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夫婦喧嘩

 妻にぶっ叩かれた。


 私が悪い。


 例によって書斎に籠り、寝こけていた私が、やってきた妻に対して不意に目を開けて尋ねたそうだ。


〝ささめの子は無事だろうか〟


 妻の平手打ちが炸裂し、そこで私ははっきりと覚醒した。

 ささめって誰。

 全く記憶にないし、子供ときたら最早、何のことやらである。

 だが妻は誤解し、著しく傷ついたらしく、寝室で泣いていた。私はただの寝言だと、平謝りに謝ったが、妻の痛手は大きかったらしい。私の左頬についた赤い手形よりも。

 私はとぼとぼと書斎に戻り、沖田君に関連する資料を眺めた。

 どうやら紗々女の子の安否を、私は余程、気にしているらしい。唯一の、血肉を分けた生命が在ったかどうか。

 そこが焦点なのだろう。

 私は近藤さんや土方君の女性への処し方を、どこか軽蔑していたが、所詮は自分も彼らと変わらなかったようだ。私の命の途絶えたあと、もし紗々女が私の子を産んでいたのなら、それは私の存在した証となるのだ。


 沖田君は慶応四(1868)年、五月三十日の夕刻、江戸は千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で息を引き取った。


 彼は血脈に連なる子を残すことなく逝ったのだ。


 

 紗々女を身請けした。

 店の主はにこやかに彼女を私に託し、送り出した。紗々女は禿姿ではなく、町娘のような黄八丈(きはちじょう)を着て、私から少し遅れて歩く。その密やかで慎ましい気配を、私は愛おしいと思った。紗々女の為に用意した新しい家に案内すると、紗々女は目を輝かせて、喜んだ。

 さんなんさん、何から何までおおきに、と言って、小さな頭を深々と下げた。その黒々とした髪の毛の艶を見て、結い上げるくらいに髪が伸びたら、櫛や(かんざし)を買ってやらねばと思った。漆塗り、螺鈿細工、珊瑚や鼈甲(べっこう)。これまでの不遇を取り戻すように、私は紗々女を飾り立ててやりたいと思う。

 沖田君が昨夜、血を吐いた。

 前途ある若者の不幸を思うと、胸が塞ぐ。

 私が紗々女を幸せにしてやりたいと願うのは、沖田君や他の、散って行った命たちへの(はなむけ)の代わりとも考えているからかもしれない。

 屯所への帰途、色づいた樹々の紅がやけに目に沁みた。



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