6.突然な訪問
『ランバート子爵ウィリアム』。
エセルの社交界デビューで頭がいっぱいになっていたイヴリンだが、その言葉で一気に昨夜の出来事へと引き戻された。
そして慌てた。
(ランバート……子爵!?)
ブラント男爵家よりも爵位の序列が高い。そんな人がどうしてあんな道楽者、という呆れはあるが。
「ど、どちらにいらっしゃるの!?」
「イヴリン、心当たりがあるのかい? ならここにお通しするか。ローザ、入ってもらってくれ」
「待って、叔父様! その方は、その……」
どう言い訳するかイヴリンが考えつかないでいるうちに、メイドは居間を出て行ってしまった。ユージン叔父も困惑気味だが、その妻が何かを察したように微笑む。
「イヴリン? もしかしてそのかたは、昨夜の舞踏会でご一緒になった人? あなたを捜して、わざわざここまで訪ねてきてくださったのかしらね」
「いえ、まさかそんなはずは。もう用はないはず」
「失礼いたします――」
もうちょっとゆっくりでいいのに、というイヴリンの願望むなしく、メイドは素早く仕事をした。客を伴って戻ってきてしまう。
メイドに続いて居間に入ってきたその客は、フロックコート姿の紳士だった。
彼はまずユージン叔父に目を向けると、人なつっこそうな笑みを浮かべる。
「バリー博士ですね? 突然お訪ねしてしまって申し訳ない、面識もないのに」
「いえとんでもない、ランバート卿。バリーです、あちらは妻のリジー。しかしお会いできたのは光栄ですが、今日はどのような……?」
客は品のあるゆったりとした貴族らしい物腰で、流れるようにそつなく挨拶する。突然訪ねた非礼を詫びているわりには、あまり気まずさなど感じていなさそうだ。
『ランバート子爵』のカードを持って訪ねて来た紳士は、やはり昨夜の彼だった。イヴリンが出会った、あの『ウィリアム』だ。
挨拶を受けた叔父は、どう対応したものか態度を決めかねているのだろう。イヴリンとその彼を見比べる。
ランバート子爵はその視線を追うようにしてイヴリンに目を向けた。そしていま初めて彼女に気がついたかのように言う。会えて嬉しい、そう言いたげに。
「ああ、やっと再会できたね。昨夜の――」
「ごっ、ご用件はなんですの!? わ、わたくしは」
「ブラント男爵家のイヴリン嬢だろう。僕はランバート子爵だ。お嬢さんにも改めてきちんと名乗ろう」
慌てたイヴリンは、淑女らしい挨拶を忘れて取り乱すところだった。だがその前にやんわり制される。だから彼女も仕方なく、軽く腰をかがめて名乗る。
「は、あの、いえ。こちらこそ失礼を……イヴリン・ブラントと申します、ランバート卿」
少しばかり目じりの垂れた、笑顔の似合うややハンサム。撫でつけたダークブラウンの髪に帽子の跡が残っている。長身で姿勢が良く、堂々とした態度だ。だがにこやかでしゃべり方も柔らかいため、あまり威圧感はない。
イヴリンは慌てていた。そして理不尽に思った。あまりに相手が落ち着いているので、「どうしてわたくしが慌てないといけないのよ」、と。気まずい思いをするのは向こうのはずだ。
(なんでこんなに堂々としていられるのかしら……昨日銃で狙われたくせに)
厚かましいと思ったが、続いて叔母に挨拶するランバート子爵には気まずさなど皆無らしい。イヴリンがはっと気がついたときには、ちゃっかり居間の椅子のひとつに席を得ている。
そして叔母夫婦は、すでに何かを察して勝手に動いていた。突然訪ねて来たその貴族を、熱意を込めてもてなそうとしている。
「お待ちくださいましね、ランバート卿。いまお茶を持ってこさせますから」
「お茶ですか? いえ、勝手に押しかけた身でそこまでは望みませんよ。どうぞお構いなく」
「そうおっしゃらずに。ねえユージン?」
「はい、私からもぜひお願いしますよ。私はそろそろ仕事に戻らねばなりませんが、どうぞゆっくりしていって下さい」
「そうですか? ではお言葉に甘えて」
あれよあれよという間にランバート子爵はこの場に引き留められ、ユージン叔父は出かけて行った。あとにイヴリンとエセルとリジー叔母、そして客の貴族を残して。
「さて、イヴリン嬢。そちらのお嬢さんも紹介してもらっていいだろうか?」
「……エセルですわ。わたくしの妹です」
「妹さんか、どうりでよく似ていると思った。エセル嬢、僕はランバートだ」
