クリスマスは家族と過ごす日です
「よお、八重蜜。面貸せや」
「なんだよいきなり」
十二月二十三日、高校二学期最終日。
八重蜜が教室に入ると、クラスの男子がいきなり肩を組んで来て教室の隅に連れてかれた。
「明日から冬休みだよな」
「ああ、今年は何故か開始が早いよな。いつもこうだったら良いのに」
「マジそれな。ついでに宿題も無くしてくれたら……ってそんな話をしたいわけじゃねーよ!」
「なんだ違うのか」
「普通の世間話をどうしてこんな隅でやらなきゃならねーんだよ!」
「お前が陰キャだから?」
「本当のことを言うな!泣くぞ!」
もう少し弄りたかった八重蜜だったが、その男子が本気で泣きそうな目をしていたのでぐっと堪えた。
「そんなことより、八重蜜の話だよ」
「俺の?」
「明日はクリスマスイブだ」
「だな」
「…………」
「なんだよもったいぶって」
「…………やる…………んだよな?」
「は?」
「だから、やるんだろ、って聞いてるんだよ」
「やるって何をだ」
「イブにやることって言ったら決まってるだろ。セ……セ……性の六時間にやることだよ」
「そこではっきり言えないから彼女が出来ないんだよ」
「はっきり言うような奴がモテるか!?」
「そもそもそんなことばかり考えてる奴がモテない」
「正論パンチやめろよぉ!」
実際はエロ狙いの男子であってもモテたりするから不思議なものだ。
つまりこの男子がモテないのは根本的に別の所に原因があるのだが、八重蜜はそこまで追撃はしなかった。
「くそ、くそくそくそ、羨ましい。羨ましすぎるぜ」
「お前も彼女作れば良いだろ」
「作れたらこんなこと言ってねーよ!」
「知ってる」
「くぅ~! これが勝者の余裕ってやつか!」
「そんなことはある」
「マジで一度ぶん殴って良い?」
「急に真顔になるの止めろ」
少し弄りすぎたかと反省する八重蜜であった。
「それと勘違いしているから訂正するが、俺はお前が思っているようなことをするつもりなんてないぞ」
「嘘だ!」
「マジだって。クリスマスは家族で過ごすものだろ」
「はぁ?」
「初めてメンピレビタン語を耳にした奴みたいな反応するな」
「メンポンタンペンハン? って何やらせるんだよ」
「お前のそういうノリ良いところ結構好きだぜ」
「お、おう……」
「うわキモ。照れるな」
「て、てて、照れてなんかねーし」
「さ~て、明日のデートはナニしようかな」
「チクショオオオオ!」
ハンカチを咥えて悔しがっているが、明らかに演技臭いためまだ精神的に余裕はありそうだ。
「まぁ、マジで健全なデートしかしないから邪推するな」
「クリデート、略してクリートなのにナニもしないとかありえないだろ!?」
「それだとクリスマスニートの略にもなるぞ」
「そのツッコミは本気で心痛める奴が出てくるから止めてやれ」
「そ、そうだな。俺が悪かった。だが健全なのはマジだぞ。さっきも言ったがクリスマスは家族と過ごすものだから、夜は家に帰るし」
「いいや、絶対にお泊りだね」
「何故そこまで断言できる」
「だってお前ら付き合い始めたの十一月末だろ。どう考えてもクリートを狙って付き合いだしたとしか思えないタイミングだろ」
「十一月末に付き合い始めた恋人全員に謝れ」
そうツッコミを入れながら八重蜜はチラっとある場所に視線を向けた。
そこには八重蜜に向けて笑顔で小さく手を振る一人の女子生徒の姿。
八重蜜の彼女である。
「というか、そもそも俺は告られた側だし。狙うとかねーよ」
「つまり向こうがOKサインを出してるってことじゃねーか!くぅ~羨ましすぎるぜ!」
「いやいやねーよ。だとしても夜は絶対に帰る」
「やけに頑なだな」
「だってそういうものだろ。お前が想像しているようなのは、大学生になって一人暮らしを始めてからであって、高校生の間は家族で過ごすのが普通なんだよ」
「まぁそりゃそうだけど……でもデート出来るだけでも羨ましいいいい」
