01 離別の理由
◆◆◆
──私達はここで別れます。
そうエリクシア先生に告げられ、彼女がこの王都を去ってから一週間が経っていた。
「ほら、ルアンタ!隙だらけだよ!」
模擬戦で訓練をつけてくれている、デューナ先生からの叱責の声と、木刀の一撃が飛んで来る!
けれど、気の抜けていた僕は、それを防御する事もできず、まともに食らってしまった。
「あぐっ!」
「まったく……いつまでボーッとしてるんだい!」
「す、すいません……」
「……エリクシアがいなくなって寂しいのはわかるけどさ、ほんの一ヶ月くらいの辛抱だろ?」
「それは……そうなんですが……」
一ヶ月。
確かに、エリクシア先生は、そう見積もっていた。
でも、先生と出会ってから、常に一緒にいた僕にとっては、その一ヶ月が異様に長く感じるのだ……。
◆
あの日、先生が別れる告げた瞬間、僕は反射的に「嫌です!」と答えていた。
その時の僕の姿は、ひどく情けない物だったろうなと思う。
そんな僕に、先生は少し困ったような、それでいて慈しむような顔で「別に、今生の別れという訳では、ないんですよ?」と、僕を落ち着かせてくれた。
「私はこれから人間の王達に、エルフの女王から預かってきた親書を渡して、その返事を届けなければなりません」
そういえば、先生はそんな役目も頼まれていたんだっけ。
「今後の対応などを考えると、早々にエルフ、人間、ドワーフの三国と、同盟締結を完成させる必要があります」
だから、返答を受け取ったら、最速でエルフの国に戻るのだという先生に、僕もついていきます!と、即座にすがり付いた。
だけど、先生はそれを許してくれない理由を、滔々と話す。
その大きな原因は、今回の魔族撃退だと、エリクシア先生は言った。
魔界において、五指に入るガンドライルを敗退させ、さらに数千というモンスターから王都を守り抜いた事で、僕達は今後、魔族からかなり警戒される存在になった事だろう。
それ故に、もしも僕達全員が王都を空にしたら、再びここが襲われる可能性が高いというのだ。
「だ、だけど、そんなにすぐに新しい部隊を、動かせる物なんですか?」
「普通ならあり得ませんが、ガンドライルが『三公』の一人と言われていた事から、同等の存在が、あと二人いるはず」
さらに、今回の襲撃がモンスター主体で魔族の兵がいなかった事もあり、主力は温存していると思っていいと、エリクシア先生は予想していた。
「毒竜団という情報源がある以上、私達の行動はある程度、魔族に把握されていると思っていいでしょう」
「毒竜団……」
人間界の犯罪組織。そして、魔族の尖兵となって暗躍する者達。
先の僕達への工作といい、今の懸念材料といい、目に見えない害悪だけに、とても厄介な連中だ。
そんな奴等が蔓延る中で、確かに僕達が王達からいなくなったりしたら、手薄になっているという情報は、すぐに魔族に伝わるだろうな。
「もっとも、そうとわかっているならば、把握されていても、問題ない動きをすればいいんです」
だからこそ、別行動を取るのだと先生は僕に告げた。
王達が健在で、活躍した勇者達全員が駐留していれば、魔族も迂闊に攻めてこれないだろう。
それに、単独で動く上に一騎当千のエリクシア先生を捕捉するのは困難で、仮に襲われても迎撃なり逃走なり、一人ならどうとでもできると先生は胸を張った。
「エリ姉様のおっしゃる事も、もっともですわ。ですが、ご安心くださいませ!ルアンタ様は、ワタクシが責任もって……」
「何を言ってるんですか、ヴェルチェ。貴女もドワーフの国へ行くんですよ」
エリクシア先生の言葉を聞いた途端、ヴェルチェさんが目を見開く!
「聞いてませんわ!聞いてませんわ!」
「ええ、いま言いましたから」
慌てるヴェルチェさんに、エリクシア先生は淡々と話した。
「なぜ、ワタクシまで、里帰りをしなくてはなりませんの!?」
「話を聞いて無かったんですか?早々に、同盟を組むためですよ」
「で、ですが……どれくらい、ルアンタ様と離ればなれになりますの?」
「ざっと見積もって、一ヶ月……といった所でしょうか?」
「そんなに長い間離れていては、ワタクシ『ルアンタ様欠乏症』を発症してしまいます!」
「では、いい機会なので、そのイカれた病気を克服してください」
床に転がりながら、ヴェルチェさんは駄々を捏ねるけれど、先生はまったく取り合おうとしなかった。
「アタシはどうする?」
「そうですね……デューナはここに残って、ルアンタの指導と、ここの防衛を手伝ってあげてください」
「おお、ルアンタと二人っきりかい。ウフフ、こりゃ楽しみだねぇ」
「言っておきますが……同意も無しに、ルアンタに手を出したら……すぞ」
ペロリと唇を舐めたデューナ先生に、エリクシア先生が質量すら感じられるほどの低い声で、ボソリと告げる。
最後はよく聞き取れなかったけど、デューナ先生はちょっと引きつった表情で、「わ、わかってるよ……」と答えていた。
でも……話を聞いていると、やっぱりエリクシア先生は、先を見据えているんだなぁ。
ヴェルチェさん程ではないけれど、僕の我が儘で離れたくないなんて言っちゃって、少し恥ずかしい。
でも、やっぱり「まだ僕は頼りない」と暗に言われたような気がして、ちょっぴり寂しいのも事実なんだけどね……。
「そんな顔を、しないでください」
先生は苦笑しながら、僕の頬を撫でる。
いけない、そんなに情けない顔をしていたんだろうか。
「貴方を、頼りにしていない訳ではありませんよ。貴方の実力は、私がよくわかっていますから」
僕の内心を見透かしたような先生の言葉に、いじけた思いを抱いていた僕は顔が赤くなる。
うう……こんなんだから、僕はまだ先生から子供扱いされちゃうんだろうな……。
そんな僕に、先生はクスッと小さな笑みをこぼすと、そのきれいな顔を近づけてきた。
「そうですね……それでは、貴方に課題を出しましょう」
「か、課題……ですか……?」
「ええ」
頷いた先生から出された課題、それは『この王都に巣くう、毒竜団の排除』だった!
