1.プロローグなプロポーズ
プロローグな話
幼いころのイヴリンは信じていた。
“幸せ”とは、誰かが銀のお盆に載せて運んできてくれる、贈り物のようなものなのだと。
*
だからといって、こんなことが起こるとは思っていない。
中世の騎士のごとくひざまずいた男性が、イヴリンの手を取りながら言う。
「僕と結婚してくれますね?」
「は……はい」
イヴリンの返答に、「それはよかった」とつぶやいて、その男性は立ち上がる。いかにも優雅な雰囲気に、上品な物腰。隙なく着こなした衣装はサビル・ロウ仕立てか。見た目も行動も、すべてが理想の英国紳士そのものだ。そんな人がロマンス小説のラストシーンのような、完璧な求婚をしてみせた。
しかしイヴリンは困惑していた。「イエス」の返事を与えてもなお、困惑している。
なぜならば。
その紳士は人好きするような笑みを浮かべると、悪びれもせずに尋ねた。余人には聞こえないよう、たったいま婚約したばかりの彼女の耳元で。
「ではミス……それともレディ某かな? どちらでもいい、とりあえず君のお名前をお聞かせ願えますか、婚約者殿?」
この完璧な求婚者とイヴリンは、数分前に出会ったばかりだった。しかもイヴリンが承諾の返事をしたのは、なにやら切羽詰まっていた相手の要請に応えてのこと。なんでもいいから自分の問いかけに「イエス」と答えてほしいと、いきなり頼まれた。ほんの少しの間、芝居に付き合うだけだからと。
その頼みに応じた結果が、さきほどのあれだ。
お互い名前も身分も何もかもを知らない紳士から、とつぜんプロポーズを受けた。
これは19世紀末ロンドン、とある社交場での出来事である。




