05 最強のサキュバス
転移口から現れたのは、色気が溢れかえるような、妖艶な美女だった。
白く光るような艶かしい肌に、風に流れるつやのある黒髪。
そして、顔の半分を隠す前髪から覗く、宝石みたいな輝きを放つ瞳は、女性なら羨望の眼差しを向けずにはいられないだろう。
健康的なピンク色の唇を這う舌は対照的に淫靡であり、それだけで男達を骨抜きにしそうな魔力を漂わせている。
何より、メリハリのあるボディラインに張り付くような、ギリギリで肢体を隠す改造法衣は、見る者の劣情を煽らずにはいられない。
その美しさとエロさは、突然の……しかも明らかに敵サイドの登場だったにも関わらず、私達全員が見とれてしまうほどだった。
「……はっ!」
いけないっ!
すぐに我に返ったものの、ほんの一瞬だけ完全に棒立ちになってしまっていた!
今の隙を突かれていたら、全滅していたかもしれない……そう思うと、ゾクリと背筋が冷たくなる。
「ウフフ……何か、強い力を持った駆除対象に合わせて転移口を開いてみたけど……思わぬ見知った顔があるわね」
「こちらの台詞じゃよ……エティスティ!」
「フフフ、久しぶりねミリティア」
謎の美女と顔見知りなのか、サキュバス大長老は敵の美女と真正面から向き合って、火花を散らした!
というか、向こうの彼女が口にした名前って、もしかして……。
「ワシの名じゃ」
やっぱりそうか……個体名があるなら、教えてくれればいいのに。
「いかにワシを呼び出したマスター殿とはいえ、簡単に名を教える訳にはいかんのでのぅ」
むむ、そういう決まりでもある物なんだろうか?
「名前を知られるっていうのは、本質を知られるって事に通じるからな。ちゃんとした契約が結ばれるまでは、隠していても仕方ないさ」
俺はわかってるぜ?といった感じで、シンヤが説明してくれた。
ふむう……そういえば、異世界にはそういった考え方があったっけ。
「いや、別に……ちゃんとした雇用形態となるまでは、馴れ馴れしくするのはよくないから……」
あ、そういう事?
気まずそうに言うミリティアに納得がいくと同時に、したり顔してたシンヤが耳まで赤くなって顔を隠しているのが、ちょっと不敏だった。
「そ、そんな事は置いといてだな!あんたの知り合いらしいが、あの美女は何者なんだ?」
強引に話題を変えつつ、シンヤはミリティアに迫る。
うーん、恥ずかしさを誤魔化すのもあるけれど、敵の事を知りたい……というより、美女の情報がほしくて必死という感じにも見えるな……。
やーね、男って!
「ワシの名前を、そんな事って……まぁいいわ」
仕方ないといった風に肩を竦め、眼前の美女を見据えながら古参のサキュバスはキッ!っと表情を引き締めた。
「奴の名は、エティスティ。かつて、ワシと共にサキュバスの二大巨頭と呼ばれ、『サキュバス最長老』の座にあった奴よ!」
サキュバス最長老!?
それって、ミリティアの事では……?
「ワシは大長老で、奴は最長老。似て非なる存在じゃよ」
そ、そういう物か……正直、何が違うのかわからないけれど、彼女達にとっては拘りがあるものなんだろう。
「正確に言えば、もう私は『サキュバス最長老』という地位など捨てたけどね……」
「そうじゃな……お主はイコ・サイフレーム様の元に走ったのじゃもんなぁ」
「ええ……今の私は、イコ・サイフレーム様に仕える十二使徒の一人、第六の使徒エティスティよ」
よろしくね♥と、エティスティがウインクすると、シンヤとルアンタの表情がポワンと蕩けた。
……ルアンタ君?
敵に鼻の下を伸ばす弟子の姿に、私とヴェルチェが「ぐぬぬ……」となっていると、ミリティアがポンポンと背中を叩いてきた。
「奴等は、エティスティの淫気に当てられておる。これは男である以上、逃れられん呪いのような物じゃから、いたずらに狼狽えるでないぞ」
「……彼女は、それほどの存在なんですか?」
「うむ。エティスティに堕とせぬ男無しと称えられ、『最強のサキュバス』とも呼ばれた、恐るべき女よ!」
なるほど、いかにルアンタが理性で私の事が大好きでも、本能の部分を突かれてしまうのでは、あのだらしない顔も仕方ないか……。
まぁ、確かに、元男の人生を送っていた私から見ても、あれだけの美女に微笑みかけられれば、ルアンタ達の反応はわからなくもない。
……わからなくもないけど、やっぱりちょっと面白くはないな!