「おーおー羨め羨め」
勝ち誇った表情で煽る八重蜜。
その姿を遠くから彼女が見つめていた。
ーーーーーーーー
「あ~おかしかった!」
「だな。まさかあそこで鼻からカルピス出て来るとか思わないわ」
喫茶店で楽しそうに会話する一組の若い男女。
一人は八重蜜。
そしてもう一人は同じクラスで彼女の菊間。
片むすびの髪が特徴的な可愛い系の女子である。
今日は冬休み初日のクリスマスイブデート。
二人は朝から様々なイベントをこなし、もうすぐ夕方という時間帯に喫茶店に入り今日一日の話で盛り上がっていた。
「さぁ~て、これから何しよっか」
「え?」
話が一段落した時の事、菊間の言葉に八重蜜は首を傾げた。
「暗くなってきたし、そろそろ帰る時間だろ」
「え~このまま帰すつもりなの? せっかくのイブデートなのに?」
彼女の言葉に昨日のクラスメイト男子との会話を思い出す。
『つまり向こうがOKサインを出してるってことじゃねーか!くぅ~羨ましすぎるぜ!』
それは思春期の男子として最高に嬉しい展開のはずなのだが、八重蜜は真に受けたりはしなかった。何故なら菊間がいたずら顔をしていたから。
「非常に興味をそそられる誘い文句だが、残念ながらクリスマスは家族で過ごすものだ」
「それ昨日も言ってたよね?」
「聞こえてたのか?」
「ほとんど聞こえなかったよ。でもそこだけは聞こえた」
「そういやそこだけ少し声が大きかったかもな」
他のところまで聞かれていたら好感度が大きく下がってしまい危ないところだった。尤も、下がるのは八重蜜では無くてもう一人の男子の方だが。
「私と家族、どっちが大事なの?」
「家族」
「即答!」
「即断即決な男って頼れるだろ?」
「決断の方向が別ならね!」
「いや、流石に彼女がいるのにイブに友達は選べないかな……」
「そっちじゃないよ!?」
「BLルートはマジ勘弁」
「あ、ちょっとだけ見たいかも」
「ひえっ」
「あははは」
「あははは」
楽しそうにどうでも良い話をする二人の様子からは、お付き合いが上手くいっているように見える。
だがそれは、あくまでも今の姿がそう見えるというだけのこと。
「ちぇっ、せっかく今日のために準備して来たのになぁ」
「ふ~ん」
「そこは掘り下げなさいよ」
「聞いて藪蛇、聞かずに怒られる。これが彼女持ちの苦悩か」
「私はそんなめんどくさい女じゃ……ありませーん」
「その間はなんだ」
「がんばれ」
「ひえっ、じゃなくて、実はマジで準備してたりする?」
「あはは、してないって訳じゃないけど、もう終わってるというか」
「?」
これまで朗らかに笑っていた菊間が、少しだけバツが悪そうな顔になった。
「クリスマスイブにデートすることが重要だったの」
「重要?」
「うん、それだけで女子の間では高ステータスなの。女としてリードできるっていうか、クラスでそこそこのポジションになれるっていうか」
「あ~女子同士のめんどそうなやつか」
「そうなの!ほんっっっっっっとうに面倒なの!」
昨日クラスメイトの男子が言っていたことはあながち間違いではなかった。
彼女の告白はクリスマスイブのデートを狙ってのものだったのだ。
「んじゃ俺はもうお役御免か」
「そのつもりだったんだけどね~」
「え、マジで?」
「…………」
「…………」
てっきり冗談で言っているのかと思いきや、菊間は意味深な笑顔を浮かべたまま無言である。
ある程度は本気だということに気付いた八重蜜は直ぐに行動に出た。
「悪かった」
実は八重蜜には思い当たる節があったのだ。
「俺ってこれまでのデートで上の空だったり菊間さんのことを蔑ろにしてたことが多かったよな」
「なぁんだ。気付いてたんだ」
「ほんとごめん」
「いくら私から告ったとはいえ、あれは無いなぁって思ってたんだよ」
それゆえ、目的のクリスマスイブデートが終わったら別れを切り出すつもりだったのだ。
