カステイラ
それから数日、私の中で私のものかどうか判然としない記憶が浮かんでは消えた。
私は私としての日常と、非日常の間を振り子運動のように行き来する心地だった。
休み明けに行った職場では、何だか顔が変わったと言われた。江戸末期を体感したからだろうか。土方君の気持ちを推し量ると、遣る瀬無いものがある。終わった祭りだと称した沖田君の気持ちも。
ちょっとしんみりして家に帰ると、頭に三角巾を被り、たすき掛けした沖田君がたたたーーーーと廊下を雑巾がけしていて、感傷が思い切り吹き飛ばされた。
「……ただいま」
「あ、ご亭主。お帰りなさい」
「お帰りなさい、貴方。カステラがあるわよ」
妻がコーヒーとカステラを出してくれる。沖田君も一段落ついたらしく、三角巾とたすきを外しながらやってきた。縁側に二人で座る。
「沖田君。何も雑巾がけまですることはないんだよ」
「身体もなまっていましたし。奥方に頼まれたので」
妻よ。
そして幽霊の身体ってなまるものなの?
私はカステラを齧り、コーヒーを飲んだ。
あ、カステラなら沖田君も食べたことあるんじゃないか?
そう思って尋ねると。
「いいえ。カステイラなる物があるのは知っていましたけど、生前は食べませんでした」
「そうか。そう言えば私も食べたことはなかったな」
何気ない呟きに、沖田君がちらりと視線をこちらに向ける。
「土方さんを悪く思わないでやってくださいね。――――あの人は、さんなんさんの死に責任を感じていた。そして誰より新撰組のことを想っていた。ただ、それだけなんです」
「知っているよ。彼は、そういう男だ」
実用においては何かにつけ器用な癖に、気働きの点においては途端に不器用になった。それが土方君の人間らしさであり、微笑ましさだった。
「時の理を曲げてでも、土方さんは、さんなんさんに生きていて欲しかったんです。土方さんはね、さんなんさんが好きだったんですよ」
私は二度、頷いた。頷いた拍子に、コーヒーの黒い水面が揺れた。視界が些か滲む。
天使の階梯が雲間から見える。その光もやはり滲んでいた。
「私も……、土方君が好きだったよ」
嘘偽りのない本心の呟きが、ぽとりと落ちた。
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