位牌
人の心には誰しも普段は深層に置いて手を伸ばさない領域というものがあると思う。
それは神聖にして不可侵で、容易く余人には踏み込ませない。沖田君にも妻にもあるだろうし、私にもそれはある。とかく大人の男は酔いに感傷を紛らわせるところがある。私もまた然り。食後、甘味が欲しくなった私たちは翡翠色の草餅と緑茶で一服していた。びよんと伸びる草餅は、漉し餡である。致し方なし。沖田君が出稽古に明け暮れる頃、時代は尊王攘夷、尽忠報国が専らの流行だったのだよなあ。天誅という名のテロが横行していた物騒な時代でもある。自分の信じるところを言うだけで殺されるかもだなんて怖いもんだ。引き換え、今の世が良い時代かと問われると、それはそれでどうだろうと考える。激しい主義主張は一部の人たちの間で論じられ、とりわけ若い層には幕末に見られたような熱意が薄弱な気がする。
私はこの時代に生まれて幸せだろうか。
過不足ない暮らしをしている点では恵まれているのだろう。
ただ。
私は沖田君の帰ったあと、四畳半の仏間に一人、足を踏み入れた。
仏壇には私と妻の両親の位牌と、それらより小さな位牌が置かれている。
私はそれをそっと手に取って撫でた。
「……ごめんな」
忘れている訳じゃない。疎かにもしていない。
ただ、普段は胸の奥深くに沈めていないと生きていけない物事もあるのだ。
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