「どうしてあんな態度だったの?」
「俺が悪かったんだ」
「いい訳なんて男らしくないから、なんていうのはどうでも良いから教えて」
「結構ぐいぐい来るな」
「気になることをそのままにしておけないタイプなの」
「ほう。ならこれでも踏み込めるかな。家族でトラブルがあったから」
「家族デッキは卑怯よ!」
「事実なんだからしゃーないだろ」
家族トラブルだなんて重くなりそうな話題だったので、敢えて冗談めかすことで軽く伝えることに成功した八重蜜であった。
「でも母さんに怒られた。彼女のことを蔑ろにするんじゃないって」
「母さん生きてた」
「勝手に殺すなって」
「だって家族トラブルなんて言われたら、ねぇ」
「ノーコメントだ」
そう思われても仕方ない言い方だったと分かっていたため反論はしなかった。
「だから今日は全力で楽しんだんだぜ」
「いつもと雰囲気が違ったのはそれが理由だったんだ」
「そう。楽しんでたのが分かっただろ」
「楽しかったんだ」
「だからそう言ってるだろ」
どうして繰り返すのかと不思議そうな八重蜜に向けて、菊間は真剣な雰囲気を崩していたずら顔になった。
「私とデートして楽しかったんだ」
「!?」
そこでようやく八重蜜は自分が何を言っているのか理解した。
彼女と共に過ごす時間を良いものとして感じている。
そんなことを言われて嬉しくない訳がないのだ。
八重蜜は少しだけ頬を赤く染めて答えた。
「……そ、そうだよ。楽しかったよ」
「くすくす。なら次のデートも楽しみにしてるよ」
それはこのデートを最後にしないという菊間の宣言だった。
「良いのか?」
「うん。私も楽しかったしね。それにそもそも告ったのは私なんだし、ちゃんと付き合ってくれるなら別れたいなんて思わないよ」
「でも告ってくれたのは今日デートがしたかったからなんだろ」
だから今日が終わったのならば別れても問題ないはずだ。
しかも、つまらない男だからフッてやった、なんて話をしたら男を手玉に取るイケてる女として女子の間で人気が出る可能性もある。
「あのねぇ。いくらなんでも興味が無い男子に告ったりなんかしないよ」
「それは嬉しいけど、俺って興味抱かれそうな感じか? 普通の男子って感じだと思うんだが」
「うん普通だね。その普通の男子ってのがあんまりいないんだよ」
「…………そうかもな」
一瞬否定したかったけれど、クラスの男子の姿を思い出したら納得してしまった。
単に外から見るだけだと付き合いたいと思われそうにないけれど、人となりを知れば好感度が上昇しそうな男子が山ほどいたからだ。
「ということでこれからもよろしくね」
「ああ、次は正月デートかな。振袖期待」
「期待が重すぎる!」
「菊間さんの美しい姿を見てみたい」
「それじゃいつもは美しくないみたいじゃん」
「あるぇ? そうなっちゃうのか。イツモカワイイヨ」
「もっと感情をこめなさい」
「さ、帰るか」
「こらああああ!」
途中雲行きが怪しかったが、結局最後は恋人らしく笑顔で店を出る二人だった。
ーーーーーーーー
「そんじゃな」
「ばいばい。また後でね」
二人は同じマンションに住んでいて、エレベーターから菊間が降りるところを八重蜜が見送る。
また後で、というのは性の六時間を堪能するというわけではなく、スマホの通話アプリで恋人らしく会話するという意味である。
「…………」
「どうした?」
「ううん、何でも無い」
最後に何か言いたそうだった菊間だが、結局何も言わずに背を向けて自分の家へと戻った。
一人になった八重蜜は自分の家の前まで移動すると鍵を開けて中に入る。
「ただいま」
返事はなく、部屋の中は真っ暗だ。
灯りとエアコンの暖房をつけると、コートを脱いで洗面所に向かい手洗いとうがいをする。
そして居間に移動した八重蜜は、棚の上に置かれていた家族写真に目を向け、改めて挨拶をした。
「ただいま、父さん、母さん」
