11.不可解な指輪
ランバート子爵が偽装婚約者に渡した婚約指輪もどきは、金の台に、深い緑の宝石を嵌めた物だった。
しかし晩餐会の翌日から忙しくしていたイヴリンが、例の指輪を眺めるじっくり機会を得たのは数日経ってからのこと。朝、自室でひとりの時にそれを取り出してみた。
彼女がウィリアムに「借りた」指輪。それにはどういうわけかエメラルドが嵌められている。さらにその石はまるで、美貌で名高いブラント男爵令嬢の瞳の色を映したような深い緑だ。彼はわざわざどこかの宝石店で、彼女の瞳に似た色の物を探したのだろうか。
「違うわね」
違う、とすぐにわかる。なぜなら指輪は、イヴリンの指には少しきつい。そして。
「『W to A』。ウィリアム(William)から“A”へ、か」
指輪の内側には、ウィリアムがこの指輪を一度他の誰かに贈った形跡が残っている。イヴリンの“E”ではなく、“A”を持つ人。その誰かのために用意された指輪だ。
さらによく考える。これがウィリアムの手元にあったということは、相手に受け取ってもらえなかった、という意味になる。
「振られた? まさかね」
あの彼に限ってそんなことはあるまいと思う。指輪を用意したということは、今やっている茶番とは違い、その時は真剣だったはずだ。それでも振られたのだろうか。あの名うての女たらしが。
「……もう! やめましょう、深く考えるのは。今はそれどころじゃないわ」
この不可解な『婚約指輪』について、考えるのはやめた。どうせ偽装の関係だ。今のイヴリンにはもっと気にするべきことがある。
*
その日ウィリアムは、午前中の早い時間に男爵邸を訪ねてきた。玄関ホールで、帽子を脱ぐ手間すら惜しんで彼は誘う。
「ロットン・ロウへ?」
「そう。できれば妹さんも一緒に」
マダムキラーでありイヴリンの偽装婚約者でもある彼の誘いは、ロンドン市内にある広大な公園ハイドパークの、さらに中にある乗馬道への外出だった。紳士淑女の集まる社交場で、イヴリンも何度か見物したことがある。
「エセルも一緒に、ですか」
「昼間だし、子どもでも見物くらいするだろう、公園内なんだから。実は今朝、クラブの連中と馬場で集まる約束をしていてね。リヴァースも来るんだ、エセルにもこっそり見せたらどうかと思って」
気の早いことに、ウィリアムはさっそくエセル本人と例の伯爵を引き合わせるつもりらしい。しかしあいにく、イヴリンは首を横に振った。きっぱりと。
「今日はだめですわ。エセルは風邪をひいていますの」
「風邪? ひどいのか」
「熱が七日前に引いたばかりです。今朝なんて二度もくしゃみをしていましたのよ! 治るまで外には出せませんわ」
「七日前って。そろそろ治ってるんじゃ」
けんもほろろに断られた子爵は、理解に苦しむ表情になる。
晩餐会直後から、イヴリンが忙しかった理由。エセルが体調を崩したのは晩餐会の翌日くらいからだ。ずっと気を揉みながら看病してきたイヴリンは、このぐらい用心して当然だと思う。しかしちょっと申し訳なくなった。エセル可愛さのあまりの重度の過保護なのだが、ウィリアムの誘いが誰のためのものなのか、忘れたわけでもない。
「あの、よくしていただいていること、感謝していますわ、本当に。お陰で良さそうなかたに、エセルのことを知ってもらえましたし」
「まあ、命の恩人のためだから」
「ですがクラブの方との集まりなら、わたくしたちはお供しないほうがいいのでは? 男性ばかりのところに女がいては、気兼ねなさる方もいるでしょう」
「いや……まあね。良妻の鑑みたいなことを言うんだな、若いのに」
上流階級の紳士方が集まるクラブは、その多くが女人禁制だ。その集まりへ割り込んでは無粋だということぐらいイヴリンにもわかる。
「ありがたいお申し出ですけれど、今日は遠慮いたします。どうぞ……」
「いいよ。じゃあ君だけでも行こう、イヴリン」
断りの言葉をいいかけたイヴリンをさえぎり、ウィリアムは彼女の手を取った。思いのほか強引だった。
「はい?」
「外はいい天気だよ、散策日和だ。ロンドンの天気なんていつ変わるかわからないんだから、早く行こう。君はちょっと外に出たほうがいい」