よろしく、と言って軽く笑う。とても気安く親しみのある態度だったのだが、大人しいエセルははにかむばかりでうまく答えられない。十六とはいえ、まだまだ幼い箱入り娘も同然だ。知らない男性に話しかけれればそうなるのも仕方がない。
他でもないエセルが困っているのを見て、逆にイヴリンの肚はすわった。
妹を守れるのはイヴリンだけ。いつだってそうだ。
(ちゃんとしなきゃ)
それには、慌てている場合でも取り乱している場合でもない。昨日のように怒って去るわけにはいかない。
「ランバート卿、昨夜はとつぜん失礼して、申し訳ありませんでしたわ」
「いやいや、粗相をしたのは僕のほうだろう。君を妙なことに巻き込んだ、悪かったね」
「え、ええ……」
その通り、奇妙極まりない茶番に付き合わされた。しかしその話を叔母の前でされても困る。当惑したままランバート卿に視線を向けると、その視線をなんだと思ったのか、彼は照れくさそうに目を逸らした。
「それもこれも、あそこで偶然出会った君があまりに美しかったからなんだ。許してほしい」
「は!? あ、いえ、その」
「うん? ああ、お茶ですか。ありがとうございます」
どう返答するのが正解なのか、イヴリンにはさっぱりわからなかった。しかしちょうどそのときお茶が入った、ランバート子爵の注意はそちらに向く。カップを渡した女主人へとごく自然に礼を言う様子に、育ちの良さが出ていた。
そして。
「まあ、セントジェームズにお住まいをお持ちで。ではこの春も、そこへご家族とご一緒に?」
「家族はいません、気ままな独身期間の記録を更新中でして」
「あら、それは失礼を」
「お気になさらず。僕は絵を集めるのが好きでしてね。だからよく絵画相手にイメージトレーニングをしているんですが、現実の人間を養うには先立つものがいりますから」
「冗談がお上手ですわね。絵画のほうがよほど物入りでしょうに。目が肥えていらっしゃいそうだわ」
「おや。ばれていましたか、この慧眼が? しかしこの目のお陰で姪御さんを見落とさずに済みましたよ。本当に美しいかただ、妹さんも」
リジー叔母はここが自分の頑張りどころと思ったのだろう。会話を盛り上げ、ランバート子爵の情報を引き出そうとしている。標的になっているとわかっているのかいないのか、本人は自分の目を指し、おどけて笑ってみせていた。
しかし、話の弾む人たちを見守るイヴリンは、またも疑念を持ち始めている。
何かが疑わしい。にこやかな、上品な態度。目じりの下がった優しい顔立ち。身分のある素敵な紳士なのだろうが、その態度の底にあるものがどうしても見えないしわからない。そつなくイヴリンを褒めてくれるのだが、本気で言っているのかどうか。昨日の様子からしても、誰にでもそう言って口説いていそうだ。
(なんだか怖い……なんなのこの人は。どういうつもり)
だんだん不安になってきた。本当に謝りに来ただけなのか。何か目的があるのでは、と思えてくる。
「もう、姉様。わたしの話を聞いていて?」
「ああ、エセル。聞いてなかったわ、ごめんなさい」
とうとう最愛の妹の話にまで集中できなくなるにおよび、イヴリンは覚悟した。
ここはきっちり、話をつけなければならない。それにはまず、他の人間に聞かれない場所へ行きたい。
会話が途切れた瞬間を狙い、叔母に提案する。
「――ねえ、リジー叔母様。ランバート卿にお庭を見ていただいたらどうかしら」
リジー叔母の趣味はガーデニングだ。そのためユージン叔父は、この過密都市ロンドンでわざわざ庭付きのテラスハウスを住まいとして借りている。
イヴリンの提案にリビー叔母はすぐに乗った。丹精込めた庭を他人に見せる機会を常にうかがっているので。
「そうですわ! ランバート卿、庭は我が家の自慢ですのよ。ささやかな場所ですけれど、ぜひ案内させて下さいまし。すぐ出られますわ」
「庭ですか」
居間には直接庭に出られる出口がある。それを見たランバート子爵もうなずいた。そこへイヴリンはもう一言。
「叔母様、ご案内ならわたくしがいたします。外でただ立っているだけでは体が冷えますもの、叔母様は中にいらしては?」
「そう? そうねえ……じゃあお願いしようかしら」
庭といっても広大な庭園ではない。居間の中から見通せるため、お目付け役も気を尖らせる必要がない。こうしてイヴリンの思惑通り、二人で庭へ出ることになった。