まるで両親が亡くなっているかのような行動だが、先ほどの菊間との会話で母親は亡くなっていないと言っている。アレは嘘だったのだろうか。
「母さんに言われた通り、今日はデートを楽しんで来たよ。菊間さんは喜んでくれたけど、これまで本当に悪いことをしたなって後悔したよ」
八重蜜が菊間と付き合い始めたのは最近の事。つまり八重蜜は最近母親に何かを言われたということになる。だとすると嘘ではなく本当に死んでいないのかもしれない。
「でも流石にアレは言えなかったよ。だからせめて家で一人でクリスマスやろうかなって思ったけど……ごめん、流石にそんな気はなれないや。母さんが呑気に病院のクリスマスを楽しんでるだろうなってのは分かってるんだけどさ」
八重蜜の表情に影が差す。
ハッピークリスマスイブとは思えない程に暗い影。
クリスマスは家族で過ごすものだ。
それは八重蜜がそうするという話では無く、そうしたいと願っていた言葉だった。
「はぁ……」
肩を落としたまま自分の部屋に戻ろうとしたその時、玄関のチャイムが鳴らされた。
「こんな時間に誰だ? 何も頼んでないよな?」
もし通販などを頼んでいたのであれば、配達員はマンションの入り口で足止めされてインターフォンでの通話通知が来るはずだ。だがチャイムが鳴ったということは玄関横のベルを誰かが鳴らしたということ。つまり来訪者はマンション内の人物ということになるのだが、まったく心当たりがない。
「誰かが共連れでこっそり入ってきたかもしれないし、注意するか」
八重蜜は音を立てないようにこっそりと玄関まで移動し、覗き穴から外を確認する。
するとそこに居たのは見知った人物、というか先ほどまで一緒に居た人物だった。
「(菊間さん?)」
何故彼女がここにいるのか。
話があるならスマホで連絡すれば良いのに、通知が来た覚えはない。
あるいは自分が通知を見逃していて、それでわざわざ家まで来たのかとも思ったが、そこまでする理由も思いつかない。
「(まぁ聞けば良いか)」
相手が彼女であれば不審がる必要もないだろう。
八重蜜は何も考えずに玄関を開けた。
「どうしたの?」
菊間はその問いに答えることなく、八重蜜の背後をジッと見ている。
「やっぱり」
「え?」
どういう状況なのか良く分からず困惑する八重蜜の腕を、菊間が突然しっかりと握った。
「来て」
「え?」
「いいから来るの!」
「え?え?待って、待ってって!」
思いっきり引っ張られ、慌ててサンダルを履いて外に出る。
意味不明だけれど鍵はしっかりと閉め、コート無しで寒い外へと連れ出された。
「菊間さん、何処に行くの?」
「…………」
エレベーターに乗せられてから改めて聞いてみたけれど答えは無い。
なんとか聞き出そうにも、エレベーターはすぐに止まってしまった。
「この階は……」
行き先に見当がついたが、その理由を考える余裕を与えてくれず、強引に引っ張られる。
「さ、入って」
「いや、そう言われても……」
連れてかれたのは、菊間の家だった。
同じマンションにある別の部屋。
玄関から見える家の作りは八重蜜の家と全く同じであったが、内装が異なるだけで全く別の家に来たかのように感じられる。
チラっと足元を見ると、菊間の物以外の靴が並べられている。
つまり家の中に菊間以外の家族がいることになる。
居なかったら居なかったで問題だが、居たら居たでやはり問題だろう。
クリスマスイブに娘が男を連れて来るだなんて、大事件に違いない。
「大丈夫だから入って」
「だからそれは……」
流石にこればかりは引っ張られても簡単に入るわけにはいかず抵抗する。
そんな八重蜜に向けて新たに声がかけられた。
「あら、連れて来たのね。ふふ、さ、入って頂戴。そんなとこに居たら寒いでしょ」
「え?」
中から菊間の母親らしき人物が出て来て、八重蜜を中に入れるように誘って来たではないか。