「先の戦いで、ガンドライルの側にいた男。奴から、この付近で毒竜団が使用しているアジトを聞き出し、それを潰滅させるのを、私達が戻って来るまでの課題としましょう」
「うーん、でもトカゲの尻尾って事もあるんじゃ無いのかい?」
「いえ、準魔王であるガンドライルへの接触を任され、ルアンタに対して、それなりの爆発魔法を使用した腕前……切り捨て要員にするには、上等過ぎるでしょう」
「なるほどねぇ……」
エリクシア先生の答えに、デューナ先生も納得したようだ。
「わかりました!その課題、やらせてもらいます!」
影で蠢く毒竜団の潰滅は、ある意味、最重要課題だ。
その一端を僕に任せてくれるんだから、先生の期待に応えたい。いや、応えてみせる!
「いい答えです」
ニッコリと微笑んだエリクシア先生の顔が、さらに近付いてきた。
そして、僕の頬に「チュッ♥」という音と共に、柔らかい物が触れる!
「あ……あう、あう……」
「……少しの間、寂しい思いをさせる貴方に、サービスです」
突然のラッキーに狼狽える僕に、「課題がクリアできたら、またしてあげますよ」と、エリクシア先生は悪戯っぽく笑う。
……ああ、やっぱり先生は綺麗だな。
「おいおい!エリクシアだけ、ズルいじゃないか!」
「そうですわ!ワタクシでしたら、『ほっぺにチュッ♥』だけでなく、ガッツリ子孫繁栄行為も……」
「そこまで行ったらアウトです、ばか野郎」
興奮していた、ヴェルチェさんの顔面を鷲掴みにするエリクシア先生。
メキメキと、頭蓋骨の軋む音に、ドン引くデューナ先生と、現実に引き戻された僕は慌てて先生を止めるのだった。
──そして、それから二日後。
同盟に対する返答を受け取った、エリクシア先生とヴェルチェさんは、それぞれの故郷の国へと向けて、この王都を後にした。
◆
──これが、現在まで至る経緯だ。
すべては、これからの魔族との戦いのため……それはわかっている。
けれど、エリクシア先生が近くにいないというだけで、こんなにも集中力を欠くようになるなんて、思ってもみなかった。
さらに、ここ数日の『真勇者』発表に伴う催し物に引っ張りだされてばかりなのも、精神的な疲れに拍車をかけていた。
せっかく、そんな忙しい中で、稽古をつけてもらえる時間だったのに……。
「ふぅ……少し休憩にしよう」
デューナ先生に言われ、僕は頭を下げた。
せっかく剣の稽古をつけてくれているのに、申し訳ない気持ちでいっぱいになってくる。
「どうにも、本調子じゃないねぇ」
「すいません……」
「まぁ、謝る事はないけどさ……そうだね、おっぱいでも吸ってみるかい?」
「す、吸いません!」
「むぅ……反抗期かな……」
解せないといった感じで、デューナ先生は首を傾げる。
きっと、僕を励ましてくれているんだろうけど……それじゃあ、まるで赤ちゃん扱いだ。
いくらなんでも、それで喜ぶほど子供じゃないのに……。
なんだか、エリクシア先生達がいなくなってから、デューナ先生の甘やかしが方が、段々とエスカレートしてきてる気がするなぁ。
そんな感じで、休憩していた僕達の所に、不意に声をかけてくる人達がいた。
「よぉ、やってるねぇ」
「うむ。日々の精進は大切であるからな」
「あ、ディエンさんに、ジングスさん!」
声に振り返ると、こちらに歩いてくる、二人の勇者の姿が目に入った。
「どうしたんですか、お二人とも?」
「アンタらも、剣の稽古がしたいのかい?」
「へへ、そりゃまた今度に」
「そうであるな。それよりも、朗報であるぞ、ルアンタ殿」
「朗報?」
ジングスさんの言葉に、小首を傾げる。
そんな僕に頷きながら、ジングスさんは意外な事を口にした。
「毒竜団のアジトのひとつ、それがわかりそうである」と。