「ルアンタ!シャキッとしなさい!」
「は、はいっ!先生!」
私の一喝で、ピン!と背筋を伸ばしたルアンタは、呆けていた事を自覚して、気を取り直すようにペシペシと自分の頬を叩く!
ついでに、まだ呆けていたシンヤの後頭部には軽い魔力弾をぶつけて、正気を取り戻させておいた。
「しっかりしてください、二人とも!」
「そうですわ!ワタクシや、エリ姉様という者がありますのにっ!」
「す、すいません……」
「……キャロには内緒にしておいてくれ」
そんな平謝りする男性陣に、エティスティはクスクスと口元を隠しながら笑いかけてくる。
「あらあら。怖いお嬢さん達に縛られてるようで、可哀想ね坊や達は」
はぁん?
誰が怖いお嬢さんですか?
「うちの弟子を惑わすような、毒婦に言われたくありませんね!」
「もぅ、余裕がないのね。そんなんじゃあ、坊や達にもすぐに逃げられちゃうわよ?」
「大きなお世話です!」
敵であるエティスティに、そんな事を言われる筋合いは無いし!
「エリ姉様!この女だけは、早急に倒す必要がありますわ!四の五の言わずに叩きのめし、ワタクシのゴーレムを重石にして、その辺の川で人柱にでもなっていただきましょう!」
割りと洒落にならない顔つきで、ヴェルチェがそんな事を言う。
エティスティがルアンタを誘惑したからだろうが、急に怖い事を言うのはやめてほしい。
「いやぁん♥怖ぁい♥」
だが、わざとらしく身をくねらせるエティスティの姿に、私の胸中にもイラッとした物が沸き上がってくる。
うーん、ヴェルチェの言う、人柱にしちゃおう作戦に協力してもいいかもなぁ……。
ほんの僅かに立ちのぼった殺気に反応したのか、エティスティはぐるりと顔を見回して、男達に囁きかけるように告げた。
「お願い♥私を助けてぇ♥」
次の瞬間、サキュバスの瞳が妖しい光を放ち、ルアンタ、シンヤ、オーリウの三人がガクリと踞った!
「ルアンタ!」
「ど、どうなさいましたの!?」
「いかんな……」
男達の様子を見て、ミリティアが呟く。
いかんなって、いったい何が……。
しかし、彼女の呟きの意味はすぐに理解できた!
「ううううう……」
獣のようなうなり声を口から漏らして、三人はユラリと立ち上がる。
だが、彼等の目に理性の光は無く、たぎるような情欲の炎が宿っていた。
「こ、これは……」
「彼等は、エティスティの淫気で、無理矢理に欲望が限界突破させられた状態じゃ……いつ、近くの女に襲いかかってもおかしくないぞ!」
えっ!じゃあ、ルアンタが私に!?……ゴクリ。
「……なんで、ちょっと期待した表情なんじゃ?」
「べ、べ、べ、別に期待なんてしてませんよ!」
「そ、そ、そ、そうですわ!決して、ここで既成事実を作れるかもしれないなんて、思ってませんわ!」
慌てて否定する私とヴェルチェに、ミリティアは大きなため息を吐いた。
「何か期待してる所、悪いんだけれど……この子達には、私の言う事しか聞こえないしわよ」
なにっ!?
てっきりルアンタが欲情を堪えきれずに、私に全裸ダイビングしてくると思ったのに、話が違う!
動揺する私達とはうらはらに、クスクスと笑うエティスティは、自身の髪を弄んで余裕を見せていた。
くっ……これはヤバい。
流れ的に、奴は私達を同士討ちさせるつもりだろうが、暴走しかけている彼等を穏便に押さえるのは、至難の業だ。
見ればオーリウの側で、彼に召喚されたインテリジェンス・サキュバスも、主の変わりようにどうしていいのかわからずに、ひたすらオロオロしている。
暴れるだけならまだしも、彼等が魔法などを使用したらさらに厄介な事になってしまうぞ……。
「サキュバス契約条項、第五項!」
すると突然、ミリティアが狼狽えるインちゃんに向かって吼えた!
その言葉に、彼女も「ハッ!」とした顔付きになると同時に、いきなり召喚主であるオーリウにボディブローを叩き込む!