しかも出て来たのはそれだけではない。
「早くしなさい。寒くてたまらん」
父親らしき人物も登場し、開けっ放しの玄関は寒いから中に入って閉じろと言って来たのだ。
八重蜜が来ることが、何故か菊間の両親公認になっていた。
「??」
訳が分からないまま八重蜜は強引に中に入らされ、気付いたらクリスマスらしい豪華な料理が並ぶ食卓に座らされていた。
左隣に彼女が座り、左前に穏やかな雰囲気の彼女の母が座り、正面には厳格な雰囲気の父親が座っている。
「(何がどうなってるのぉ!?)」
鋭い視線を真正面からぶつけられ、八重蜜はガクブルすることしか出来ない。
娘が彼氏を家に連れてきて、強面の父親が品定めする。
よくある話かもしれないが、普通は事前に心の準備をするものだ。
唐突に訪れた修羅場に八重蜜はパニックに陥りそうだった。
「あなた。そんな顔してると八重蜜君がリラックス出来ないでしょう」
「む、そうだな」
「(作り笑顔怖いから止めてください!)」
母親に窘められた父親が睨んだまま無理矢理笑顔になろうとして、より恐ろしい形相になってしまっていた。まるで今日のメインディッシュはお前だ、などと喰われそうな気分だった。
「はぁ……ごめんね八重蜜君。お父さんって顔が怖いだけで、別に怒ってるわけじゃないから」
「そ、そうなんだ……」
隣から声をかけられたのでそちらを見ると、まだデートをしていた時の格好のままの菊間の姿。可愛らしい姿が目の保養になり、気持ちが少しだけ落ち着いた。
「なぁ、そろそろ説明してくれないか? どうしてこんなことに?」
その問いに、菊間は不満そうに口をとがらせて答えた。
「…………だってこうでもしないと適当な理由つけて断りそうだったんだもん」
「え?」
「それに相談してくれても良かったのに。そりゃあまだ付き合って間もないし頼りないかもしれないけど……」
「え?え?」
「だ・か・ら! 家族と一緒にクリスマスを過ごしたかったんでしょ! でもそれが出来ないんでしょ! だから少しでも雰囲気を味わえるようにって呼んだの!分かった!?」
「!?」
半ギレしているかのような菊間の言葉に、八重蜜は口を半開きにして驚いてしまった。
クリスマスイブに一人であること。
家族と一緒の時間を求めていること。
そのことに気付かれていた。
誰にも言わず内に秘めていた想いを、菊間は理解してくれていた。
菊間に心配をかけさせないようにと黙っていたのだが、水臭いとそのことを怒ってくれた。
その上で八重蜜の心を想ってクリスマスパーティーに誘ってくれた。
激しい感情が体中を駆け巡る。
どうにかなってしまいそうな気持ちを辛うじて抑えられたのは、二人きりでは無かったから。
八重蜜はゆっくりと菊間の両親を見る。
すると彼らは実に穏やかな表情で、優しく見守ってくれていた。
怖さしか無かった父親も、同じ目つきなのに全く怖くなかった。
八重蜜に菊間父が話しかける。
「私達のことは気にするな。八重蜜さんから話は聞いている」
「え?」
「同じマンションに住んでいるんだ。どうしても事情は分かる。こちらから連絡を取ったら、君を頼むと頼まれた」
「ええええええええ!?」
今の時代、同じマンションに住んでいてもご近所付き合いがあるとは限らない。
しかし八重蜜と菊間は同じ年齢の子供を持つ親同士という共通点があった。直接的な関係は無くとも、更に似た境遇の人物を間に介せばすぐに繋がりは出来てしまうだろう。
たとえば、娘の彼氏のことが気になった菊間両親が、同じマンションに住む同世代の子を持つ仲が良い人にそれとなく聞いてみたら八重蜜と親しかった、なんてことがあってもおかしくない。そしてそこから八重蜜の状況を知り、お人好しな菊間両親が一人で暮らしている八重蜜のことを心配し、お見舞いがてら親に話を聞きに行った、なんてことがあったのかもしれない。
「(母さんめ、この話を知ってて、クリスマスは彼女の家で楽しみなさい、なんて言いやがったな)」
