英雄求む
昔、諸国を旅して回っている正義感の強い若者がいた。
ある日、若者が道を歩いていると、看板が無造作に立てられているのが目に留まった。
「ん? 何だこれは」
その看板には『英雄求む』という文字と、ある村の場所だけが書かれていた。
「英雄求む? この先に、何か事情を抱えた村でもあるのか? これは、放ってはおけぬ」
英雄という言葉に持ち前の正義感を刺激された若者は、意気込んで看板が指し示す道を歩いていった。
しばらく進んでいくと、その先には確かに村が存在していた。
しかしその村には人気はほとんどなく、ひどく廃れている印象を受けた。
「これはひどい。おい、ここで一体何があったというのだ」
事情を聞こうと考えた若者は、近くを通りかかった村娘に声をかけた。
村娘は若者の顔を見ると、目を丸くして驚いた。
「あら、旅の方ですか。どうして、このような辺ぴな村などに」
「この近くにあった看板が目に留まってな。英雄を求めているそうだな」
「まあ! あの看板を見てここにいらしたということは、腕に覚えがあるということですのね。詳しいお話は、村長からお聞きください。今からご案内いたしますわ」
村娘に連れられて歩いていくと、村長が住んでいると思しき屋敷に辿り着いた。
案内されるままに中へ入っていくと、そこには困り果てた様子の老人が頭を抱えていた。
その身なりから察するに、彼がこの村の長のようである。
「村長様! とうとう、あの看板を見てこの村に来て下さった方が現れましたわ」
「何、それは本当か」
村娘の言葉を聞くなり、村長は顔を上げて若者をまじまじと見つめた。
「あなた様は、本当にあの看板を見てここに来たというですか」
「ええ。困っている村があるというのに、見捨てられるわけがありません。一体、どのような事情を抱えていらっしゃるのですか」
「うむ。見たところ、そなたは腕が立ちそうですな。詳しくお話しましょう」
村長は再び悲痛な表情を作ると、事情を説明し始めた。
「実は、この村は恐ろしい化け物に目をつけられておりましてな。生贄を捧げなければ、この村を滅ぼすと言われているのです。最初は化け物を倒そうと試みましたが、挑んでいった者は皆……。このままだと、どのみち村は滅んでしまう。そこで、外から猛者を募集することにしたのです。村の英雄となられるような、強い方を」
「ふむ。そのような事情を抱えていらっしゃったとは。その化け物というのは、どこに住みついているのですか」
「この村の奥にある、森の中でございます。もし魔物を倒して下さるのであれば、それ相応の礼はするつもりです」
村長はそう言うと、部屋の奥にある襖の方に目を向けた。すると、襖がそっと開き、そこから若く美しい娘が出てきた。
「私の娘を、嫁に出すことを約束しましょう。娘は村一番の美人で、決して悪い話ではないはず」
「え……ああ」
若者は、つい娘の方に目をやってしまう。
彼女は片田舎の村育ちとは思えないくらいに気品が溢れ、都の女に比べても大変器量が良い。このような女を嫁にできるとなると、男としては本望である。
「お願いです。どうか、この村の危機を救って下さい。そうでなければ、私は……」
娘は澄んだ瞳を潤ませながら、若者の方をじっと見つめる。
もしや、次は彼女が生贄に捧げられる番だというのか?
その暗い面持ちを見た若者は、瞬時にそのような解釈をした。
「わかりました。この私が、村を襲う化け物を倒してみせましょう」
「何と、今のご時世にそんな勇気のある若者がいるとは。では、今から準備に取りかかりましょう。村でとっておきの武具を、あなた様にお貸しいたします。どうか、化け物を倒して下さい」
「はい。わかりました。準備ができ次第、すぐにでも化け物の元へ赴きましょうぞ」
「おお、流石は村に現れた英雄殿。心から感謝いたします」
村長が「村に英雄が来られたぞ!」と一声を上げるなり、希望の光が失われていた村に少しばかり活気が戻り始めた。
ある村人は若者を称え、ある村人は戦いの前祝いにと美味いものをこしらえて若者に活力をつけさせ、またある村人は英雄の登場に喜びの涙を流した。
そんな様子を目の当たりにした若者は、ますます己の正義感を高めていく。
私がやらなければ、一体誰がこの村を救うというのだ。
その思いを胸に、若者は化け物が住まう森へと向かって行った。村人達からの声援を、その背にたっぷりと受けながら。
森を進んでいくうちに、若者はどこからか禍々しい気配を感じ取った。
しかし、彼はそんな程度で臆するほど器の小さい人物ではない。
「あの気の毒な村を、何としてでも救わなくては。あれだけ期待を背負ってしまったのだ。裏切るわけにはいかぬ。私が、あの村の平和を取り戻してみせるのだ」
若者の並々ならぬ思いは、人々からの期待に乗せてさらに増していく。
自分のことを英雄だと信じ、心から声援を送ってくれた村の人々。少しでも力になればと、村のとっておきの武具を貸して下さった村長。そして、いずれ自分の嫁になるであろう美しい娘……。
「はっ! いかんいかん。余計なことを考えていては、隙を生んでしまう……むっ」
そんな時、近くの茂みから何かがガサゴソと動く音が聞こえた。
若者は全神経を集中させ、辺りを見渡す。
「何者だ」
確かに、何かの気配は感じる。だが、肝心の姿は見えない。
若者が戸惑っていると、背後からニュッと何かが飛びかかってきた。
「うわあっ!」
彼の背後に迫っていたのは、人の身の丈よりもうんと巨大な大蛇であった。全身を覆う鱗は毒々しい色をしており、目は怪しい輝きを放っている。
若者は咄嗟に刀をかまえたが、もう時は既に遅し。大蛇に似たおぞましい化け物は、その大きな口を開けて若者をあっという間にぺろりと……。
一方その頃、村ではささやかな宴が開かれていた。
かつての辛気臭い雰囲気はどこへやら。村人達は皆、飲めや歌えやで大騒ぎである。
そんな中で、村長と彼の娘が酒をたしなみながらこんな話をしていた。
「今回も、うまくいったな。あの若者、ちょっとおだてればいい気になって。すぐに化け物の元へ向かっていきおったわ」
「でも、お父様も悪い人ですわね。生贄を村の者から出さないためにあんな看板を立てて、英雄気取りになった旅人を化け物に捧げるだなんて。こんなこと、悪代官でも考えつかないと思いますわ」
「まあまあ、そう意地の悪いことを言うな。お前だって、あの若者をその気にさせるために一芝居打っただろう。あんな演技、なかなかできたものではないぞ」
「あら、そうかしら。でも、今回の方はなかなか強そうだったし、本当に化け物を倒しちゃっていたりして」
「まさか。あんな恐ろしい化け物なんかを倒せる奴なんてこの世になどおるまい。まあ、どちらにしても彼は、村の危機を救ったのだから悪い気はしてはいないだろう。わっはっはっ」
「そうですわね。ほほほほ……」
そう。若者は確かに、この村の危機を救った。ただし、それは英雄としてではなく、定期的に化け物に捧げられることになっている生贄としてであった。
彼は己の身を犠牲にすることによって、村を救ったのである。彼は望み通り、村に平和をもたらしたのだ。
……そう。多分、一か月分くらいの。