不意打ちを食らい、崩れそうになったオーリウをインちゃんは支え、そのまま担ぎ上げると、ダッシュで部屋から出ていってしまった!
な、何事?
「サキュバスの契約条項に、『召喚主が正気を失った場合、喚ばれた者は独自の判断で動く事ができる』と、いうものがあるのじゃ」
「そ、そんな契約が……」
「それに則って、あやつは独自の判断をしたと言う事じゃな……たぶん、二時間のご休憩コースじゃな。たっぷり搾り取ってくるじゃろうよ」
ああ……出ていく時にインちゃん浮かべていた、いやらしいニヤケ顔はそういう事か……。
リミッター無しでサキュバスの本領発揮とか……オーリウもミイラにならなきゃいいけど。
「ザコが逃げちゃったけど、まぁいいわ。本命はこっちだしね」
インちゃん達が出ていった扉から、私達の方に視線を戻して、エティスティはルアンタ達に話しかける。
「あの二人は、逃がしちゃダメよ♥」
そんな言葉に呼応するように、突然シンヤが空間魔法を発動させた!
一瞬で私達は、世界から隔絶された、何もない広大な空間に閉じ込められてしまう!
「へぇ、面白い事ができるのね。これは、あの娘達を倒した後に、ご褒美をあげなきゃいけないわね」
それを聞いたシンヤの口角が上がり、一筋のよだれが滴り落ちた。
くそう、やはり魔法も使えたか!
しかし、この空間内なら、どれだけ暴れても現世に影響はないので、考えようによっては結果オーライかもしれないな。
とはいえ、どうやってあの二人を止めるか……。
「さぁ、行きなさい坊や達」
対処の方法が見えていないのに、お構いなしでエティスティは命令を下し、それに従うルアンタとシンヤが、こちらに向かって走り出した!
「くっ!」
「ここは、ワシに任せてもらおうか」
迷いながら構えた私達の間をすり抜けて、ミリティアが一歩前に出る。
「はぁっ!」
そして、彼女の掛け声と共に、地面から鏡のような物がせり上がって来た!
あれは……『女装したルアンタのそっくりさん』を作り出した、彼女の術か!?
ミリティアが作り出した、その鏡がパアッ!と輝くのと同時に、操られたルアンタ達の左右に、二つの人影が飛び出してくる!
『さぁ、ルアンタ。個人授業を始めましょう♥』
『来て……旦那様♥』
現れたのは、『ピシッとした服装と髪型で、女教師を思わせる格好をした私』と、『和服を着崩して、恥ずかしそうに誘うキャロメンス』の幻影だった!
それを見た瞬間、ルアンタとシンヤはエッジの効いた角度で方向を変えると、それぞれの幻影に抱きついて押し倒す!
「あ、ああ……せ、せんせい……」
『あぁん♥落ち着いて、ルアンタ。ゆっくりと教えてあげるわ♥』
「うう……キャロ……」
『んん♥旦那様ぁ……♥』
……ハッ!
え、ちょっと待って!幻影に惑わされているとはいえ、この絵面はマズくない!?
「サキュバス奥義!モザイクの術!」
心配する私達の意を汲んでか、ミリティアが謎の術を発動させる!
すると、ルアンタ達と私達のそっくりさんは不思議な模様に包まれて、何をしているのかさっぱりわからなくなってしまった!
多少、切なげな声は漏れてくるが、これならギリギリセーフといった所かしら。
「これでしばらくの間は、こやつらも偶像相手にハッスルしておるから、足止めできるじゃろう」
ううん……幻影いてとはいえ、それはちょっとやだな。
「なお、最後の一線は越えぬ設定にしてあるので、安心してほしい」
気配りの達人かよ!
「さすが、老若男女あらゆる性癖にドストライクな幻を生み出す、『無敵のサキュバス』ミリティア……腕は落ちていないようね」
誉めるエティスティに、ミリティアはニヤリと笑って見せた。
「さて……残念ながら、ワシには直接戦闘するような力は、あまり無い。エティスティを倒す役目、お主らに頼むぞ」
ミリティアに言われるまでもない!
「任せてください、後は私達だけで十分です!」
「ルアンタ様を惑わした罪、その身に叩き込んで差し上げますわ!」
モザイクの横を通り抜け、ボキボキと指を鳴らしながら、私とヴェルチェはエティスティと対峙した。




