閑話
◆◆◆
魔族が支配する領域、いわゆる『魔界』。
そこは特殊な地場のためか、人間達が住む土地よりも遥かに魔素と呼ばれる大気中の自然魔力が濃く、過酷で生きる事が辛い場所だ。
故に、その地に住む者は、人であれ、モンスターであれ、強靭に成らざるを得ない。
さて、そんな地に住む人種である魔族達を統一し、その王となったボウンズールの居城へと、エルフの国より戻ったオルブルが足を踏み入れていた。
広く長い廊下を、彼は目的の場所へ向かって、無言のままに進む。
しかし、不意に一本の柱の影から、オルブルの前に歩み出す人影があった。
「お帰りなさいませ、オルブル様」
「おう、キャロメンス。お前も戻っていたか」
オルブルの返事に答えるようにして姿を見せた、獣人の女王であり、現三公の一人であるキャロメンスは、ペコリと頭を下げる。
そんな彼女が頭をあげた時、その目には不審な物を見るような光が宿っていた。
「あの……なぜ、腰にタオルを巻いているのですか、オルブル様は?」
まるで、風呂上がりのような格好で王城を闊歩する彼の姿に、さすがのキャロメンスも、疑問を抱かすにはいられないようだった。
「いやぁ……エルフの国で、例の勇者の仲間と一戦交えて来たんだがな、魔力が枯渇して、今は服を作り出せなくなってるんだよ」
「そこまで消耗を?オルブル様が……」
実兄である、魔王ボウンズールに匹敵するほどの強さと、先の戦局を見渡す頭脳を兼ね備えた魔導宰相が、そこまで消耗している事実に、キャロメンスは驚きを隠せなかった。
「お怪我は……ないですか?」
「ああ、しばらくすれば、魔力も回復するさ」
心配する狼女王を優しく抱き寄せ、オルブルはその柔らかな毛並みに指を這わせる。
腕の中で微かに震えながら、「クゥン♥」と小さく鳴き声を漏らすキャロメンス。
かつて、元の世界ではご近所の飼い犬達を、飼い主達に内緒で撫でまくり、腹見せをさせるまで魅了していた、彼の『撫でテクニック』は、獣人の女王ですら虜にするほどの物だった。
しばらく、至福のモフモフタイムが流れていたが、オルブルは「そろそろ行く」と告げて、スッとキャロメンスから離れた。
名残惜しそうなキャロメンスだったが、ハッと思い出したように、胸の谷間から一束の用紙を取り出す。
「報告書です、ドワーフの国での」
「お、ちゃんと書いたんだな?」
偉い、偉いとオルブルが頭を撫でると、キャロメンスの尻尾がブンブンと大きく揺れた。
「道すがら確認しておく。後は、命令があるまで待機していてくれ」
「わかりました。……お呼びください、いつでも」
グッと背伸びをして、オルブルの頬をペロリと舐めた狼女王は、そのまま尻尾を振りながら、駆けていった。
残されたオルブルは「やれやれ」と微笑んで、再び目的の場所へと向かう。
その道程で、キャロメンスからの報告書をチェックする事も、忘れていなかった。
◆
「いま戻った」
城の最上階、魔王が鎮座する玉座の間へ入りながら、オルブルは声をかける。
室内にいたのは、二人。
まず、視界に入ったのは、玉座に座る筋骨粒々な魔族の男。
気が弱い者なら、一目見ただけで意識を失うほどの存在感に溢れた彼こそ、魔界を統一した英傑、魔王ボウンズール。
そして、脇に控えるのは、骸骨をモチーフにしたような全身鎧を着込んだ、三公の一人。
その名を、『腐骨大公』オーガンという。
「……その格好はなんだ?」
タオル一枚を腰に巻いただけといった、オルブルの姿を見て、オーガンが咎めるように声をかけてくる。
「エルフの国で、ひと悶着あってな。急ぎだったんで、まぁ勘弁してくれ」
「ふん……」
悪びれた様子もないオルブルを、オーガンは舐めるように見回す。
そうして、彼の体に付着していた、わずかな体毛に目敏く気づいた。
「ケダモノとイチャつく変態なのは構わんが、その体では、止めてもらいたいものだな」
「はっ、こいつの尻に夢中な、死体愛好家に変態と言われたくはないぜ」
「なんだと……」
「やるか?」
「その辺にしておけ」
一触即発の雰囲気だった、オルブルとオーガンの間に、ボウンズールが割って入る。
「性癖や個人の趣味は、どうこう言うものではあるまい。というか、どっちも変態なんだから仲良くしなさいよ」
厳つい風体の割りに、フレンドリーな物言いで仲裁に入るボウンズール。
しかし、互いに変態と指摘された二人は、なかなか収まらなかった。
「はー?動物っぽいのが加点材料なだけで、ナイスバディの美人さんが好きな俺の、どこが変態だと?」
「異議有りです!私は男女や生死の境を取っ払って、王子という漢に尽くしたい……云わば、忠誠心の塊なんですがぁ!?」
「必死になればなるほど、墓穴を掘っているんだが?」
ボウンズールに食ってかかっていた二人だったが、その一言でトーンダウンする。
ようやく、静かになった事に小さくため息を吐きながら、魔王はエルフの国から戻った魔導宰相に、成果を尋ねた。
「情報通り、人間とエルフとドワーフ、この三種族は連合を組んで、俺達に対抗する予定だったよ」