八重蜜がデートの時に菊間に言えなかったことは、今晩クリスマスパーティーに参加したいという話だった。何故ならば、そうしなさいと母親が唆したから。
いくらなんでもそんな恥ずかしいことは出来なかったのだが、どういうわけか全てを察した彼女に強引に実現させられたのだ。
「いきなり呼ばれて緊張するだろうが、出来れば遠慮なく楽しんで欲しい」
「そうね。私達のことは気にしないで頂戴。歓迎するわ」
菊間の両親から温かい言葉をかけられて、胸の奥がジンと温かくなる。
彼女に対して抱いた激情とは違い、心を包み込むかのような温もり。
「お……俺……」
言葉が出て来ない。
寂しさが吹き飛ばされ、空虚さが埋め尽くされ、胸が一杯で、感謝の気持ちを伝えたいのに何を言って良いか分からない。
頬を何かが伝う感触がした。
「ど、どれも美味しそうで、早く、た、たべ、食べたかったんですよ」
その日のクリスマスパーティーは、八重蜜にとって生涯忘れられないものとなった。
ーーーーーーーー
「今日は本当にありがとう」
菊間家の玄関にて、パーティーを終えた八重蜜は自宅へと帰ろうとしていた。
「もう少し居ても良かったんだよ?」
「そういうわけにはいかないさ。ご両親は明日も仕事だろ、遅くまで付き合わせるのは悪いよ」
「気にしなくて良いんだけどな」
「はは、かもな。でも正直な所、俺の方がお腹いっぱいだ」
お腹も心もたっぷりと温まり、これ以上を望んだらバチが当たるのではと考えてしまう。
「う~ん、本当に大丈夫?」
「心配してくれてありがとう。でも本当に平気だ。沢山温めて貰ったから一人の部屋でも気にならないし、むしろ母さんに報告したいことが山ほど出来てそれが楽しみなくらいだ」
そう笑う八重蜜の顔からは影のようなものが全く感じられず、本気で満たされているのだということが良く分かる。だから菊間はそのことについてこれ以上は追及しなかった。
しかし代わりに別のことを聞きたかったらしい。
「そういえば、結局八重蜜君のお母さんってどうしてるの? 入院してるっぽいことはなんとなく察したけど」
「あれ? 全部気付いてたんじゃないのか?」
「ううん。お父さんもお母さんも何も教えてくれなかったし」
「あ~そりゃそうか」
他人の家のセンシティブな事情なのだから、いくら娘の彼氏の話だとしても勝手に言うことは無かった。
「でも今日帰ったらお母さんが『連れて来なかったの?』って意味深なこと言って、お父さんも彼氏を連れて来る話なんて嫌がるかと思ってたら『なんだ』って拍子抜けしたような感じだったから変だなって思ったの。まるで八重蜜君がうちに来るのが決まってたみたいで、変だなって」
それは八重蜜の母親が彼女の家に遊びに行けと息子を唆したこと、そしてその時が来たら温かく迎えて入れて欲しいと菊間の両親にお願いしたことが理由だった。
「それで思い出したの。八重蜜君が家族でトラブルがあるって話してたのと、夕方エレベーターで別れる時に凄い寂しそうな顔になってたってこと」
「俺ってそんな顔してたのか?」
「うん。まるで捨てられた子犬みたいだった」
「見たことあるのか?」
「無い」
「それはおかしいワン」
「別におかしくないニャン」
「あははは」
「あははは」
笑い合う二人の様子からは、今回のことに関するわだかまりのようなものは全く感じられなかった。
「事故にあったんだ」
「事故?」
「ああ、父さんが運転中に割と大きな事故に巻き込まれて入院中」
「え!? 八重蜜君ってお父さん居たの!?」
「驚くところそこか!?」
「だってお母さんの話しかしてなかったし」
「…………確かにそうだったかも」
それは八重蜜がマザコンだからとか言う話では無く、理由があった。
「父さんの方が怪我が酷くて話が出来るようになったの最近だから、無意識のうちに不安で考えないようにしてたのかも」
