテーブルの上に並んでいた。
「出来てたんだ」
「沙月様待ちでしたので」
「そう。じゃ、いただきましょっか」
空いていた席に付くと、パンと手を合わせる。
沙絵と、昨日名付けた妖達が後に続いて手を合わせた。
「昨日の疲れが残っていましたか?」
「いいや、この角さ。この様じゃもう一本生えてきそうじゃない?」
人数の割には静かな朝食風景。
パンを食べて、牛乳を1口飲んだあたりで、話しかけてきた沙絵と言葉を交わす。
「確かに。この間の、その狐耳だけでも十分に驚いたものですから、角は自然に映っていました」
「ねぇ。狐に鬼に…何さこれ?これ以上、私の格好が変わったりしないよね?」
「どうでしょう。入舸の人間を辿れば、そこそこの種類の妖が居るものですから」
「少なくとも、2つは確定だ」
「狐は、確かあの異境に居たような…鬼に至っては、今、言い出しにくいですが、辿れば鬼沙出てきますね」
何気ない朝の会話で、初耳の事実が明かされた時、反応に困ってしまう。
私は手にした牛乳入りのコップをゆっくりテーブルに戻すと、沙絵の方に顔を向けた。
「鬼沙が?」
「はい。あれ、知りませんでしたっけ?」
「こんな知り方、したくなかったけど」
「でしょうね。そうですか、そういうお話、沙雪様からはされてなかったのですね」
驚く私を他所に、特に驚く様子も無く沙絵は箸を進める。
「死んだ鬼の事なんて、弔ってから、わざわざ話はしないだろうさ」
「確かに。沙月様が泣いてしまいますからね」
「うるさい」
「そう言われても。鬼沙の名前が出る度に、震えていますよ」
サラダに手を伸ばしつつ、沙絵にそう言われた私は、ようやく自分の手が微かに震えている事に気づく。
「気持ちは分かります。この間の鬼沙が、私達の知る鬼沙だと、まだ信じたくありませんもの」
「でも、間違いなく鬼沙だった」
「はい。ですが…この後お話しようと思っていたのですが、美国の墓を開けて見た所、骨はちゃんと残っていたんですよ?」
長閑な朝食が、段々と防人の空気を帯びてくる。
沙絵に告げられた事実に、私はほんの少しだけ目を見開いた。
「なら、あの鬼沙は?」
「謎です。骨が出てきた以上、私は鬼沙だとは、どうも思えないんですよね」
そう言って、沙絵は残った目玉焼きを食べつくす。
飲み込んで、ふーっと溜息をついた彼女は、私の方に目を向けた。
「この話はもう少し後でやりましょう。他にも、昨日の間に色々と起きてるのですから」
「そうなの!?」
「ええ、メノウ!」
驚く私を他所に、沙絵は4人の妖の方に声をかける。
白髪黄眼の和服少女は、昨日からの名を呼ばれると、ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「食べ終わったら、ニッカを連れてこの辺りの見張り、頼めるかしら?」
「問題ない。いつも通りの仕事じゃろう?」
「そう。いつもの仕事。コウジとムゲツは"買出し"を頼みたい」
「ああ」
「分かりました」
「私も今朝状況を知ったばかりだから、"買出し内容"は着いた後ね。電話入れて。あ、洗い物はやっておくから、大丈夫」
テキパキと4人に指示を出す。
彼らはとっくに朝食を終えていて、沙絵の指示を聞き終えると、空いた皿を台所の方に持って行った。
そのまま、彼らは"仕事"へ出ていく。
「ちょっと、喋り過ぎましたか」
「そうだね。ごめん、食べちゃわないと」
彼らとは対照的に、半分以上残っていた私達。
残った品をすぐに食べきると、最後に残った牛乳を一気に飲み干して朝食を終える。
「そう言えば、今日は味を感じられましたか?」
「治ればどれだけ良かったか」
「そうですか」
溜息をつきながら、空になった皿を台所に下げた。
家に残った私達、とりあえず、気になることは山ほどあるが、片付けるのが先だろう。
「片腕生活にも慣れましたか」
「慣れるわけないでしょ。スポンジと洗剤貸して。ゴシゴシやるから、洗うのは任せた」
「はい。ああ、それ、賢いですね」
「でしょ?」
「でも、料理出来なければ、洗い物もしないんですよ?」
「言ってなさい。その内、覚えるから。きっと…」
狭い流し台に並ぶ私達。
沙絵にスポンジと食器用洗剤を借りた私は、片腕だけで食器類を泡に包んでいく。
食器を泡に包んで、スポンジで軽くこすったのち、沙絵がそれを片っ端から洗い流していった。
「この後、沙雪様から共有された内容をお話しますね」
「うん。それで?私達も外に出るの?」
「いえ。今日は待機でしょうか。状況が変わらなければ…ですが」
洗い物を続ける間も、会話は雑談から防人らしいものへ変わってしまう。
「そっかー。夏休みが終わるまでに、終わってくれれば良いんだけどさ」
何気なく、手を止めて顔を上げる。
古びたキッチンの一角、くすんだ鉄の板に目が向いて、そこに歪んで映った自分の顔と目が合った。
「なら、まぁ、今日も"付き合って"もらおっかな」
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