01 井の中の蛙
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(……………んん?)
夢うつつの中、破壊の女神は加護を与えた自らを慕う存在が消滅した気配を感じた。
(……最初に地上に向かわせた、あの娘か)
熱の籠った彼女の姉愛を、キラキラした瞳で聞き入っていまサキュバスの娘。
その存在が、破壊神でも感知できない、何処かへ消えたようだ。
(やっぱり、お姉ちゃんみたいな素晴らしい女性は、中々居ないものだわ……)
ため息とも欠伸ともつかない短い息をひとつ吐いて、破壊神は再び惰眠を貪るべく目を閉じる。
使徒からの吉報を待ち、愛すべき姉神の夢を見るために……。
◆◆◆
「──さて、当面の目標なんですが、破壊神の目的である地上の者達の絶滅……それを防がねばなりません」
がっぷり四つの組み合いから、上手投げでヴェルチェが勝利した後、新たに仲間に加わったミリティアに、旅の目的を説明する。
ついでに、私達も再確認をしておこうという流れになっていた。
「そのためにも、破壊神達が殲滅を行うために甦らそうとしている、二体の眷族……『千頭竜』と『尾万虎』の復活を阻止しなければなりません」
「そして、それらの復活を狙う破壊神の使徒と、今後もぶつかる事は避けられないって事だな」
捕捉するシンヤの言葉に、私は頷いた。
「という訳で、お聞きしたいのですが、ミリティアはこの封印されている神獣及び、封印場所について、何か心当たりはありませんか?」
「ふむう……」
質問を振られて、ミリティアは顎に手を当てながら目を閉じ、思案に耽る。
過去のトラウマか何かを思い出すように、眉間に皺を寄せて唸る彼女が、なんだかちょっと辛そうだ。
そんなにヤバい思い出なのかと心配していると、急にミリティアはカッ!と目を見開いた。
「あの神獣の事は、よく覚えておるよ……。まさに破壊の申し子、イコ・サイフレーム様の眷族に相応しい、暴れっぷりじゃった」
「そんなに……凄かったんですか?」
ゴクリと息を呑んで問うルアンタに、ミリティアは大仰に頷いて見せる。
「天を割る咆哮、地を埋め尽くす骸の山……人間、エルフ、ドワーフ、魔族、獣人といった、この地に住まう全ての種族が一丸となっても、対抗するのは困難じゃった」
そんなに!?
んん……でも本当かなぁ?
確かに、とんでもない化け物ではあるんだろうけど、お年寄りは話を盛る所があるからな……。
「……そんな化け物を、どうやって封印したんだ?」
私と同じように、ミリティアの話に『思い出補整』を感じたのか、シンヤが尋ねる。
「そこはイコ・サイフレーム様の姉君である、創造神オーヴァ・セレンツァ様のお力よ!暴れる神獣を封じるオーヴァ・セレンツァ様に、イコ・サイフレーム様も『さすがはお姉ちゃん(さすおね)!』と、興奮しておられたものじゃ……」
喜んでたのか……。
重度のシスコンとは聞いていたが、自分の眷族がやられても喜ぶなんて、結構ギリギリでアウトな気がするなぁ。
「それで、肝心の封印された場所はわかるのか?」
「それがのぅ……」
困ったように眉が下がるミリティアに、私達も首を傾げた。
「封印は確かにされたんじゃが、この大陸の何処か……としか言えんのじゃ」
「それは……何故です?」
「ワシ、お二方の争いが終結する前に、暗黒界に戻る事になってしまってのぅ」
「それはつまり……瀕死のダメージを、負ったという事ですか?」
「まぁ、な……」
ふぅん……ミリティアは、割りと用心深いロリババアだと思っていたけど、そんな彼女でも不覚をとるんだ。
しかし、相手を骨抜きにする、あんな幻術を操る彼女が敗北したシチュエーションは気になるな。
私は「話せる部分だけでも」と、彼女に質問を投げ掛けた。
話が脱線しとるじゃん……と雑なツッコミを入れながらも、ミリティアは渋々その時の話をしてくれた。
「あれは、そう……ある可愛い男の子(二十歳越え)と、夜明けまでベッドの上で運動会をしていた時じゃった。狙い通り、ワシはその子からいっぱい精気を吸いとったんじゃが、翌朝に目を覚ますと、その子がおらん。おかしいなと思いながら、姿見の鏡を見ると、そこには『ようこそ、性病の世界へ』とか書かれておったのじゃ……。ワシは、驚きのショックで死にかけて、暗黒界へと……」
都市伝説か何かかっ!
しかも、それは確かにショックなんだろうけど、神々の戦争は関係ないじゃん!
何て言うか、死にかけるにしても、もう少し格好いいエピソードかと思ってたわ!