「そう……だったんだ……」
「ああ、でも気に病むなよな。母さんはそろそろ退院だし、父さんも後遺症なく治りそうだって話だから」
「う~ん、でもごめんね。そんな大変な時に告白なんかしちゃって。そりゃあデート中に上の空にでもなるよね」
「そこはマジで謝らなくて良い。母さんにしっかりしろって言われたのに守れなかった俺が悪いから」
「どういうこと?」
「告られた時、返事は少し待ってくれってお願いしたよな」
「うん」
実は告白されたのは事故の直後であり、八重蜜は誰かと付き合う気など全く無かった。ただ、あまりにも動揺しすぎていてまともに答えられる自信が無かったから、少しでも心が落ち着くのを待つために答えを引き延ばしていたのだ。
「その間に母さんが意識を取り戻して、最近変わったことは無かったかって話の流れで何故か告られたことがバレて、あんたに彼女なんて金輪際出来るとは思えないから全力で付き合ってモノにしなさい、もし彼女と一緒の時に母さん達のことなんか考えたら承知しないからね、って」
「八重蜜君のお母さんって、結構厳しい人?」
「普段は温厚だぞ。事故で性格が変わったんじゃないかって不安だったけど、親戚の人に聞いたら恋愛が絡むと人が変わるそうだ」
「あははは」
だがそのおかげで告白は成功し、そして今現在良い感じの関係を構築できているのだから、八重蜜母のアドバイスは正しかったのだろう。
「ということで俺の家族のことはもう心配しなくて良いし、俺ももう大丈夫だから安心して」
「…………うん、分かった」
八重蜜家は直に元の状態に戻り、八重蜜と菊間は交際を継続する。
両者がそれを認識したところで、八重蜜は家に帰ろうと彼女に背を向けた。
「…………」
「八重蜜君?」
しかし八重蜜は再度体を反転させて菊間を見つめる。
その顔はとても真剣なものだった。
「菊間さん。今日は本当にありがとう。呼んでくれてとても嬉しかった」
「どう致しまして。って真面目に言われると照れちゃうよ」
「…………」
「や、八重蜜君?」
いつものように冗談を言い合う空気に変わることは無く、八重蜜は真剣な表情のままだ。
「そして重ねてごめん。これまで菊間さんを蔑ろにしてたことを」
「ううん。理由も分かったし、私ももう気にしてないよ」
「ありがとう。本当にありがとう」
「も、もう、どうしたの。柄にもなくそんな真面目になっちゃって」
八重蜜のいつもと違う様子に、菊間は戸惑いを隠せない。
そんな菊間を見つめる八重蜜の視線が妙に優し気で、菊間はどうしてか胸が高鳴るのを感じた。
「今日のデート、本当に楽しかった」
「うん」
「クリスマスパーティーに呼んでくれたこと、嬉しかった」
「それはさっきも聞いたよ」
「何度言っても言い足りないほどに嬉しかったんだ」
「…………」
「菊間さんの心遣いがとても嬉しくてどうにかなってしまいそうだった」
「…………」
菊間の頬が徐々に赤くなってゆく。
八重蜜の頬はとっくにそうなっていた。
「菊間さん、好きです」
逆告白。
それは告白した者にとって最高のプレゼント。
好きな人に好きになって貰えること以上に喜ばしいことがあるだろうか。
八重蜜は菊間にそっと顔を近づける。
驚きで顔を真っ赤にしたまま動けない菊間は、反射的に目を瞑る。
柔らかな感触があったのは菊間の額だった。
八重蜜は不意打ちで唇を奪うタイプの男では無かったのだ。
「これからは全力で向き合うから、よろしくね」
「あ……はい……」
夢見心地で蕩けるような表情の菊間を抱き締めたい衝動をぐっと堪え、八重蜜は背を向けて帰ったのであった。
「……………………」
八重蜜が帰っても菊間は一歩も動けず、恋の世界に浸ったまま。
十二月二十四日、クリスマスイブ。
二人の本気の恋が始まった。
タイトルから『じゃあ家族を作れば良いよね!あんあん!』みたいな展開を想像した人、腹筋千回です。