「ふむ……」
「ガンドライルが、予定通りに人間の首脳陣を潰してくれれば、俺が出向く必要は無かったんだがなぁ……」
以前、三公の一人であるガンドライルが、勇者と大国の王達が終結しているタイミングで、襲撃してきたのは、すべてオルブルの指示によるものであった。
しかし、その作戦が失敗に終わり、すかさず発動させたのが、今回の『キャロメンスによる、ドワーフの国への牽制』と『オルブルの、エルフの国に行ってみた』である。
「……キャロメンスからの報告では、ドワーフどもは魔界まで伸びると思われる、坑道を掘っていたそうだ」
「むぅ……そこから、侵入する気だったのか?」
「かもしれないな。まぁ、その坑道は彼女が潰したから、心配ないだろう」
「そうか……で、お前が向かった、エルフの国はどうだった?」
「やはり、連合に参加するつもり満々だったな。そうそう、なぜか最近話題の勇者ルアンタの仲間がいたから、叩き潰しておいたぞ」
「なにっ!?」
数千のモンスターを率いた、準魔王クラスのガンドライルを撃退した、勇者ルアンタ。
彼の名は、魔界においてもかなり広がっていた。
そんな勇者の仲間を倒したという、オルブルの言葉に、オーガンは驚きの声をあげる。
「エルフの国にいたのは、ダークエルフのエリクシアだった。かなり面白い使い手だったが、まぁ俺の敵では無かったな」
「エリクシア……確か、勇者の師匠とかいう噂の娘だったな」
「ああ。……そういえば、元この肉体持ち主と、なんだか知り合いっぽい雰囲気だったが……」
「オルブルと?」
「馬鹿な!かつてのオルブル王子は、城からほとんど出歩かずに、異世界の書物に夢中な、童貞of童貞!ダークエルフの娘との面識なぞ、あるはずもないわ!」
「そ、そうなのか……」
力説するオーガンの言葉に、オルブルの肉体に宿る魂は、若干引いたようだった。しかし、すぐに気を取り直すと、ひとつ咳払いをする。
「まぁ、心がへし折れるくらいに、ボコボコにしてやったから、しばらくは『EDになったゴブリン』並みに、使い物にならないだろう」
「ううむ……相変わらず、言葉の意味はよくわからんが、とにかくすごい自信だ」
感心して頷くボウンズールに対して、オーガンの方は不信感のような物を顔に滲ませる。
「真偽はともかく、聞けばエルフもドワーフもお主らが単騎で出向いて、なんとかなるレベル……いっそ、連合を組ませてから一網打尽にした方が、楽だったのではないのか?」
「ふぅ、やれやれ。これだから素人は」
そんなオーガンを、小馬鹿にしたような態度で、オルブルはわざとらしくため息を吐いて見せた。
「奴等が連合を組んで大軍を興せば、その数は膨大な物になるだろう?すると、こちらにも大変な被害が出るわけだよ。負ける事はないにしろ、そうやって疲弊していると、ガンドライル辺りが反乱を起こすのが、目に見えるじゃないか」
「本当に、そうなるものかなぁ……」
額に青筋を浮かべているのが、ありありと想像できるほど、イラつきを抑えた低い声で、オーガンは問い返す。
「百パーセント、反乱を起こすね。普段の態度を見てたら、わかる」
「……まぁ、確かにな」
その言葉に思い当たる節があるのか、ボウンズールも頷いて見せた。
「そうならないように、エルフとドワーフの国にちょっかいをかけ、『国を手薄にしたら、ヤバい』という印象を、植え付けに行ったのさ。これで奴等は、本国の防衛のために、大軍を動員できないだろう」
「なるほど……」
「そうなると、次に奴等が打てる手は、『少数精鋭による、敵軍の首脳陣への攻撃』……即ち俺達を狙って、勇者ルアンタとその一行を送り出す事だろう」
「まぁ、そうなるだろうな」
「それなら、話は簡単。こちらは防備を固めて、勇者達を迎え撃てば、被害は少なく済む上に、人間達の希望を摘み取る事ができるって寸法よ」
「そう、上手く事が運ぶかな……」
「止さんか、オーガン」
自信満々に戦略を語るオルブルに、オーガンは未だ懐疑的な雰囲気であったが、ボウンズールにたしなめられて、引き下がった。
「オルブル……いや、シンヤの魂がその肉体に宿り、我々が息子達の肉体を得てから、二十年。その間に、魔界を統一できたのも、人間界へ領土を広げられたのも、こやつの献策があってこそ。ここは、こやつを信じようぞ」
「……はっ」
渋々といった感じではあるが、オーガンはボウンズールの言葉に従う意向を見せる。
それを見たオルブルも、満足そうに頷いた。
「では、防衛のための人員や配置は、お主に任せよう」
「ああ、引き受けた」
二つ返事で答えたオルブルの胸中には、エルフの国で拳を交えた、エリクシアの姿が浮かぶ。
(さて、こちらは迎撃準備は万端だ。あの、変なダークエルフは、どうやって攻めてくるかな?)
自分と似たような発想で、『変身』する戦闘スタイルを編み出していた、ダークエルフの事を思い出して、ついニヤリとした笑みが溢れる。
今回は、かなり楽しめそうな戦いになるだろうとの予感に、オルブルは遠足前の子供のような、高揚感を覚えるのであった。