「まぁ、そんな訳でワシは結末までは見ておらんのだ。ただ、封印場所の、ヒントくらいはわかるかも知れんぞ」
「ヒント……ですか?」
「うむ。オーヴァ・セレンツァ様は、神獣達を大地を育む糧となるよう、特殊な方法で封印したからのぅ」
「そんな事が、可能ですの!?」
「そこは、創造神様じゃからな。まぁ、異様に豊かな土地などがあれば、封印の場所である可能性はあるが……」
うーん……でも、そんなに豊かな土地が、この辺にあったろうか?
あったとしても、この地上に住む者達が、そんな場所を見逃すはずはないしなぁ。
となれば、すでに開拓されてしまって、国が興り、人々が暮らしていてもおかしくはない。
もしかすると、自分達の足元に全てを破壊する神獣が眠っている……そう考えると、ちょっと怖くなってくる。
「と、とりあえず、目ぼしい所はありませんかね?」
「ううむ……ちょっと、地図か何かあるかのぅ?」
ミリティアに促され、オーリウが一旦退席した後に、地図を持って戻ってきた。
そうして、テーブルの上にそれを広げると、急にミリティアが「おや?」と、怪訝そうな声を出す。
「これは……」
「何か、おかしい所がありましたか?」
私も地図を覗き込むが、一見して変な所は無いように見えるけど……?
北に魔族領域(魔界)、南に人間領域(人間界)、そして西に広がる森にはエルフの国と、魔界と人間界の間に、東の山々を背にしたドワーフの国が記されている。
うん、至って普通の地図だわ。
「いやいや、これはこの地方の地図じゃろ?ワシが欲しかったのは、大陸全土の地図じゃよ」
それを聞いた私達の方が、今度はキョトンとする。
大陸全土って……ここがそうじゃなかったの?
「この辺の土地は、おそらく大陸の南方……その一部じゃな」
な、なんだってー!?
「あー、やっぱりそんな感じだったか……」
戸惑う私達の中で、シンヤだけが冷静にミリティアの言葉を受け止めていた。
「あ、貴方は知っていたんですか!?」
「まぁな。この世界に来てから……つまり、オルブルをやってた頃に調べたんだが、『この世界』の広さは向こうの世界で俺が住んでた、日本列島って場所とだいたい同じくらいだった。これが世界の全てじゃ、狭すぎるだろ」
……シンヤのいた世界、確かに異世界の書物にあるあの世界は広く広大だった。
それに比べれば、私達の世界はまぁ小さい方かな?とは思っていたけど……。
「……井の中の蛙って言葉があるが、世界の広さを知ると愕然とするよな。だけど、そんな蛙でも、空の青さは知っているんだぜ?」
押し黙ったしまった私達を慰めるように、シンヤは何か格言めいた事を言うが、何を言ってるんだろう、彼は?
そんな事より……。
「最高じゃないですか……」
「うん?」
呟いた私に、シンヤとミリティアが小首を傾げた。
「だから、最高じゃないですか!世界はさらに広がっている……それを考えると、ワクワクしますね!」
「すごいですよね……僕もこれから向かう土地が、楽しみです!」
「ここより広い大陸……大きなシノギの臭いがしますわ!」
未知なる場所への期待と好奇心で、私達のテンションはいやが応にも上がっていく!
こんな興奮は、初めて異世界の書物に触れた時や、ルアンタを意識しながらあんな事やこんな事をした(一線は越えてない)時以来かもしれない!
「自分達の世界の狭さを知って、これだけ喜べるのは大した物じゃのぅ……」
「俺のいた世界じゃ、中々たどり着けない境地だな……」
感心したような、呆れたような呟きを漏らすミリティアとシンヤ。
だが、そんな言葉も私達にはろくに届いていなかった。
「では、ミリティア。この地を出て、大陸のどの辺に向かえば、神獣を封印した場所にたどり着けますか?」
「そ、それはさすがに、行ってみんと……じゃが、とりあえずは大陸の中央を目指してみると、いいんじゃないかのぅ?」
「なるほど!では、早速準備を整えて……」
「ちょっと待った!」
話を進めようとする私に、シンヤが横から待ったをかけた!
んもう、せっかくの流れに水を差すとは!
「……お前ら、盛り上がるのはいいんだがな。大陸の中央を目指して、魔界を北上するって事は、あの場所を越えるって事だぞ?」
そのシンヤの一言に、私とヴェルチェが「ハッ!」となる!
そ、そうだった……魔界の最深部、その北の果てにはあの場所が……『魔獣山脈』と呼ばれる、禁断の地があるじゃないかっ!
急速にテンションの下がった私達に、ルアンタとミリティアもただならぬ気配を感じ、ゴクリと息を飲むのだった……。




